1998-11-27

ネットワーク社会とライフスタイルワークショップ(第3回)
平成10年11月27日 東京オペラシティ


ネットワーク社会における相互編集性と価値

小林 修
 現在進展しつつあるネットワーク社会におけるコミュニケーションを考察する.始めに,今後インターネットの社会に与える影響が,これまでの情報化とは異なり,社会参加の形態や世論形成の過程を地球規模で根底から変えてしまう可能性を指摘する.そして,そのようなネットワーク社会において繰り広げられるコミュニケーションの特性である相互編集性について述べ,そのような関係の中から生まれる価値について考察する.

1 はじめに

 本稿では,社会の情報化が進展する中で,ネットワーク社会におけるコミュニケーションの特性とそれに関わる価値について考察する.
 ここで言うコミュニケーションの特性は,百家争鳴のネットワーク社会において,単に自己の主張を表明する可能性ばかりではなく,より本質的には,インターネットを中心としたネットワーク社会における社会の成り立ちに関わる特性である.
 以下,第2章においてネットワーク社会を概観し,第3章でネットワーク社会におけるコミュニケーションの特性を考察する.その上で,第4章において,そこから生まれてくる価値について考察する.

2 ネットワーク社会

 この章では,これまでの情報化社会を概観した後,インターネットを中心とする,来るべきネットワーク社会の特質を考える.

2.1 社会の情報化

 改めて指摘するまでもなく,多くの情報システムが殆どすべての産業に開発・導入され,生産性を高め,また産業の形態を進化させてきた.そして近年,これら情報システムは,通信と融合し,情報ネットワークとして急速に発展した.
 それまで,小さな構内あるいは関連会社間に限られていた情報システムによる自動化・省力化は,世の中を便利にはしたが,社会の成り立ちまで変えたわけではなかった.一つの情報システムが破綻し社会に影響を及ぼすとしても,ごく限られた範囲であった.
 これに対して,近年発達した情報ネットワークは,宅配便の小口配送やコンビニエンス・ストアのPOSシステムなどを可能とし,関連する産業の在り方を変え,ライフス・タイルにさえ影響を及ぼしている.情報ネットワークは,その一部の不具合が社会活動を麻痺させることもあり得る,社会基盤の重要な構成要素となった.
 このように,社会の情報化の進展は著しいが,梅棹忠夫は,古く1962年に,情報社会の到来を文明史に位置づけて論じている(1).その中で,情報産業の発達を指摘すると共に,農業・工業の情報化についても指摘している.農産物の産地表示や繊維製品におけるデザインの重要性,消費動向の生産への迅速なフィードバックなど,農工業に関わる「情報」についての指摘である.
 要約すれば,農工業製品に含まれる情報の重要性が増した.また,製造技術などの「自動化・省力化」から,生産・流通・消費を含む農工業の「システム全体の情報化」へと移行した.農工業における情報化には,このような二つの側面がある.
 報道機関に代表される情報産業も,通信の発達や情報処理技術の発展に伴い,急速に情報化している.新聞記事はワードプロセッサによって執筆・電送され*1,ディスプレイ上で電子的に編集される.出来上がった紙面は,ディジタルのまま衛星経由で印刷拠点に伝送され,紙面となる.また,提供媒体も,紙面からパソコン通信・ウェブ(World-Wide Web)・電子メール*2・CDF*3・PDF*4など多様な電子媒体に広がっている.
 このような生産・流通過程の自動化・省力化の他,記事のデータベース化も進んでいる.編集過程の電子化と情報技術の進展により,手作業の切り抜きと索引付けによる「スクラップ・ブック」から,全文検索型に変わり,パソコン通信などを通じて有償提供されている.これは,記事として提供された情報の再情報化であり,報道というシステム全体の情報化に他ならない.
 このように,情報化には二つの側面があるが,その後者,産業全体のネットワーク化は,情報化による高効率化を越えて,産業構造や企業間の関係をネットワーク型に変革しつつある.
 このような社会の情報化に,新たな要素として加わったのが,インターネットである.

