1997年12月27日
ピート・サンプラス:ワッフルはこのチャンピオンの朝食
文:Robin Finn


タンパ、フロリダ --- その朝、ピート・サンプラスは最初の炭水化物を切望していた。それが意味するのはただ1つ。世界ナンバー1のテニスプレーヤーが、彼の分身「獣」--- そのフードの下には430頭の機械化された馬(430馬力)が潜み、信頼性の高いレーダー探知機が隠されている--- 黒いポルシェ・ターボ Sに身をまかせ、瞬間的には時速110マイルという法外なスピードまで加速して、ワッフルハウスへと疾走する時であった。

ピート・サンプラスは法律を犯したのか? まあ、ちょっと1分間だけ。

サンプラスに関するそこらの本は、彼は仕事がすべてで遊びはなし( all-work-and-no-play )タイプの男(彼は21歳の時以来、テニスをする他のいかなる男にも、1位で年を終わらせなかった)であると言うが、その本には少しばかりミスプリントがある。

「26歳の男がスピードを好きじゃないわけないだろ?」
サンプラスはドライビングよりさらに速いサーブを打つし、制限速度というものは、年に1,500万ドルをポケットに入れない、違反チケットの代金を支払いかねる人のためと感じずにはいられないのだ。

「こんな風に、赤信号まで僕は他のみんなを出し抜く( beat )のさ」
サンプラスにとって少なくともテニスコート上では、他の皆を打ち負かす( beat )のは良い習慣になっていた。温かい朝食を食べる事のように --- 彼がそれを料理しなくても済む限り。

「僕は一度も卵を料理した事がない、とは言わないよ。最近は料理をしてないってだけだ。もしかしたら、将来どこかで料理学校を開くかもしれないよ」と、高校を中退しているが機知に富むサンプラスは言った。彼は30代までプレーを続ければ、ロイ・エマーソンの持つグランドスラム男子シングルス・タイトルの記録を抜くだけでなく、理想の上では2倍になると計算する。エマーソンは1ダースのタイトルを持っている。しかしサンプラスは今年オーストラリアン・オープンとウインブルドンで優勝し、タイトル数は10になった。

「もし僕が30歳までこのレベルでプレーを続ければ、あと16回、もし31歳までなら20回のチャンスがあるって事だ。でも、いまはタイトル以外のものに飢えているんだ」
サンプラスの足はアクセルにかかり、彼の心は、そう、ワッフルに飛んでいた。バハマのカジノで一夜の気晴らしをしたサンプラスにとり、この朝食は1日の最も重要な食事であった。
カジノのサンプラス? さらに多くの幻想が粉々になった。
「ブラックジャックを少しね」と彼は言った。「熱中してるってほどじゃないけど」

しかしサンプラスはワッフルには首ったけだ。そしてより派手な同世代人のアンドレ・アガシがかつてチーズバーガーを擁護したように、ワッフルの長所を主張する。彼は地元のワッフルハウスが好きだ。コップはプラスチック製で、フライパンの油の匂いが充満し、働き者のウェイトレスは彼を、そして誰をも「ハニー」と呼ぶ。

そこでは彼が15万ドルもする100台限定モデルの車を持っている事も、52のキャリア・タイトルがある事も、女優のガールフレンドがいる事も、1997年に新記録である650万ドルの賞金を獲得した事も、さらに800万ドルの広告料の事も、5年連続でトップ・ランキングを独占している事も、誰もちっとも気にかけない。フォーブス・マガジンの1997年アスリート長者番付で、サンプラスがアガシを抜いて15番目になり、ジョージ・フォアマンのすぐ次になったなんて、誰もひそひそ話したりしない。ここでは、サンプラスはチャンピオンではない。彼はなじみの客だ。

ワッフルハウスでは、無名の者であるという事は、熱いメープルシロップと同じくらいウキウキさせるものだ。誰も彼にサインを求めない。そして誰も彼に、自分をテニス界のマイケル・ジョーダンだと思うか、と訊かれるたびにサンプラスの食欲を失わせる質問をしたりしない。

