独創と模倣
(関口由起夫:プロダクトデザインの本:平凡社より)
                           弁理士 遠山 勉
 
 関口由起夫:プロダクトデザインの本、に独創と模倣についての記載がありましたのでその一部を引用し、模倣と創造について考察してみたいと思います。<  >内は筆者です。
 
 
 日本の近代文明は、欧米を真似することからスタートした。過去の約120年を振り返ると2つの節目があった。明治維新と第2次大戦終戦後である。
 
 1回目はヨーロッパの模倣。
 明治時代のデザインはマッチのようなパッケージのデザインくらい。マッチといえど貴重品で、横文字でなければ売れなかった。日本人の悪しき心情である舶来品崇拝、ブランド盲信の始まりであった。
 
 2回目はアメリカの模倣。ただし、自動車にあってはアメ車は大きすぎて参考にならず、ヨーロッパに範を求めた。日産がオースチン、いすずがヒルマン、日野がルノーと技術提携を結んだ。トヨタだけが自力でがんばった。
<技術の日産と自称してはばからなかった日産が他を範とし、トヨタが自力でがんばったという点が、ひょっとして今日の差なのかも・・・・>
 
 企業のインハウスデザイナーの発想法は、内外の参考資料を熱心に見ることであった。<真似のための>ネタ探しが有能なデザイナーであった。ほとんどの企業のトップも現在市場で一番売れている、評判のよい製品に似たものを作るのが正しいと信じていた。
 自動車メーカーは、ベストセラーのカローラに似て非なる車を作ることに憂き身をやつし、スズキのワゴンRが当たったとなると、すぐ同じようなプロポーションの車<ダイハツのムーブか?>を発売してはばかりません。
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 かくして、今の日本で売られている製品は、社名をはずしたらどこのメーカーのものか分からない、似たもの同士があふれる国になってしまいました。
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 日本製品がヨーロッパの製品に比べてどこか魅力に欠けるのは、結局、デザインの差だと思います。
 
  仕事で訪れたドイツのバイエルン地方のデザイン事務所のドイツ人デザイナーの発想法は一風変わっていました。彼らは何時間も、何日でも腕組みして、ただ瞑想にふけっているのです。かと思うと、静かに立ち上がって部屋を出て、近くの森を歩き回ったり、ある人は、終日イヤホンで音楽を聴き入っていました。日本のように参考資料をめくったり、アイデアスケッチを描き重ねるようなことは一切しなかったのが、何日目かにこれだと決めたとたん、猛烈な勢いでいきなり図面を描き始め、よどみなく仕上げてしまった。・・・
 <この類の話は、軽部征夫氏の『「独創力」を伸ばす人、伸ばさない人』にも出ておりました>
 
  彼らとて、資料を見ないはずはありません。しかし、それを見るときと、デザインを創造するときとは完全に切り離されて考えをめぐらしているのだろうと、私は思います。
 
 
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 以上が、引用です。
 日本で、青色発光ダイオードを発明した、中村氏はインタビューで、開発にあたって、他人の技術を参考にしなかったと述べていました。
 模倣をすること、参考にすることが必ずしも悪ではありませんが、「真似」を目的とした場合はいただけません。オリジナリティの出し方を検討したいものです。