2.2 ネットワーク社会の現在

 インターネットに接続されているホスト数は,1998年1月時点で,約3,000万台と推定され,その内約100万台は,国内に(ドメイン名の国コードをjpとして)設置されている(5).別の調査(4)では,半年後の7月現在,3,700万台のホストを数えている.利用者数については,国内では16歳以上の6.7% 720万人がウェブを利用し,11% 1,150万人がウェブや電子メールを使い,更にパソコン通信まで含めると13.4% 1,400万人が電子的通信手段を利用している,と推計(6)されている.これらの数字から,全世界のインターネットの利用者数は,既に,億単位になっていると思われる.
 インターネットで多く使われているサービスには,最も歴史の長い電子メールやネット・ニュース,ファイル転送の他,インターネットの普及を推進したウェブ,最近注目されているウェブ・キャスティングなどがある.また,通信販売やデータベースの検索サービスなど,従来パソコン通信で提供されてきたサービスも,インターネットを経由して利用できるようになってきている.
 インターネットで交換される情報は,急速に増大している.ネット・ニュースのニュース・グループは,3万種類を越えて開設されており,数年前の時点でも1日に500MBを越えるメッセージが交換されていた.また,ニフティサーブ(7)によれば,1998年9月のインターネットとのメール交換は,8,600万通に達している.これは,平均して会員一人が毎日1通のメールをインターネットに流すか受けている量である.更に,同じ資料によれば,インターネットとは限らないが,会員一人当たり,1日に4分間弱ネットワークに接続している(1998年10月17日のデータ).
 特に,ウェブの普及はめざましく,多くの報道機関が,電波や紙面による報道に加えて,ウェブ・サイトを開設している.また,ウェブによる情報公開の動きも急である.米国政府機関がウェブ上に公開している資料は200万件にも及ぶという(3).我が国においても,政府の情報公開の他,インターネットによる行政などの社会的・公共的サービスも増加している.1998年10月20日に規制緩和委員会によって了承された総務庁の「意見照会手続き制度」素案では,公開方法の一つとしてウェブを挙げている(8).埼玉県は,記者発表資料をウェブに公開している(12).このように,インターネットは,利用者の増加と伴に,社会基盤の一つになりつつある*5
 このような公的ウェブ・ページに加えて,多くのインターネット・プロバイダは加入者にウェブ・ページ用のサービスを提供しており,個人の公開資料も厖大である.
 世界には,ウェブ・サイトが2,000万あり,一日に150万ページ増加しているという(9).ある検索エンジンは,国内1,700万,国外1億2,000万のURLを検索対象としている(10).そして,これらのウェブ・ページを結ぶハイパーリンクは,2,700万にも及んでいる(3)
 インターネットによるネットワークの特徴は,特定の企業グループや報道機関だけではなく,個人による情報の公開が,実質的に自由である点,及び相互編集性を有する点にある.特に,後者の機能は,もっと強調されて良い.それは丁度,18世紀のロンドンのコーヒーハウスが,談論風発の場,情報の流通・編集の場であり,産業革命を生んだ時代を担っていたのと対比できる(15)
 全世界の億単位の個人が,電子メールを使って意見を交換し,ネットワーク上のニュース・グループで公開討論し,個人のウェブ・ページを開設して意見を表明し,それらにハイパーリンクを張ることによって様々な意見・事実を再構成してみせる.このような「マス対マス」のコミュニケーションと相互編集は,ニューメディアを含む従来のメディアでは実現の難しかった機能である*6
 この相互編集,地球規模の談論風発の場の可能性によって,インターネットは,これまでの社会の情報化を越えて,大きな社会変革をもたらすものと思われる.

3 コミュニケーションの特性

 この章では,2.2節で概観したインターネットを中心とするネットワーク社会におけるコミュニケーションの特性を考察する.

3.1 インターネットの技術的特性

 まず,ネットワークの特性を,インターネットの技術的側面から,概観する.

