シリーズ:日本人の創造性を考える2 (2000/8/24)
「独創力」を伸ばす人、伸ばさない人
(詳伝社 東京大学教授 軽部征夫氏)より
はじめに
東京大学教授 軽部征夫氏による、『「独創力」を伸ばす人、伸ばさない人』という単行本を読む機会があったので、ここに紹介しつつ、日本人の独創性について考察してみます。
軽部氏の日本人の創造性について見解は、基本的には、「創造力の育て方・鍛え方」(江崎玲於奈:講談社)における、江崎玲於奈氏の見解と共通するとことが多々あります。
どうやら、日本の風土に「独創力」を伸ばさせない何かがあるようにも思えるのだが、筆者「遠山」としては、そのような風土に甘んじて、改革しないことは受け入れ難い。21世紀の技術立国を目指す上で、何らかの脱皮を「各個々人」レベルで行っていただき、「独創力」を伸ばす人になって頂きたいものです。
<軽部教授の意見紹介>
軽部教授の意見をここに全て紹介するには紙面の都合もあり、また、著作権法の問題もあるので、ここに理解に必要な範囲で引用することとします。詳細は上記書物を書店にてご購入されることをお勧めします。
まず、軽部教授がどのような意見を述べられているかは、上記書物の目次を参照されるとよいでしょう。
以下、その目次に従って軽部氏の意見について考察してみたいと思います。
なお< >内は、筆者によるサマリーあるいはコメントです。
1章 「優等生」よ、さようなら=なぜ今、日本のあらゆる組織が「独創人間」を痛切に求めているのか
●もう、秀才はいらない
80年代までの日本企業は、相変わらず「お手本」を見ながら、先生よりも上手にモノを作っていればなんとかなっていた。・・・しかし、90年代に入ってからはパラダイムが完全に変わった。日本が見習うべき「お手本」や「モデル」など、もうどこにもない。日本が誰かを「キャッチアップ」していればすむ時代は終わったのである。・・・
秀才というのは、すでにある原理や知識をいち早くキャッチアップし、応用していくことはできるが、独創力には乏しい。
<この点の見方は、江崎玲於奈氏と同様です>
●なぜ、日本には独創性が欠けているのか?
原因1・・日本が長く鎖国をしていた。
原因2・・明治政府は遅れを取り戻そうとしてキャッチアップに邁進した。その際、不幸にも、目先の技術にとらわれ、科学(原理的発見)をなおざりにしてしまった。
●「キャッチアップ型秀才」の限界
キャッチアップ型人間=マニュアル人間=自分で新しい道を見つけられない。
日本は科学を置き忘れた。今政府がやらねばならないことは、科学の基盤づくりのための思い切った研究費の捻出と教育制度の抜本的改革である。また、企業がやらねばならないことは、自分の頭で考えられる独創力のある人間を育てるための環境と条件を整えることである。
<そのとおり>
●「仕事をしていない状態=罪悪」と感じるメンタリティー
日本人は「暇」を作れない。「暇=罪悪」という「ムラ社会」の原理が今に生きている。空いた時間を埋め合わせる術ばかりたけて「アイデア」を生む「暇」がない。
余暇を使って頭の中を空白にするメリハリがないのである。
●日本人が「顔のない民族」という非難を受ける理由
日本人には「没個性」を美徳とする習わしがある。
戦時中の国民精神総動員運動がもたらした影響は、日本人の独創性を決定的に奪った。
日本はまず「組織重視」である。欧米は「まず個人ありき」である。
2章 「独創カ」を伸ばす人、「独創人間」を活かす組繊=柔軟で多重的な人材評価システム作りとは?
