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ハイジの里 2007/12/05
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・ハイジの里
高天神城
仙人池に映る裏劔
ようやく再開
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スイスのマイエンフェルト。 ハイジの里として日本人には殊の外思い入れがあるようだ。 ここを去年の夏に訪れて大変驚いたことがある。 驚いたのは、観光客がさして訪れない田舎町に突然観光バスが横付けされ、続々と日本人観光客が現れたと思えば、嵐のように去っていった事ではない。 今回初めて、自分の手足と目を使って旅をしている日本人の夫婦2組に出会ったことだ。

こう書くと、いや私は何時もそうやって旅をしているとお便りを頂いたりするが、貴方が目にするツアー客と個人旅行の比率を一度冷静に数値化して欲しい。 ちなみに私の06年度の個人的統計ではアバウト0.2%だった。 この他に一綴りのクーポンを持ってガイドなしに旅をしてる方を同数は見かけたので、いわゆる個人旅行と言うくくりでは0.5%くらいあるかも知れない。

これは日本人以外の観光客と比較すると、圧倒的に少ない。 英語圏や同じ西欧の人間は別にして、韓国人や中国人と比べてもその数ははるかに少ない、比率を取ればおそらく最低レベルに入るだろう。 しかし今までほとんど日本の個人客を見なかったのだから、その変化には目を見張るものがある。 まさに海外旅行の維新や文明開化が来たと言っても大げさではない、ともかく実際に私は感動したのだ、ようやく日本人の旅の質が変わりつつあると。

ではどう変わって来たかと言うと、旅先で出会った個人客同士が会話や情報交換をするようになったのだ。 今まで海外で、特に欧米では日本人同士が出会っても、会話はおろか挨拶さえも交わさない事があった。 中には目の前をすれ違っても、目礼さえなく、あたかも存在しないが如く無視された事もあったのだ。

数年前のNZのマルイワ・スプリングスと言う一軒家の温泉ホテル、直訳?すれば丸岩温泉?での事。 日本人の経営と言うが常勤スタッフにも日本人は見当たらず、お客もほとんどが現地人。 チェックインしようと駐車場に車を止めると、珍しい事に日本人らしきお客が、先に止まっていた車から、ホテルに入って行くではないか。 受付に向かうと、先ほどの日本人がチェックインしていた。 なぜ日本人と分かったかと言うと赤ん坊を連れた奥さんと交わす会話が日本語だったからだ。 先客の手続きが終わり私たちの番になったので、振り返った日本人に目礼をすると、完璧に無視された。

細かい所作は省くが、実は無視されただけでなく、あさってを向いて露骨に嫌な顔をされたのだ。 これが私の思い過ごしや誤解でも無く、またその理由は間もなく分かる事となる。 
取るものも取りあえず、温泉〜温泉〜と露天風呂に飛び込み、頭だけ水面に出していると、くだんのカップルが赤ん坊を連れて現れた。 当地の露天風呂は水着着用の男女混浴だが、夫は奥さんに向かって大声で会話を初めた。
「飛んでいるのは○○と言う刺さない虫で、サンドフライじゃないよ!」 サンドフライとは当地の田舎に多数生息している虫で、小蝿のようなものだが刺されると大変痛痒く、掻くと膿み出して始末に負えない。 で当方は顔の周りをタオルでパタパタ煽っていたのを見た先の夫がしたり顔で奥さんに話しかけた訳である。 やがて温泉の反対の端に浸かった夫がものの30秒もしない内に飛び出して、今まさに温泉に入ろうとした奥さんに言った。 「サンドフライだ!屋内温泉に行こう」 私→○○虫は聞いたことが無いが、これはサンドフライだって!と心の中で突っ込みを入れた。

ここでようやく、くだんの日本人が私達を見て嫌な顔をした理由に思い至った。 海外では数少ない温泉で、日本人のほとんど現れないハズの場所に、日本の温泉地に来たような、事も無げな日本人が現れたのでカッコつかなくなったのか、それで腹が立ったのだろう。
この地に限らず、日本人のあまり現れそうもない観光地で出会った日本に人には、こういったタイプの人が少なからず存在した。 難しく?言うと選民意識過剰、易しく言えば、肩肘張ったええかっこしいの日本人が、かつて多かったのは事実である。 それがようやく、普通に挨拶を交わし、情報交換出来る日本人が現れだした訳である、これが感動なくしてどうしよう。