(オープンなネットワーク)
 インターネットは,特定業務向けの情報ネットワークやパソコン通信とは異なり,単一のネットワークではない.インターネット・サービス・プロバイダや様々な公的・私的組織の有する個々のネットワークが重層的にリンクされた「ネットワークのネットワーク」である.統一されているのは,相互に通信をするための規約の内,ネットワーク層に相当するプロトコルだけと言って良く,その上に構築される様々なインタフェースも公開を旨として開発されている.SMTP(電子メール),NNTP(ネット・ニュース),FTP(ファイル転送),HTTP(ウェブ)などが良く知られている.
 言い換えれば,パソコン通信が基本的にネットワーク上のアプリケーション・サービスを提供するのに対して,インターネットはネットワークだけを提供する.アプリケーション・サービスを提供するのはインターネットへの参加者自身である.
(自由なアクセシビリティ)
 また,インターネットには,技術に関する委員会などを除いて,全体を統轄したり,それに類する権限を持つ組織は存在しない.
 インターネットへの参入・退出は容易であり,従って,様々な目的を持ったインターネット・サービス・プロバイダが存在し,組織も個人もインターネットへの参加は,実質的に,自由である.
(ハイパーリンク)
 近年インターネットを爆発的に普及させた原動力はウェブであるが,これは元々欧州の科学者たちが情報を共有するために開発したものである.そこで採用された文書モデルであるハイパーテキストは,プレイン・テキストに画像・音声などを含む多様な表現形式のオブジェクトを組み込み,またそれらを関連づける枠組みを提供する.
 関連づけられるオブジェクトには,ハイパーテキスト自体も含まれ,この再帰的構造が,単なるマルチメディアの一形式であるハイパーテキストを,全地球的に文書を共有し,それらを関連づける枠組みにまで発展させ,次に述べる相互編集性を実現する技術的背景となったのである.

