Ace Magazine
2003年10月号より


ティム・ヘンマン
かつての練習パートナー
サンプラスと僕はよく一緒に練習した。そして練習のセットマッチでは、10回のうち7回は僕が彼に勝ったものだった。しかし大試合になると、彼にはギアチェンジがあった。大舞台でサンプラスより決然とした者はいない。

彼は僕が今までにプレーした者の中で、最も重い球を打つサーバーである。速いサーバーと重いサーバーを区別するのは重要だ。重いサーブはいつも(リターナーに)食い込んでくる。もしくは正確に都合の悪いスポットにプレースメントされる。対戦相手は速いサーブを打つ事はできる。しかしもしラケットで捕らえられたら、返す事は重いサーブより易しい。特に芝では。これがサンプラスを素晴らしいプレーヤーとして、他と一線を画しているものだと思う。

マーク・ペッチー
かつてのイギリス・ナンバー1、スカイテレビ解説者
サンプラスは自分のキャリアに、そして試合のための日々の準備について細心だった。彼には常に、試合前には同じようなお決まりの手順があった。徹底的なプロフェッショナルであった。しかしそれは「ビジネスライク」というものではなく、「情熱的」と描写すべきやり方だった。

初日から彼にとっては全てがタイトルのためであったと言えるだろう。彼にとってお金は二の次であった。

ドミニク・ウーランド
胴元
スポーツの賭にはゴールデン・ルールがあった:ウインブルドンでは決してピート・サンプラスの反対に賭けてはいけない。

彼が1993年にウインブルドンで初優勝した時、彼は私の確固たる優勝候補となった。彼には大会を通じて、賭けの対象として匹敵する者がいなかった。そしてテニスの賭で財産を作ろうとする私のルーキー・イヤーは、素晴らしく好調なスタートとなった。

毎年毎年、我々の関係は続いた。すなわち彼はウインブルドン・タイトルを収集し、私は賭の利益を手に入れ続けた。