マレー半島縦断(198X/02)

 

〔マレー半島ツアー ・ 序 章 / BANGKOK TO KRABI 〕

 

−は じ め に −

 

 この『マレー半島縦断』プランに私がのったのは,昨年の暮れも押し迫った頃であった。

それまでは,どこか外国へ行こう,と漠然とした思いはあったものの,具体的な目標が定まらずにいた.

アメリカもいいな,いや広々とした中国,まだまだ未知のインド,それともおしゃれにオーストラリア…….だが,資金面やその国の気候・物価・経済事情といったことから,このプランになった.

 

 昨年,海外合宿(台湾)の経験があるとはいえ,出発前は数々の不安が心中渦まいていた.熱帯モンスーン気候や,コレラ,マラリアなどの病気に関しては全く無知だったし,行き先はお世事にも治安がいいとは聞かないし,タイ語やマレー語なんて聞いたこともない.

そして私は,10月以来全く自転車に乗っていなかったため, 体力的な不安のほかに, 私の自転車がまだ乗れる物なのだろうか, という不安もあった.

 

また, 航空券については, 正規の旅行代理店ではないところ (運輸省) の認可がないところ)から購入したため, この航空券で本当に乗れるのか, そして行ったら戻って来れないのではないか, という不安もないわけではなかった.

 

現地では, 宿探しや買物などすべてが思った通りに行かず, 航空券もやはりひと悶着あって危うく帰国できないところだったし, 走行プランもいきなり大幅に狂ったり, 熱帯の厳しい気候に最初の一週間位は腹痛に悩まされたりした.

 そういうことに何度もくじけそうになる私を救ってくれたのは,熱帯の澄み切った空と大自然,豊かな物品,途中で出会った人々の,日本では得られないような笑顔と厳しさだった.

 帰国してから出来上がった写真を見ると,確かに国内の写真とは全然違うが,あの広々とした自然と強烈な日差しは写真からは到底想像がつかないほどで非常に懐かしい.

 

 結果から見ると,大した事故もなく病気にもならず,無事(?)に走り通したことは本当に素晴らしいことであり,相棒のNのおかげでもある.

 

 最後に,行きの飛行機の中で知り合い,右往左往している私たちに適切なアドバイスをしてくださった坂口さんに深く感謝します.

 

 

DATE: 198X年 2/17

 

COURSE: NARITA − BANGKOK (AIRPLANE)

 

本日の豪華キャスト: 坂口さん

 

今日は曇り. さっむーい. 持っていくものが意外とすくない. チャリンコとフロントバッグ, それにサイドバッグ 2つであるが, サイドバッグ一つは空である.

もっとも, 準備を始めたのが昨日で, 終わったのも昨日である. というより, むりやり終わらせたので, 何か大きいものを忘れているような気がする.

成田空港までの道のりも昨年と違うところはこれといってなく, 新鮮味に欠けるような気がした.

無事飛行機にも乗れ, 4 時過ぎ離陸. 離陸のときにはさすがにワクワク, ウキウキ気分. これで寒い日本とはバイバイ. 飛行機はマニラを経由. 8 時間以上かかって、バンコクに到着. 熱帯の「むあっ」としたあったかい空気が何ともいえず, 嬉しい.

入国審査が済み, 荷物を受け取ったのは, もう12時近かったので, 市内の出るのをやめて, 機内で知り合い, タイ語等いろいろ教えていただいた坂口さんたちと共に空港のロビーで仮眠することにした. しかし, 初日から「空港寝」とは……

 

DATE: 198X年 2/18

 

COURSE: BANGKOK

 

本日の豪華キャスト: 茶店のにいちゃん (シルクロン)

 

今日の仕事はまずPIA の航空券の予約をすることだが, 全く取れる気配がなかった.

PIA のオフィスと旅行代理店を回ったが, いずれも「OK」がもらえず, WAITING LIST.

3/16にならないと, 当初予定の3/21の席が取れるかどうかがわからない, ということだった. 格安チケットのボロが早くも出る.

3/15までにバンコクに戻り, いちかばちかのカケをするしかない. 今日から走り出す計画がもう崩れてしまい, 明日は輪行することになってしまった.

今日はとても忙しい 1日だった. カルチャーショックどころではなかった.

といいつつも, タイは南国そのものだな, という印象を受けた.

 

費用: 電車 空港−バンコク  5 B (バーツ) (B 1 = \ 6 くらいか)

    パン 10

    朝食 25

    ホテル 40

    地図 25

    殺虫剤 20

    夕食 25

    ジュース(2)       8

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    合 計        165 B

 

DATE: 2/19

 

COURSE: BANGKOK − PHUKET (BUS)

 

本日の豪華キャスト: PHUKETのバスで前の席に座っていた白人

          (突然, 合図もなりにリクライニングシートを倒す)

 

9:50頃起床. 北京飯店で朝食を取る. 塩あじが日本なみにきいているので驚いた.

おかず 2品と御飯, たっぷりの野菜スープで32 B. 安い.

それからプーケット行きのバスのチケットを買いに, マレーシアホテル近くの旅行代理店へ. ここのおばさんは愛想がいい. ついでに帰りの航空券の予約も頼んでおいた.

デパートにもちょろっと入っちゃったりするが, 服が100 〜200 B と高い. バスの乱暴な運転は, まあ台湾並みである.

自転車を輪行して, シルクロン・ホテルでピックアップを待つ.

定刻を40分以上も過ぎて, ピックアップ. バス・ステーションまでミニバスを乗り継いで (ワゴン−トラック−軽トラ) 行く. 途中, とこへ連れていかれるのかすごい不安だったけれど, 無事バス・ステーションに到着.

さすがにきれいなバスだ. でもバスの中は冷房ガンガンで極寒地獄みんな冷房の冷風口にティッシュを詰めていた.

 

費用: 朝食 32 B (

    路線バス ( 3回) 6

    ジュース       5

    プーケット行きのバス 300

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    合 計        343 B

 

DATE: 2/20

 

COURSE: PHUKET − KATA BEACH 17 KM

 

昨夜のバスは最悪だった. 発車と同時に立て続けにジュースを 3本飲まし, 一晩中冷房していた. 毛布を被ったがそれでも寒かった. プーケットに行く途中, 朝食を食った.

カレーのようなおいしそうなスープがあったので食べたら, 舌が焼けるほど辛く, たべきれなかった. 黄色いものには要注意だ. それにしても大変なバスだった. 夜中の 3時に突然音楽をかけて皆を起こし, おかゆを食べさせるのである.

何はともあれ, プーケットに着き, 今カロン・ビーチにいる.わりとUP DOWN が多く, 暑いのできつかった. トロピカーナ・バンガローを探すのに苦労した. 同じ道を炎天下行ったり来たり. もうどうでもいいや, と思ったところに見つかった.

100 Bで交渉終了 夕方, 有名なSUN SET を見に行った. ガイドブックによると, 言葉も止むほど, というほど美しいらしいが何てこたーない. ただの夕日だった. 知床の夕日の方がずっときれいだ. それにしても白人が多い.

 

費用: 昼食 16 B

    絵はがき ( 5枚) 25

    ジュース ( 2本)    23

    バンガロー 50

    夕食 55

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    合 計        169 B

 

今日見た夢: 用事ができて一時帰国する. しかし, 再びタイへ戻ってくるチケットがない.

 

DATE: 2/21

 

COURSE: KATA BEACH − PHUKET   17 KM

 

7:00起床. うーん, もっと寝ていたーい. 蚊帳の中に蚊がいたらしい. 足と手をボコボコにやられた. 朝食のあと, ビーチでちゃぷちゃぷ. 分かれを惜しみながら出発した.

それにしても水着をつけないでいる白人は大胆だった.

 

日向は酷暑だが, 走り出してしまえば, それほど暑さを感じない. 寧ろトラックの排気ガスや砂ぼこりの方が迷惑だ. 1 時間もしないうちにプーケット・タウンに着く.

早速, バンコク銀行で両替した. レートは東京銀行よりかにいい. 祖国に裏切られたショックは大きかった. 郵便局でハガキを出してから昼食. 高い. 白人がいっぱいいる. 観光客相手の店らしい.

でもカオパットとサラダ, オレンジジュースで一人27 B. でも氷代 2 B 取られた. 安安旅社へ.トイレ・シャワー別だが, 昨日よりばかに広くていい部屋で70 B. とはいえ, 多少ニオイが気になった.

街でブラブラして Tシャツとおかし,パイナップルを買う. かっぱえびせんもあった. 宿の人に女を買わないか, と言われた. 400 B だそうだ.

