テニスマガジン
1994年11月5日号
アメリカ「TENNIS」誌からのエア・メッセージ
サンプラスは自らその存在を歴史に刻みつつある
文:Mike Lupica
訳:川口 由紀子


 連覇のかかったUSオープンでは体調面のアクシデントに見舞われ、4回戦で敗れ
 てしまったピート・サンプラス。しかし、その実力の評価にはいささかのかげり
 も見えず、もちろんランキングもナンバーワンを独走している。サンプラス時代
 はしばらく続くだろうというのが、世界のテニス界の定評だが、果たして地元ア
 メリカではサンプラスはどのように見られているのか。その評価の一端をご紹介
 しよう。

ここ20年くらいの間、ジミー・コナーズやジョン・マッケンローが存在していたおかげで、野性的で怒った顔がアメリカ・テニスの "顔" であった。そして現在ではピート・サンプラスがその "顔" となっている。おとなしく、迫力の点では弱いが、テ二スの質の点では向上している。私は常々、コナーズのゲームを、全キャリアを通じて、そして最後まで賞賛してきた。

マッケンローの場合、彼が自分のキャリアをおおげさに自賛するまで、私は彼の才能に気づかなかった。サンプラスはたぶんその引退後に、コナーズもマッケンローも彼と同じクラスにいなかったことが証明できるだろう。彼はこのスポーツの顔となり、しかもそれが長期に渡りそうであるが、それは実にけっこうなことだ。

この春、サンプラスとジム・クーリエの試合を見にリプトン選手権のセミファイナルに出掛けた。クーリエは、少なくともその時点では、サンプラスに良い試合をさせる最高のプレーヤーのようだった。そしてサンプラスは、オーストラリアン・オープンのセミファイナルでは、クーリエをまるで予選上がりの誰かをやっつけるかのように、こてんぱんにやっつけてしまった。だからその後、何か変化でもあったか、たとえばサンプラスが少しばかり並のプレーヤーになったかどうか、あるいはクーリエがテニスの腕を上げたかどうか確かめたくて、リプトンに出掛けたのだった。

クーリエはその日、サンプラスに対して可能な限り頑張った。彼は心意気を示したし、不屈の闘志をも示した。そしていつもやっているように、バックコートから猛反撃を加えた。クーリエはたとえ大きくリードされているときでも挽回できるヤツだ。しかし、ここではその大物に対して歯が立たなかった。キービスケーンでのサンプラスは決して最高のコンディションではなかった。風が吹き、クーリエのストロークはサンプラスの脇を容赦なくすり抜けて飛び去った。そして試合は接戦だった。だが、クーリエは勝機がつかめなかった。

その新しいスタジアムで何度もクーリエがチャンスを逃すのを見たし、ラリーも6回か8回、さらには10回も続き、とことん打ち合った。クーリエはまさに彼の会心のショットを打った。足を踏み込み、体を巻き込み、そして誰もが知っているあの、地面にバウンドしたあとにまるでマイアミのダウンタウンまで突き抜けていかんばかりのフォアハンドを打ちまくった。

サンプラスは、そのボールに追いついたばかりではなく、それに対し、自分も最高のショットを打ち返した。すばらしいことだ。相手からすごいパンチを食らったあとで、それ以上強烈なパンチを打ち返すのだ。このようなシーンは今年の初めのすべての試合において見られたが、このプレーには獣のような芸術性さえ感じられる。

クーリエはこれに対し、フレンチ・オープンの準々決勝で、サンプラスを迎え撃った。そして砂にまみれたタフな4セットマッチを勝ち抜いた。もしサンプラスがフレンチのタイトルを取っていたら、今年、4つのすべてのタイトルを取っていたかもしれないが、これを真剣に狙い始める前に、クーリエは歯止めをかけたのだ。

サンプラスはいつかはそれをやり遂げると信じている。そのうち、クレーの上では忍耐が必要であること、だが、すべてを変える必要はないことを悟るだろう。このテニスの世界において、彼こそ、グランドスラムの可能性、あるいは4つすべてを、同年ではなくても、獲得できる唯一のプレーヤーだ。

