ASAP Sports
2003USオープン記者会見より


アンディ・ロディック
2003年8月21日
(引退に際し、ピートのレガシーについて聞かれ)
これはみんなが心に浮かべる事だと思うけど、彼はテニス史上最も優美な選手の1人、最も静かに競争心を燃やす1人だった。
また彼は、史上最もプレッシャーに強い選手の1人だと思う。大試合であるほど、彼はより良いプレーをするようだった。彼はずっとそうしてきて、何につけても大騒ぎしたりしなかった。勝つ事で名を高めていった。

(ヒューイットの過去2年間の安定ぶりを考えると、現在の不調は驚きかと聞かれ)
誰にでも山もあれば谷もある。人はそれを大袈裟に煽り立てすぎると思う。6年もの間、全てに勝利してきた人はピートしか見た事がないよ。

ロジェ・フェデレ
2003年8月24日
(多分ピートの試合をたくさん見てきただろうが、彼の引退に際して何か考えはと聞かれ)
まず、彼と一度対戦できて幸運だったと言いたい。そういうチャンスが来るのをずっと楽しみにしていたから。ウインブルドンのセンターコートで、しかも信じがたいような5セットマッチで彼に勝ったなんて、僕にはさらに素晴らしい事だった。

彼はこの1年間プレーしていなかったから、(引退は)僕たちにとって大きなショックという事はない。それでも彼が去る事は残念だ。でも彼は年齢を重ねてきたし、これは彼の決断だ。彼がそれで幸せなら、僕たちはみんなそれを尊重する。

マーディ・フィッシュ
2003年8月24日
僕は幸運にも一度、2001年インディアンウェルズ1回戦で彼と対戦する事ができた。彼は僕を負かしたんだけど、ナイトマッチで、僕の中で最も楽しい試合の1つだった。ただ彼と……僕の意見では史上最も偉大な選手と対戦できたって事がね。

つまり、僕は……それほどテニスの歴史に通じている訳じゃないし、かつての選手達がプレーするテープをそんなにたくさん見た事はないけど、でも僕の考えでは彼は史上最高の選手だ。彼のグランドスラム記録そのものが、明らかに物語っているよ。

彼は驚異的なプレーヤーだった。何回か言った事があるけど、芝での彼のプレーは動く芸術のようだった。そして……ウインブルドンで彼より優れた人はいなかった。

(セレモニーは)きっと彼にとって素晴らしい夜になるだろう。ここで多くの歴史を作り、昨年も優勝したんだから。昨年の優勝への道のりは素晴らしかった。今さら言う必要もないよね。僕は(セレモニーを)絶対に観るつもりだよ。

2003年8月25日
ピートについては、僕は彼のプレーを見て成長してきた。ウインブルドン、USオープン、オーストラリアン・オープン、全ての勝利を見てきた。彼は僕のアイドルだったんだ。

幸運にも彼と一度対戦できた。もし対戦したい人を1人挙げろと言われたら、それは彼だろう。彼のグランドスラム・タイトルが全てを物語っている。新しい世代には才能ある選手がたくさんいる。でも……彼のような人は誰もいないと思うよ。それは確かだ。

(テニスをあまり知らない人達には恐らく見過ごされている、しかしあなたが感服するピートのゲームあるいは態度の一面は何かと聞かれ)
僕は彼を見るのが好きだった。彼はいつも1セットで1回ブレークしてきた。もちろん毎回って訳じゃないけど。でもピートが1セットで2回ブレークする事は滅多になかった。

彼は自分のサービスキープにすごく自信を持っていたから、1ブレークで充分だと知っていたんだ。特にウインブルドンでは、彼に必要なのは1ブレークで、それで大体いつもセットを取ってきた。それほど自信のある人を見るのは驚くばかりだった。

彼のはロディックやルゼツキーのようなサーブじゃなかった。ルゼツキーは不適当かな。でもアンディのように、ただ相手を吹っ飛ばす訳じゃなかった。望めばそういうサーブも打てたけど、ペースを変えてプレースメントを重視した。その点で彼以上の人はいないよ。

僕はもっと若かった時サドルブルックで鍛錬してたんだけど、彼を見たのを覚えている。彼もそこでやってたんだ。サービスのためにコーンを置いて、彼は10回のサーブで全部コーンを打ち倒した。驚異的だった。

(ピートのプレーを見た最初の記憶について聞かれ
彼が最初のUSオープンで優勝した時のテープを見た。優勝した時のウインブルドンの試合もたくさん覚えている。彼とインディアンウェルズで対戦できて、僕はとても幸運だった。