所でその後くだんのカップル、別に意趣返しした訳では決してないが、面白い展開があった。 夕食にレストランに行くと、普通のダイニングと鉄板焼き、すき焼きの日本食レストランに分かれていたので、参考のために日本食レストランをのぞいた。 ちょうどすき焼きの盛り合わせ皿が運ばれて来たので、内容を遠目にチェックすると、注文したお客と目が合った、くだんの日本人だった。 目をそらしてうつむいた顔がはっきりと赤くなったので恥ずかしかったのか? 本当は正直で素直な良い人だったに違いない。


高天神城 2007/11/30

高天神城と聞いて、駿河・遠江境目の城(静岡県掛川市)と答えられる人は相当の日本史通かお城ファンだろう。 しかし高天神城が武田信玄、勝頼と徳川家康が取り合った城と知っていても、それが現在では石垣も天守閣もない、ただの山か丘の様なものだとは想像がつかないだろう。 だから「そもそも城に石垣や天守閣が出来たのは戦国時代末期か徳川の世で、それまでは殆ど存在しない・・・」なんて普通の人に説明を始めようものなら目が点になるか、うっとうしがられるのが落ちである。

ここまで読まれた方は、お城が何でアウトドアなんだ? ジジババの仲間入りをしたのかと疑問を抱かれる事だろう。 しかし真のお城ファンはほとんど山歩きに近く、少なくともハイキング以上の趣味である事を理解している。 高天神城に行った今夏は大変な猛暑で、持参した大量の水分が無ければ、間違いなく熱中症にかかっていた。 また過日行った滋賀県の小谷城では深い藪の中からガサゴソと黒い物体が現れ、それがノートパソコンを起動させながら歩く人間と気づくまでは本気で熊と遭遇したと腰を抜かしたものだ。 

また信州上田は真田氏の戸石城に分け入った際には登り口も道もよく解らず迷子になりかけた。 また上州は群馬の岩櫃城に登った際には、あまりに軽装で行ったもので、地元の完全装備のハイカーにほとんど説教されそうになった程であり、他の城では実際に説教されてしまった。 もっともこれらは風林火山のドラマでこのところ注目されているので、これから数年は案内板も充実し、行き交う人にも不足しないだろうが、大抵は案内も貧弱かほとんど無く、人に聞くことも出来ないので、それなりの準備と覚悟は必要だろう。 実際にwebで戸石城を検索してみると、山と思って行くべしと書いてある。

さらにお城見学にとってさらに大事なことは空間構成力と言うか想像力。 現在の獣道を見て、500年経っているから元は立派な大手道だったとか。 雨の流れた様な溝を見て、かつては深い堀だったろうとか。 崖下に転がる石を見て、450年前の壮麗な石垣や立派な土塀を想像せねばならない。

これがアウトドアでなくてなんであろう、なーんて。


仙人池に映る裏剣 2007年11月14日

仙人池と裏劔、なんてメジャーな所と言葉の響きなのだろう。 思えば学生の頃、好日大阪店の新宅女史から木製油引きの床をギシギシ踏み鳴らしながら、仙人池に映る裏劔!メチャメチャええよーてな話を聞きながら、そのうち行こうーて思いながら、いつの間にか遠のいてしまった。 山に行かなくなったのではなく、ピークハント、尾根歩き、メジャールートから遠のいてしまったのだ。 ちなみに北アルプス三大メジャー、勝手に決めているので意見は受け付けませんが、ザイテン・表銀・裏劔で今回初めて歩いたのが、この仙人池=裏劔だ。

最近○HKで良く放送される仙人池の名物女将志鷹女史をに見てみたいと言う目論見もありました。 で初めて予約なるモノを電話でしてみると、何と直接小屋に掛かりました、今は衛星電話が普及してるそうです。 で今度の連休の初日ですが予約出来ます? 予約と言うか・・・一応お伺いします。 お聞きしますが予約状況は? 布団70組の所、予約だけで80人です。 じゃあその翌日は? 120人の予約が入ってます。 結局小屋泊まりは諦めてテントを担ぎ上げる事にしました、渋々。