 

費用: 朝食 24 B

    切手, 絵はがき    26

    昼食        29

    ジュース 6

    ホテル 35

     Tシャツ       45

    パイナップル 5

    夕食 27

   その他・おかしなど 20

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    合 計        217 B

 

DATE: 2/22

 

COURSE: PHUKET − PHANGNGA 90 KM

 

本日の豪華キャスト: ドレドレおじさん

パンガーのマーケットの飲食店のひょうきんなおじさん. 俺たちがどのジュースにしようか迷っていると「ドレドレ?」と日本語を使う. なお, このおじさんは子供がもっていたファンタをとりあげて, うまそうに全部飲み干してしまった.

 

プーケット・タウンを抜けると突然静かになった. 10 キロおきぐらいに村があるだけだ. 途中, 賑やかな市場があったので, そこで朝食を取った. 鳥, 果物, 服と何でも売っていた.

それから 1時間ほど走ると 3人ぐらいの老人がベンチで休んでいた. 店かと思ってジュースを註文すると, ただの民家だった. 気のいい兄ちゃんが出てきて, 快くジュースをくれたが, その家の子供が飲みたそうな目をしていたので, 悪い事をしたと思った. 代わりにポッポ (おかし) を上げた.

 

パンガーへの分岐でパイナップルを食べた. なんと一房 5 Bだ. 腹いっぱいになった.11時ころから, いよいよ日差しが強くなった.UP DOWN もきつくなる.

何を考えて道を作ったんだと言いたくなるようなUP DOWN の連続である. とうとう最後のパンガーまでこれが続く. 走っているときは何でもないが, ちょっと止まったとき, またはジュースを飲みながら外を眺めているときなど, 太陽光線と, その反射熱をもろに感じる.

正に生き地獄である.

 

DATE: 2/23

 

COURSE: PHANGNGA − KRABI 92 KM

 

本日の豪華キャスト: 大歓迎の村人たち

暗闇の中, 6 時過ぎにパンガーの街を出発する. 風が肌寒い. パンガーの町を抜けた頃日の出. 真っ直ぐな道の正面から太陽が昇る. うん,青春ドラマしてるぜっ.

マーケットで朝食. あんまんが一個 5 B.

時間とともに日差しは強くなり,10 時過ぎには強烈な暑さになった.昼食をTHUNG で. 食堂ではないようなところで, 麺や御飯をガンガン食わせてもらった. もしかすると彼らの夕食の分まで食ってしまったのではないだろうか.

「イープン, イープン」とものすごい注目を浴びた. 大歓迎だ.

 

午後, 昼寝をしてから走り始めたが, スーパー・サンシャインのせいで, 1時間と続けて走れない. UP DOWN が続き, 本当にバテた.

肌もこんがり焼けた. サンケア指数10 (いちばん強力なやつ)を塗ったのに, ホテル探しでひと苦労した.人によっていろいろ違うことを言われて迷った挙げ句, 地元の好青年にいいホテルを紹介してもらう.

ホテルと薬局がくっついていて何かアブナイ感じだ.夜になるとキャバイねえちゃんがフロントのまわりに集まっていた.

 

費用: あんまん 2個 2 B

    ラスク      1

    昼食        14

    ジュース 5本 28

    ホテル 45

    虫さされの薬     15

   夕食 22

   パン・ジャム 11

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    合 計        138 B

 

今日見た夢: 日本に帰ってしまう夢

まだまだ旅行は始まったばかりなのに, なぜか日本に帰ってしまう. そしてなんで帰ってきてしまったんだろうと非常に悩む夢.

 

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〔マレー半島縦断記 その2 マレーシア越境 KRABI TO PINANG 〕

 

DATE: 2/24

 

COURSE: KRABI − HUAI YOT 112 KM

 

本日の豪華キャスト: 高校生ギャル集団

 

5時ころ, ほとんどハンガーノックになって入った店みたいなところにいたギャルの集団. 俺たちに異常な興味を示して話がはずんだ (?).束の間, 俺たちはキャピキャピしたのだった.

今日は距離があるので, 早起きするつもりだったが, 寝坊した. 時間とにらめっこのランとなった.

しかし,UP DOWNがわりと緩く, 路面もよく,午前中で何とか74KM走れた. ただ風という強敵が新たに登場したのには参った. (北東からの季節風).昨日あたりからタイ語にも慣れてきていろんな言い方を覚えた. 旅の楽しみも増してきた. 走りながらも思わずタイ語を思い浮かべてしまう.

最近は日本人か?といわれることが少なくなった.10 人のうち 4人が日本人, という言うとすると, 中国人 2人, シンガポール人 2人, マレーシア人 1人, インドネシア人 1人といった感じ.

 

昼間, いつものように 2時間ほど昼寝をした.横には赤い槌が見えた. 映画「ビルマの竪琴で出てきた言葉「ビルマの土は赤い」を思い出した. どこまで歩いても暑い日差しと燃えるような赤い土…….

映画の中に自分がいるような気がした. メートルを閉じながら, いろんなことを思い出した. まず頭に浮かんでくるのが, 一本のまっずぐに延びた道路. その道路を溶かすように照りつける太陽. 道路の両側の真っ赤な土. 熱帯樹林, きょとんとした顔で見つめる村の人々…….

3時, 再びペダルを踏む. 3 時といっても, ひざいは全く衰えない. また始まるのかと思いつつスタートする. あと38KMだが, 朝のようなペースでは走れない. 3 分割して走ることにする. 30分枚に休憩である. これが限度である. 5 時ごろ, ある村でまたまた大歓迎を受ける.

ここまで走って感じることだが, どの村でも人がごろごろしている.

彼らには仕事がないのか? これが途上国の現状なのか. 農村に機械が導入され, 余剰労働力が発生しているということなのでろうか (一概にそうでもないらしいということが後でわかるが).

 

彼らを吸収するのは, 今のところ都市であろう. 村には副産業や工業など当分できる気配がない. ということは都市の貧富の差はかなり大きいのではないか, と思う. 明日以降が楽しみだ.

 

費用: 朝食 11 B

    昼食 10

   ホテル 50

    おかしなど 11

   夕食 13

    ジュース(5)      27

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    合 計        122 B

 

今日見た夢: H が途中で用事ができたと言って, 日本に帰ってしまう.

      腹痛の Hがもしかしたら, という懸念があったのだろう.

 

DATE: 2/15

 

COURSE: HUAI YOT − TRANG 27 KM)

 

本日の豪華キャスト: バイクにいちゃん, アブナイヒゲオヤジ

 

腹に激痛. これは本格的だ. 赤痢か? とっても不安.

トラングが近くなったとき, バイクに乗った 2人連れのばいく兄ちゃんが伴走してきて, いろいろなことを聞いてきた. どこから来たのか, 国はどこか, どうやって来たのか, どこへ行くのか, バンコクへ戻るのはいつか……. 30分以上つきまとい, はっきりいってうるさい. それにときどきこっちの自転車と接触したりして, 迷惑だ.

"DO YOU LIKE THAILAND ?" "DO YOU LIKE THAI LADY?" "BEAUTIFUL ?" までは良かったが, " ドウー ユー ウオント トウ ファック?" と言ってきたので," マイ・カウチャイ" と言っておいた. 何というポン引きのしかただろう.

トラングの駅を探し出して一休み.

 

宿探しもひと苦労する. 高かったり, 部屋が空いてなかったり.

殆ど140B以上だ. 現地の兄ちゃんに宿を紹介してもらった. スペシャル・アブナイ.

一階の部屋はすぐに外から出入りできるようになっている. そして, 他にガレージがいくつもあり, そのすぐ横に部屋があるのだ."PLAZA HOTEL" と派手な看板のそのホテルに泊まることににる. キャバイ姉ちゃんがいるいる!  店の主人(アブナイヒゲオヤジ)がその一人の腕をつかまえて,

”DO YOU WANT A LADY?  ハーッハッハッ”と俺に聞いてきた.

 

 どうもフロントに合鍵がありそうなので,外出するのに荷物が盗まれないようにあれこれ工夫したが,結局一人ずつ外出することにした.

明朝のパンかお菓子を買おうとするがそんなものを売っている店は全くない.人に聞いたら,皆それぞれ違うことを言い出し,一人の兄ちゃんが連れてってやる,とバイクに乗せようとしたので「遠いのか?」と聞いたら,2キロだ,と言ったのでやめる.

遊び人風の姉ちゃんが,向こうの警察署の反対側にある,と言ったが,行ってみたらない.とうとう,洋服やがたちならぶ通りで,なぜか文房具やの店先で売っている食パンを買った.

 

DATE: 2/26

 

COURSE: TRANG − PHATTHALUNG 57 KM

 

本日の豪華キャスト: ユニバーサル・ホテルの教育ママらしい女将の息子

       毎日,部屋に閉じ籠もっているのだろうか,俺たちよりも色が白かった.       妙におとなしそうな態度が印象的だった.

