白樺湖 大河原峠 単独走行の記録(1988/09)・N氏作

 

            記録者 K.N.

 

[独走]

 

 今回の走行は当初、立案者お座敷と行く予定であったが、彼は直前になって直江津にドライヴに行くこととなったため、ぼくはひとりで決行することにした。

 単独行の恐さは行方不明になる確率が高いということだ。

二人以上であればひとりが谷に落ちてもそのままということはない。

しかし単独走行であれば、だれもいない所で谷に落ちて上がってこれなければ、そのまま白骨化するしかない。

岩に頭を打って即死すれば不幸中の幸いであるが、打ち所が悪く半死半生の状態で数日を過ごすことになったら生き地獄であり、カラスに両目玉をついばまれたひには泣くに泣けなくなってしまう。

しかしソロサイクリストはいつもこのようなことを覚悟して走らねばならない。それはソロの冒険家やロッククライマーたちと同じである。

 

 冒険登山家が生命の危険を冒して険しい山を登るのは一種の自己淘汰である。

自らの中にある不浄なものを払い捨てるために、山に自分を委ねてひたすら登るのである。

つまらないこだわり、永く持ちすぎた執着、余分な脂肪、妄想的野心、忌まわしい記憶・・・すべて不浄なものを山に捨てに行くのだ。

そして自分の生命自体が不浄なものと山が判断したなら命も捨てる覚悟で山に入るのだ。

しかしもし生きて還れたなら、必ず今の自分は入山前の自分より精進した存在となっているのだと自負するわけだ。

ソロサイクリストたちも同じ種族だ。一昨年の夏、北海道を単独走したとき、ぼくも同族であった。それ以来の久しぶりの単独行にぼくは少々胸に熱い騒ぐものを感じていた。

 

 ソロサイクリストたちの悲しさは、単独行においてどんなものでも余分なものは走り去るアスファルトの上に汗といっしょに落としてくることはできるとはいえ、だれにも一つだけは捨てきれないものがあるということだ。

それは多くの場合、想いを寄せる女性へのその愛(かな)しい想いである。

それは単独走をすればするほど、想念の淘汰の結果他の想いが薄れてゆくので、純粋さを増してくる。

純粋さが増せばその愛しさも増してくる。しかしソロサイクリストたちよ、走れ。ペダルをけって、突っ走れ。何がおまえをして群れから離れさせたかは知らない、しかしおまえが追うものはただおまえにしか捕えることができないに違いない。ならば走れ、疾風のごとく。独走せよ!

 

[見送り]

 

 1988年9月8日金曜日、ぼくは自転車を会社に持ってくるために、家をいつもより1時間半ばかり早く出た。輪行するサイクリストたちは満員電車を避けれるなら避けなければならない。

ぼくは満員になりやすい快速電車を敬遠して各駅停車に乗った。

電車の急ブレーキなどの時にも自転車が倒れないよう、ドア近くのパイプに輪行袋のストラップをきつく巻いて自転車を固定した。

 その日のぼくの仕事はいつもとは違う視点があった。もしも自分が生きて還れなかったらということを想定して仕事の処理をする。

自分が依頼されている仕事すべてに関し、もし自分が存在しなくなったとしても依頼者に迷惑がかからないよう、すべてのてはずをその日のうちに行なった。机の上もきれいにしておかねばならない。万一の時その上にそっと花を供えるだけでよいようにしておけば、女性たちからも喜ばれ、サイクリストの鏡といえよう。

 ぼくの乗る予定の新宿発の夜行普通列車は深夜の0:01発であり、お座敷の話では、新宿に9時頃行って並んでおいたほうがよいとのことだったので、8時過ぎまで残業することにした。