リンゼイ・ダベンポート
2003年8月25日
(ピートをよく知っているかと聞かれ)
「よく知っている」と言うほどではないわ。私達は友好的で、彼の事を大切に思っているわ。私達が会う時、彼はいつもとても親切よ。電話で話したりする事はなかったけど……。

(ピートの引退はテニス界全体にとってどんな意味があるかと聞かれ)
今すぐ言うのは難しいわ。でも彼は過去……どのくらいの年月かは分からないけど、その間の最も偉大な男子プレーヤーだったと思う。彼の記録は驚異的だった。

彼はいつもアンドレと、何年間かはクーリエやチャンとも、いわば比較され、同じグループとされてきたと思う。でも、彼がどれほど一貫して素晴らしい選手だったか、全ての結果とグランドスラム・タイトル全てが物語っているわ。

恐らく2年の間、誰もが彼を見限ってきた後で、昨年はホントに信じられないような結末だったと思うわ。彼はまさにタフで、みんなが間違っていると証明したのよ。

トッド・マーチン
2003年8月25日
あなたが見てきた年月からいって、ピート・サンプラスについて何に最も感銘を受けますか? 彼が後世に遺すものは何でしょう?

彼が後世に遺すのはどれだけたくさん、特にグランドスラムで優勝したかという事だろう。プレーヤーとしては、サーブとアスレティシズム……だが僕は、それは彼に対して不当な評価だと思う。僕が出会った人の中で、ピートは誰よりもいつ、どのようにより良いプレーをすべきか知っていた。彼は身体能力を称賛される一方、技術や才能は見過ごされがちだった。

しかし4-4デュースの場面で、彼は何をすべきか分かっていて、それを繰り返し繰り返し実行した。たまには彼の立場になってみたいもんだよ。

あなたは彼とは長い知り合いです。彼の引退を知って感傷的になりますか?

それについては、アンディが2日前にインタビューされるのを見たが、彼はその質問にとても適切に答えていると思ったね。1年経ってるんだ。我々の大部分が1年間、彼を見なかったし彼から何か聞いたりしなかった。

彼が式典で祝福され、我々が既に事実だと考えていた事に、彼が何らかの手続きをとるのを見る事は楽しいだろうと思う。だが、感傷的になるかというとノーだ。あの男は僕のキャリアに損害を与えたんだからね。(笑)

あなたはピートが後世に遺すものに言及しました。あなたのレガシーはどんなものになると思いますか?

ピート・サンプラスによってキャリアを損なわれた男。(微笑)いや、それは……あなたには分かるかい? 僕には分からない。それはテニス選手、あるいはテニス選手のような人にとっては重い言葉だと思う。僕がテニスをしなくなってから、ずっと後に書かれたいものだね。

あなたが言ったように、ピートは素晴らしい成果と、鍵となる場面でたたみかけてくる能力で知られていました。

あなたに反論する訳ではないが、彼が素晴らしいハートを持っていなかったと言うつもりはない。僕のコメントは、彼はより良いプレーをいつすべきか知っていて、それを実行できたという事だ。彼はどのようにレベルを上げるか知っていた。それはコナーズ的な、あるいはチャン的な不屈の闘志とはあまり関係がなかった。そこに違いがあると思う。

置き換えると、ピートには多くの資質、名状しがたいものがあり、それが彼をグレート・チャンピオンにしたと言うのですね。ストロークに加え、それらの素晴らしい目に見えぬものを発展させ、アンディ・ロディックが何年間も支配的なプレーヤーになる可能性を感じますか?

まあ、2人のゲームは非常に異なっている。ピートにはある特定のポイントで、それまでと違うプレーをできる能力があった。アンディは全てのポイントを同じようにプレーする。アンディはピート・サンプラスというよりジム・クーリエと同類だ。比べるのは本当に難しいが……つまり猛烈さの面でも、感情の面でも、ゲームや武器といった面でも、よりジムに類似していると思う。

しかし主要な点は、アンディは全てのポイントを似通ったやり方でプレーするという事だ。ピートは対戦相手に一種の小康状態を与えたものだった。彼はステイバックして少しグラウンド・ストロークを打ち、多分何回かボールをあちこちにひっぱたく事もした。しかし4オール・デュース、セカンドサーブの場面では、彼が何をしてくるかハッキリ分かっていた。彼はそのリターンでネットに出て、そこでアスレティックな力を発揮するためには、できる限りの事をするだろうと。

アンディはそうしない。それはアンディが試合の最も重要なポイントで、ゲームのレベルを上げられないという意味ではない。そうではなくて……恐らく戦略を変えるためではないという事だろうね。それはただ「今は試合のより重要な場面だ。さっきのゲームでミスしたフォアハンドを、今度はミスしないぞ」というものだろう。

素晴らしいプレーヤーはみんな、それぞれゲームの組み立て方を持っていると思う。アンディはこれから先、もっともっとそれを披露していくだろう。

(優勝なしで)過ごしてきた2年間の後に、彼が再びこの大会で優勝できるだろうと思っていましたか?