「ここでは誰も僕を知らない、あるいはもし知っていても気にかけたりしない。ステキだよ。つまり僕は僕自身でいられるし、『名声や富の産物』に対処しなくてもいいんだ」とサンプラスは言った。彼は心底はにかみ屋なのだ。専業主婦である母親、ジョージアから受け継いだ性質だと彼は言う。「母も自分について話をするのが好きじゃない」

「父と同じくね」とサンプラスは父親について語った。ソテリオス --- サムと呼んでいるが ---は、かつてカリフォルニアで国防省の航空宇宙エンジニアをしていた。「父はとても規則正しくて、いつも空港に3時間早く到着するような人間だ。それを信条とまでしている。でも僕の家族はみんな、見たままの人間だ。見せかけは何もない。彼らはテニス・ペアレントというより、僕の真の親でいてくれた」

ロサンジェルスで家族と一緒にクリスマスを過ごした後、1997年のタイトルを守るため、サンプラスはオーストラリアン・オープンに向かい --- 彼はこの1年、決勝では8戦全勝だった --- 来年のワッフル資金を稼ぐ予定だ。

「お金は、この時点では関係ない」と彼は言った。「100万ドルのギャラを断るようになる頃には、お金に触らなくなる。むしろ家にいたいと思うからだ。お金は僕の生き方を変えるものではない。自分の車や家を手に入れたけれど、それ以外はおもちゃに夢中になったりしない。僕が船を買ったりする事はないよ」

「だがボリスが引退し、アンドレがそれほどホットでないから、エージェントが言うように僕は唯一の見せ物だ。契約とギャラはただ上がり続ける。僕自身が誰よりも驚いているよ」

サンプラスは何世代もの間、家族が快適に暮らせるだけの財産を自分が持っていると知っている。しかし過剰分については、彼のチャリティがどこまで広がるべきか、ハッキリしていない。「僕は自分が*テッド・ターナーのような事をするとは思っていない。でも絶対そうならないとは言わないよ」
訳注:Ted Turner。CNN創設者。タイム・ワーナー社筆頭株主で副会長。大リーグのアトランタ・ブレーブスのオーナー。

サンプラスは駐車場でポルシェをトラックの間に突っ込み、トレーラーサイズの簡易食堂にぶらりと入り、カウンターに座った。Tシャツを着た2人の男が、すでに彼のお気に入りのコーナーにいたからだ。彼はラミネートされたメニューを見詰め、いつものを注文した:軽く焼いたワッフル1人前。
「ここはおそらく僕が心安らかに食べる事のできる唯一の場所だ」と、口をモグモグさせながら言った。

サンプラスが料理しないところをみると、彼の家の台所はさほど安らかな、あるいは有用な場所とは思われない。「昨年は一度もレンジを使わなかった」と、自宅の中を回って彼は言った。芽の出てしまった野菜が冷蔵庫に放りっぱなしだった。彼のガールフレンド、キンバリー・ウィリアムズは映画に出演中なのだ。感傷からか --- 結婚の考えが浮かぶかという問に、彼は強くイエスと言った --- あるいは怠惰からか(彼は洗濯はする)、サンプラスにはまだ芽の出た野菜を捨てる機会がない。

サンプラスは外食をよくする。昼食は近くの「 Publix 」スーパーマーケットで買う組み合わせサンドイッチ、そしてディナーは、もし彼の名前を使わなくても席が取れるなら、「 Outback Steak House 」のような、一般的なショッピングモールのレストランで。本当に特別の夜は、そう多くはないが、サンプラスは「 Rub 」へ向かう。タンパのナイトクラブで、そこのおしゃれな喫煙室には彼のラケットが飾られている。

1年前、デレイナ・マルケイとの7年間の関係が終わった後、サンプラスは少しばかり独身男性のパーティーを楽しんだ。しかしワイルドライフは素早く終わった。「その間は楽しかったよ。でも長くは続かなかった。家でバスケットボールを見ている方がいいと悟ったんだ」

車と「ホテルみたい」と見なしている5,500平方フィートの家以外には、彼は法外な値段のものに縁がない。確かに、彼の財布の中身はつつましいものである。ワッフルハウスのウェイトレスが4.96ドルの請求書を持ってきて、サンプラスが無造作に財布を取り出したところ、4ドルしか入っていなかった。彼は赤面したが、パニックにはならなかった。駐車場に飛んでいき、まさに普通の男のように、四つん這いになってポルシェの床を探し回り、ようやく支払いに充分な数の25セント硬貨を見つけ出した。

