電子情報通信学会技術研究報告, ET93-91, pp.9-16, 1993-12-18



応用ソフトウェアと情報教育

小林 修

 あらまし 「情報活用能力」の育成に関して,各学校では,パソコン等を導入して,応用ソフトウェアの活用など,様々な活動を始めているが,ワードプロセッサ,表計算,お絵かきソフトなどの応用ソフトウェアを授業等で利用する場合,大きく分けて,2つの利用法が考えられる.1つは,応用ソフトウェアをその目的に添って活用する場合であり,これは更に,表現媒体および文房具としての活用に分けられる.他の1つは,その応用ソフトウェアそれ自体を授業の対象とするものである.本稿では,これらの応用ソフトウェアの活用について,人の創造活動を支援すること,あるいは,構造的思考のための教材とすることを強調しながら,その方法や留意点について述べる.


 1. まえがき

 周知の通り,1989年3月告示の学習指導要領は,「情報活用能力」の育成に関して,次の4点を念頭に置いている(1)

@情報の判断,選択,整理,処理能力及び新たな情報の創造,伝達能力の育成,
A情報化社会の特質,情報化の社会や人間に対する影響の理解,
B情報の重要性の認識,情報に対する責任感,
C情報科学の基礎及び情報手段(特にコンピュータ)の特徴の理解,基本的な操作能力の習得.
 これを受けて,各学校では,パーソナル・コンピュータなどを導入して,応用ソフトウェアの活用など,様々な活動を始めている.
 本稿では,特に応用ソフトウェアの活用について,その方法や留意点について述べる.主として,上記@およびCに関する話題を採り上げる.なお,本稿では,応用ソフトウェアは,ワード・プロセッサ,表計算ソフト,お絵かきソフトなどを指すものとする.
 これらの応用ソフトウェアを授業などで利用する場合,大きく分けて,2つの利用法が考えられる.1つは,応用ソフトウェアをその目的に添って活用する場合であり,他の1つは,その応用ソフトウェアそれ自体を授業の対象とするものである.以下において,各々,およびで話題とする.では,これらに共通する問題である「認知」について考察する.

 2. 文房具としての応用ソフトウェア

 パーソナル・コンピュータが学校に本格的に導入され出したのは,ごく最近のことである.時期的に見ると,諸外国に比べて,いささか慎重に過ぎた感があるが,パーソナル・コンピュータやそこで使われる表計算ソフト,ワード・プロセッサなどの応用ソフトウェアが世に出たのが80年代であることを考慮すれば,理解できることでもある.
 比較のために,ビデオについて見てみよう.ビデオの教育利用というとすぐに思いつくのが,既存のビデオ教材の活用であるが,これは本稿の対象ではない.しかし,そのビデオを児童・生徒が授業の中で作成する実践例(2)があり興味深い試みである.
 この種の表現媒体の教育利用には2つの使い方がある.一つは,表現媒体としての活用であり,もう一つは,文房具としての活用である.前者は,例えばビデオ・リポートの作成(前記の実践例)など,その表現形式を最終目標とする場合である.後者は,高速に動くものをビデオで記録し,動作を分析するなど,文房具として利用する場合である.
 このような文房具としてのコンピュータの利用については,学会レベルでも関心が高く,情報処理学会には,1989年度に「人文科学とコンピュータ研究会」,1991年度に「情報メディア研究会」が設置された.前者は人文科学分野でのコンピュータの道具的利用,後者は広く生態系という視点から情報をテーマとする研究会である.
 以下,本章では,応用ソフトウェアの文房具的活用について考察する.なお,この章とほぼ同様の事項を,異なった観点でまとめた記述が,文献(1)にある.