3.2 ネットワークの相互編集性

 現在実用化に向けて実験中であるインターネットを経由した電子決済によるオンライン・ショッピングや電子マネーなどが,消費行動や経済制度を大きく変えることは容易に想像できる.地球規模の相関を持ちながらも国家単位である通貨制度は変革を余儀なくされ,経済的な国境の障壁は限りなく低くなると予想される.しかし,この点に関する限り,インターネットの影響は,2.1節で概観した「情報化」の域を出ていない.インターネットによるこの種の「情報化」がネットワーク型の産業構造への変革を促進することは確かだが,社会の変革は更にその次の段階のはずであった.
 これに対し,インターネットの普及の原動力であるウェブのもたらすものは,より根元的で,しかも変革は急速である.
 2.2節に述べたように,公的機関は,既に厖大な資料をウェブ・ページの形式で公開している.このウェブによる情報公開は,数少ない拠点での印刷物の形式による情報公開に比べて,単に公開情報の取得や文字編集の容易性を越えた重い意味を持っている.
 米国の例に見られるように,ウェブにおいては,公式ウェブ・ページが公開されると,その情報に対する非公式ウェブ・ページが,時を移さずに開設される.個人は公的機関に比べ相対的に調査力が劣るが,目標を絞ればかなり確度の高いウェブ・ページを作成できる.そして,それらの個人ウェブ・ページをハイパーリンクで集成し,説得力のある論を展開するウェブ・ページができる.また,ハイパーリンクを使って公式ウェブ・ページの内容に対比させて問題点を指摘することもでき,公式ウェブ・ページの複数の箇所をハイパーリンクで再構成して,隠された問題点を浮き彫りにするウェブ・ページを編集することも可能である.
 米国の市民団体「環境保護基金」は,米国環境保護基金の提供する情報を基に,「科学物質点数表」をウェブ上に公開している.これによって,全米の工場から排出された化学物質による環境状態を容易に知ることができる.また,オークランド市在住のある個人は,カリフォルニア州や周辺自治体のホーム・ページを包括するウェブ・ページを提供し,これによって州内の行政情報を容易に閲覧できるようになった(11)
 このような「編集機能(情報の取捨選択と評価)」とその編集物の公開は,従来,報道機関や出版社の機能であり,報道機関と何のつながりも持たない個人や市民団体には極めて難しいことであった.
 この編集機能の単純な形態として,特定の話題を扱うウェブ・ページへのハイパーリンクを集めたリンク集やキーワードあるいは全文を対象とする検索サーバがある.ディレクトリ型の検索サーバは,それ自体,多数の情報を取捨選択し構造化して見せる編集機構である.ディレクトリ型検索サーバは多数あり,自動収集型検索サーバにも多くの場合ディレクトリが付加されている.個人の編集するリンク集も多数あり,ウェブ・ページの多様な評価を提供している.
 また,2.1節で触れたように,報道機関を含む種々の機関の有するデータベースがウェブのインタフェースを通して利用可能になっている.従来,提供機関に関連する設備に出向かなければ得られなかった情報に,遠隔地から容易に接することができるばかりでなく,目的に応じてデータベース自体を検索・選択し,同種の複数のデータベースを同時に検索して比較対照するサービスも可能である.複数の報道機関の記事データベースを同一テーマで検索し,比較することも容易である*7
 このように,報道を含む論評の基礎となるべき一次資料ないしそれに近い資料が,国内外を問わず,容易に,誰にでも,手に入るようになってきている.
 このような環境下では,非公式ウェブ・ページは,これらの資料を基に,そこにリンクを張ることによって,「原資料」を「引用」しながら,論評することが可能となる.この2点,オンラインによる情報公開とハイパーリンク,の結びつきは,重要な意味を持っている.これによって,そのウェブ・ページの閲覧者は,閲覧時点に,引用箇所だけではなく,そのウェブ・ページの作成者と同じように,原資料の全文を参照することができる.即ち,情報源に関して一方向的な階層性がなくなり,閲覧者もまた,原情報に関して,ウェブ・ページ作成者と同じ立場に立つことができ,その論評を評価し,それを公表すること,即ち対論が可能となるのである.
 個人の提供するウェブ・ページは多種多様厖大である.粗雑なものから精緻を極めたものまで千差万別,玉石混淆であるが,その一つ一つが,現実の世界をある視点で切り取り,編集した結果である.インターネットは,その本性として,人間一人ひとりの多様な見方,在り方を受け入れ,それらの漸進的重層的な関係を構築することが可能なのである.
 このように,ウェブ上に莫大な情報が蓄積される一方,ウェブのハイパーリンクは,単一文書内におけるナビゲーションのための参照機能を越えて,地球規模に分散され,動的かつ漸進的重層的に成長を続ける,情報の社会的ネットワークを構築しているのである.そして,電子メールやネット・ニュースなど,ウェブ以前のインターネットのサービスも,この情報の社会的ネットワークの枠組みの中に再構成されつつある.
 そこでは,情報はメディアを選んで登場し,あるいは複数のメディアに同時に公表される.その情報が他のデータと組み合わされ,別のメディアに載って流される.一人が付加あるいは削除する情報は僅かだが,それらが積み重なり,様々な変形を受けながら,地球を巡って流れ,増幅し,あるいは消滅する.この相互編集の過程は,噂と同様に,それと意識されることなく地球規模で進行するのである.

3.3 情報のネットワーク

 ウェブ上に集積された情報のネットワークは,静的なデータベースとは異なり,動的な分散認知と考えた方が適当である.
 通常のデータベースでは,そこに含まれているデータは十分に吟味されており,その意味でデータの更新は緩慢である.また,全データの体系を表す構造は,一つないし少数のユーザ・ビューを提供するに留まる.通常のデータベースには,それを組織する者の明確な意図が働いているのである.
 これに対して,ウェブ上の情報は,精粗様々であり,日々更新を繰り返している.2ヶ月間に21,000ページが新規作成され,105,000ページが変更され,53,000ページが削除されるという(3).複数のウェブ・ページをハイパーリンクで結び論評するウェブ・ページが公開される.報道機関が果たしていた編集機能を,誰もが実現できるのである.しかも,それは多数の意図せざる協働によって進行し,対立関係・補完関係など実に多様な観点から編集され,それらが漸進的重層的に重なり,新たな観点・評価を生み出していく.ウェブ上の情報のネットワークは,その外側にいる組織者に指示されるのではなく,それ自身が契機となって編集を繰り返していく,自己組織化機構を持った情報のネットワークなのである.ここでは,権威ある報道機関も公的機関も,一参加者に過ぎない*8
 ところで,「ネットワーク社会」そのものは,インターネットによって初めて実現されたものではない.旧来のメディアを駆使した「ネットワーク社会」の現実が,既にある.その一例として,1991年のソビエト連邦におけるクーデター騒ぎを,金子は次のように描写している(17)