ここ1年以上、スリリングに展開してきた彼のテニスを見ていると、サンプラスはすべてのショットをやりこなせる能力を備えているように見える。このままでいくと、彼はアーサー・アッシュのような紳士的なチャンピオンになるであろう。


ビル・ナックという名前のすばらしいスポーツ・コラムニストがいる。彼は新聞社にいたが、のちにスポーツ・イラストレイテッドに移った。彼がまだ新聞社にいた頃、コナーズとボルグがUSオープンのファイナルで戦った。コナーズが勝った試合だった。しかしナックはその日、コナーズの戦いぶりに心を奪われたのではなかった。

それよりも、負けたときのボルグの、厳格さあふれる態度に心を奪われたのだった。コナーズは、いつの日かボルグ以上の尊厳性をもって振舞えるのかどうか、疑問に思う日が来るのではないかと、その試合後、彼はふと感じた。
「コナーズ自身は、ボルグ以上にすばらしい振舞いができることを望んでいるのだろうか」とナックは書き記していた。

19歳でUSオープンに優勝したとき、チャンピオンらしい態度で試合を遂行していただけでなく、その優雅さをも兼ね備えていたサンプラスに対しては、そのような心配は無用である。それはサンプラスのテニスにおける才能と同様、天賦のものである。

テニス界において、特にサンプラスのような輝かしい、才能ある若者に関しては、常に多くの "もしも" が存在する。彼は恐らくはメジャータイトルを10個くらい取るであろう。それ以上かもしれない。もしも、彼が怠慢にならなければ、だ。もしもケガをしなければ、もしもやる気をなくさなければ、そしてもしもマッケンローのように25歳限りで重要な試合での優勝をストップさせなければ、サンプラスは不滅だろう。

さて、ここに6−3、6−4、6−1というマッケンローのスコアがある。そしてこれは1984年のUSオープン・ファイナルのスコアである。マッケンローはレンドルを破った。しかし、彼は、テニスの歴史における天賦の才能に恵まれたひと握りのプレーヤーの中のひとりであったにもかかわらず、それが彼の最後のメジャー・トーナメントのタイトルとなった。

マッケンローはその後、グランドスラムのシングルスでは一度も優勝していない。コナーズの方がタイトルの数は多いし、レンドルもそうだ。マッケンローには2度目の大活躍はなかった。彼は最後まで息長くやり抜くために、2度日の華々しい活躍はしようとしなかった。彼の真価を知りたい? フーッ。よし、教えよう。長い間、マッケンローのあまりにも長すぎるキャリアにおいて、私は彼の才能に気付かなかった。私は彼に対し、たづなを緩めすぎた。これは私の落ち度である。現在、彼に対する情熱は消えてしまった。


サンプラスには、コナーズ、レンドル、マッケンローらの誰よりも多くのメジャー・タイトルを獲得するチャンスがある。今年の1月、オースーラリアン・オープンで優勝したとき、それは2つのUSオープンとウインブルドンを含む4つ目のメジャー・タイトルであった。彼はまだ23歳だ。いつの日か、1970年代や80年代のあの怒れるサウスポーたちなどではなく、ビル・チルデンとかジャック・クレーマーといった右利きのすばらしいチャンピオンたちと並んで議論されるようになるだろう。サンプラスは彼らが持っていた良さを持っている。伝統的なテ二スの価値を備えたゲームをする。そういう価値を備えたプレーヤーなのだ。

現在、ただただサンプラスのプレーを見たい。スポーツ界の紳士たちが示してきたやり方、ウェイン・グレツキーなどの紳士がアイスホッケーにおいて記録を破ったやり方で、彼にも記録を打ち破ってほしい。サンプラスには派手な身振りがない。グレツキーにもだ。そしてジョー・モンタナにもない。しかし、このふたりはすべてに勝っている。だからサンプラスにも同じことを期待する。彼はアッシュの優雅さを備え、そしてマッケンローばりのテニスをするプレーヤーなのである。