O嬢が遅くまで残って経理の仕事をしていた。

ある者が聞くと、3000円ほど計算が合わないのだと言う。

3000円足りないのかと聞くと、3000円余るのだと言う。

「3000円くらいならぼくがポケットマネーとしてもらってあげてもいいよ」と彼が冗談を言うと、O嬢は、

「それができるんだったら話は簡単なんですが、帳簿の上で合わせなくてはいけないからやっかいなのです」と言った。

みんなが帰ってゆきぼくとO嬢だけになった。ぼくが何時頃までかかりそうなのかと聞くと、彼女は伝票を繰る手を止めて悲しげにぼくを見て、

「いつまでかかるんでしょうね、それがわかれば話は簡単なんですが、とにかく数字が合うまでかかるんです」と言った。

彼女には病み上がりのお母さんと手術を終えて日の浅いお父さんがあり、おふたりは家でひとり娘の帰りを今か今かと待ちわびておられるに違いなかった。

しかし冷酷にも伝票の数字群は彼女の身の上に耳を貸そうとしないばかりか、揃えてもくれない。

O嬢は、7時半頃まで粘ったがとうとうあきらめた。

「こんなに調子が悪い時は、いっそあきらめてまた日を改めて計算をやり始めたほうがうまくいくことが多いと思うわ。」これは利口な考え方である。

 そこで、ぼくらは会社を出て、東京駅の地下のスパゲティレストランで夕食をとった。そこはほとんど満席で、ぼく以外はみな女性客だった。

O嬢との話はいつも愉快だ。彼女は、別れ際に

「お気を付けていってらっしゃいましね」と言ってくれた。

 

[青春18きっぷ]

 

 今回の旅行のためにお座敷より「青春18きっぷ」を譲り受けていた。

しかしこの18という数字は何を意味しているのだろうと思う。

まさかこのキップは18才以下の人にしか使えませんという意味でもなかろう。

青春は年令によって定義できるものではない。何才から何才までの人は青春を謳歌しているが、それ以上の人やそれ以下の人は青春などあり得ないと言ってしまったら、多くの苦情を受ける事となろう。

 サイクリストたちの多くはどんなに年をとっても青春を謳歌する人種である。

なぜなら青春とは思うに危険を回避しないことであろうからだ。

家でソファーやベッドに寝そべってテレビばかり見ている人たち、あるいはファミコンやテレビゲームに夢中になっている連中、彼らはいくら18でも青春を謳歌しているとは考えられない。

 期限が切れそうになった一枚の青春18キップをなんとか無駄にさせまいと日帰りの窮屈な予定を立て、深夜0:01発の各駅停車に乗るべく夜の9時頃から新宿駅のプラットフォームにビニールや新聞紙を敷いて座り込み、本を読んでいたり、ごろりと横になり仮眠をとる、あるいは酒を飲みここで知合ったばかりの友と歌を歌い、大声で笑う。

こんな事ができればどんな年令の人でも青春しているといえないだろうか。

年令よりももっと確かな青春の資格を青春18キップは求めているのだ。

 ぼくは早く来たので列の一番前になった。買物用のビニールを敷き、その上に座る。窮屈だ。次に40代と思える婦人がやってきて、ここは0:01発の普通列車を待つ場所ですか、と聞いたので、そうだと言うと、ぼくの後に荷を置いてどこかに去っていった。

そばにさいぜんより立っていた二十くらいの青年がこれを聞いて彼女の荷の後に立った。

 「山を登るんですか」

 「そうです、この自転車で行きます」ぼくはそばの柱に立て掛けてあった輪行袋入りの自転車をさすった。

 「すごいですね。ぼくは何の目的もなくここに来たんです。ただこの青春18きっぷを使おうと思って家を出たんです」

 「目的なんてなくていいじゃないの、旅が好きなんだったら。ぼくも青春切符だよ」

 また25くらいの青年がやってきた。「ここ、零時一分発の列でっかー」大阪弁だ。彼も青春18切符だった。有効期限の終り近くになるとこういう連中がたくさんこの0:01列車に乗ろうと集まってくるのだ。してみれば新宿0:01発のこの列車は、青春にとり残されそうになった者たちが、かろうじて希望をつなぐために乗る、青春方面行き最終列車に違いない。

 

