表現は力

炉辺夜話情報科学編第9夜

先日(1998年 7月),障害児教育の研究会を覗いてみた.

健常児と比べて障害を持つ児童生徒の態様は,極めて多様である.ある児童に効果があった方法が,別の児童にも有効とは限らないのである.そのような現場で立ち会う障害児の成長に,少しでも役立つようにと,一つ一つ努力を積み重ねていく教師の姿勢には,いつもの事ながら,深く感心してしまう.

ところで,良く言われることだが,優れたデザインには,所要の行動を喚起する力がある.例えば,ドアのノブ.いかにも「さあ,手を伸ばして,廻してご覧,」と言っているかのようである.一見習慣のようでもあるが,種々の形式のノブは,どれも,手を伸ばしたくなるようなデザインなのである.一方,同じドア関連の道具であるノッカーは,使い方に戸惑うことも多い.やはり「デザインの威力」の違いなのではなかろうか.

先に述べた障害児教育の研究会でのことだが,自閉症児との会話を促すのに括弧が有効であるという話を聞いた.電子メールで「xxxですか?」と尋ねても返事がないことが多いが,「xxxですか? (   )」とすると,返事が来るというのである.

ペーパー・テストやアンケートで多用される括弧であるが,単に回答の場所を指示するだけでなく,回答を促すプロンプトにもなっているようだ.

世はインターネット時代.猫も杓子もウェブ・ページを開設している.電子メールの DM は,いつの頃からか,郵便よりも多く来るようになった.どこの馬の骨とも知れぬウェブ・ページは,いかにも「さあ,このボタンをクリックして,私をダウンロードしてご覧,」と囁きかける.その囁きは逡巡するいとまさえ与えず,指先が思わずクリックしてしまう.そして,ある日突然パソコンが自暴自棄に走ったり,どこかのサイトで自分のパスワードを売られる羽目に陥る.

絶妙な表現が感動を呼ぶこともあるし,それはまた凶器にもなる.まことに,「表現は力」である.