 

 今日はひたすら東へ向かう.朝日が真正面から顔面を照らす.

朝のうちは空気も涼しく,気持ちいい.あとたった3時間あまりで,あの暑さがやってくるなど,とても信じられない.TRANG の街を抜けると, 一本の道がずっと延びている.

横を見ると, 朝霧の中に微かに熱帯植物が見える. 思わず写真を撮る.

行く手には山がみえる.今日は距離こそ少ないものの, かなりのUPが予想される.

時計は7:30. そろそろ, 朝食を取るか, と村を探す. しかし, 昨日までとは違う. 完全な自給自足の村ばかりで店などない. こりゃまいったな, このまま山の突入か. おまけにダートも出現.

「行く手に泉があると思うな」という生活上の鉄則がタイにあるらしいが, このことを言っているんだなと思った. 少しでも, 稼ごうという日本人とちがって適当に稼いだら,のんびりと過ごし, 無理をしないというのも, こうしたタイ独特の習慣, 思想が根底にあるらしい.

これはタイの気候・風土が生み出したものだと誰かが言っていたが, なるほど, と思った.

それにしても困った. 最後の村もとうとう過ぎてしまった. そして登り逆に突入.

かなり角度がある. 8%はある. そして, その後は, 落差の大きいUP DOWN これは応える. 日頃, 感じていたのだが, なぜ, タイの道はUP DOWN が多いのだろう. 単なる地形のせいか, それとも小型自動車や大型トラックにとってはUP DOWN の方が, 日本のような上り一本よりも効率がいいのだろうか. とわけのわからないことで悩んでしまう.

UP DOWN の山越えは,1時間以上でケリがついた.PHATTHALUNG には, 午前中に着き,今日の仕事は終わった. いい所だ.  PHATTHALUNG はTRANG のような人間のどぎつさがなく, いい所だ. ホテルも信用できる. 明日でタイ・サイクリングも終わりか.

 

費用: 昼食 8 B

    果物・おかしなど  31

    ジュース ( 2本)     6

    ホテル 33

    夕食 12

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    合 計        109 B

 

DATE: 2/27

 

COURSE: PHATTHALUNG − HAT YAI   97 KM

 

本日の豪華キャスト: みかんをくれたじいちゃん. にやにや姉ちゃん

           左世保オヤジ        ぼんやりバイト

 

 4:30に起きたつもりが, 時計を見ると,5時を過ぎていた. 宿の人に見送られて,

ハジャイに向かう. 始めの20キロくらいは, 道がすごかった. 凹凸がすごいし, ダートも時々あるし, 車あ通ると砂ぼこりもうもうだし, 腹痛もけっこうきつい.

しばらく走ってから,途中の村で休憩.腹痛はかなりおさまってきた.ここで氷を作るところを初めて目にする.氷屋さんから買ってきた1M四方くらいの大きい氷をみかん箱のような,大きい木の箱に入れ,それを手垢とかで真っ黒になった木の棒でガシガシ砕くのだ.道理で氷に埃や砂が混じっているわけだ.

 道路にはよく猫とかが車に轢かれた死体があるが,犬や鳥,ねずみやヘビなどの無残な死体もある.腹痛がひどくて途中で一休み.変なじいちゃんが寄ってきて,心配したのか,みかんをくれるが,こんなもの食えるか.

 1時間近く苦しんだ後,少しおさまりかけたので,走ってします.ハジャイに入って昼食をとるが,なぜか食堂のギャル連中がニヤニヤ,ケラケラ笑っていた.

 

 大きい駅で,油断できない.切符は明日買えるらしい.

 ホテルを2,3軒捜しまわった挙げ句,キャセイ・ホテル(ゲストハウス)に泊まる.7時過ぎに夕食を食べに出る.華僑の町らしく,高級店には必ず色の白い中国人がいた.少し大きめの食堂(だいぶ混んでいた)に入り,少し贅沢に食べてみようかな,などと

思いながらも,まずは普通の量を頼んだ.

 まず,外から見えない奥まった小奇麗なテーブルに案内されたので,少し危ないなと思って,ここは値段が高いのか,ときくと,そうじゃないという.

運ばれてきた料理はごはん,海老の入った野菜炒め,腕ほどもある大きい魚だ.それをNと喰いながら,これは合わせて,50 Bはいくかな, とか, 物価が安いっていうから, おみやげ, 少しかっちゃおうか, とか, 帰りにギャルがいっぱいいたかき氷やさんでキャピキャピしちゃおうか, なんて, 話しちゃう.

会計の時点になって驚いた. 魚70 B, 野菜炒め 30B, ごはん12B,

合計 112B だというのだ!

とんでもない. こんな金があれば, 一泊できる. 日本人だからってなめてんじゃねえ. とことん勝負してやる, と思い, 頑として払わずに口論が続く.10 人くらい人だかりができて, 店の主人もでてくた. このオヤジは紙に「左世保」と書いて訳のわからないことを言ったりして, 大層もめた.

100Bまでには負けてくれたが, それ以上は一歩もひかない 30分以上もたつと, 金もってんのか?, とか, 警察に連行されるんだな, と言い出してきた.

店の主人がひっこんでしまったし, 警察が来たところで (本当に来た),こっちの立場が有利になるとは思えないので,仕方無く100B払うことにした.日本円にすれば,そう大した額ではないが, とにかく腹が立った. 日本人=金持ち (よそもの) =アホと見られるのが, とっても悔しかった.

 

DATE: 2/28

 

COURSE: HAT YAI − PINANG (TRAIN)

 

本日の豪華キャスト: ありがとうおじさん

 

 5:30ごろハジャイ駅に行く. 昨日窓口のおっちゃんは 6:30 から切符を売り出すと言ったのに,6時前には窓口が開いた. 列車は15分ほど後れて出発.

これでタイともしばらくお別れだ. 越境手続きのシステムがよくわからず, ボヤッとしていたら,あしがとうおじさんに

「HEY! JAPANESE! アリガトウ! HURRY UP! DO YOU UNDERSTAND? HURRY UP! 」

と言われ, そのうち

「NO TIME, NEXT TRAIN!」

と言われて, 列車から下ろされかけたりしたが, 何とか無事に済んだ. バターワースに着き, そのままペナンに渡る. 海は汚くてとても泳げそうにない.

トライショーのおっちゃんたちが寄ってきたが, タイほどしつこくなかった. タイよりも南にあるせいかずっと暑いような気がする. ジョージタウンをブラブラし, 映画も見ちゃう.

REAL GENIUS(?)とかいうやつで, マレー語と中国語の字幕が出たが, ストーリーはよく分からなかった. しかし, 映画館の中をネズミが走りまわってポリポリ何かを齧っているのには驚いた.

 物価はタイの1.5 倍くらい. しかし, タイでは味わえなかったパイナップルのPURE JUICE を飲んで幸せ. 観光都市らしく, 白人がいっぱいいた. 夜はオバチャンたちの口げんかがうるさかった.

 

費用: 電車 155 B      昼食        1.40 M$

    トイレ      1       フェリー       0.40

    ジュース・にくまん 22       ジュース(3)      2.30

                       地図         2

                       映画         2

                       果物・その他     4.45

       ホテル        5.50

夕食 2

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    合 計        178 B      合 計        138 B

 

今日見た夢: 日本に帰ってしまう夢

カラオケで仮面ライダーの歌を歌うが,しもんまさとのような低い声が出ない.

 

 

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〔マレー半島縦断記 その3 灼熱の日々 PINANG , KUALA LUMPUR TO MELAKA〕

 

DATE: 3/1

 

COURSE: PINANG

 

本日の豪華キャスト: ピュアジューシー夫婦

 

10時ころ起きる. 朝食にインド料理を食べたが, 香辛料とかの使い方がいい. おいしいハミガキと蚊取線香などをスーパーで買って, 昼食にまたインド料理を食べた.

それから対岸のバターワースへ. ホテルを探すが, ない. とか18M$とか,60M$(!)とか言われ,行き詰まったため,再びペナンに渡ることにした.

あーアホらし. 昨晩泊まったNEW CHINA HOTEL に部屋はなく, PIN SEN HOTEL に泊まる. やはり, 物価が高い.

夕食も5M$ 以上かかってしまった. ただ味ははるかに日本人の口に合っていてうまい.

ジュースの自動販売機もあり, 思わず買ってしまった. 夜,小降りだったがこっちに来てから, 初めて雨が降った.

 

DATE: 3/2

 

COURSE: PINANG − TAIPING 93 KM

 

本日の豪華キャスト: 元軍人おじさん

タイピン駅前の食堂にいた, 旧日本軍の兵士だったという年配のおじさん "JAPANESE KILLED MANY MANY CHINESE COMMUNISTS" といって, 日本刀で首を切る真似をしたときには, 何かこっちが怒られているような気がした.