 2.1 表現媒体としての活用

 近年,SFXやコンピュータ・グラフィックスによるアニメあるいはコンピュータ・アートなど,応用ソフトウェアを表現媒体とする芸術が目立っている.これらの新しい表現法の利用に特徴的なのは,既存の表現法に取って代わるのではなく,新しい表現手段を提供するものだという点である.水彩,油絵など,従来の技法は現在でも健在であり,今後も新境地を開いていくものと思われる.つまり,新旧の表現法には明らかな表現力の違いがあり,これらの新しい表現法は,それを駆使する専門家(芸術家)にとっては,自らの想いを形にすることのできる,新しい未開拓の領域なのである.
 パーソナル・コンピュータ上の応用ソフトウェアについても,同じことが言える.ワード・プロセッサで文章を書き,それをパソコン通信の電子掲示板に公表できることは,個人レベルの情報発信の機会を大きく広げるものである.それは,個人出版とは異なる,新しい情報発信手段を提供している.また,演奏ソフトを使って作曲し,その曲を演奏したり,お絵かきソフトで絵を描き,ワード・プロセッサで書いた文章と組み合わせて,パンフレットを作るなど,専門家ならぬ個人にも様々な表現手段が利用可能になりつつある.
 ただ,残念なことに,一般の人が使える応用ソフトウェアは,専門家用ツールのような芸術性に乏しく,新しい表現媒体としては,機能,表現力で見劣りがする.ワード・プロセッサでは,字の大きさ,字体,配置,飾りなどの文字表現の制約が手書きに比べて余りにも大きい.また,お絵かきソフトでは,表現可能な色が少なく,色を置く自由度に乏しい.
 一方,専門家の使うツールは高機能でリアルな表現が可能だが,これを使いこなすには,専門技術を要し,初等・中等教育の場には相応しくないであろう.つまり,一般の応用ソフトウェアは,学校で表現媒体として活用するには,新しい表現法の学習,創作のいずれにも中途半端なのである.従って,これらを教育の場で使う際は,表現法の制約や感性への影響に留意する必要があり,感性に深入りしない範囲で,文書の書式や,色調などを学習することになろう.
 むしろ,この領域での活用の可能性は,電子メールにあるかも知れない.電子メールは,新しい意見表明の手段であり,最終表現媒体ではないからである.遠隔地とメール交換で討論するなど,活用できそうである.例えば,欧米となら,時差を利用して,メール討論することもできるし,アジアや豪州となら,「電子おしゃべり」を楽しむこともできよう.(ちなみに,現職教員を対象とする遠隔教育としての報告(3)(4)がある.)

 2.2 文房具としての活用

 前節では,応用ソフトウェアを最終的な表現媒体として活用することに対して,否定的な見解を述べた.だが,それらは,人間の創造活動を支援し助長する道具としては,大いに活用する余地がある.
 例えば,お絵かきソフトを活用した実践例が報告(5)されている.この例では,基礎的デザインの過程の中で,デザイン案(同じパターンを並べた図柄)を作成するのに活用されている.コンピュータ上で様々に塗り替えができるソフトウェアは,デザインの際の試行錯誤には,うってつけである.思い切った配色をコンピュータ上で試み,良さそうなら実際に製作する.ここで重要なことは,コンピュータ上の絵が最終表現物ではないことである.何故なら,配色・配置の妙は,現実の作品を見て初めて体得できるものだからである.
 お絵かきソフトは,また,絵の苦手な生徒には福音となるかも知れない.デッサンの取っ掛かりは,なかなか難しいものである.お絵かきソフトは,そのような「障壁」の高さを少しでも低くするのに,役立つことだろう.(一方で,「パソコン嫌い」の生徒には苦痛かも知れないことに留意すべきである.)
 同じことは,ワード・プロセッサなど,他のソフトウェアにも言える.いずれにしても,それらは,人間の創造活動を制限するものであってはならない.「よく使いこなされた文房具」のように,創造活動を支援し拡大するものでなければならず,その活用に当たっては,常に人間に立ち帰ることが必要である.

 2.3 各論

 以下,いくつかの応用ソフトウェアについて,具体的に見ていく.

 2.3.1 表計算ソフト

 筆者自身の使い方を内省すると,表計算ソフトには,2つの使い方があるように思われる.