 先ほどの婦人が戻ってきた。服装からすぐに登山とわかる。

 「山に登るんですか」ぼくは青年から受けた同じ質問を彼女にしてみた。

 「そうなのよ、八ケ岳。きょうこの青春切符を使わないともう使えなくなるから山に行くことにしたのよう」

わざわざピンク色の切符を出して見せてくれた。彼女から恥ずかしげもなく「青春切符」という言葉が発せられたのが妙にぼくに親しみを感じさせる。

 「私も青春切符で行くんですよ」

 「あら、これ自転車でしょう、凄いわね。あなたもこれ担いで山に登るんでしょう?」

 「いや、ぼくはそんなことはしません。それはもっと若い人たちがやることです」

 「でもよく見かけるわよ、自転車担いで急な山道を登っていく人たちを」

 「ええ、そういう連中もいるけど、ぼくらはただ舗装された道のあるところを登るだけです。でもあなたも八ケ岳に登るとは凄いですね。」

 「もうあそこは5回登りましたわ」

 「八ケ岳はどこから登りまんの?」パンを食べながら大阪弁の青年が聞く。

 「茅野で降りて、・・・」

 「もう、日本中の山を登ったんとちがいまっか?」

 「いえ、でもいろんなことを経験しましたよ。丹沢では熊に会いましたよ。ちょうどお食事中でした。」

 「その時は、引き返したんですか」

 「いえ、鈴を持っていなかったんでささを折って、それでパシッパシッとあたりを叩きながら進んでいると熊さんのほうがどこかに行ってくれましたわ。それからずっと鈴を持って山に行くことにしてますよ。きょうも持って来てますよ」

 

 ふと列の後のほうを見るといつのまにか若い女性がひとり加わっていて、さいぜんの二十の青年とうちとけて話している。

それ見ろ、君は目的もなくここへ来たと言ったが、もう目的を見つけたではないか。家を出かけるときには目的なんて荷物はいらないんだ。

旅が好きならそんな荷物なしで旅に出よう。ただ青春18きっぷだけは忘れずに。

 

 「あ、来た来た」婦人が立ち上がった。みんな立ち上がった。青春18号列車の到着だ。しかしなんということだ、さっきまでなごやかに話していた同列の仲間たちは、ドアが開くとわれ先にと争ってよい席にとびかかる。ぼくも負けてはいられない、青春に躊躇は禁物だ。ぼくはなんとかドアのそばの席を取ることができ、パイプに輪行袋のストラップをきつく巻いた。するとドアを隔てた席にやはり輪行袋を固定している青年がいた。

 「どこへ行くの?」

 「まだ決めていないのですが、一つの案は、・・・」

 彼はマウンテンバイクを持って来ていた。普段はロードレーサーを乗り回しているそうだ。10分くらい情報交換をして、寝た。いや寝ようとした。しかしぼくは朝まで間欠的な浅い眠りしか取れなかった。

 

[登り坂]

 5時頃に浅い眠りから目が覚め、早朝5:50に茅野に着いた。

諏訪バスへの乗り換えに10分しかないのを知っていたので急いで改札に向う。

先に、マウンテンバイクの青年が改札にたどり着いたが、輪行代を請求されたらしく小銭入れをあさっている。そのすきをついてぼくは改札を青春切符を見せながらはやてのように通り過ぎた。

 バスに乗り東白樺湖に着いたのは6時50分。まだ店は開いていない。

しかし朝食を食べないで大河原峠に向ったら確実にハンストを起こしてしまう。

お座敷のくれたコース説明チャートによると500メートルの登りだ。

こんなんだったら朝飯前ではないかと言う人がいるかもしれないが、マウンテンサイクリングだけは必ず朝飯を食ってからしないと間違いなくひどい目にあう。

ぼくは豆乳や牛乳といった栄養素のある飲み物がないかといくつかの自動販売機を見回った。するとなんと天の助け、カロリーメイトがあった。

ぼくは朝食用に一箱買い、登山用にもう一箱買った。

思えば2年前北海道を単独走行したときの主食はカロリーメイトだった。

これに野菜とミルク、それに適度のアルコール燃料を加えれば栄養に不自由はしない。

 蓼科山の7合目までは舗装されていたが、それより上はダートだった。

とはいえ、7合目から上はかなり押して登ったのでこのことはそれほど苦にはならなかった。しかしたまに通りすぎる車により舞い上がるほこりと吐き出される毒性ガス、これには閉口した。閉口したが鼻で吸ってしまう。

