情報処理学会第58回全国大会講演論文集(4),5X-9,pp.425-426,1999-03-11



情報教育のためのソフトウエア環境への要件

―「情報社会」と情報教育―

小林 修,中川正樹(東京農工大学),武井惠雄(帝京大学)


 情報社会の成り立ちとオープン・ソースの流れとの関係を考察し,共に相互編集性を背景としていることを述べる.次に,そのような社会において期待される初等中等教育における情報教育の姿を考え,そこに提供されるべきソフトウェア環境のあり方を提案する.

1 はじめに

 コンピュータと通信が融合しインターネットが登場して以来,この社会はネットワーク社会へと大きく変貌しつつある.それに呼応して,2002/3年を境として,初等中等教育の内容も大きく変わろうとしている.その主な視点は,国際・情報・環境・高齢化であるが,「情報」を除く他の3点は,いずれも「協調」という概念で括ることができる.即ち,他の国・地域の特性を理解し尊重して交流する中から新しい文化を創出し育てていくこと,あるいは人間以外の自然の存在・働きを理解し調和を計ること,そして様々な年齢層の特徴を理解し乳幼児から高齢者に至るまで互いの価値観を認め生き生きと交流し社会を構成すること,と考えることができよう.
 一方,「情報」については,高等学校普通科に『情報』という教科が新設されることになった.その内容は,情報技術とその使い方,それに付随するモラルの問題やプレゼンテーション技術になるものと予想される.(専門教科にも『情報』が新設されるが,これは専門的な情報技術に関する教科である.)しかしながら,来るべき情報社会に思いを馳せるとき,その基盤となる情報技術を正しく理解し社会への影響を公正に評価することも大切ではあるが,それと共に情報技術のもたらすネットワーク社会の特質について理解することもまた重要であろう.以下に述べるように,この視点に立つとき,「情報」もまた,他の3つの視点と同様に,「協調」という概念の中にあることが理解される.
 以下,情報社会の成り立ちを俯瞰し,その典型としてオープン・ソースの流れを考える.その上で,ネットワーク社会の構成原理となるであろう相互編集性について考え,その延長線上で,情報教育のためのソフトウエア環境への要件について述べる.

2 情報社会の成り立ち

 インターネットによるネットワークの特徴は,個人による情報の公開が実質的に自由であり,相互編集性を有する点にある.特に,後者の機能は,もっと強調されて良い.それは丁度,18世紀ロンドンのコーヒー・ハウスが,談論風発の場,情報の流通・編集の場であり,産業革命を生んだ時代を担っていたのと対比できる(1)
 全世界の億単位の個人が,電子メールを使って意見を交換し,ネット・ニュース上で公開討論する一方,個人のウェブ・ページを開設して意見を表明し,それらにハイパーリンクを張ることによって様々な意見・事実を再構成してみせる.このような縦横に織りなすコミュニケーションと相互編集は,ニューメディアを含む従来のメディアでは実現の難しかった機能である.
 この相互編集,地球規模の談論風発の場の可能性によって,インターネットは,これまでの社会の情報化を越えて,大きな社会変革をもたらすものと思われる(2)

3 オープン・ソース

 Unixを主たるOSとする研究者の世界で培われてきたオープン・ソースの精神は,GNUやOpen Sourceの動きとなって現在に至っている.(フリー・ソフトウェアを巡っては,様々な用語があり,著作権の扱いにも差があるが,ここでは区別しない.)パソコン通信で言うフリー・ソフトウェアが,通常,実行形式の無償ソフトウェアであるのと異なり,オープン・ソースの精神はソース・コードが開放されている点に特徴があり,これによって多くの人達による,相互編集的な発展が可能となるのである.その有効性は,世界で広く使われているUnix系OS,電子メールやウェブのサーバとクライアント・ソフトウェアが,如実に示している.

4 相互編集性

 オープン・ソースの精神が示しているのは,経済力や社会的影響力を背景に組織的に事を進めるのではなく,誰かが出した小さくとも革新的なアイディアが,様々な人々の工夫に育てられ相互編集を経て,成長していく世界の存在である.現在およびこれからの情報技術はそのような世界を支える技術基盤になり得るし,またそれが,我々の「かく在りたい」姿なのではなかろうか.
 もっとも,相互編集性は,決して新しい現象ではない.第2章で触れた18世紀ロンドンのコーヒー・ハウスは,正しく相互編集の場を提供していたし,近くは,戦後の経済発展を支えた東京都大田区の零細企業集団の相互編集性は周知のことである.
 そして近年,医療においても,「名医が一人でプレーする時代から,チームでプレーする時代に確実に移行しつつあり,」グループ医療の重要性が指摘(3)されるなど,現代社会の様々な分野で同様の動きがある.そして,それらに共通して観察できる概念は,相互編集性である.ところで,平田オリザは,演劇の最重要な要素は対話であり,対話は会話とは異なり,「他人と交わす新たな情報交換や交流のことである,」と述べている(4).舞台の出来事を観客に伝えるためには,対話によって舞台の上で「新たな情報」を示さなければならず,それによって観客が演劇に参加できるようになるのである.
 インターネットに代表される現代の情報技術は,通信を取り込むことによって,個人間の会話の幅を広げたのみならず,世界規模で全ての人が参加可能な対話のチャネルをも開いたのである.もしインターネットが世界を変えるとすれば,その理由は正にこの点にあると思われる.

5 情報教育環境の在り方

 中等教育は,自己およびその環境に対する判断力を備えた生徒を対象とする.従って,高等学校普通教科『情報』が直接間接に生徒に提供する環境は,これからの情報社会の「かく在りたい」姿を具現するオープン・ソースによるものとすべきだろう.生徒が現に今使っているソフトウェアが,名も知らぬ多数の人達の興味や工夫の連鎖・積み上げであり,その結果としての社会貢献の産物であることを知り,自分の通う学校にいる教員や近在の人がその一角を担ったことを目の当たりにすることこそ,最も教育的な体験となるのではなかろうか.
 更にソフトウェアのみならず,ハードウェアについても,近郊の工業系大学の学生たちが入れ替わりにやってきて,環境整備をしていく制度ができ普及したとすれば,それはオープン・ソースの精神を体現するものであり,単にコンピュータの仕組みに関する解説を聞くよりも,コンピュータと社会についての正確な認識を得ることができるだろう.
 現在進行中の教育改革の最大の焦点は,「学校を開く」ことにあると思える.だとするならば,多くの人達の小さな貢献を積み上げていくという,独占とはおよそ対照的な情報技術の世界があること,そしておそらくは,それが来るべき情報社会の基盤となるであろうことを理解することこそが大切なのではなかろうか.そして,学校という場が,社会における様々なエキスパート達の交差点となり,教員というコーディネータの下に様々な考え方・知識を学ぶ場に展開されていくことを期待したい.

参考文献

(1) 今井健一,金子郁容,“ネットワーク組織論,”岩波書店,1988.
(2) 小林修,“ネットワーク社会における相互編集性と価値”,ネットワーク社会とライフスタイルワークショップ(第3回),1998.
(3) 木田厚瑞,“肺の話,”岩波書店,1998.
(4) 平田オリザ,“演劇入門,”講談社,1998.


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