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テニスマガジン 1995年3月20日号 The Best Match:1月24日/男子シングルス準々決勝 「勝て! おまえのコーチのために」 |
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ふたりのプロフェッショナルが繰り広げた深夜の死闘。 若きチャンピオンが見せた涙に、彼の本当の姿が映し出されていた |
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「サンプラスが泣いている…」−−そんなざわめきが、会場のあちらこちらから起こった。1月24日のクーリエとの準々決勝、ファイナルセット1-1となったときだった。急に立ち尽くし、目を閉じて涙をこらえようとする彼の姿が、テレビ画面いっぱいに映し出されたのだ。 そのことを除いても、試合はすでに尋常なものではなかった。ふたつのタイブレークを奪ってクーリエがセットカウント2-0とリードしたあと、サンプラスは果敢にファイトバックし、6-3、6-4で続く2セットを奪った。暗くなったセンターコートでナイターの光を浴びながら、クーリエは第2セットの途中ですでに、この試合が特別なものになるという予感を感じたという。 この大会期間中、クーリエは、ナンバーワンだったときの確実さと力強さを取り戻していた。昨年を振り返って彼は「ラケットを手にとることすらイヤになっていた」と告白している。しかし今年に入り、フレッシュな気分を取り戻してふたたび燃え始めたクーリエは、この試合でも終始、無敵と呼ばれたサンプラスを圧倒した。 第4セット、サンプラスは2-2からクーリエに先にブレークを許した。それまでワンブレークが命取りとなっていた、この緊迫したサービスキープ合戦の中にあって、このブレークは致命的であるかと思われたが、しかしサンプラスは3-4からのクーリエのサービスゲームを40-15から追いついてブレークバックし、鬼気迫る勢いでネットダッシュして次のゲームをキープすると、その次のクーリエのサービスゲームも、たった一度のアドバンテージを生かしてもぎ取った。 |
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その直後のファイナルセット、観客が叫んだひと言−−「勝て! おまえのコーチのために!」という言葉が涙の引き金となった。サンプラスのコーチ、ティム・ガリクソンは昨年後半から何度も心臓発作を起こして倒れていたが、ここオーストラリアに来てからふたたび発作を起こして病院に担ぎ込まれ、安否が気遣われていたことは、地元の新聞で何度も報じられていた。 大会期間中サンプラスは、そのことについてノーコメントを通していたが、24日、この試合の直前には、様態が思わしくないため、ガリクソンは急遽アメリカの自宅に検査のために帰ることが決まっていた。また、オーストラリアに来る途中、ガールフレンドのデライナが交通事故を起こすというアクシデントもあり、サンプラスは周囲のさまざまな状況のため、いつになく精神的に不安定な状態に陥っていた。 クーリエは、サンプラスの涙を、足が痙攣を起こしているためだと思ったらしい。なぜならクーリエ自身、ファイナルセットに入ってから、大腿四頭筋、内腱筋、大腿二頭筋と、体中に痙攣を起こしていたからだ。 |
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「大丈夫かいピート、なんだったら明日また続けようか」。サンプラスのただならぬ様子を感じ取ったクーリエは、こう呼びかけた。 「あれは冗談なんかじゃないよ。いたってシリアスだった。ピートはひどく具合が悪そうに見えたし、僕自身も気分が悪かった。明日続けられれば、ふたりともいいプレーができるだろうと思ったからさ」 しかし、サンプラスはクーリエ同様、真のプロフェッショナルだった。クーリエは痙攣の痛みを "作り笑顔”で隠してプレーを続け、サンプラスは涙を拭うと、より攻撃的にネットに突進していった。 勝負を分けたのは、サンプラス4-3リードからのクーリエのサービスゲームだった。40-15とリードされながらサンプラスはデュースに追いつく。そして、4回のデュースの末に握ったアドバンテージで、クーリエのパスがネットコードに当たってネットの向こう側に落ちた。サンプラスの目の前はこれで開けた。あとはサービスをキープするのみ。サンプラスは4本のサーブで、4時間を越えるこの死闘にケリをつけた。 |
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2日後、落ち着きを取り戻したサンプラスは、こう言っている。 「皆、僕がふつうの人間だってわかったんじゃないかな。僕は、道を横切っているその辺の男とまったく同じ、普通の人間なんだ。決して特別じゃない。つらくて、くぐり抜けるのがたいへんなこともあるけど(それを抜けて)今ここにいられることを幸せに思う」 彼が『退屈なチャンピオン』と呼ばれることはもうないだろう。試合の翌日、会場には、ガリクソンからの「心配ありがとう」というメッセージが配られた。 |
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