@自動的に集計する表としての使い方,
Aデータ処理や情報を読み取る際,様々な試みを行うための道具.
 前者は,定常的な使い方で,その表を印刷することで利用の1サイクルが完了する.一方,後者は,一時的な使い方と言うことができ,データ処理の最終産物には現れない.また,前者は,2.1で述べた表現媒体としての性格が強く,後者は,2.2で述べた文房具としての使い方であると言うことができる.
 前記@の場合,表製作の操作技術もさることながら,最終表現物としての見やすさが重要である.行や列の項目の並び方は,多くの場合それなりの理由があるものである.その順序や列幅を,製作途中に意のままに,つまり,目的に合わせて変更できるところに表計算ソフトの強みがあるわけである.和文の場合,表には罫線が付き物であるが,その線種を工夫するだけで随分見やすくなるものである.
 表は,数字を縦横に並べたものであるが,その並べ方や対照の仕方に,その表で主張したいことが表現されている.例えば,合計欄は明細欄の外側にあるとは限らない.それらが合計とその内訳を表すのであれば,合計は項目名の直ぐ隣にあった方が見やすいこともあるのである.
 同様に,表のデータをグラフにする場合も,グラフの種類が適切であるのはもちろんのこと,表題を入れたり,縦軸,横軸に説明を表示すると,当たり前のことではあるが,分かりやすい.簡単かつ自明のことであるが,表計算ソフトにその機能があるにも関わらず,使われないことがしばしばである.「解釈法を必要としないと言ふのは素朴に言って,其がよい作物であるといふ証拠である.」折口信夫は,「世々の歌びと」の中でそう述べている.
 次に,前記Aの場合を見てみることにしよう.
 表は2次元であるから,変数が3つ以上あるデータは,縦軸または横軸が下位区分を含むことになる(例えば,年齢別データが性別データを含む).この区分を変更するのは手作業では大変であるが,表計算ソフトでは比較的容易にできる.また,変数の値を幾つかのグループに分けて(例えば,年齢別を世代別に)集計することも容易である.散布図も簡単に得られる.
 あるいは,数字の羅列から,平均や分散を直感するのは案外と難しいものだが,グラフにプロットするだけで,一目瞭然である.また,大局的な構造を見るにも都合がよい.そして,この程度の簡単なグラフなら,表計算ソフトではいとも簡単に表示することができるのである.
 これらの試みは,所与のデータを解釈するための様々な実験と言うことができ,情報の抽出,読み取り,解釈などには不可欠の作業である.もしこれらの作業に多大な時間と労力を要するなら,情報を読み取るなどの創造活動を制約することになりかねない.
 このような試行によって,ある解釈が得られたら,それを裏付けるために,それに相応しい表やグラフを作成することになろう.そして,これは前記@の使い方であった.(もちろん,表計算ソフトのグラフ機能では適切なものが得られないならば,手書きや他のソフトウェアを利用すればよい.)文献(6)は,表計算ソフトの習得をこのような意味あいで捉えている.

 2.3.2 ワード・プロセッサ

 まず,筆者の文書作成の手順を述べよう.書くテーマのおよその輪郭が決まると,そのテーマに関連するキー・ワードを列挙していく.列挙しながらも,更に別のキー・ワードが浮かんでくることがあり,それらを眺めているうちに,また別のキー・ワードが浮かぶこともある.そのようにして,キー・ワードの羅列ができあがると,記述の組み立てを考えながら,キー・ワードを入れ替え,章建てを考える.ここまで来れば,後は気の向いたところから書き始めればよい.書き進むうちに,キー・ワードの組み合わせが変わることもあり,一部のキー・ワードは具体化されずに終わることもある.途中,気の付いたときに,漢字や用語の使い方を統一するために,文字列の全文検索機能を利用する.文書レイアウトは,始めにおよそのスタイルを決めておき,文を入れ終わった後に微調整する.
 定型的な文書などは,殆ど書き下し(かきくだし)であり,ワード・プロセッサを浄書機として使うが,一般の文書作成でこのような書き方ができるのが,ワード・プロセッサの便利なところである.
 筆者の方法は,もちろん,様々な使い方のほんの一例に過ぎないが,作文を「書き下し(かきくだし)」ではなく,起承転結など「文章構成」に目を向けて指導する場合には,ワード・プロセッサのこうした使い方は威力を発揮する.
 また,表現媒体としても,同じ文章を様々なレイアウトで見比べることが容易にでき,表現技術の学習にも役立つだろう.
 ただし,これは「論理的な文章」の場合にのみ言えることであって,作家が小説を書くような場合には,2.1で指摘したように,とても使えた代物ではない.作家の心に浮かぶ言葉を,そのままに受けとめるには,今のワード・プロセッサでは,余りにも非力である.2.2で述べたように,学校でワード・プロセッサを活用する際は,その限界を弁えて,「文房具」に徹した方がよいように思われる.

