模倣と創造の研究

模倣の是非と創造性の本質についての仮定的結論

弁理士 遠山 勉


T.模倣の是非と創造性の本質とは何か,を考えるに当たってまず,以下の仮説を打ち立てた。

  1. 人間の行動の基礎には必ず模倣がある(人は他を模倣して成長する)。
    模倣なしに社会は成り立たない。よって模倣は善として肯定されるべきである。
  2. 過度の模倣は,模倣者/被模倣者間に不公平をもたらし,社会秩序を乱す。
    よって模倣は悪として否定されるべきである。
  3. 知的財産権制度は,模倣の肯定的側面と否定的側面とのバランスをとるため,導入された。よって,知的財産権法は,悪しき模倣を禁止する最低限のルールを定めている。
  4. 知的財産権法を最低限の基準とした社会における「模倣のルール」は,国により時代により異なる。日本において許容される模倣の範囲と欧米において許容される模倣の範囲は異なる。
  5. 発展途上の国と,先進国とでは許容される模倣の範囲は異なる。欧米先進国に追いつこうとしていた明治時代と,世界有数の先進国の一員となった現代とでは,許容される模倣の範囲は異なる。
  6. 独創性といっても模倣を避けた新たな創造はありえない。よって,創造か模倣かの区別を単なる模倣の事実の有無では決し得ない。創造か模倣かを決するのは,結果物がそれまでに存在していた物と比べて一定レベル以上の独立的存在価値,すなわちアイデンティティを主張できるかによる。
  7. よって,創造性の本質はアイデンティティである。
U.以上が「模倣と創造の研究」における命題ともいうべき仮説である。この仮説を検証し,先進国となった日本における模倣のルールと創造性の本質とは何かを探ってみたい。

追加事項
最近、以下のようなことも考えましたので、追加しておきます(2002/10/25)
  1. 日本人はみそ・醤油を貸し借りするような共同体精神に従い、許容される情報の共用範囲が広い。相互に情報を利用しあう(共用する)間柄である。
  2. 日本人と西洋人とで、創造力(創造性)は基本的に同じである。但し、その出方が社会の暗黙の規制により異なるだけである。日本人は他人との協調性や同一性を重んじるため、突出するようなアイデアを表に出すことを嫌う。西洋人は、他人との違いを重んじるためアイデアを積極的に出したがる。


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