岩手内陸ツアー(1991/08)

 

第一話『金田一温泉の夜は更けて…』

 

8月2日の晩は暑かった.上野の低層ホームの気温は30度.

丸井の白い壁の温度計が示している.

 

臨時夜行急行『十和田』で隣合わせた青森のエンジニア,木村氏と,非破壊検査の話.

 

翌3日は雨.

 

八戸から龍泉洞に抜けるという,当初の案を変更.

独り旅は気楽なものだ.

 

雨あしは強くなるばかり.

 

今日は走る気を無くした.どこか温泉でゆっくりしたくなる.

 

金田一温泉が東北本線上にあるので,駅名にひかれて下車してみる.

二戸乗換で,気動車である.東北本線に気動車が走っているとは,

 

駅前に国道4号が通っているが,冬道でできた轍に水がたまり,大型車がそれをはねあげながら,通り過ぎていく.

 

駅前に一軒だけあったラーメン屋で,宿の情報をききがてら昼食を頼む.

バラックに近い建屋であり,車が通るたびに揺れていた.

しかし、内実はまともな店であり、必要な情報を得ることができた.

 

金田一温泉に宿は多くあるが,『古湯(ふるゆ)』という所が

\4,300で一泊二食付きで安くよさそうだった.

 

雨は依然降り続いていたが, 駅の軒下で自転車を組みあげる.

 

街道練習の途中で雨宿りしていた, 高校生のレーサーたちと少し喋る.

眼を充血させながら, 盛岡までのあと80キロをはしりぬくのだそうだ.

女子もいて, 頼もしい限りだった.

 

僕は今日, 全く走らず温泉泊まりです, などとは言い出せなかった.

 

さて, 寂れた温泉街に走り込んでみる.客の影は見えない.

 

さて,『古湯』を探しながら,小さな温泉街を通り過ぎてしまった.

案内図もなく,通行人もいない.

 

一軒一軒丹念に看板をあたっていくと,

観光バスも停まっている大きなホテルの裏側に

木造モルタル2階建ての『古湯』旅館が見つかった.

 

赤い合羽で雫を垂らしながら,玄関で人を呼ぶ.

 

「ごめんください.駅のラーメン屋さんで聞いてきたんですが,

今日泊めてもらえますか?」

「はあ,何人さんでしょ?」

「独りです」

「おやおや,随分濡れなさって,バイクですか?」

「いえ,自転車なんですけどね」

「ええまあ,今日は団体さんもないし,部屋はありますけど…,

うちは湯治宿だから,あんまり持てなしはできませんよ」

「ええ,結構です.まだ昼前ですけど,もう入れますかね?」

 

というわけで,\4,300で一夜の宿を借りることとなった.

 

木造の古ぼけた二階. 小川に沿った角の部屋を用意してくれた.

畳は白茶気ていて, 隅にせんべい布団が薄く積まれていた.

 

時代もののアルミの電気湯沸かしで茶を淹れる.

 

まだ,昼になったばかりだが,雨足は時に強まったり,弱まったり…

木の桟のガラス窓に横なぐりの雨が叩きつけている.

 

名はあるのだろうが知らない小川が濁流となっている.

向かいの低い峰は雨に煙っている.

 

軒下に茶色い飼い犬がいて,長い鎖で繋がれている.

下に降りてそちらに回ってみると,

驚かせてしまったらしくえらい見幕で吠えられてしまった.

 

 

少し寒いので布団を延べて,ソローの『森の生活』を読み始める.睡魔が襲う

 

夜行列車の疲れが出たようだ.うとうとと4時頃まで寝てしまう.

 

真夏だというのにもう薄暗くなっている.小降りになってきたので,

温泉街を一巡りしてみる.

 

自転車を空荷にして,カード電話を探す.

古くて大きな旅館の前にあった.家にかける.

金田一温泉がどこにあるのか,理解できない様子.

 

盛岡から80キロの地点というが,実感はないようだった.

 

岩手県は四国全体より広いのである.

 

酒は昨夜の飲み残しの日本盛300ML があるし, ポテトチップスを買って帰る.

帰ると,部屋に夕食を運んでくれた.5時半くらいであるが,窓際に折り畳みのテーブルを寄せて,濡れて重そうに垂れ下がった梢を眺めながら独りで渋茶を注ぐ.

 

料理は丼飯と,養殖ティラピアの切り身の照り焼き,同じ魚の入ったスイトンと塩辛い漬物だった.飯が中途半端に少ない感じである.

 

もそもそと食っているうち,はっきりしなかった一日が暮れていく.

まわりは真っ暗テレビもないし,ラジオのニュースを毎日聞くようになった.岩手放送はTBSの系列のようである.

 

風呂に入ってみる.内風呂である.誰も入っていない.

塩気の強い温泉で,大変熱い.

肌にぴりぴりして湯船に浸かれないほどである.

石鹸の泡もたたない.

