判例2

不明瞭記載の請求項につき、発明の詳細な説明等を参照して限定解釈した例
(2003年1月23日 弁理士 遠山 勉)


◆H15. 1.21 大阪高裁 平成14(ネ)2944 特許権 民事訴訟事件

平成14年(ネ)第2944号 特許権侵害差止等請求控訴事件(原審・大阪地方裁判所平成13年(ワ)第9613号)

1. 判決 控訴棄却(非侵害)

2.事実関係

(1) 控訴人の特許権
  発明の名称 モルタル打設装置 登録番号 第2644985号
(特願平7−226647号:特開平9−72082号)
(2) 本件発明の請求項1及び請求項2
ア 請求項1
A 内孔を有する筒状をなしかつ先端に前記内孔に通じる吸込・吐出口を設けしかも後端にガイド蓋を取付けた基筒と,
B 前記ガイド蓋に遊挿され基筒の長さ方向にのびるロッドの先端に,前記内孔をシール効果を有して摺動するピストンを設けたピストン軸体とからなり,
C かつロッドの移動に伴うピストンの後方動によって前記吸込・吐出口からモルタルを吸込み,かつ前方動によって吸込・吐出口からモルタルを吐出するモルタル打設装置であって,
D 前記基筒の後端に,モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部を設けたことを特徴とする
E モルタル打設装置。
イ 請求項2
A'ないしC' 請求項1の構成要件AないしCと同じ
D' 前記基筒の後端に,モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部を設けてあり,当該洩れ防止部は,前記基筒との間に間隙を隔てて周回しかつ先端に向けて立上がることにより,基筒との間で環状の液溜りを形成する周壁部であることを特徴とする
E' 請求項1の構成要件Eと同じ

(3) 被控訴人は,「イ号物件目録」記載のモルタル注入器(以下「被控訴人製品」という。)を製造,販売している(なお,当事者双方に争いがないとされた控訴人の平成14年2月13日付準備書面(控訴人第2回)添付の物件目録には,符号8aが示す部分を「洩れ防止部」と表記されているが,被控訴人は,被控訴人製品が構成要件D,D'の「洩れ防止部」との構成を備えていないと主張しているので,混同を避けるために,イ号物件目録における符号8aを「洩れ防止空間」と表記する。)。
(4) 被控訴人製品は,構成要件A,B,C及びEの構成を備えている。

2 争点
 被控訴人製品は,「モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部」(構成要件D,D')との構成を備えているか。

3 裁判所の判断

1 争点(1)(被控訴人製品は,「モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部」(構成要件D,D')との構成を備えているか。)について
(1) 「モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部」の解釈について
 控訴人は,「モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部」とは,「空気抜き用の孔」のみならず,ガイド蓋とロッドとの「嵌合い隙間」を含む「基筒の後端」からのモルタルのノロの漏れを防止するものをいうと主張し,被控訴人は,ガイド蓋の「空気抜き用の孔」からのモルタルのノロの漏れを防止するものをいうと主張するので,この点について検討する。

ア 本件発明の特許請求の範囲には,「基筒の後端に,モルタルのノロの洩れを防ぐ洩れ防止部を設けた」と記載されているから,「洩れ防止部」とは,モルタル打設装置の基筒の後端,すなわち「ガイド蓋」からのモルタルのノロの漏れを防ぐものと解される。
なお,本件発明でいう「モルタル」とは,モルタル,比較的粘度の小さいセメント,コンクリート,比較的細粒の砂を用いた土壁用の液体を総称したものである(本件公報3欄4〜6行)。また,ノロとは,「あま」ともいい,「セメント・石灰・プラスターなどを水だけで練ったペースト状のもの」をいう(株式会社彰国社発行「建築大辞典」)。

しかしながら,モルタル打設装置の「ガイド蓋」には,ロッドとの嵌合い隙間や,空気抜き用の孔などの隙間が開いており,「洩れ防止部」がガイド蓋のどこからモルタルのノロが漏れるのを防止するものであるかについては,特許請求の範囲の記載上,必ずしも明らかではない。