70年代の第二次登山ブームの頃、10月10日の北穂小屋。 一枚のセンベイ布団に2人で、それも頭と足が交互に並ぶメザシ状態、その時はメザシなら頭が並ぶはずとか、センベイという割には すえた雑巾臭いぞとか言う反論は浮かばなかった。 何せ客を客とも思わぬオイコラ扱い、夜中にトイレに行ったばかりに寝床すら無くなって、やむなく階段でうつらうつら、ほとんど眠れなかった最悪の記憶。 それから何年もひたすらテントや重い食料を担ぎ、小屋には近寄りさえしなかった。

登山計画を富山の事務局の御大に電話すると、何いってんだよー!10月の連休チャー1年で一番混むんだぜ、仕方ないなあ室堂に上がるバスの予約取りに行ってやるよ、すいません何故か現地でしか予約が出来ない制度になっているのでした。 また知らせてもいない関東の方から、トゥルルルー、連休に仙人池に行くんだって、ついにヤキが入ったんじゃないの。 そりゃ良いとこさ、でも池の端に暗い内からヅラーと三脚が並ぶ程だよ、年寄りになってからの楽しみに置いておきゃいいのに。

残念ながら仙人池の女将もヅラーと並んだカメラが、朝日が劔のピークを輝かした一瞬、一斉にシャッターを切るさまも見ることが出来なかった。 しかし代わりに基地としてテン張った真砂沢小屋の主兼山岳ガイドのマサシ氏と言う面白い方を拝見することが出来た。 またさすがメジャーコースだけあり、著名な山岳カメラマン高橋敬一氏や森下○氏、志水哲○氏が一斉にしかし何故か少しずつヅラして来られました。

かの深田久弥が絶賛したフレーズ「煙は仙人に流れる」の二股で近藤岩も見たし、チンネやクレオパトラニードルも見た、でも10月連休恒例の嵐には下山日に捕まった。 年寄りの楽しみには剣御前から真砂沢の高度差1000mの剣沢雪渓は少し荷が重いんじゃないの。 雪渓の先端で追い抜いたお年寄りの方は豪雨暴風の中、先行き心配なほどフラフラだったし、隣の内蔵助沢では二人流されて死んでましたから。


ようやく再開
2007年11月12日

ようやく再開いたします、永き停止と放置を深くお詫び申し上げます。

さて先日人づてにペケは活動してないの?と言う声が聞こえてきた。
何でも時々ペケのページをチェックして、その人なりに心配していたそうだ。  そうか、役に立たないと思っていても、やっぱり役に立たなかったにしても、せめて音信を伝える事が出来るじゃないか。

思えば10年前の1997年にサイトを立ち上げ、その当時はそれなりに評価を受け何処かのネット企業の推薦ページになったこともあった様なかすかな記憶が。 しかしその後中年にも出来るホームページなんて番組がTVの趣味講座の中心を占めるようになって目新しさが無くなるにつれだんだん更新が遅れがちになり、やがてブログなんてのがネットの中心になるにつれてページは放置状態に。

こっちはネットの先行者なのに今更ブログなんて、コブクロとの区別もよく解らないし、初心者にも出来ますよーなんて言われると益々、初心者じゃねーのにできるかいな。 なんて思ったかどうかは別にして、やっぱり普通のページは文字の大きさだ、画像のサイズとか、なんだかんだと製作がめんどくさい。 その点ブログは画像のデカイの貼り込んでもサーバーの方で適当なサイズに縮小してくれるし、そもそもレイアウトなんて事は出来ない代わりにやる必要もない。 まあ絵日記かいな、そりゃ簡単にできるな。

そーなんです、簡単じゃなければ続かないんですよ。 昔、HPなんてモノはページの体裁じゃない、要はコンテンツ、よーするに中身ですよ、なんて言っていたのは自分でした。 と言うことでいよいよペケもブログかと思われそうですが、なんだかトラックバックて意味を聞いてもよく解りません。

それならブログ風ページを作れば良いではないか、一時流行ったテキスト風でもない、ブログそのものでもない、ブログ風ページ。 頭にでーんと画像を貼って、次にテキスト。 なれてきたらサイドにカレンダーやコメントなんて欄も作ってみるか、ついでにトラックがバックなんてのも。

ブログ風ページでペケがようやく再開いたします。 どうかあまり期待せずに時々、あ! まだ生きとった程度にチェックいただければ幸いに存じます。  11月吉日?