 3.教材としての応用ソフトウェア

 中学,高等学校の学習指導要領には,ソフトウェアを中心としたコンピュータそのものを対象とする科目が含まれている.中学校では,技術・家庭の中の情報基礎,高等学校では,数学A,工業の中の情報技術基礎,電子情報技術,プログラミング技術,コンピュータ応用,商業の中の情報処理,プログラミングの各領域である.
 その主旨およびに引用した情報活用能力Cに照らして,応用ソフトウェアを教材とする目的は,次のようになるであろう.「将来必要となるであろう応用ソフトウェアの操作技能の習得を通し,応用ソフトウェアの構成的性格(対象の具体ではなく,操作手順や機能の必然性などの構造)を理解し,ソフトウェア一般に対する正しい評価能力を養う.」
 「応用ソフトウェアの操作技能の習得」は,実態としては,特定の製品の扱い方を覚えることを意味する.このことの是非は,いつも議論の対象となるが,プログラミング教育についても同じで,「プログラミング教育とは言いながら,COBOLの文法を教え込んでいる,」と言われている.
 プログラミング教育での,この議論の要点は,一言で言えば,「主旨は分かる,しかし,言うは易く,行うは難し,」であろう.限られた時間の中で,多数の言語を広く学びプログラミング概念の理解をめざすか,少数の言語を集中して学ぶか,議論の分かれるところであろう.
 一方,プログラミングに関する筆者の経験から次のことが言えると思われる.すなわち,手続き型言語に関する限り,一つの言語について十分な理解があれば,他の言語は,ひと月もあれば,その言語を使ってプログラミングできるということである.もちろん,そのプログラミングは,初歩的であろうし,例えばCOBOL風のFORTRANといった具合のものであろう.しかし,これは,プログラミングを理解する上で,障碍とはならない.何故なら,プログラミング概念を具体化するときに現実の言語の制約を受けるのは必然であり,それがCOBOLとFORTRANで異なることを理解することが,むしろプログラミング教育でめざすべきことだからである.従って,この点に関する限り,どの言語を使うべきかは,言われている程には,重要なことではない.もっとも,プログラミング教育には,PASCALという,教育のために設計された言語が存在するのは幸いなことではある.なお,プログラミングについては,で,もう一度触れる.
 話題を応用ソフトウェアに戻すと,操作技能の習得だけをめざすなら,例えばワード・プロセッサの種類の選定は大きな問題である.一般社会での普及度や価格などを勘案して決めねばならないであろう.
 しかし,プログラミング教育がプログラミング概念の獲得をめざすように,ワード・プロセッサの教育もワード・プロセッサの機能モデルの獲得をめざすものなら,敢えて機種にこだわる必要はないであろう.いろいろな小学校でいろいろなワード・プロセッサを学んできた生徒が,中学校に入り,お互いに教えあい,操作性や機能を比較しあって,機能モデルやその実現方法の違いを学ぶことになれば,大変に素晴らしいことである.
 以下,いくつかの応用ソフトウェアについて,具体的に見ていく.

