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2003年8月
ピートへの称賛


サンプラスのキャリアを通じて、彼について語られた事をお読み下さい。

マーク・マイルズ
ATP会長 2003年8月21日
ピート・サンプラスの引退は、我々にとりチャンピオンの傑出したキャリアを讃える時である。彼のキャリアは我々に完璧を目指すよう鼓舞してくれた。

1990年---ATPが設立されたのと同年---にフィラデルフィアで最初のATPタイトルを、そしてUSオープンのトロフィを獲得して以来、ピートは14のグランドスラムと11のテニス・マスターズシリーズを含め、驚異的な64タイトルを獲得してきた。

これらの栄誉を手に入れる一方、彼はコート上では武勇で、そしてオフコートでは気品で、地球上の何百万というファンを魅了してきた。卓越への情熱と成功へのひたむきさで、彼はこれからの世代にとって賛美される模範の運動選手となるだろう。

サンプラスはプロテニスからは引退するかもしれない。しかし彼のレガシーは語り継がれるだろう。

我々ATPの者は、彼がスポーツのためにしてきた全てに対してピートに感謝したい。そして恐らく史上最も偉大なチャンピオンの成長を、初めから目撃してこられた事を光栄に感じる。

ジョン・マッケンロー
「デイリー・テレグラフ」紙(イギリス)2003年8月25日
私はドン・バッジ、フレッド・ペリーあるいはルー・ホードのプレーを見た事はない。しかしオープン時代最高の選手達を見るか、あるいは対戦してきた。そして私にとっては、その時代の最も偉大な選手として、サンプラスは私のアイドル、ロッド・レーバーと肩を並べている。

2度の年間グランドスラムを達成し、同じ左利きでもあるレーバーより上に誰かを据えるのは好まない。しかしサンプラス---14回のスラム優勝者---は、少なくとも力量に関してはオーストラリア人と同等であった。

実際、もし彼らがお互いの全盛期に対戦できたなら、間違いなくサンプラスの方がより頻繁に勝っただろう。彼は全てのショットを持っており、世間の評価よりずっと優れたアスリートだった。最初は、彼のボレーは他の要素ほど良くなかったとしても、終えるはるか前には、少なくとも同じくらい良くなっていた。彼のメンタル面も同様だった。彼は進化するためには何が必要かを知っていた。

ボリス・ベッカー
「タイムズ」紙(イギリス)2003年8月27日
彼には滅多に見られない才能があった。生まれながらの、普通の18〜19歳の人からは見られない類のショットを持っていた。みんな彼のようには、ランニング・クロスコート・フォアハンドを打たなかった。セカンドサーブではエースを取らない事になっていた。
彼は名声やそれに応える事は苦手だった。しかし選手達は、彼が「オン」になったら手が付けられない事を知っていた。それが彼をそんなにも特別な存在にしたのだ。

ジョン・ロバーツ
「インディペンデント」紙(イギリス)2003年8月23日
1990年、USオープン最年少男子シングルス・チャンピオンとして19歳でキャリアがスタートした時から、ピート・サンプラスは謎めいた存在である事を運命づけられていた。ある者にとっては、彼は輝かしい、スポーツにおける良き事全ての象徴であった。別の者にとっては、彼は退屈だが効率的であった。
彼を真に要約する言葉は「驚異的」である。

バド・コリンズ
NBC局「テニス・セントラル」より 2003年8月22日
サンプラスがテニス界を去るのは残念でならない。彼を見るのはとても楽しかったから。彼はテニスにおけるディマジオのようだった。動きがとてつもなく優雅で努力を要しないように見えた。きらめくようなボレーで攻撃時の重要なプレーを、いつも日常茶飯事であるかのようにやってのけた。
それが、ある者達は彼が退屈だと見なした理由なのだろうか? その判断はバカげていた。どうやったらこんな絹のような、なめらかな、動じないパフォーマンスを称賛しないでいられるのだろう? 彼はスニーカーを履いた生きる卓越であった。

ニール・ハーマン
「タイムズ」紙(イギリス)2003年5月17日
スポーツ界が見てきた最も素晴らしいサービスの圧倒的な能力、魅了するボレー、見事な動き、 スラムダンク・オーバーヘッド、それらと結びついたもの憂げな優雅さ……全ては過去の宝となった。