 

           くりくりメガネおじさん

   HO PENG HOTEL の主人. くりくりメガネがいかにも華僑

 

今日はいきなり,2時間のナイト・ランとなった..時差がタイと1 時間あり, 早く起きてしまったわけだ. 真っ暗で街灯もなく, トラックがガンガン通る. 日中は暑いのでなるべく早くスタートすることを目指してきたが, マレーシアでナイト・ランはやるものではない.

マレーシアは一見, 村はタイと同じでちらほらと店があるだけだが, 皆, 各々仕事を持っていて, ブラブラしている人が少ない. 我々外国人が来ても老人は別として各々忙しいので, 話をしに, こっちに寄ってきたりしない.

ちょっと淋しい気もするが, これが経済発展の姿だろうかと思った.

皆が職をもつ機会を与えられている. 各々が生き生きしている. 習慣・風土からきているのかどうか知らないが,昼間から暇そうにして仕事もないタイの農村とは違う.

街に出ても, タイのように, 一家総出で働いてやっとその日をくいつなぐという悲壮感があまり感じられない.

 

 夜, 市場で夕食を取った. 店のおやじがいろいろと話し掛けてくる. タイでいろいろと苦い経験をしている我々は一瞬警戒した.しかし, 彼には悪意はなかった. 宗教のせいもあるのだろうが, マレーシアはなぜか人を落ち着かせる.

 

費用: 朝食 0.80 M$ ホテル 5.25

    ミルクティー   0.40   おかし   0.40

    ジュース   0.80   ピン食など   4.55

    ティー, ロティ 0.80   夕食 3

    昼食 2.10

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      合 計       18.10 M$

 

今日見た夢: マクドナルドに入ってハンバーガーとかを食べるのだが,法外な値段をふっかけてくる.口論が続くうち,いろんな人が出てきて警察に言うぞとか,学校に言って退学にさせてやるとか言われる.

 

DATE: 3/3

 

COURSE: TAIPING − IPOH 74 KM − KUALA LUMPUR (TRAIN)

 

本日の豪華キャスト: ゲイ 親切おじさん

 

昨夜の喰い過ぎだろうか, 腹をこわしてしまった. 殆ど朝食を食べずに出発. すぐに峠に入る.200m 〜 300m UPしただろうか. 暑さも加わってとっても辛い. 途中, 内蔵が豪快に出ている犬や猫の新鮮な死体があって気持ち悪かった.

だらだら登りが異様に辛い. 何も考えられなくなってしまう. うー暑い. もーだめ. 頭がボー. プッツン.

 

イポーに着いたが, 駅がわからなくて, 人に聞いたりして, ぐるぐるしてからやっと駅に着く. 特急は高い. その上自転車の金までとられ,一人20.60M$!

8時すぎ, 大都会KUALA LUMPURに着く. 自転車作って早くホテルさがさなきゃ.

体が動かない. どうしたんだろう.頭もスイッチを切られたみたい. おかしい. 何かおかしい. どうなっているんだ…….K.L. の夜を走る.

 

高層ビルが並び, よくわからない. 公園みたいなところで, 地元の若い連中にチャイナタウンの場所を聞く. 一人妙になれなれしく気持ち悪い奴がいた. なんとゲイだそうだ. やっとチャイナタウンに辿り着くが, 宿をぐるぐる捜しまわる. みな高い.

親切なおじさんが, 一緒に探してくれ, チェックインしたのは10時だった.水道水が消毒液臭い. 飲めるのだろうか?

 

費用: 34.20 M$

 

DATE: 3/4

 

COURSE: KUALA LUMPUR

 

起きたのは, 10時近かった. トレーナーとジャージを洗濯. ものすごい汚れ. ナシゴレンを食うが高い. 都会だからか? 郵便局もバカでかくて, システムがよくわからなかった. チャリンコで走っていると, 何かオノボリさんが銀座あたりをウロウロしているような気がした. 本屋でマレー・英語辞典を買う. これは強いぞ.

昼寝の後, 夕食を食べに出る. チャイナタウンでは酢豚があった. うまい.それからうどんみたいなミーゴレンとついにアンカー・ビールもいってしまう. うまいっ.

久々の味. ビン半分で幸せになった. 3個で1.10 M$ のりんごもうまかった.

 

DATE: 3/5

 

COURSE: KUALA LUMPUR − SEREMBAN 67 KM

 

本日の豪華キャスト: マックの神経質おじさん

マクドナルドの店長らしい. 中国系のやせたおじさん. 上と下との板ばさみになって苦しんでいるのだろう. とても神経質そうだった.

 

フィニッシュ警備員

マレー系の無愛想なオヤジ. 俺たちがスーパーでキャピキャピしてるように見えたのだろう. 店の女の子にアイスクリームの小さい方を註文すると, 横から顔を出して, 怒ったような口調で一言「フィニッシュ」

 

水をくれないオヤジ

俺たちが屋台で飯を食ってると, 飲物を売りに来た. 俺たちが「氷水」というと「ない」という. それでもしつこく「氷水」というと怒ってしまった.

 

           氷を買いにいったオヤジ

 

けさ, まだ疲れが残っていた.暗い夜明け前の街を走りながら, 今日は辛い一日になりそうだと思った.

KUALA LUMPUR郊外をSEREMBANに向かって走るうちに, ハイウエイらしき道路に入ってしまった. 自動車専用道路である. 料金所まで見えてきた.

一瞬目を疑う. 追い返されるのでは, と思ったが,OKの合図. 笑いがとまらなかった. 制限速度110km の標識も立っている横を通過するバイクの兄ちゃんもギョッとした顔をしている. 一昨日, 死のUP責めにあったばかりなので, ハイウエイのなだらかな勾配が天の恵みのように感じた.

 

 途中, 1 時間ほど休んでいるときに, 体が急にしゃきっとしたのを感じた.

ペダルも軽い.このときほど嬉しいと思ったことはなかった.

 

「今日は倒れた旅人たちも,生まれかわって 歩き出すよ」

 

 中島みゆきの「時代」を思い出す. 良かった. 本当に良かった.

脚が回っている.  体が軽い.

 

 それからちょっと行くと,スポークが折れた.去年の夏,東北・北海道のダートの連続で3本も追ったあのときの悪夢が頭をかすめる.体調が回復したのだから,何とかシンガポールまで,持ってくれと祈りながらセレンバンへと向かった.

 

費用: 飲食費  14.5 M$

    ホテル 7.5

   −−−−−−−−−−

    合 計  22  M$

 

今日見た夢: チャリンコで事故った夢

 

DATE: 3/5

 

COURSE: SEREMBAN − MELAKA 85 KM

 

本日の豪華キャスト: 白人ツアー集団

     マラッカの街をぞろぞろ歩いていた白人のツアー集団. 何でもないところでバシバシ写真を撮っていて, あーやだ, と思った.

 

期待のハイウエーは 5KMほどで終わってしまった. ハイウエーはKUALA LUMPUR〜SEREMBAN しかできていないらしい.

くねくねのUP DOWN がまた始まった. でも景色の展開が楽しめるのでいい.

朝から曇っていたが, 10時前, ついに降り出した. 去年の台湾をおもいだし, 一瞬ギクッとした.

しかし, 気温が高いせいか, 雨がシャワーのようで気持ちいい.12 時ころ, 雨あ上がり, 再び灼熱の太陽が現れた. 午前中の雨がうそのように午後は暑かった.

日焼け止めクリームも量を増す. マラッカへの分岐を右折して, 南下を続ける. 白人を乗せたバスが続いて通る. それまでの山間風景が何となく変わって感じる. マラッカに近づいている.

マラッカ海峡を見に海岸へ向かった. 東西貿易, 文化の接点として栄えたこの港も,今は静かな海を一望できるだけである. 数隻の漁船が浮かんでいる. 遠くにタンカーが一隻見える. 街とのものも小さい. 夕方, 明日のピン食を買いにスーパーへ. ここもそうだが, 店のガードが妙に厳しい. 拳銃をもったガードマンが必ずいて,我々が店内でうろうろしていると, 後をつけてくる. 不気味だ.

明日はバトウ・パハ.海岸線だが,UP DOWN がありそうだ. バトウ・パハ, クライ, そしてシンガポールか…….

 

今日見た夢: 夏合宿の写真ができる. しかし, 自分の註文したものでなくてもめている.

 

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〔マレー半島縦断記 その4  都市国家の悲しみ  MELAKA TO SINGAPORE

 

DATE: 3/7

 

COURSE: MELAKA − BATU PAHAT 92 KM

 

今日の豪華キャスト: 日本で英語が通じなかったおじさん

           ひょうきんおばさん,フロント・ギャル

 

起きたのは6:30をまわっていた .近頃走り出すのが日がでてからになっている.