「さまざまな市民,報道関係者,政府関係者は,自分たちが見たこと,聞いたことを書きとめ,コピー機で複写し,ファックスで方々に流し,そうして伝わったニュースは伝わる先々で,書き込まれ,改訂され,追加され,あるいは高層ビルの窓からまき散らされ,あるいは地下鉄を通じて各駅に配られた.そうやって,情報は,必要に応じて自分で経路を見つけ,さまざまな人や機関の間を飛び回り,外国に伝わったニュースはイギリス,ドイツ,アメリカなどの国際ラジオ放送を通じてモスクワ市民の耳に入り,それがまた情報として流れ……という国際的情報ネットワークが,自発的に,自己組織的に,ごく短期間のうちにできあがったという.」

 インターネットは,このような無数の人の手による情報の編集と流通の重層的な過程を日常茶飯事にする,そのような普遍的な機構を提供するのである.そこでは,受け身ではなく,漸進的重層的な相互編集過程への主体的な参加が求められている.そのような社会が,インターネットを中心とするネットワーク社会なのである.
 一方,このような肯定的評価に対して,ウェブに限らず,インターネット上の情報の殆どは無意味な情報である,と揶揄されることも多い*9.実際,殆どすべての情報が,一見,無意味であることは事実であろう.が,ネットワーク社会の本質が,普遍的な編集機構の網であることを理解できれば,一見無意味な情報の価値が理解可能となる.これについて,今井は次のように述べている(16)

「郵政省の推計によれば,日本で毎年生産される情報のうち,直接に使用されるのは,約八パーセントにすぎないという.九二パーセントは使われずに捨てられているわけである.しかし,それではその九二パーセントはまったくの無駄かといえば,決してそうではないであろう.情報は最初に生み出されたものが直ちに需要に結びつくのではなく,それらがさらに加工され,集約されて,意思決定や行動に反映させられるような意味ある情報になるのである.その過程には,幾重にも選択,淘汰があり,思いもかけぬ連結がある.生み出された情報は,その必然と偶然の網にかかることを待っているわけだが,その網の目にかからない情報も当然に厖大なものであろう.それらは,しかし網の目にかかる日もあるわけで,情報のストックとして累積されてゆくのである.」

 これからのネットワーク社会におけるコミュニケーションとは,このような情報のネットワークの中で,自己を見失わず,主体的に情報を取捨選択し,他者の論評を比較検討して自らの見解を創造し,ネットワーク上に公表すること,そのようにして,相互編集の輪の中に入っていくことなのである.単なる情報の取捨選択でもなく,長大な情報発信でもない.再び,今井の言によれば,「個人主義でもなく集団主義でもなく,自分の属するいくつかのネットワークのなかでの自分の位置を考えながら行動する(16)」ことなのである.

4 関係の中の価値

 3.3で述べた,重層的なネットワークの中で漸進的に進行する相互編集の過程において,個々の人が提供する「些細な意見」の持つ価値について考える.