アンジェラ Gebhardt
「SportBild」 (ドイツ)2001年5月23日
サンプラスにとって、まさに正しい時に正しい事をするのは本能であった……アンドレ・アガシやボリス・ベッカーとの勝負の時のように。1996年、ハノーバーでのテニス・マスターズカップにおける、天下一品の勝利のように(d.ベッカー 3-6、7-6、7-6、6-7、6-4)。

ジェフ・カルキンズ
メンフィスCommercial Appeal 2001年2月21日
その男は単にウインブルドンの最も偉大なチャンピオンであるだけではない。彼は単に史上最高のテニスプレーヤーの1人であるだけではない。彼は単に63タイトルと4,100万ドル、そして今までにラケットを持った事のあるどの男よりも多くのグランドスラムを獲得したプレーヤーであるだけではない。

品位で定義されたキャリアにおいて、サンプラスはイメージが全てではなく、功績が重要である事を証明してきた。
多くの大試合に、そして長い間勝利すると、注目すべき事が起こる。実質そのものがスタイルになるのだ。

アラン Deflassieux
「レキップ」紙(フランス)2001年1月15日
暖炉の両側の壁に棚がある。彼が獲得したウインブルドン・トロフィーの7つの複製が、パレードのように一列に並んでいる。これは非常に印象的だ。彼はこのようなコレクションを陳列できる、世界で唯一の人間なのだと思い出すと鳥肌さえ立つ。

他の場所には彼が獲得した他の大会のカップが並んでいる。USオープン、オーストラリアン・オープン、デビスカップ、さらにマスターズでの優勝と世界ナンバー1ランクを思い出させるトロフィーもあるのだ。

S.L. プライス
「スポーツ・イラストレイテッド」誌 1999年7月12日
芝生の上のサンプラスは、火の点いたガソリンのようだ。ひとたび彼が動き出すと、止める事は殆ど不可能である。

ウォルフガング Wonesch
「スポーツマガジン」(オーストリア)1998年1月
ピート・サンプラスは恐らく、彼のプレーだけで人々を感動させ得る、現代の唯一のテニス神であろう。どんなAC/DCコンサートも、コート上におけるサンプラスの傑作ほどの感動的な資質を有していない。

スティーブ・フリンク
「インディペンデント」紙(イギリス)2002年10月7日
彼はテニスにおける究極のショット・メイキングの名手であり、彼の世代の中で最も完成されたプレーヤー、非凡なスポーツマンであり模範、まれに見る上品さと人柄の男である。

ジョン・ロバーツ
「インディペンデント」紙(イギリス)2002年3月27日
その30歳のアメリカ人には、証明すべきものは何もない。テニス史上誰も、同じだけのグランドスラム・シングルス・タイトル---13 ---を獲得した者はいない。あるいは6年連続世界ナンバー1となった者はいない。

そして彼の7つのウインブルドン・シングルス優勝は、彼のサーブ・ボレースタイル---滅びゆく芸術の、熟練の技と優雅さの証明である。

ジム・クーリエ
「テニス」誌 2003年8月
ピートが再び成功を味わった後は、彼は自分の最大の強みになるだろうもの、彼が本当に欲した唯一のもの---メジャータイトルを勝ち取る事---に焦点を合わせるひたむきな心構えを進化させ始めた。

ひとたび彼の大望が具体化したら、ピートはその焦点から決して逸脱しなかった。彼はその途上で、脳腫瘍のためにティムを失った。しかしその時でさえ、彼は歩みを止めなかった。

ピートは別の時代のヒーローを模範として、自分を作り上げた。そして彼は本当に50〜60年代の無口で、謙虚で、上品なオーストラリアのチャンピオン達のようになった。

サリー・ジェンキンズ
「テニス」誌 2003年8月
彼はあのサーブの爆風で幾つものポイントを短縮し、同じ数だけの希望を叩き潰した。催眠術のようなリズムとモノトーンな調子で、彼は対戦相手と観客を鎮まらせた。また同様の方式でタイトルと記録を獲得していった。

しかしまた、サンプラスは完成された、そしてテニスを深く理解しているプレーをした。彼は目の肥えた人、あるいは表面上の無頓着さの下にあるものを理解する人々を決して退屈させなかった。そこには彼がコート上で2度も吐き、涙を流してさえなお力強い、テニスに対する渇望があった。

彼のコーチ、ポール・アナコーンが言ったように、「ピートはテニスをあまりにも簡単な事のように見せる。人々は彼を見て『それほど難しい事に見えない』と思うのだ」