最初に休憩した所では, 東京・横浜・名古屋に言ったことのある, というおじさんがいた「日本人は英語をしらないのか?」というので, 聞いてみると, 彼は横浜でマクドナルドに言ったらしい. そして, そこで

「いらっしゃいませごちゅうもんはなんでしょうおのみものはいかがですかおもちかえりですか」攻撃にあったらしい.

日本語などしらない彼は当然英語で話そうとした. ところが全く通じなかったのだ.

多分, 高校生のバイトだったのだろう. でもしっかり「ありがとうございました」

は言われたそうだ.

 

今日も天気は曇りがち. まあ, 快調に進む. 昼ごろはよく晴れていたが, 3 時過ぎにスコール. 涼しい. しかし, いつまでたってもやまない. 小雨の中, バトウ・パハに着く小さい町なので, 初めは通り過ぎようとしてしまった.

ホテルがみつからないので, 人に聞いてそこへ行くと, ものすごいリッチな, マンダリン・ホテル. 当然, 安いホテルを聞いて探すことにするが, けっこう強い雨.

 

ホテルの前でボーッと雨宿りしていると, 中年風のひょうきんな華僑おばさんがいろいろ話かけてきた. その人はこのホテルの偉い人みたい(オーナーの娘?) で, 何を思ったか, 俺たちを25M$で泊めてくれることに.

わあー, 初めて泊まるスーパーリッチ・ホテルふかふかカーペット, ほんわかベッド, ひんやりエアコン, ムーディなイルミネーションゴージャスな雰囲気に落ち着かない俺たちは, 屋台で飯を喰い, 洗濯もしてしまった.

フロントにいたちょっと田舎くさいギャルをNが「福永恵規に似てる」とか言って,すごい気に入っていたが,俺はそうは思わなかった.

 

費用: コーヒー 0.40 M$ ホテル 12.50

    ミルクティー   0.60   ピン食・夕食   4.70

    ジュース (3)   1.80

    昼食 1.70

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      合 計       21.70 M$

 

DATE: 3/8

 

COURSE: BATU PAHAT  − KULAI 91 KM

 

本日の豪華キャスト: 泣いちゃった子供たち

    クライで写真を撮ったら, 大声で泣き出し, 母親が出てくる騒ぎとなった.

 

バトウ・パハを出て間もなく, 緩い登りに入った. バトウ・パハは日本が開発した鉱山の町である. 当然, 山もあり, UPも予想される. 街を出るとすぐに田舎になるというパターンは変わらない. 走っていて, おやっと思った.

タイに戻って来たみたいだったからだ.市場があり, 木造の小さな店がちらほらと散らばり, 中国系の人が見当たらない. クラビやパンガー周辺の村のようであった. ただ, 車の量は多いし, コーヒーも飲めるしやはりマレーシアだな, と思うひとこまであった.分岐を右折して,!いきなりきついUP

が始まった. 日差しも次第に強度を増してくる. こりゃ, 今日はきついな, と思った.

かなりきついUP DOWN が続く. 店も少ない.1時間走ってやっと1 軒見つかった. それにしても暑い.20 日間も熱帯にいて, まだ暑く感じるのだから, マレーシアは本当に暑いんだと思った.

 

もう, この辺は, 北緯2〜3度であろう. バトウ・パハのホテルの人の話によると, クライにはホテルは一つしかない,とのこと.

しかし, マラッカでは多数ある, と聞いた. 自分は後者を予想した.シンガポール国境に近く,電車・国道も通る街でたった一つであるはずがない, と思った.

しかし, もしなかったら, 今日は,130KM走らねばならない. そう思うと不安だった.午前中で少なくとも80KMは行きたい. 疲れはあったが, 気合でペダルを踏む. クライ手前, 何とか目処がつく. さあ, 休もうかと思い, 店を探すが, 見当たらない. しかも, UP DOWN がさらにきつくなる.

とうとう何もみつからないまま, クライに入ってしまった.ホテルは 簡単に見つかった.もう, へとへと.どうにかこうにか明日はシンガポール.

まだ喜んではいけない, と思いつつも「シ・ン・ガ・ポ・ー・ル」この6文字が何度も頭をよぎる.

 

費用:    ホテル 7.50

    ミルクティー (2)  0.80 M$  ピン食      1.60

    ジュース   0.60   夕食        3.85

    昼食 2.10   にくまん(2) 1.05

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      合 計       21.70 M$

 

今日見た夢:  自転車の破壊の夢

 我々二人が暑い日差しの下,坂を登ってへとへとにくたばっている.そのに別の単独サイクリストが登ってくる.彼も完全にグロッキー.しかし,何を思ったか,突然 自分の自転車を「こんなもの,ちくしょー!」と言いながら,壊し出す.

 「あーあ」と思う間もなく,上からメチャクチャに踏んづけ,スポークはボキボキ折れる.

 

DATE: 3/9

 

COURSE: KULAI − SINGAPORE 59 KM

 

本日の豪華キャスト: 客引き兄ちゃん

 

6:00起床. 久し振りに朝日が出てないうちに走り出す. 車の量が多い. 渋滞を抜けながら走っていくと, ゲートが出現. そして, 対岸にシンガポール.

 

わー感激! とうとう来たんだ! 長かったこのランの最終目的地!

 

マレーシアを出る前にショッピングなんかしようと思ったりするが, そんな店は全くなく殆ど官庁街といった感じだ. 1 時半過ぎ, マレーシア出国. 橋を渡る. ゲートはまるで料金所といった感じだ.出向はハンコを押すだけ.

次にシンガポール入国. 外国人旅行者に対する検査は厳しいと聞いていたので, ヘタをすると1 時間近くかかっていろいろ聞かれたり, 荷物を調べられたりするかな, と思ったが入国カードの記入を質問を2,3.

 荷物の中身なんて何にも見たりしなかった.国境検査をあんな若い兄ちゃんにやらせといていいのだろうか?

 

シンガポールをひたすら南に走る. ここは赤道直下. 暑さがこたえる. UP DOWN の激しい迷路のような道と, 一段と増えた交通量. ホテルが決まらず, ヘトヘトになっているところへチャリンコに乗った中国人の兄ちゃんが「ホテルあるよ」と声をかけてきた.

 看板もないホテル. いやホテルとは呼べない. 割高感のするところで, シンガポールの物価の高さを感じた. 夕食の久々のインドカレー (チキン) が実にうまかった.

 

費用: 朝食 2.00 M$ ホテル 11.00 S$

    絵はがき・本   5.20   ピン食      2.05

    ジュース   1.40   夕食        1.70

    昼食 2.20   ジュース・アイス 1.35

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    合 計       10.80 M$  合 計       16.10 S$

 

今日見た夢:  学校の授業が, なぜか夜9時から始まる.昼過ぎ,我々はサイクル部の練習場に着く.練習はもう始まっていて,グランドを走っている.夕方,学校へ行くため,練習から抜ける.Hは学校は午後1時からで,とっくに始まっているのに,

 「早くいかなきゃ」とわけのわからないことを言う.結局二人とも学校をさぼる.

 

DATE: 3/10

 

COURSE: SINGAPORE

 

本日の豪華キャスト: YMCAのオカマオジサン

 

 汚いホテルを早々に出る.チェインジ・アレーで2,3軒の両替商と銀行をまわってから両替.両替商の方がレートがいいが,T/Cが使えない.

ホテルはYMCAを探し出し,聞いてみると全室エアコン付で一泊S$36.75 という. わー高い, と思って, ホテルの前でここにしちゃおうか, それとももっと安いところを探そうか,Nと相談していると,ホテルの主人らしきオカマっぽい人が来て,一割負けてくれると言ったので,ここに決める.

夕方,ピープルズ・パークへ.

 

 五目チャーハンみたいなのと野菜炒めとアンカー・ビールをいってしまう.けっこう高い.どんどんお金を使いそうだ.ピープルズ・パークのデパートは専門店街中心で,わりと地元の人向けらしく,おみやげにしたい物はない.

 チャイナタウンへも行ってみたが,ガイドブックにあるほどにぎやかではない.

というよりも全く活気がない.屋台なんか一つもない.おそらく政府の方針で一掃されてしまったのだろう.これなら,バンコクやクアラルンプールの方がよっぽど面白い.

高層ビルやマンションがたちならぶこの国は,何となく日本に似て冷たい感じがする.

 

費用: 飲食費等 16.25 S$

    ホテル(3泊) 49.60

   −−−−−−−−−−−−

    合 計  65.85 S$

 

今日見た夢: 異星人と接触している夢

 異星人がやってくる.だが,異星人とコミュニケーションするためには透明なカプセルに入って,横にならなければならない.自分の前の番の女の人は,カプセルに入ったまま,なかなか目を開けようとしない.起こそうとするが,全然起きる気配がない.