 3.1 表計算ソフト

 筆者の講習会などでの経験からすると,スプレッド・シート(ワーク・シート)が,セルを縦横に並べた表をイメージしていることは,比較的よく理解できるようである.しかし,各セルの内容と表示が異なることを理解するのは簡単ではないようだ.例えば,数値が入力されているセルの表示属性を変更すると,小数点以下の桁数が変化したり,%表示に変わったりするのが,とても不思議なようである.もしこのことが十分に理解されているならば,空(から)のセルと何も表示されていないセルの違いに気が付くのはたやすいはずなのだが,実際は,大きく混乱するのが常である.
 これは,コンピュータに対する不安と操作の未熟さから,「何のためにそのソフトウェアがあるのか」という,製品イメージを掴む余裕がないためであろうと思われる.
 表計算ソフトは,その名の通り,計算機能付きの表である.一方,人が表を作るとき,表中の数値は,必要に応じて固定小数点表示で記入されることも,百分率のこともあり,金額の場合は3桁毎に区切りを入れることも多い.この表示形式は,表の目的によって決まるのであって,数値そのものとは関わらない.従って,表計算ソフトのセル内容とその表示が分離されていることは,きわめて合理的なことなのである.
 同様に,人が作表する場合,表の列幅(セルの表示桁数)は,殆どの場合,列によって変わるが,各欄の高さは同じであることが多い.この観察から,表計算ソフトの列幅は変更できるが,セル表示の高さは一定であることが予想される.そして,実際,そのような仕様の表計算ソフトが多いのである.
 このように,その応用ソフトウェアが何のために作られたかを考えれば,それが持っているはずの機能が予測でき,更に,その機能イメージを得ることができる.受講者が,作表する中で,必要な機能に気付き,そのとき初めてその操作を教えるというように,あるいは受講者が自身でメニューの中から発見できるように,講座を構成できたらよいと思われる.
 以上は,いずれも表の性質から類推できる事項であったが,次に,表計算ソフトならではのことを指摘しておきたい.
 その一つは,保護機能に関することである.筆者が見た限りにおいては,表計算ソフトの保護機能は余り使われていない.
 表計算ソフトの利点の一つは,同じ表を繰り返し利用することが極めて容易なことである.また,事務などで利用する場合,表は共有され,いろいろな人がその表を見,あるいは特定のセルに文字や数値を記入するであろう.紙の上の表とは異なり,コンピュータ上の表は,破壊が容易であり,痕跡を留めないことが多い.一寸した誤操作で,複雑な計算式や大切なデータが一瞬のうちに,しかも大量に失われ得るのである.このように,表の再利用や共有利用の際,変更不要なセルや変更してはならないセルを,誤操作から守る必要が生ずる.表計算ソフトの保護機能は,そのために用意されているのである.
 前述の「機能の必然性」の観点が身に付いていれば,表の共有という体制があり,誤操作による手痛い経験から,メニューの中に保護機能を探し出すことは,さして難しいことではないはずである.
 もう一つ,表の組み立てに関することを採り上げよう.表中に同じ内容のセルが複数あるとき,一致に必然性がある場合と,ない場合とがある.前者の場合,特定のセル(記入欄)の他は,計算式によって引用するように(もちろん,そのセルは保護しておく),表を組み立てる方がよい.逆に,後者の場合は,セル内容の複写という,一過性の操作によるのがよい.
 このような引用や複写ができるのは,表計算ソフトの利点の一つである.しかし,上記の操作を逆にした場合は,混乱の元となる.もしその表を再利用したとき,本来同じであるはずの2つのセルの表示が異なり,それぞれに異なる意味があるはずのセルが同じ表示となってしまう危険性がある.引用と複写には,それぞれ異なった使い道があるのである.
 長々と述べてきたが,本節を要約すれば,機能にも使用方法の選択にも必然性があるのであり,操作技能の習得を通して,その必然性を考えさせることが,教育目標に適うことだと思われる.

 3.2 ワード・プロセッサ

 前節の表計算ソフトと同様に,ワード・プロセッサの持つ機能の必然性を考慮しつつ,機能イメージを作り上げることが重要である.ただし,ワード・プロセッサの場合は,表計算ソフトと比べ設計の自由度が大きく,ソフトウェアの種類によって機能構造が異なっている.それで,ワード・プロセッサを学ぶ際の目標は,一段とシステム設計に近づいたものになる.
 例えば,文字列を移動するには,moveとcut&pasteの2種類の操作が考えられるが,どちらも結果は同じである.しかし,機能イメージは大きく異なる.前者は,物の順列を入れ替えるイメージだが,後者は,切り貼りであり組版のイメージがある.文書の中に他の応用ソフトウェアで作成した図や表を組み込めるワード・プロセッサの場合には,後者の機能イメージで設計されていることが多いのではなかろうか.そのようなワード・プロセッサでは,文書は,文または段落を「紙面」に配置したものであり,操作対象は,文字列,あるいは段落など文書の構造に従っていることが多い.文字入力は,挿入モードが標準的なようだ.
 一方,原稿用紙に文字を埋めていくイメージのワード・プロセッサもある.その機能イメージに従って,文字入力は上書きモードが標準となっており,操作対象は,文字列というより,「紙面」上の矩形と言った方が,より実態に近いようである.筆者の周囲にあるこの種のワード・プロセッサでは,文字列を対象とする操作があるにも関わらず,圧倒的に矩形の操作を利用していることが多い.中には,1行分空けるために数十行の範囲を矩形で指定して移動していることもある.どうやら,利用者の機能イメージは,文のような意味的な構造ではなく,1文字を,操作対象として扱っているようである.このワード・プロセッサは,「ドキュメント・プロセッサ」に進化しそこなってしまったものと思われる.
 以上,幾つかの操作手順について検討したが,そこで述べたように,手順からそのワード・プロセッサが意図している文章作法を推定することができる.そして,それを操作手順や機能に結び付けられるように指導できたとすれば,別種のワード・プロセッサを使う必要が出てきたときも,すぐに使いこなすことができるようになるものと期待できるであろう.