4.1 分断されたネットワークの危険性

 インターネットは,不特定多数を対象とするマスメディアである一方,比較的少数の意見交換の場ともなり得る.より精確に言えば,極めて多数のミニメディアが重畳されているメディアである.裏を返せば,異見を持つものを排除した特定少数の閉じたメディアともなり得る.今井の言う「多様性の反逆(16)」である.
 多様性を許容するというインターネットの持つ特性が,分断された小さく閉鎖的な集団をも許容するのは明らかであり,この方向に流れれば,インターネットは,無数の「蛸壺」と猥雑な情報が無定形に漂う海になってしまうだろう.

4.2 多様性と情報の矛盾

 元来,情報は,異質の間を流れ,その差を埋めるものである.それが均質化に向かうとすれば,地球規模の高速ネットワークを通して全世界が均質になった時点で情報は消滅し,静寂が訪れることになる.
 逆に,異質との触れ合いが新しい個性を生み出すように作用すれば,多様性と情報の矛盾は解消し,常に新しい芽生えの可能性のある社会になるだろう.
 ネットワーク社会の可能性は,異なるものとの交流を源泉とし,その中からこそ,創発的に新しい情報,新しい異質が生まれてくるのである.

4.3 相互編集過程と創発性

 前述の通り,インターネットを中心とするネットワーク社会は,参入・退出が容易な,極めて多数のミニメディアが重畳されているメディアである.容易に参加が可能であり,多くの場合異見を排除しない.従って,話題によっては極めて多数の参加者が集まり,またたとえ参加者が少数であっても,異なる意見の出会いがある.玉石混淆の情報の中から必要な情報を拾い出し,問いかけ,教えられして,相互編集の過程が始まる.こうして,新たな情報を紡ぎ出していく.この創発的な相互編集過程,談論風発の場こそが,ネットワーク社会を支えるダイナミズムである.
 3.3で見たように,ネットワーク社会では,官公署や大手企業の公式ウェブ・ページ,個人の重厚長大な論文,あるいは玄人はだしの凝ったプレゼンテーションも重要ではあろうが,それのみが幅を利かせる世界ではない.一人ひとりが,ネットワークから掬った情報に,ほんの少しの情報を付け加える.それは,一言の感想であることも,「私たちの所では」という地域情報のことも,「こんなウェブを見つけました」という他のウェブ・ページからの引用のこともある.それらが積み重なり,折り重なってネットワークを巡り,世論が織り上げられていくのである.
 商品に関する何気ない感想が巡り巡って,製造企業の責任追求に発展することもあるだろうし,ベンチャー企業を作ることもあるだろう.
 体調の苦しみを訴えたネット・ニュースの投稿に,世界中の同様な例が積み重なり,環境問題が露わになることもあるだろう.
 航空機が趣味の人が公開している飛来機情報への,「当地にも飛来しました」という情報が積み重なって,軍事的な動きが暴かれることもあるだろう.
 公式ウェブ・サイトへの感想に,「他の公式情報と違いますね」という情報が集まり,巡って,政策転換に至ることもあるだろう.
 「あの銀行は,ちょっとね」という投稿が巡って,その銀行を潰してしまうこともあるだろう.
 これからのネットワーク社会は,一人ひとりの発言が積み重なり巡って世論を織りなす社会なのである.そこでは,一つの発言自体の価値を問うことはできない.一つの発言は,世論との,また他の発言との関係の中で初めて位置づけることができるのである.それは,織物を構成する一本の糸の価値を問うのと同様である.もとより,これは古来からの真実であるが,インターネットを中心とするネットワーク社会は,それを地球規模に広げ,人が人との関係の中に生きることを如実に示しているのである.

5 おわりに

 ネットワーク社会の特性,及びそこで顕著となる関係の中の価値について考察した.
 インターネットは,経済構造の変革や社会的利便性の向上だけでなく,世論形成の過程を地球規模で根底から変えてしまう可能性を持っている.その場合,ネットワーク社会は,現在の社会を「情報化」したものではなく,相互編集性を基礎とし,それによる関係から生まれる価値を機軸とする全く新しい社会の到来を意味する.コミュニケーションの真の必要性は,この点にあるように思われる.

