オリジナリティを生むために(ノーベル物理学賞受賞小柴昌俊氏の話から)
 
(02/11/02)
 
 今日の朝のTV(2002年11月2日)で、ノーベル物理学賞受賞の小柴氏が『学問の世界は、100人の内、99人が正しいといっても、1人の方が正しい場合がある。偉い人が、「そんなことはあり得ない」といってもそれに同調してはいけない。』という趣旨を述べておりました。
 この言葉で「はた」と気がつきました。他人との同調性を好むと言われる日本人。多数に同調している限り、オリジナリティは生まれないのだ。
 
 そこで、さらに小柴氏の情報をインターネットで検索したところ、東京大学大学院理学系研究科・理学部のHP昨年度(2001年度)卒業式における小柴昌俊名誉教授の祝辞が掲載されておりました。
 
 その中から、興味ある点を抜粋させていただきますと、
@ 米国で何年か研究生活をしたことで身に付いて良かったと思う事は、仮令どんな偉い先生の言う事でも間違っていたらその場で、たとえ公の場であっても、誤りを指摘するのが科学する者の当然の態度であるとする事です。ところが日本では慎みが無いと睨まれて共同利用研究所である原子核研究所に居る事が困難になりました。
 
A シベリアで電子−陽電子衝突装置を創っていた Budker という学者から、シベリアに来て共同実験をやってくれないかという申し出があり、現地を見たうえで本気で取り組もうという考えになりました。ところが周りの素粒子理論屋さんたちはそんな事は実験しなくても量子電気力学で何が起きるか解っている、高い国費を使ってまでやる必要は無いというのです。幸いその時の教室主任が一流の素粒子理論屋さんで「やってみなければ何が起きるかわかりませんね」と言って概算要求を出させて貰う事が出来ました。一流の理論屋さんは自分の理解の限界を何時も意識していますが二流の理論屋さんは自分の理論の適用限界を心得ていないようです。
 
B 私は毎年入ってくる大学院生に必ず二つの事をやかましくいいました。一つは「俺たちはな、国民の血税で自分たちの夢を追わせて頂いているんだぞ。業者の言い値で買うなんてとんでもない。」もう一つは「研究者になろうというなら、何時かは物にしたいという研究の卵を三つ四つ抱えておけよ。そうすれば情報過多のなかでもどんな情報を取りどんな情報を無視するか効率良く判断できるぞ」です。