 そこへ突然,女医が入ってきて,「死んでいる人を起こそうとしたって,だめですよ」 とわけのわからないことを言う.

 

DATE: 3/11

 

COURSE: SINGAPORE

 

本日の豪華キャスト: グッチおじさん   紙袋おばさん

 

 アラブ・ストリートでバティックを買う.久々に観光ができる.ブルーのきれいなバティックがあったので,どうしても欲しくなる.

しかし,あまりその表情を出さないようにして値切る.15S$を14S$にした.それ以上は無理だった. 他の店のあらゆるバティックと比べたが, デザインから言っても, これは買い得だった.その他シルクのスカーフを6S$ のところ,2枚で 9S$, さらにHも2枚追加.4枚で17S$という値切り作戦も成功した

午後, オーチャード・ロードに出た. 各国の一流デパートがたちならび, にぎやかだった. 中国人と白人ばかり目につく. ショッピングのメッカとされているが, 我々・貧乏旅行者の来るようなところではない.

電気製品・アクセサリー・ドレス ETC, ばかりで金持ちそうな白人が, 買物袋をぶらさげている. たまたまツアーで来たような日本人のオジン集団がグッチがどうのこうのと言って歩いているのを見掛けた. オバサン軍団も手に大きな袋を持って, 得意気に歩いている. シンガポールはいい, と聞くが, 俺たちとは次元が違う.

ショッピング以外, 何の楽しみがあるのか? 屋台はないし, 街は歩きにくいし, モノあ高いし……. 早くバンコクへ行きたい. シンガポールの記念Tシャツが欲しかったのだが,まともなのがなかった.全く庶民をなめた国だ. アラブ・ストリートのように地道に伝統を守っているところもあるかと思えば,一方ではオーチャードのように,観光収入目当てのギンギンの街があったりする.このこと自体は日本でもあることだし,珍しいことではないが,ここでは「民族」がからんでくる.

オーチャードには,マレー人・インド人は殆どいないし,アラブ・ストリートには華僑が入って来ない.とても同じ国とは思えない.とても淋しい気がする.目に見えない民族差別がある.こう思っている自分も金髪白人が通ると,「あっ白人だ」と意識してしまう.「民族」を感じた一日であった.

 

 

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〔マレー半島縦断記 その5「OVER BOOKED 危機一髪」 SINGAPORE TO BANGKOK〕

 

DATE: 3/12

 

本日の豪華キャスト: 見るだけ姉ちゃん

 

           パックツアー兄ちゃん

チャイナタウンにいた四人の日本人の兄ちゃん. 暑いのにGパンはいて,でっかい カメラ持っていて,一目で日本人とわかる.男ばっかり四人くっついて,のろのろ歩き 何でもないところで三脚作って写真を撮っていた.

 

          アブナイ座り方のにやにやおじさん

  夕食を食ったところに来た,日本人そっくりのおじさん.きちっと脚を揃えて座り, 店のおばさんが何か聞いても,ニヤニヤするだけで黙っていて,気味が悪かった.

 

 今日はチャリンコで移動.まずエリザベス・ウォークに行く.かっこいい名前だが,ほんの小さな公園.シンガポール市民の静かな憩いの場とガイドブックには書いてあるが車の騒音や,排気ガス ガンガンである.「緑の都市国家・シンガポール」といわれるがその街路樹のあんまり生気がない.

 

 日本人による虐殺記念碑にも行く.そのシンプルな塔は実に様々なことを物語っているように感じた.クリフォード・ピア,そしチェインジ・アレー・プラザへ.まあまあいいデザインのTシャツの店があり,店の兄ちゃんといろいろ交渉した末,本気であともう一回ここに来るよ,と言って店を出ようとしたら,4S$ のものが3S$ になった.

 

次にオーチャード・ロードに行く. タングリン・ショッピングプラザの二階には,見るだけ姉ちゃんがいて,

「ハロー, ミルダケ, ミルダケ, アナタタチ ガクセイ スペシャル プライス」

と中国語訛りでしゃべりまくり,Tシャツ,ハンカチ,エプロン,スカーフ,小物,ありとあらゆるものを,ひたすら売りまくろうとする,その熱意が素晴らしかった.

 

 ランチはステーキハウス・テンダーロインで,久々の西洋料理.日本人がいっぱいいて変な感じがした.それから,ドロボー市場へ.がらくた,工具や日用大工品が多く,とてもおみやげになりそうなものはない.錆びた工具はまだいいとして,驚いたのは,使い古したボロぐつを店先に並べていたり,ぶっ壊れた扇風機とか,動かない時計を売っていたことだった.インド人街も庶民的なものや,骨董品が多かった.次に再度期待してチャイナタウンに行ったが,やはり屋台は全くなく,その代わりに道の両側に車がいっぱい並んでいた.

服装品店のオッチャンに聞いたところ,5年ほど前に一掃されてしまったらしい本当に残念だった.夕食はまた豪快に食って,ビールも飲んでしまった.だが,少しずつ少ない金で楽しめるようになってきた.

 

費用: ジュースやアイス    2.55 S$

    Tシャツなどおみやげ  4.40

    ハンバーグランチ    5.10

    夕食・ピン食 11.75

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    合 計        23.80 S$

 

今日見た夢:  ひょうきん族に出演して,なぜか「ホタルの光」を歌っている.

 

DATE: 3/13

 

COURSE: SINGAPORE - KUALA LUMPUR - (TRAIN)

 

本日の豪華キャスト:

 立ちション小僧 K.L.のチャイナタウンで, 公衆の面前で平気で自分のモノを出して立ちションをしていた大胆な小僧

 

んーんーおじさん 果物の屋台をやっていて, パイナップルをくれ,とこちらが言うと「んー,んふん」と不気味に笑って, 指を3本立てる(30 M ¢)

 

 8:30シンガポール発. 二日間もベッドなし,AC なしの二等切符を買う我々を, 駅員は不思議がっていた. こんな客は珍しいらしく, 特別な切符を作ってくれた.

これで約 \3000浮いた. ウッシッシ……. また貧乏旅行が始まる. プラットフォームで出国. 入国の検査 入国審査も簡単でパスポートを見せるだけだった.出発して30分, ジョホール海峡を渡った. すぐ横には4日前に自転車で渡った道路がある.ジョホール・バルを過ぎると,

小さな村と森林地帯が交互に現れる.数十分おきに止まる.各駅からまた何人か乗ってくる.中国系の人ばかりでなく,マレー人もかなり乗ってくる.

白と青の学生服を着た女学生もたまに混じっている.いろいろな年令層の人々が一つの列車の中にいる.日本では見られない光景だ.

目の前に,マレー人の3人兄弟が座った.15才くらいの兄ちゃんが3才くらいの小さい男の子を抱いて,外を眺めさせている.3人ともすごく澄んだ眼をしているのが印象的だった.我々には想像もできないような貧しさ,苦しみがあるのだろうが,そんな暗さを少しも感じさせない,美しい眼をしていた.

 そうかと思えば,後ろでは華僑のおばちゃんが,ボトルいっぱいの水をガブガブ飲みながら何やら大声で隣の人と話している.窓の外は通りがかりの人がきょとんとした顔でこっちを見ている.一日中乗っていて気がついたのだが,この国の人はよっぽど電車が珍しいらしく,沿線の人は必ずといっていいほど,こっちを見る.バイクの兄ちゃんのこっちへ大声で怒鳴ったり,手を振ったりする.時々,原っぱでは牛がぼーっとつったっているこっちも眠くなってしまうような長閑な光景だ.

 

 K.L.には午後5:30, 定刻に着く. 次の電車まで4時間半もあるので,チャイナタウンに行った.ランの最中にK.L.に着いた 3日, そして 4日はバテまくっていたので,K.L. の「ク」の字も知らずに終わっていた.

だが, 今こうして落ち着いてから来ると,あのときとはまるっきり違って見えるから不思議だ. 前と同じ店で夕食をとり, その後, 同じようにミーゴレンを食べた. んーんーおじさんも健在だった.

やっぱり, チャイナタウンには屋台が似合う. シンガポールのチャイナタウンのようになってほしくない, と思った.

 

費用: 電車(SINGAPORE - BANGKOK)     83.10 S$

    輪行料金               10  M$

    本・文具など                      13.90

    飲食費など                    6.70

   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

    合 計               83.10 S$      30.60 M$

 

DATE: 3/14

 

COURSE: - BUTTER WORTH - (TRAIN)

 

本日の豪華キャスト:

 ふっかけ兄ちゃん Nが5S$ で買ったTシャツを,初め14S$で売りつけようとした

 

 よっぱらい白人, おどかしビザ兄ちゃん, 密輸軍団

 

 6:30過ぎ, バターワースに到着. 列車の中では殆ど寝てたのに, まだまだ眠い.