●突出した個人を嫌う日本社会の限界
日本では個人ではなく組織、集団単位でものごとを捉えようとする。・・・換言すれば責任のとれる個人、決定権をもった個人というのは日本ではひじょうに存在しにくい。
・・・こうした「個」の埋没が日本の原動力を削ぎ・・成長を失速させた。
●「褒美のない組織」では、もう誰もがんばらない
「個」を育てるために肝心なことは、「個」を評価しインセンティブを与えることだ。ところが日本では、大きな成果を上げた社員にしかるべき褒美を与える会社は今のところない。
<オムロンをはじめ、数社が最高1億円の発明報奨金制度を導入するようになったのは、最近である>
●「出る杭」に、ポジションを与える男気を持て
アメリカでは、若くしてプロフェッサーになったり、学生でも優秀な者は飛び級していく。日本では、まだ年功序列が根強い。若すぎるという理由で、なかなか優秀な人材を教授にしなかったりする。
出る杭をどんどん引っ張り上げるアメリカでは、独創的な才能はますます独創的になる。日本では独創的な才能を持ちながら開花しないのは、出る杭を疎む社会通念や環境の要因が大きい。
●ぜひ見習いたい、アリカの成熟した表価システム
アメリカでは、個をフェアにかつ厳しく評価する。
<「独創性のある人」が正当に評価されるというのは、独創性醸成の上で重要なことでしょう>
●「敗者復活のある国」と「一度も失敗が許されない国」
日本では失敗は恥であり、汚点でしかない。アメリカでは次のステップの肥やしである。
<失敗が許されない=このことは教育現場でも問題となっているようです。例えば最近の不登校の子供達は失敗を非常に恐れる。失敗してもいいことを教えることが必要でしょう>
●アメリカの幼稚園は「授業」をしない
アメリカの幼稚園で、園児はみな好き勝手なことをしている。絵を描くのが好きな子はずっと絵を描いている。ごく自然に才能教育がされる。
●何が好きなのかを自分で発見させる
●「他人と同じ知識や認識を持たせる」という日本の教育
日本はみんなが同じことをするのが教育だと思っている。好むと好まざるとにかかわらず全員がカリキュラムに従って同じことをする。これは個人にとって=不本意な強制を伴う。
大切なのは、一人一人の「インタレスト」のありかであり、「自分は他人とどこがどう違うのか」を見いだすことなのだ。
画一的な教育は必ず没個性となる。個性が存在しない限り独創は生まれない。
<この点は、江崎玲於奈氏もどうような指摘をしています。アメリカの教育は他人と違うようになることを教え、日本の教育は他人と同様になることを教える>
●今の日本に決定的に欠けているもの
日本の教育現場では「個性重視」をスローガンにするようになったが、自由や個性とわがままをはき違えたり、個性を他人と比較して評価しようとしたり、不正を見てもただす術を持たなかったりする。
<学級崩壊の原因はここにあり・・・・か?>
これは、日本人を貫く精神的バックボーンがないからである。アメリカでは自由と正義が一対で教え込まれる。日本人は正義を見失っていないか。精神的バックボーンを取り戻すには善悪の基準を定かにし、それを教えることから始まる。
●ものを考えることには失敗がつきもの
●自分にとって無意味な知識の詰め込みは、創造性を阻害するだけ
●アメリカは、すでに「マルチメジャー」の時代に入りつつある
もはや、ある分野における優れた専門家であるだけでは不十分、2以上の専門が必要
3章 アイデアを出すには、コツがある=「自分流に加工された情報」+「空白」が独創の条件
●先人たちは、みんな歩きながら考えた
薄暮の散歩は発想を深めるのに絶好の環境である。日中よりもよけいな刺激がないからだ。
●空白の効用とは何か
単純作業をしているときにアイデアが生まれる。
●発想の極意は「三上」「三中」にあり
三上=馬上、厠上、枕上
三中=散歩中、湯(風呂)中、乗車中
どうやら、アイデアというのは、緊張部分を持ちながら、力をふっと抜いたときに浮き出てくるもののようだ。
●「休めない人、遊べない人」に創造的な仕事はできない
●忙しいアイデアマンほど切り替えがうまい
15分単位で仕事をするとよい。
●「情報」は、自分流に加工して「知恵」にしないと使えない
●時間がない人は、まず口に出して他人に話せ
●情報はなるべくシンプルに整理しておく
●アイデアの「出し癖」をつけろ
●「非常識な発想」をするコツ
●「恥をかきたくない」と思う心が、アイデアをつぶす
●おしゃれな人ほど独創ができる
●体力こそ、独創力の最も重要な条件
●「悪臭を放つ川への怒り」が世界初のセンサーを生んだ
●「強い動機」と「飛躍した夢」を同時に持ち続けること
4章 日本の歴史に見る「独創」の系譜
詳細は省略
5章 「独創」は脳のどこから生まれるのか?
詳細は省略
以上が、軽部氏による独創力についての見解であるが、江崎玲於奈氏と同様、個を大切にし、他人と異なることを意識し、出る釘になり、暇を大切にしてメリハリのある生活をしていくことがよいということでしょう。