イ そこで,発明の詳細な説明の記載を考慮する。
・・・ 【発明の属する技術分野】の項には,「本発明は,特に上向き作業時におけるモルタルの基筒後端からの洩れを防止しうるモルタル打設装置に関する。」(本件公報2欄13〜15行)と記載されている。

(イ) 【従来の技術】の項には,「・・・」(3欄9〜15行)と記載されている。
 そして,従来の技術を説明するための部分断面図である図9には,基筒の後端のガイド蓋gに空気抜き用の孔dが設けられ,また,同ガイド蓋には,ロッドrとの摺動部分に,先端に向けて立ち上がるガイド部が設けられたモルタル打設装置が記載されている。

(ウ) 【発明が解決しようとする課題】の項には,従来の手持ち式のモルタル打設装置が有していた課題として,「・・・」(3欄35〜38行)と記載されている。

(エ) 【発明の実施の形態】の項には,次の各記載がある。
a 「・・・」(4欄31〜32行)
b 「・・・」(4欄47行〜5欄2行)
c 「・・・」(5欄12〜18行)
d 「・・・」(6欄2〜7行)

(オ) 【発明の効果】の項には,「・・・」(6欄17〜24行),「・・・」(6欄25〜29行)と記載されている。

ウ(ア) 前記のとおり,本件公報の発明の詳細な説明においては,「ガイド蓋の空気抜き用の孔からのノロの洩れ防止」について記載されているものの,基筒後端の他の箇所,例えば,ガイド蓋とロッドとの「嵌合い隙間」からのモルタルのノロの漏れ防止をすることは記載されていないし,これを示唆するような記述も見当たらない。なお,本件公報中に「この空気抜きは,前記ガイド部25と前記ロッド5との間の小隙間においても多少行われる。」(5欄15〜16行)との記載はあるが,当該記載部分に該当する実施例を示す図2及び図3によると,洩れ防止部8は,ガイド部25とは別の部分として設けられており,洩れ防止部8の形状等からみても,上記記載部分が洩れ防止部8によってガイド部25と前記ロッド5との間の「小隙間」からのモルタルのノロの漏れを防止することまで記載しているものとは考えられない。

(イ) また,本件発明の出願前の公知技術である実開昭62−164972号公開実用新案公報(甲7),実公平4−17819号実用新案公報(甲8)に開示された「モルタル注入器」ないし「手押しモルタルポンプ」の考案の実施例を示す図によれば,いずれも基筒(シリンダー)の後端のガイド蓋に空気抜き用の孔が設けられており,空気抜き用の孔がガイド蓋に設けられていない構成は開示されていない。このようなガイド蓋に空気抜き用の孔を設ける点は,本件公報の従来技術を示す図9においても同様である。したがって,モルタルを注入ないし打設する器具において,ピストンの摺動に伴う内孔の空気抜き及び空気の注入を速やかに行い,それによってピストンの摺動を円滑に行わせるために,空気抜き用の孔を基筒の後端のガイド蓋に設けることが一般的な技術であったということができる。

 そうすると,本件発明は,従来,モルタル打設装置において,ピストンの摺動を円滑に行うために空気抜き用の孔が必要であり,その空気抜き用の孔は基筒の後端のガイド蓋に設けることが一般的であったところ,当該空気抜き用の孔からモルタルのノロが漏れるという問題点があったために,ガイド蓋に空気抜き用の孔を確保しつつ,その空気抜き用の孔からモルタルのノロが漏れることを防ぐために「洩れ防止部」を設けたところに技術的特徴があるものというべきである。

(ウ) 控訴人は,本件発明は空気抜き用の孔のみならず,ガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れを防止することも課題とするものであると主張する。

しかし,仮に,本件発明がガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れ防止をも課題とし,ガイド部がそのモルタルのノロの漏れ防止機能を有する「洩れ防止部」に該当し得るとするならば,本件発明の実施例や従来技術を示す図9において「ガイド部」が記載されているのであるから,同ガイド部が「洩れ防止部」に該当し得る旨の記載があってしかるべきところ,本件公報にはそうした記載はなく,前記のとおり「洩れ防止部」がガイド部とは別の部分として構成された記載があるにとどまる。