バターワースに何もないので,仕方無く,またペナンに渡る.このフェリーに乗るのは何回目だろう.朝食はロティとミルクティー.この朝食がいちばんうまいような気がする.それにとっても安かった.

 バス・ルートが分からないので,タクシー(初めて乗った)で中心街へ.二人で3M$ と思ったより安い.

 最初に来た頃と比べてかなり慣れてきたからだろうか,ペナン・ロード付近をブラブラしてペナン・ビーチのバッグとバティックのシャツを衝動買いしてしまった.いったん,贅沢してしまうと,そのうちそれが何でもなくなってしまうのは恐ろしいことだ.

昼食はまたインド・カレー(フィッシュ).何回食ってもうまい.フェリーでバターワースへ戻り,国際列車に乗る.これでマレーシアともお別れなのだ.

 シンガポールはもろ「管理社会」って感じでイヤだけれど,マレーシアなら住んでもいい.今度来たら,東海岸のきれいな海へ行ってみたい.

 列車は間もなく,パダン・ベサールに到着.ここで越境手続きをする.

タイのダブルビザを持っていたし,もう何度も国境を越えているので,すぐに済ませてしまった.システムがよく分からずに,ウロウロする奴がいたり,そういう奴を脅してカネを取ろうとする「おどかしビザ兄ちゃん」がいたりで,今度は逆の立場から楽しませてもらった.

 

 列車が.パダン・ベサールを出発する寸前,たちの悪い連中がわけの分からない段ボール箱をたくさんかかえて,ドヤドヤ乗ってきた.

どう見ても旅行者や通常の庶民ではない そのうちの一人が段ボールを俺の足元におかしてくれ,と頼んできたが,断った.

異様な雰囲気の中で列車は2分ほど走り,突然止まった.辺りが騒々しい.バイクに乗っている者やとおまきに見ている者など30人くらいはいるだろうか.

 列車に乗っている方の連中が,先程の段ボール箱を運び出している.何か,危ねえなと思った瞬間,ドカドカと,ピストルを持った警官が10人ほど乗り込んできて,全ての乗客のパスポート及び乗車券をチェックし出した.

その寸前にするりと窓から列車の屋根の上に逃げた者もいた.突然,外で怒鳴り声がした.段ボールを持って逃げまどう人々と,それを追う警官.

車内はピリッとした空気に包まれた.もしかすると,これが密輸の現場なのかもしれない.だとしたら,俺の目の前にある,「台湾・LYCHEE」とか書かれた段ボールの中身は何なのだろう.しばらくすると,警官の姿は消えた.

 連中が札束を持って何か行っていたから,おそらく賄賂を渡して解決したのだろう.

 

その連中は,全員,ハジャイで降りた.もう少しシリアスな展開を期待していた俺たちにとっては何かあっけない幕切れだった.

 

 列車は何事もなかったかのように快調に走る.ちょっと,食堂車に行ってみた.高い.どちらかといえば,けっこう食った方だが,二人で101Bというのはとう考えても高かった 夜は冷房をきかしているんじゃないかと思うほど,冷え込んだ.

 

DATE: 3/15

 

COURSE: - BANGKOK

 

 9:00 BANGKOK着. 北京飯店で朝食. 1 ヶ付前JULY HOTELで我々を見掛けたという日本人旅行者もいた. シルクロンでジューシー. 例のボーイもいた.

夕方, チャイナタウンへ. バンコクに帰ってきた. なぜか気が和む. 安心する.

初めて来たときは, 暑くて車がうるさくてごみごみしていて, と思ったが, 今は何とも感じない.

かえって暑い方が落ち着く. なんでこんなに暑いんだと思っていたのが,

「うん今日も暑いな」と納得している自分に気付く. 街は変わっていない. 相変わらず, 車が爆音を鳴らし, サムロが走り, 人々は商売に勤しむ.  JULY HOTELのフロントの人もシルクロンのボーイも我々を覚えていたみたいだ.

 

今日は久々にタイ語を使った.

やわらかい響き−−. オレは好きだ.

人によっては, 中国語を使う. こんな我々に対する相手の反応も面白い.

我々の日に焼けた黒い顔を見ては, マレー人か? と言ってくる 中国語を話すと,自分たちの話す中国語と何となく違うからだろうか,香港人か,と尋ねてくる.1ヶ月前の反応とは明らかに違う.皆,口を揃えて「イープン」だった.

 ほんのちょっとだが,この国の人に近づいているようである.

 

費用:  朝食         22 B

     バスマップ 17.5

     ホテル 60

     ジュース(3) 22.5

     昼食 10

     ジーンズ・ベルト 155

     夕食・ピン食 25

    −−−−−−−−−−−−−−−−

     合 計        312 B

 

DATE: 3/15

 

COURSE: BANGKOK

 

本日の豪華キャスト:

 ハァーイ姉ちゃん 俺たちがバンコクの街を歩いていたら,突然「ハァーイ」と声をかけてきた,キャバイ姉ちゃん

 

 ブンヤさん, オーバーブッキングギャル, 井上さんのお友達ギャル

 

 8:00頃起床. 今日は,PIAのオフィスへ行って,21 日のフライトの予約をしなければならない.   まず, 先日行った旅行代理店に行った予約してもらおうとした.

だめ!! 21日は満席. 次の24日の便も満席といわれた. 俺たちは, 予定通りには帰れなくなってしまったのだ! 残された方法は 3つ.

 

 1) 4月半ばまでチケットが有効なので, 4 月に入ってから帰る.

 2)他の航空会社のチケットを買う.

 3)21日に強引に空港に押し掛けていって, ムリヤリ乗せてもらうよう交渉する.

 

3)は, 成功率が非常に低い. とにかく3月下旬はものすごい混みようで,WAITING LISTに載っている奴はいっぱい居るのだ.

 

2)は,6,000 〜 10,000 B もする. ダメだ.

 

1)はどうか, 聞いてみた.ところが, 「 4月いっぱいまで全て満席」というではないか!

もはや打つべき手は,3)しかない.暫く考えこんでいると,PIA と電話していたオバサンが「今日のフライトならある」という.今日の夜11時にチェック・イン.

エッ! そんな! いや,迷っている暇はない.他に手段はない. よし,今日乗ろう.事態は急転した. 今日,日本に帰るのだ.何も準備ができていない. 時間がない!

いったい何から手をつければいいのだろう. とりあえず,ホテルに戻り,荷物整理と輪行.チェック・アウト. それが終わったのは,1時近かった.バンコク発8時の電車にのらなくてはならないので,実質あと7時間ない. そう,絶対7時間以内に残っている 1000 Bほどを使いきらなくてはならないのだ.

 

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〔マレー半島縦断記 その6 EPILOGUE / ADVICE / APPENDIX〕

 

 これは,ものすごいことだ.チャリンコでハードに走って居た頃は,一日150B以内で抑えていたのだ. いや, 迷っているときではない.

これは一生に一度あるかないかのものすごいチャンスなのだ.

複雑な気分のまま, バスでサイアム・スクエアのショッピング街へ. ここで絵ハガキやカセットテープとかをガンガン買ってしまう.

ある程度, 相場は見たものの, 値引き交渉に時間をかけているヒマはない. なぜかブレスレットや, イヤリングも (当然値引きして) 買ってしまった.

モールと大丸を見てまわり, 次にSOGOへ. ここは一段とおしゃれ. 当然物価もワンランク高い.

 おっしゃれーなシャツ300Bほど. 店員 (ブンヤさん) と交渉しているうち, いろいろな話をしだして雰囲気がキャピキャピしてきた.

タイ語と英語のちゃんぽん. 他の売場のギャルたちも暇なのか, こっちに熱い視線. しまった! ここで 1時間近くも話し込んでしまった.

 

 庶民的なものを求めてチャイナタウンへ.ガンガンに買う.だが,ある程度の値引交渉も忘れない.今日はけっこう売り子たちから話かけられることが多かった.俺たちがすっかりこの国に慣れたせいだろう.恐らく,初めの頃はキョロキョロして,落ち着かなかったに違いない.

 

 殆どの買物も終わり,荷物を持って駅へ.列車に乗っても,まだ日本へ帰るという実感が沸いてこない.ドンムアン駅で折り,歩いて約10分,自転車を担ぐ.耐えがたい重さ.どっと汗が出る.このくらい耐えなくては,今日,豪快に金を使ったことに罪悪感を感じてしまう.

 

 空港ビルに到着.チェック・イン・カウンターに着いたのは9時過ぎだった.チェック・イン・タイムは12時らしい.ボーッと待っているところへ,日本のギャルが話かけてきた.

話によると,友人が11日の便にOKが出ていて,リコンファームもちゃんとしたのに,ブッキング・リストから外されてしまい,以後全く見通しが立たず,今日WAITING LISTのまま,空港に来てしまうという強行策をとったらしい.

