ニューヨーク・タイムズ
1990年9月10日、月曜日
雑踏で結果を知る
文:George Vecsey


妻が店から走り出てきて彼にキスした時、 ソテリオス・サンプラスは何か良い事が起こったのだと知った。彼らは車で家に戻り、息子が6-4、6-3、6-2で20歳のアンドレ・アガシをこてんぱんにやっつけ、史上最年少のUSオープン・チャンピオンになったのを祝して、シャンパンを2本あけた。

彼らは親密な家族だが、距離を保っている。アガシは常にエージェント、マネージャー、兄弟、コーチ、ボディガード、栄養士、トレーナー、体重アドバイザー、ラケット持ち、追従者、ヘアスタイリスト、振る舞い方の調整者などが群れる真ん中で、せわしく動き回っているようだ。

一方ピート・サンプラスは、時には扇動する者が同伴しているが、「取りまき」という言葉を聞くと、彼は愛想よくにこっと笑う。「僕が5〜6人の人々を連れているって事はありえないよ」と、サンプラスは昨日の試合後に言った。

土曜日、彼の両親は息子がジョン・マッケンローという31歳の老兵を叩きのめすのを見るよりも、映画「推定無罪」を見に行っていた。「内容はあまり覚えていない」と、父親は土曜日の夜遅くに打ち明けた。「ちゃんと見ていなかったが、何かする事が必要だったのだ」

その告白はハリソン・フォードを満足させるだろうが、息子が毛羽立ったテニスボールを叩いている間、父親はとても長い時間をやきもきして過ごしたのだ。「私は気弱な人間なのかも知れない。だが私がどのように感じているか言おう」とシニア・サンプラスは土曜日に語った。

「家族は長い間ピートに専心してきた。我々が大会に出かけていた間、他の子供たちは我慢していたのだ。少し恨む気持ちもあったが、今は解決している」「私は昨年1月に、彼には親が付き添う必要はないと判断した。彼には主体性がある。ピートは私の事を分かっている。私には他に3人の子供がいる事を分かっているのだ」

ジョン・マッケンローが大試合でプレーする時には、今でも父親と母親がすぐ近くに座っている。マッケンローが泣きわめく17歳の赤ん坊として登場した時から、マッケンロー家の人々は彼の上首尾を祝い、マックがベビーサークルからおもちゃを投げつける時には、無表情な顔で見つめてきた。

しかしサム・サンプラスは、準々決勝で息子がイワン・レンドルに接戦で勝利した時さえ、カリフォルニアから動こうとしなかった。父親は自分を「息子をジュニアの大会に連れて行き、一緒に12年を過ごした」が、改心したテニス・ペアレントなのだと表現した。

一家はかつてメリーランド州ポトマックに住み、父親は国防省で働き、空いた時間にはバージニアのマクリーン・デリカテッセン(ギリシャ料理店)の経営を手伝っていた。

12年前、父親は帰宅して、もっと家族と一緒に過ごしたいと宣言した。そこで一家はカリフォルニアに移住した。そこにはたくさんの航空学の仕事と同じく、テニスに向いた気候があった。そして父親は、高名なコーチたちの協力を得た。

家族は古いフォルクスワーゲン・ワゴンに乗り、ピートを大会に連れて行ったものだった。しかし少年がプロツアーでプレーし始めると、父親はワゴンをガレージにしまい、ジョギングに取り掛かるべき時であると知った。

「昨年はヨーロッパでの4大会に同行した。私は不運をもたらしたのかも知れないが、彼は4大会とも1回戦で負けた。彼は我々の精神的支えを必要としていない。彼は大人だ」

息子はこのオープンでも大人のように振る舞った。そして最近の世代にありがちなイライラを見せたり、あるいはベースラインにしがみついたりせず、クラシックなサーブ&ボレーゲームを披露した。

昨日サンプラスは「僕はロッド・レーバーやケン・ローズウォールを尊敬してきた」と、60年代のオーストラリア人スターの事を語った。「僕はデル・リトルというコーチとやっていたが、彼はレーバーが1971年と1972年にダラスの W.C.T. で勝った時の古いテープを持っていたんだ」と付け加えた。「レーバーはあらゆる事ができた」

クラシックなテニスプレーヤーとの一体感は、彼の音楽の趣味にも共通している。ピート・サンプラスはテクノロジーに偏りがちな現在のニューウェーブ・ロックよりも、キャット・スティーブンスやイーグルスのような良きオールディーズを好む 。

2人の教育レベルは似通っている。多くの19歳や20歳の若者が、学期末レポートに取り組むか、ピザを注文するか、あるいはステレオを聴くなど、大学で日曜日の午後には色々としている一方、アガシとサンプラスは自分が選択した分野で励んでいた。

「ところで、この国では高校の卒業証書に何か効力があるのかい?」と、最近サンプラスは尋ねた。このサンプラスとアガシが見せるひたむきさが、たこつぼ壕から飛び出して敵の居場所に突撃する19〜20歳の若者を軍隊が欲しがる理由だ。

「彼らは自分が何をしているのか、よく分かっていない」と、侮辱の意味ではなく、マッケンローは語っていた。「もっと年をとらないと、自分がしている事の真価を認識できないのだ」マッケンローは、なぜトップレベルに戻るため自分をプッシュしてきたか、少しばかり明らかにした。

このオープンでは若者が奉仕(サービス)を受けた。アガシはひと揃いの取りまき連に、サンプラスは彼と無関係なたった2人の雑用係に。だが彼は自分のサービスを持っていた。そして家庭には自分を気に懸けてくれる人々がいる事を知っていた。それで余りあるほど充分だった。