参考文献

(1)
梅棹忠夫,“情報の文明学,”中央公論社,1988.
(2)
立花隆,“インターネットはグローバル・ブレイン,”pp. 22-27, 157, 286,講談社,1997.
(3)
立花隆,“インターネット探検,”pp. 3, 11, 51,講談社,1996.
(4)
日経マーケット・アクセス,1998年10月号.
http://www3.nikkeibp.co.jp/MA/9810.htm.
(5)
Network Wizards, "Internet Domain Survey, January 1998," 1998.
http://www.nw.com/zone/WWW/report.html.
(6)
日経マーケット・アクセス,1998年10月15日付けニュース・リリース.
http://www3.nikkeibp.co.jp/MA/guests/release/981015inet.htm.
(7)
ニフティサーブ,1998年10月30日付けニュース・リリース.
http://www.nifty.ne.jp/release/19981030.htm.
(8)
internet Watch on PointCast,1998年10月21日.
(9)
日経マーケット・アクセス,1998年11月号.
http://www3.nikkeibp.co.jp/MA/9811.htm.
(10)
goo,1998年10月14日付けニュース・リリース.
http://www.goo.ne.jp/help/n_981014.html.
(11)
朝日新聞,「情報を市民に 第6部 米国からの報告,」1998年9月8日.
(12)
http://www.pref.saitama.jp/cgi-bin/bbs/kisha/news.cgi.
(13)
http://jpi.kyodo.co.jp/.
(14)
P. Gilster, "Digital Literacy," John Wiley & Sons, Inc, 1997.
ポール・ギルスター,“デジタルリテラシー,”トッパン,1997.
(15)
今井健一,金子郁容,“ネットワーク組織論,”岩波書店,1988.
(16)
今井賢一,“情報ネットワーク社会,”岩波書店,1984.
(17)
金子郁容,“ボランティア もうひとつの情報社会,”p. 91,岩波書店,1992.

 *1
朝日新聞社の堀鉄蔵氏は,“阪神大震災でもオウム真理教の事件でも,九九・九パーセント,現場の記者がワープロで打った原稿を送ってきた.”と述べている(2)
 *2
Cable News Network, Inc.のCNN QuickNewsの例がある.国内では,朝日新聞社が,長野オリンピックの際に,メールによる配信を試行した.
 *3
Channel Definition Format. 朝日新聞社は,PointCast社と提携して,ウェブ・キャスティングを提供している.
 *4
Portable Document Format. 朝日新聞社は,長野オリンピックの際,PDF形式の号外をWebページ経由で,連日配布した.
 *5
Guilster(14)は,ここに述べたような様々なインターネットのサービスが,生活の中でどのように使われるかを活写している.
 *6
今井(16)は,情報技術と通信技術によって実現される情報ネットワーク社会の本質,相互編集について価値ある考察を提示している.当時萌芽の状態(ARPAインターネット時代)にあったインターネットについて,その可能性を強調しているのは,驚嘆すべき洞察力である.
 *7
大手の参加はないが,報道機関によるこの種のサービスとしては,Japan Press Index(13)がある.
 *8
1998年9月13日付け朝日新聞には,クリントンの不倫疑惑に関するスター独立検察官捜査報告書に関連して,「一方で,こうしてだれでもが同時に『事実』を知ることができるようになると,メディアの役割も変わってくる.『単に事実を提示するだけでない,さらに広範な事実をもとにした分析が求められる』と同所長(コロンビア大学ニューメディアセンター ジョン・パブリック).」「今回の疑惑は,一月,ニューズウィーク誌のスクープを,同誌が掲載を見合わせている間に,インターネット上のゴシップコラムが報じたのが始まりだった.インターネットが既成メディアに挑戦する形になった.」とある.
 *9
立花(2)は,他者の出版物を取り上げて,インターネット上の情報にゴミが多いのは事実だが,自分で考えるための情報はいくらでもある,という趣旨の反論を述べている.この点については,筆者も同感ではあるが,多量の情報の存在という特性だけでは,インターネットの本質は捉えられない.

Copyright (C) 1998 by KOBAYASHI Osamu. All rights reserved.