チケットを買った代理店は,俺たちと同じところ.やはり,とんでもない会社らしい.その他にもやはり同じ会社で,おなじような目にあっている人が大勢やってきた.

 中には,他の航空会社のチケットを新たに買い直した人もいる.そう考えると,俺たちは,ものすごいラッキーだ.

 何しろ今日の便に乗れない人だっていっぱいいるのだ.正に一瞬のスキを突いて,それもほんとに綱渡りの大芸当をやった感じだ.そこには,日本人がいっぱい集まり,同じような話で盛り上がった.直前まで不安だったが,無事チェック・イン.

 続いて出国審査.ここのおっさんは偉そうにしているのに,のろのろしているので,少々ムカツイタ.出発ロビーで免税店へ.酒やタイガー・バーム,菓子類を買って,外貨をつかいきった.

 

費用: 朝食    11 B 絵はがき(10) 20 電車 5

    バス(5) 10 絵本 (3) 58 空港税 150

    ジュース類   39      マクドナルド  20 酒(3)     875

    ケンタッキー  39 カセット (8) 350   万金油(2) 104

イヤリング 50 箸 (10) 20 ナッツ(2) 52

ブレスレット  30 Tシャつ (2)  70

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                                     1944 B

 

DATE: 3/17

 

COURSE: BANGKOK - NARITA (AIRPLANE)

 

 飛行機のタラップへ.何か信じられないようん,嬉しいのか,悲しいのか複雑な気持ち荷物検査とボディチェックが異常に厳しかった.きっと最近,何かあったのだろう.飛行機は,バンコクの夜景をあとに離陸.

 

 これで,南国ともさよなら. とっても充実してた. 二度とこんな経験はできないだろう.普通の観光客やバックパッカーさえできないような旅をしてきたのだ.

 

 途中,マニラを経由して,雲の中,成田空港へ.

 

 9度C うわっ! 何という寒さ! マレーシアとか,昼間の日向は40度くらいあっただろう.夜でも20度以下にはならない.想像のつかない世界である.空港内は暖房が効いているせいか,そう寒くはなかったが,トイレで手を洗ったときの水の冷たいこと! 冷蔵庫の水より冷たいのではないのか,と思うくらい,空港の外はさっむ〜い!

 体は震えることを忘れ,指先がどんどん冷たくなあり,気が変になりそうだ.

 

 上野へ向かう.うわっ,みんな日本語を話している. みんなの会話がわかってしまう。まわりの人もみんな日本人.やはり,顔つきが中国人とは何となく違う.

 

 曇っているせいだろうか,それにしても日本は暗い.ボソボソ,ヒソヒソ話しているようで気持ち悪い. そして顔色に生気がなく,みんな疲れている.

 これも一種のカルチャー・ショックだった. 何かとても異常な国のように思えてしまう.こんな国を旅行したら,面白いだろうか? 上野で昼食にカレーを食べる.

 ごはんがグチャグチャに固まって,モチ米のように感じる.カレーもどろっとしていて異様に塩辛い.今までこんなものを食べていたのか,と思う程,うまいものとは思えなかった. 強烈な辛さがとても恋しい.

 

DATA:

 

1.費用合計

 

航空券(東京繝oンコク往復 60日間オープン)    ¥73,000

タイ・ダブルビザ                   ¥ 6,000

予防注射(コレラのみ)                ¥ 1,800

海外旅行保険料                    ¥ 5,200

空港税(成田)                    ¥ 2,000

雑費(交通費,ガイドブック,薬品,写真)       ¥10,000

旅行中に現地で使った費用               ¥60,000

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合   計                     ¥158,000

 

2.持ち物

  貴重品等:パスポート,航空券,地図,ガイドブック,海外旅行保険証書,筆記用具       手帳,顔写真(5×5),T/C,現金,目覚し時計,カメラ,フィルム

  自転車関係:自転車,輪行袋,工具,パンク修理セット,オイル,グリス,ウエス,       針金,ビニルテープ,ゴムロープ,ボトル,バッテリーランプ,

       スペア各種

 

  衣 類 :下着,Tシャツ,短パン,靴下,タオル,ジャージ,トレーナ,雨具,

       帽子,運動靴,サンダル,サングラス,水着

 

  生活用品:スプーン,ナイフ,缶切,歯ブラシ,カミソリ,石鹸,洗剤,洗濯鋏,

       裁縫道具,ライター,トイレットペーパー,ビニール袋,細紐,爪きり

       虫避けスプレー,蚊取線香,南京錠,ワイヤーロック

 

  薬 品 :消毒薬,バンドエイド,風邪薬,正露丸,胃腸薬,ムヒ,キンカン,

       ビタミン剤,ガーゼ,包帯,日焼け止め,マラリアの薬,目薬,ピュア

 

ま と め

 

 長い旅であった. 一言で表現すると,パニックの旅であった.航空券の予約がとれずに初日から予定を変更するという,波瀾の幕開けで始まり,プーケットでは暑さのショック,宿が見つからず,炎天下をさまよい,おまけにリテーナーまで破壊した.

 タイ南部では,猛烈な日差しとUP攻撃.思ったところに店がなく,仕方無く次の村を目指すことの繰り返し.

 マレーシアに入ると,更に日差しは強くなり,日本の真夏など何のその,であった.

タイピン,イポーの悪夢の一日は一生忘れない.その他タイヤに釘が刺さる,スポークが折れるなど,わりとトラブルもあった.

 

 しかし,悪いことばかりではない. いちばん嬉しかったことは,シンガポールまで走り通せたことであろう. 走っていて面白かったのは,タイ南部である.遠くまで続くUP DOWN ,真っ赤な土,太陽と蜃気楼,じっと見つめる沿道の人々…….

 自転車を止めると,この世のものかと思えるほどの暑さを感じたあの瞬間.

外国人慣れしていない村人の,初めのオドオドした態度. しかし,一声かけるとすぐに笑顔で応えてくれる,あの人なつっこさ. 村中の人が集まってくる大袈裟な驚き様.

 

 こんな所にも人が住んでいる,笑い声が聞こえる,そんな場面に出くわす度に,こいつらの方が,我々よりずっと幸福なのではないか,と思うのであった.

 彼らは彼らなりに,立派にたくましく生きている.

 

 まだまだわからないことは,たくさんある. 我々の持っている常識なんてものは通用しない. その国では,その国の常識を自分で吸収していかなければならない.

 それが楽しみでもある. マレー半島には,まだ行ってみたい所がたくさんある.

 

アドバイス

 

1.航空券について:格安チケットには,それなりのリスクがある.STATUS欄にOKが記入されていないと, 日付は記入されていても BOOKING LIST には登録されていない.

2.旅行代理店について:運輸大臣の登録番号のある所が安心できる.もっと安い所もあるが,こういうのは,何かある.

 

3.人数:2人がベスト.多くても5人以内.それ以上だとホテルや,食堂などまとまって行動しにくくなる.

 

4.食物について:何でも豪快に食ってしまう諸君については心配無用.なまものでなければ大丈夫.

 ピュア(水の消毒液)は必需品. 薬局や旅行代理店に売っている.   食事の時に出る水の安心してがぶのみしないこと.瓶入りの水だったら間違いなし

5.盗難について:大型の南京錠を用意して,ルームキーと併用すると.電車に乗るときは,バッグを必ず椅子にチェーンロックすること.今回もチェーンロックした途端後ろに座っていた二人のタイ人あが立ち上がって出ていくという,ぞっとする一幕もあった.

 

6.病気について:今回は予防接種はコレラのみ.マラリアの予防薬も持っていった.

   下痢は誰でもするみたい. ただ,正露丸は効かなかった.

 

7.その他:どんなに注意してもトラブルはあるもの.お金や航空券など 困ったときは日本大使館に行くこと. いい案を提供してくれるはず

 

8.参考資料・地図:

   ガイドブック

    地球の歩き方「タイ」,「シンガポール・マレーシア」

    宝島スーパーガイド「タイ」,「シンガポール・マレーシア」

 

   地 図

    NASA発行の地図(東京・八重洲ブックセンター)

    Apa Maps "Thailand", "Malaysia" 1/1,500,000

    現地で買った地図

 

編集後記:

 

 帰って来て,最初の一週間くらいは寒くて寒くて,布団にくるまっていたり,

飯がまずくて腹をこわしたりしたが,それも何とかおさまり,この記録もやっと完成した。

 今回のRUNでは,その日,その日のことを忘れないように,毎日日記をつけていた.これが,この記録を作るきっかけとなったのだった.なるべく完成度の高いものを作ろうとしたが,手間がかかったわりには,言いたいことの十分の一も書いてないような気がする.

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