 4. 問題解決過程と応用ソフトウェア

 本章では,応用ソフトウェアの活用を,問題解決過程として考察することを試みる.
 まず,4.1では,この問題解決の過程が,必ずしもトップダウンの線型的過程ではないこと,応用ソフトウェアの創造的活用は,丁度そのような事例であることを指摘する.更に,4.2では,問題解決過程の始まりである問題発見が,情報創造の過程であることを見る.最後に,4.3で,応用ソフトウェアを対象とした問題解決過程について述べる.
 4.1問題解決過程
 問題解決過程には,様々な分析法が提唱されているが,概ね,次の各段階を経ると考えられている,ということができよう.

@問題の発見,
A定式化     [ システム分析 ],
B解法の探索   [ システム設計 ],
C実現      [プログラミング].
ここで,右側の[]の中は,システム開発の場合の名称である.この順に問題解決を図る考え方を,トップダウン方法論という.なお,段階@はシステム開発に入る前の段階であるから,対応するものはない.
 さて,これを社内文書の作成過程に適用してみよう.この過程は,文書作成の必要性を感じたときから始まる.つまり,段階@である.次の段階Aでは,文書の内容梗概や形式(通達,連絡など),発信者,宛先などを定める.更に,段階Bで,より具体的な文書様式,文書作成の方法(手書き,ワード・プロセッサ,外部発注など)などを決定する.そして,最後の段階Cで,ワード・プロセッサに向かうわけである.
 このように見ると,上流工程から下流工程に向かうという,問題解決過程の前記の記述は,この過程を理路整然と説明し,この手順に従えば,確実に,良い文書ができそうに思えてくる.
 しかし,2.3.2に述べたような文書作成の方法,つまり書くべきテーマが決まった後は,すべてワード・プロセッサ上で文書を作成する場合には,事情が違ってくる.段階A〜Cが渾然一体となってしまうのである.テーマに関するアイディアからのキー・ワードの抽出は,段階Aに相当するが,そのキー・ワードが,そのまま章や節の表題となり,あるいは展開されて文になったりすることを前提としている.つまり,段階Aの作業は,羅列したキー・ワードの順序を入れ替えたり,整理することが可能であることを知って,初めてできる作業なのである.もし,文書を行エディタで書くとしたら,浄書機としてしか使い道はないだろう.
 同じことは,プログラム開発やシステム開発の場合にも言える.これらの開発には,トップダウン方法論が優れている,とよく言われるが,上記の文書作成の例が示唆するように,上流工程において下流工程の可能性が暗黙理にチェックされて,初めて成立する方法論なのである(7).言葉を換えれば,トップダウンというのは,「開発の方法論」ではなく,「まとめの方法論」であり,開発を後から評価する際に有効な方法論なのである.
 また,システム開発の一般論の立場からも,前記の見方は,かなり素朴な見方であるということができる.工学的分析が本質的に困難な問題が,あまた存在する(8)ことは周知の通りであるし,アルゴリズムのない問題があることもよく知られていることである.
 応用ソフトウェアの活用を通して,本節で述べたような問いかけを行うことができたら,プログラミングをせずにプログラミング論が展開できそうである.