イエスと言いたいところだね。その2年間、ピートのキャリアについて何回も質問されるたびに、「彼にはまだその能力がある。いい時に2〜3の事がうまく噛み合い、また毎週毎週、大会を楽に勝ち上がれる訳ではないという事をピートが受け入れるかどうかの問題だ」と主張し続けてきたんだから。

昨年のUSオープンが巡ってくる頃までには、あまりそんな風に感じられなくなってきていた。しかし彼は明確に、我々の多くが正しい、もしくは間違っていると証明した。

準決勝と決勝が土曜・日曜と続くのも、彼にとって困難な要因だったのでしょうか?

昨年の事は思い出せないなあ。昨年の準決勝はどんなものだったっけ? 彼が誰と対戦したか思い出せないよ。

シェーン・シャルケンでした。

7-6、7-6、6-0か何かだった? 多分、それに近いストレートの3セットだね? アンドレはヒューイットと対戦し、タフな4セットの試合だった。

まあ、土曜・日曜に関しては、土曜日の早くにプレーするのはずっと楽だよ。ピートのゲームはそのスケジュール構成に向いている。かなり効率的なゲームだ。確かに、土曜日の彼の結果は、より日曜日のパフォーマンスの助けとなった。

スケジュールはこのところ良くなってきた。両方の準決勝が続けて行われるようになった。同じく決勝が---フットボールのゲームがどんどん長くなっているから---少し遅く始まるのはいい事だね。

コート上の事とピートのタイトルについて少し話しましたが、彼の人としての存在についてはどうですか? 明らかに、彼の存在感は今後も残るでしょう。しかし長年にわたる彼の人間という面では、あなたは何を特筆しますか?

試合に備える事については、ピートはいつも素晴らしかった。そしてコート上でベストの状態にあるために、オフコートでは必要とする事をできたと思う。時に、それはツアー仲間の1人である事を意味した。時に、それは彼自身の事をして、他の人達とは隔たりをおく、あるいは離れている事を意味した。それはまさに彼の競い合う事への愛情、テニスへの愛、常に目を目的に向けていたという事実について多くを物語っていたと思う。

レイトン・ヒューイット
2003年8月25日
(ピート・サンプラスの引退についてコメントを求められ)
素晴らしいセレモニーだった。僕はロッカールームのジムで観ていたんだ。僕たち全てのテニスファンにとって、実際に今夜のセレモニーに立ち会ったというのは途方もない事だと思うよ。

参列した皆が言っていたように、ピート・サンプラスのような男は、恐らく人生で一度出会えるかどうかという人だ。僕はとても幸運だよ。だって僕はここで彼を負かした最後の人物であるって自慢できるんだからね。

そう、もしお伽話の結末を書けるとしたら、これがまさにそうだと思う。USオープン決勝で長年のライバルを下す、これよりいい結末なんてないよ。

アンドレ・アガシ
2003年8月26日
(引退セレモニーに出席しなかった事について聞かれ)
ピートは僕に出てくれるよう頼まなかった。つまり、試合の前の晩がどんなものか最もよく知っている人がいるとすれば、それはピートだろう。もちろん僕はテレビで観たよ。

(テレビで観て、まず何を感じたか聞かれ)
言葉にするのは難しい。特別なものがあった。僕は何回もネットの向こう側に彼がいるのを見、競い合う機会を持てたんだからね。思い出深い試合がたくさんある。彼は自分の望む事をするに値するよ。特にファミリーライフを楽しみ、テニスから次の人生に進む事にね。でも、僕にとっては寂しい。僕は長い間、彼と一緒にやってきたから。

アレックス・コレチャ
2003年8月26日
(ピートとの有名な1996年の試合は、最も忘れがたいものかと聞かれ)
いいや。僕にとってはとても重大な試合だった。言うなれば、僕にとってはけっこうなキャリアの始まりだった。あの試合から、僕はもっといいプレーをし始めたんだ。

だが僕にとって最良の時は、勝利の時だ。恐らくマスターズで優勝した時、あるいはデビスカップで優勝した時、幾つかのマスターズシリーズや他のたくさんのタイトルを獲得した時だ。僕はあの敗戦から大いに学んだが、もちろん僕の最良の思い出ではないね。