朝食が終わり、サンプラスはゆったりとしたペースで家まで車を走らせた。セキュリティ・ガードの内側に設けられた一時停止標識に、きちんと注意を払う事までした。そこはオーストラリアのようなコミュニティで、エメラルド・グリーンのフェアウェイと、美しい池がある。池には本物の小さいワニが、しばしば姿を現す。ツアーに出ていない時には、彼はそこでゴルフをする。

家には立派な玄関があるのだが、彼はガレージから出入りする。そこは彼のお気に入りの部屋へと繋がっているのだ。赤い壁とアーチ型天井(サンプラスは家では、コート上でのようにうなだれていたりしない)のこぢんまりした部屋で、テレビ、ステレオ、レーザーディスク・システムが備えつけになっている。アーチの上部にあるもの? 4つのウインブルドン・トロフィーだ。

サンプラスは緑の革ソファーに深く座り、それを愛でながら言った。「その壁は基本的に僕を要約しているよ。僕のドリームハウスを建てる時には、そんな風なコーナーを持ちたいね」
しかしドリームハウスは、大きい部屋があり、ロサンジェルス近くのどこか広い場所に建つだろうが、まだ想像上のものである。サンプラスはトレーニングと税金に都合のよいフロリダに、もう2〜3年間いるだろう。

実のところ、サンプラスが彼のスポーツで最も名高い記録の2つを破るには、もう1年必要なだけかもしれない。もし彼が1998年に3つのグランドスラム・タイトルを獲得したら、エマーソンのキャリア記録を破るだろう。それにより彼は6年連続1位を確定し、こんなにも長い間トップを維持するテニス史で唯一の男となるだろう。現在はジミー・コナーズと共にトップ・タイである。

現在の競争相手を軽視するわけではないが、サンプラスはいまのところ、他の誰にもナンバー1の座を譲る気はない。それでも、自分の地位を当然のものとは考えていない。事実は、自分が1位でなかったら何をしていたか想像できないという事なのだ。

「僕はそれを受け入れる事ができなかった」と彼は言った。「2階に銃を置いてあるよ……いや、まじめに言うと、確かにそれは起きるだろう、僕は1位でなくなる。でも大きなスランプに陥るか、あるいはひどい怪我でもしない限り、自分がそれを失うとは思わない。僕が現在する事のすべては、記録を破る事、フレンチで優勝する事、1位でいる事をベースとしている。人生のいくつかの事は僕のコントロール外にある。だがプレーする時には、たいていの事はコントロール内にある」

「テニスが僕をここまでにしてくれた」
彼は腕を振って周りをさし、言った。「そしてテニスが僕をここに留めるだろう。その事は真剣に受け止めている」

彼の国はテニススターをあまり本気で取り扱っていないと、サンプラスは分かっている。他のチャンピオンがパレードや大統領の招待を受ける一方、サンプラスは彼の支配的強さに対して、派手な歓迎をほとんど受けなかった。彼が2年前モスクワで合衆国をデビスカップ優勝に導いた事も、気にかける人はあまり多くなかったようだ。それは彼が1998年のスケジュールからデビスカップを削り、メジャー大会優勝に全力を注ぐかもしれない理由の一部である。

サンプラスは彼のお手本であるロッド・レーバーがしたような、同じ年に4つすべてのグランドスラム大会で優勝するのは不可能に近いかもしれないと承知している。しかし彼がローラン・ギャロスで赤土を服従させるまで、彼を本当に偉大だとは類別しない人もいるという事を知っている。

「ひょっとしたら僕にプレーを続けさせるのはフレンチ・オープンなのかもしれない」とサンプラスは言った。「自分を歴史上の聖像とは見なしていない。でも現実には、そう、僕はいま歴史のためにプレーしている。僕はベストでありたい。そのために必要な事は何でもするだろう。そしてそれを成した後、僕にはその先の人生がある。それを楽しみにしているよ」