 4.2 構造の認知

 問題発見とは,雑多な事象の中から何らかの構造を認知することを意味する.しかし,その構造がそれらの事象の中にあらかじめ存在していることを含意しているわけではない.よく言われるように,観察者は「地」を抜きに「柄」を見ることはできず,一方「地」はすべての人に共通ではあり得ないのである.端的な例を,星座に見ることができる.
 このような観察に関する論考は,例えば,文献(9)にあるが,ここでは,異なった分野から引用しておく.「『<存在>とは単にあることだ』と言うことさえ<現実(リアリティ)>に対して名詞,動詞,副詞などの人間的概念を,文法と構文の論理を押しつけ,かくして<現実>を歪曲するのです.なぜなら<自然>の歪曲のない,織りあとのない織り物には範疇などというものがないからです.」(Barth J.:“金曜日の本”,志村正雄訳,p.33,筑摩書房(1989-09))
 で引用した,情報活用能力@の「情報の整理,処理,創造」とは,このことを指しているものと思われるが,で述べたように,応用ソフトウェアの活用が,児童生徒の様々な認知活動を固定化するものであってはならないはずである.

 4.3 表現の放散と意味の収斂

 この節では,で述べた,応用ソフトウェアを学ぶときの問題解決過程を考えてみる.
 例えば,「波」を考えてみよう.波とは何であろうか.大気中を進む音は,大気を媒体としているが,媒体そのものは振動しているだけである.水面の波は,水と大気の界面が振動している.それでは,媒体が振動するのが波であろうか.だが,光も波であるが媒体は必要としない.電場と磁場が,互いを生成しつつ消滅することを繰り返しているだけである.
 物理的世界観では,波動の基本概念は現象の線型性にある.音波も表面波も電磁波も重ね合わせることができる.現象は様々であるが,それらを波動という視点から眺めたとき,雑踏での音の洪水,水面の波が重なりやがて離れていく様子,2本のサーチライトが交差する様が,初めて,了解できるのである.
 同じように,例えば,ワード・プロセッサを学ぶとき,で述べたように,ワード・プロセッサを様々な機能の集合と捉え,その構造を組み立てるだけでなく,機種の差を越えて,その構造の中で文章を作ることに基本的に必要な構造を抽出することが大切である.個々のワード・プロセッサは,いわば,その普遍的な構造の具体的な表現に過ぎない.眼前にある様々な表現から,それを構成せしめた構造(意味)を読みとることが,理解するということに他ならないのである.

 5. むすび

 以上,応用ソフトウェアの活用について,表現媒体,文房具,教材の3つに分類し,留意点を述べた.要約すれば,人の創造活動を支援するように,あるいは,構造的思考のための教材とすることを強調した.後者は,筆者の持論でもある.情報教育の現場にいる先生方に,少しでも参考になれば幸いである.


文献
  (1)文部省:“情報教育に関する手引き”,pp.18,40-45,ぎょうせい(1991-08).
  (2)渡辺正親:“情報受信型教育から情報発信型教育をめざして”,平成4年度日本教育工学会冬の合宿研究会資料(1993-01).
  (3)園矢高志,真田克彦,三仲啓,遠矢守:“パソコン通信を利用した情報処理教育の実験的研究(その2)”,信学技報,ET92-98(1992-12).
  (4)藤木卓:“画像の提示を伴うパソコン通信のチャット機能による授業の試み”,信学技報,ET92-56(1992-09).
  (5)松川秀夫,崎野三太郎,成田裕子:“情報教育における指導法の研究 −情報機器を使用した美術科授業の試み−”,日本教育工学会第9回大会講演論文集,pp.318-319(1993-10).
  (6)向後千春,綿井雅康:“表計算ソフトは情報活用能力を高めるか?”,信学技報,ET90-74(1990-09).
  (7)小林修:“初等プログラミング教育の視点”,情報処理学会計算機教育シンポジウム報告書,pp.27-38(1991-12).
  (8)Checkland P.:“新しいシステムアプローチ”,高原康彦,中野文平監訳,オーム社(1985-02).
  (9)Hanson N.R.:“科学理論はいかにして生まれるか”,村上陽一郎訳,講談社(1971-12).

Copyright (C) 1997 by KOBAYASHI Osamu. All rights reserved.