(もしあの試合に勝っていたら、キャリアは違っていたと思うかと聞かれ)
それを知るのは不可能だろう。あの時点で、僕がそのようなレベルにいる準備ができていたかどうか分からない。僕はかなり若かった。僕にとってハードコートでプレーする事は、初めのうちかなり難しかった。もうそんな事はないが。つまり、あの試合は僕を違う段階へと引き上げてくれたんだ。

もし僕が勝っていたらという事は気にならない。もちろん、時には自分自身に影響を与える勝敗があるが。しかしあの時は、ただ僕に自信を与えてくれただけだった。あの試合は僕を落ち込ませるものではなかったよ。反対だった。僕を高いところへ引き上げてくれた。

ジェニファー・カプリアティ
2003年8月26日
(ピートの引退セレモニーを見たかと聞かれ)
ええ、全部見たわ。

(アメリカのテニス・コミュニティが一堂に会するのを見た感想を聞かれ)
セレモニー全体が、ただただ素晴らしくて特別なものだった。彼はそれに値するわ。でも悲しくもあった。見ていてなんだか寂しかった。本当に終わりという事だもの。彼のプレーを見られなくなるのは寂しいわ。

ジェームズ・ブレイク
2003年8月27日
(ピートのようなプレーをした事について聞かれ)
ジャンピング・オーバーヘッドの事? それは……僕がピートと同じくらい上手くできたかどうかは分からないなあ。他の人達がかなりひどいヘマをやらかすのを見た事があるけれど、少なくとも僕はミスはしなかったね。

あれはとても重要なポイントだったと思う。実際、僕にとってはとても快適だ。もしいいサーブを打てたらね。ピートは僕よりずっとたくさんしてるけど。

あれをするとかなりエキサイトするんだ。相手がただポンと上げると、僕はジャンプして、楽しい気分になれて、観客を引き込む事ができる。観客は僕を後押ししてくれる。僕は少しだけ、彼らが楽しめるようにお返しをする事ができた。でも僕はピートのように上手くやれる事は決してないだろう。僕のゲームにはピートのほどは良くならないものがたくさんあるが、これも恐らくその1つだね。

ジャン-マイケル・ギャンビル
2003年8月27日
ピートが先日言ったように、彼は……自分が史上最高だと言う事はないだろう。僕は言うつもりだ。僕は彼が史上最高だと思っている。偉大なチャンピオンがいなくなった。

ああ、でも彼にとって、これ以上素晴らしいお伽話のようなキャリアはなかったと思うよ。ここで最初のグランドスラム優勝を果たし、再びここで優勝してキャリアを終わらせたんだから。彼はチャンピオンとして去っていったんだ。

彼のとった方法は本当に良いと思う。いかなるスポーツにおいても最高のアスリートの1人である男にとって。彼は戻ってきて、何度でも負ける事もできた。そうしたらみんなは言うだろう。「なぜUSオープンで引退しなかったのか?」ってね。彼はここに来て、皆が間違っていると証明し、引退した。この前の夜、彼のために催されたセレモニーはとても素晴らしいものだった。

ジミー・コナーズ
2003年9月7日
あなたはローズウォールからアガシまで対戦した事があります。サンプラスが引退した今、彼を史上最高と見なす事ができると思いますか? また、アンドレとのライバル関係についてどう思いますか?

過去10年かそのくらいの間の記録とプレーぶりで、確かにピートは傑出している。特にグランドスラムの偉業は。14のグランドスラム。それは史上最多だと思う。彼のプレーと振る舞いは、間違いなく彼が誇りに思うべきものだ。

アガシとのライバル関係は、マッケンローや私やかつての選手達の後、長くアメリカのテニスを牽引してきたものだ。それは順番にテニスへの関心を生み出し、育て、この大会に毎日25,000人からの人々が集まるように、大衆の中に根付いてきた。

だからテニスに必要とされるのは、そのようなライバル関係だ。アガシとサンプラスであれ、ロディックとジェームズ・ブレイクであれ。しかし私の意見では、アメリカ人同士のライバル関係は、テニスにとって重要だと思う。特にUSオープンにとっては。

彼らのベストを見る好機を持つために。今、世界中から素晴らしい若い選手達が現れてくるのは、全てのグランドスラム大会にとって、確かに好機と好都合な条件が加わっている。しかしここ、この大会にとっては……これは今私が心に留めている場所だが。理解してもらいたいが、私はここUSオープンで話をしている。アメリカ人同士のライバル、アガシ-サンプラスのライバル関係は、過去10〜12年の間にここで起こったあらゆる事の非常に大きな部分であった。