 登りのうちでも最も苦しいと思った7合目でカロリーメイトを2本食べた。身体が糖分を強く欲求していたからだろうか、カロリーメイトがいつになく甘いと感じた。

このようなことはよくある。水分に飢えているときは、一滴の水も極上の甘露のごとき美味があり、人の親切に飢えているときは、ちょっとしたあいさつもとてもうれしく感じるし、異性に飢えているときは、どの女性もいつになく美しく見えてくる。

これは好ましい現象であることに間違いない。したがって、人生、登り坂にあるときのほうが何事も楽しいのである。人生、飢えているときこそ青春である。

 大河原峠に着いたのは1時10分であった。途中道に迷わなければ12時半くらいに登頂できるコースであった。峠はノンストップで通過し下りにはいった。好運にも下りはほぼすべて舗装道であった。

 

[下り坂]

 下りは登りのノラリクラリに対してあっという間である。またあっという間に終るから楽しいのでもあろう。楽しいものはたいていあっという間に終ってしまう。

長い間ひたいに汗して貯めたお金も、ぱあーっと一気に使ってしまうと、これまた愉快である。

登り坂にかけた時間と同じくらい下りに時間をかけたとしたら、ダウンヒルは耐えきれぬ苦痛となろう。

ダウンヒルの痛快さはスピードによるスリルである。自分の体重による加速度にのって坂を下っているという感覚がすばらしい。お座敷の指示どおり、鹿曲川にそって下る。

 この下りの特長は、舗装はしているもののかなり路面がいたんでおり、でこぼこが多いことだ。

したがって気をつけていないと段差にタイヤをぶっつけそのショックで飛ばされて、スピードに乗っていれば谷に落ちてしまう。にもかかわらずぼくはスピードを緩めない。

 変なものが路上前方に見える。動いた。四足動物だ。

ふと新宿駅で話をした婦人が言っていた熊のことが脳裏をかすめる。あれは熊の子供かもしれないぞ。まずい!ぼくはあわてて急ブレーキをかけた。キキー!このブレーキ音に驚いた四足動物はあわてて茂みに飛び込んだ。ぼくは進んだ。こんどは襲われてもやり過ごせるだけのスピードを上げてその地点を通りすぎようとペダルを強くこいだ。

するとキューキュー、びっくりしたじゃないかよー、と苦情を訴えるような猿の鳴き声が聞こえてくる。

そういえば、白樺湖を出てしばらくしたところで、「猿飛び出し注意!」というおもしろい看板を見たことを思い出した。

 鹿曲川林道を走り、春日温泉、望月町を通り、小諸に向った。

途中巨大な岩がいくつも田畑のあちこちに転がっているのが見かけられた。太古に山から転がり落ちたのであろう。小諸で乗る予定の普通列車は16時32分発であったが、15時頃着いた。

 

[おだちん]

 サイクリングは無事終った。美しく雄大な風景を見ることにより精神は高揚し自然を満喫し、refresh された。

しかし一方肉体は疲れた。サイクリングのエンジンとして活躍してくれた肉体は苦しい思いをしただけだ。

よいサイクリストは、肉体に対して労をねぎらうべく、たんとおだちんをあげねばならない。そして肉体にとってどんなことよりもうれしいのが温泉だ。あとで温泉に入らせてもらえるだろうと思うからサイクリストの肉体は長い登り坂や、ショックの激しい下り坂を耐えることができたのだ。

「いやNさん、ほれ、肉体にとってなら、もっとちがううれしいおだちんがあるでしょう」という声が聞こえてくる。しかし、そのようなものは自分自身がうれしいのであって、肉体にとっては更に疲労を加えるだけである。やはり、身体にとっては温泉が一番のおだちんである。

 それだから、ぼくは自分の空腹をいやす前に、まず小諸に温泉を訪ねた。

すると都合のよいことに小諸駅から歩いて10分くらい坂道を下ったところに、中棚旅館があり、ここに鉱泉が沸いているのであった。

ここは島崎藤村ゆかりの宿でもあるということなので、興もあった。自転車で数分で着いた。幸い熱い湯でなかったのでゆっくりつかった。入浴料は500円である。しかし小諸駅に引き返す登り坂を自転車を押して登っていると、わが愛する肉体にまた汗を吹き出させてしまった。

  終り

 

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