そして,前記のとおり,本件公報においては,ガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れ防止を課題とすることや,同小隙間からのモルタルのノロの漏れを防止するための「洩れ防止部」の具体的構成が記載されていないから,控訴人が主張する同小隙間からのモルタルのノロの漏れを防止する「洩れ防止部」は,本件公報において当業者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分な記載(特許法36条4項,同法施行規則24条の2参照)がなされているとはいえない。

のみならず,本件公報に記載されている従来技術を示す図9においても,基筒aの後端を塞ぐガイド蓋gの基部にロッドrを案内する円筒状のガイド部が突設されているところ,このガイド部も,ガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れを防止する作用効果を奏することは明らかであるが,これが従来技術とされている以上,本件発明がガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れ防止を課題としているとはいえない。けだし,そのように考えないと,本件発明の対象に従来技術も包含される結果となるからである。
したがって,控訴人の前記主張は理由がない。

(エ) なお,控訴人は,ガイド蓋の基部の空気抜き用の孔を閉止して,何らかの箇所に空気抜き用の孔を設けることは,本件発明の技術的思想の枠内における単なる設計事項であり,実施容易な技術にすぎないと主張する。

 しかしながら,前記(イ)のとおり,本件発明は,ガイド蓋に空気抜き用の孔を確保しつつ,その空気抜き用の孔からモルタルのノロが漏れることを防ぐために「洩れ防止部」を設けたところに技術的特徴を有するところ,ガイド蓋の空気抜き用の孔自体を閉止して,別の箇所に空気抜き用の孔を設けることは,モルタルを打設する器具における基筒後端のガイド蓋に設けられた空気抜き用の孔からのモルタルのノロの漏れの防止という,解決すべき課題の点では共通性が認められるものの,課題解決のための手段としては別異の発想に基づくものといえる。また,本件証拠上,モルタルを打設する器具において,基筒後端のガイド蓋以外の場所に空気抜き用の孔を設けることを開示ないし示唆するような先行技術の存在も認めるに足りないことを併せ考慮すると,ガイド蓋以外の箇所に空気抜き用の孔を設けることが,本件発明から容易に推考できる技術であるとは考え難い。
 したがって,控訴人の前記主張は採用できない。

(オ) また,控訴人は,本件公報中に「この空気抜きは,前記ガイド部25と前記ロッド5との間の小隙間においても多少行われる。」(5欄15〜16行)との記載があることを根拠に,ガイド蓋7とロッド5との間の小隙間も「空気抜き用の孔」である旨主張するが,前記(ア),(ウ)のとおり,本件発明は,ガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れ防止を課題とするものではなく,このことは,上記小隙間が「空気抜き用の孔」としての作用を奏しているか否かとは無関係である。すなわち,前記イの発明の詳細な説明の各記載によると,「空気抜き用の孔」は,ガイド蓋に設けられたもので,ガイド蓋とロッドとの小隙間を除いたものを意味するというべきである。
 したがって,上記控訴人の主張を採用することはできない。

(カ) 以上によれば,構成要件D,D'の「洩れ防止部」とは,特許請求の範囲の記載上はその意味が明確でないものの,発明の詳細な説明を参酌すると,ガイド蓋に設けられた空気抜き用の孔(ガイド蓋とロッドとの小隙間を除く。)からのモルタルのノロの漏れ防止の機能を有する部分のことであると解することができる。

(2) 被控訴人製品の構成要件D,D'の充足性について

 本件発明がガイド蓋とロッドとの小隙間からのモルタルのノロの漏れ防止を課題とするものでないことは,前記(1)ウのとおりである。
 また,本件公報に記載の図9(従来の技術を説明するための部分断面図)の「ガイド蓋」にも「基筒との間に間隙を隔てて周回しかつ先端に向けて立ち上がる」周壁部が設けられているところ,被控訴人製品のガイド部41(周壁部10)は,図9の周壁部とほぼ同様の構成であって,それ以上に「洩れ防止機能」を奏するために特有の構成を備えているわけではないから,ガイド部41(周壁部10)をもってモルタルのノロの「洩れ防止部」ということはできない。

4.実務上の指針
 権利主張するからには、主張にあたいするだけの「開示(課題と解決手段の提示)」がなければならない、ということを忘れてはならない。