 

壁の隅は赤く腐食している.

湯船の縁に座って,足先を湯につけていた.

 

雨が窓を叩く.少し開けてみると,暗い森が広がっているばかり…

 

だいぶ火照ってしまった.

玄関脇の応接間でテレビを見せてもらう.

向かいの大きな旅館では観光バスが停まっていて,

二階の広間では,宴会で騒いでいるようだった.

 

天気図を見ても,当分寒さは遠ざからない様子.

ラジオを聞きながら,酒をすすり,寝てしまう.

 

 

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第二夜

 

8/4金田一温泉−サッ峠−葛巻−国境峠−岩泉−龍泉洞

 

起きてみても,一向に空は晴れない.しかし,そうひどい降りでもない.

丼飯の朝食をありがたくいただき,出発.すぐにCAMP装備の大学のクラブ合宿

のような4,5 人の隊列に出会う.

 

これから僕が通る逆コースを走ってきたのだろうか?

それにしては9時前という早い時間に金田一に達している.

昨晩はどこに泊まったのだろうか?

ベルを思い思いに鳴らして通り過ぎてしまった.

 

僕は構わず走らねばならない.

今日の目的地は龍泉洞である.

途中雨宿りなどしてしまうと,走る気が失せてしまう.

合羽を着れば中が蒸れてくるし,脱げば霧雨に体を冷やされる.

 

九戸村のよろずやでパンと鍋洗い用のSTEEL WOOLを購入.

青森では工藤パンが有名だが,岩手では『イチノベパン』が売出し中のようだった.

 

しかし,賞味期限ぎりぎりで,ちょっと危ないような気もした.

 

サッ峠は,坂の途中だった.真新しい舗装だが,通る車もない.

時折農耕用の無蓋のキャタピラが追い越すでもなく,並走していく.

 

葛巻の町に出て,大きな国道に合流するが,市街地というほどの事はない.

 

国境峠までの殆ど平らな道をひたすら進む.

沿道には個人名の付いた××牧場という

統一されたデザインの看板が掛かっている.

 

小さな牛舎ばかりだが,独立した

牧場を名乗っているようだった.この頃には路面は乾いていた.

 

国境峠を難無くこなし,岩泉の町へと下っていく.殆ど交通量のない国道だ.

盛岡から宮古に抜ける主要路と思われたが,大型車が時折通るくらいで,実に

快適だった.翌日分かったのだが,盛岡からは早坂高原経由の方が幹線として

使われているらしく,定期バスも走っていた.

 

この道,小本街道というのだが,

早坂高原へ向かう道との分岐に近づくに連れ,

トンネルで山をSHORT CUT するようになった.

 

トンネルから出てみると,川を忠実にTRACE している旧道が

付いたり離れたりしている。

旧道に沿って,朽ち果てたような家が山影に見え隠れしているが,

果たして住人はいるのだろうか?

自由乗降バスが走っているから,全くの陸の孤島という訳では

ないのだろうけれど…

 

JR・山田線の支線,岩泉線を横目に見ながら進む.

木材のチップを加工している傍を通り過ぎる.

 

岩泉の町に入る.久し振りに信号を見る.

車がまとまって走っており,人家が国道の脇にある.

 

今日は龍泉洞CAMP場に泊まろうと思っているが,

その前に食購しておこうと思っていたのだ.

 

SPARがあるが,もっと大きなスーパーがあるような気が

して通り過ぎてしまった.(実はなかった)

 

既に市街地を通り抜け,川沿いの道を龍泉洞に向け,登っている.

途中,龍泉洞観光ホテルがあって,温泉らしい.

 

風呂を貸してもらおうとしたが断られた.

 

龍泉洞の向かいの民宿で借りられるということらしい.

 

4時くらいに龍泉洞に着く.

まだ洞内観光をしてる人々が観光バスと共にかなりの人数いる.

 

僕は今から入っても,\820も取られて30分くらいしか中に居られないので,

明朝ゆっくり見ることにした.

 

何しろこの洞窟は日本でいちばん規模が大きい

という触れ込みなのだから.

 

(この道を更に行った安家(あっか)洞という所の方が,大きいとも言われているがまだメジャー化していなくて,県内レベルの観光地らしい.今,地権者が見学を拒否していて,昨夜のTVニュースで,洞窟の入り口に,封印してあるところを写していた)

 

テント場に行き,\200を払って, 自前のツェルトを張る. まだ明るいせいもあり,

気分的にも余裕があって念入りにペグを打ち,ロープを張る.

 

定位置というか,緩やかな斜面を平らに均して,

溝も掘ってくれてあるので張りやすい.

 

ただ,霧雨が降っており,肌寒いのだった.

回りではファミリーキャンプの人々がバーベキューを始め,

楽しい雰囲気となった.

 

僕は日の暮れぬうちに土産ものやの店先の食堂で,

早い夕食をとることにした.かつどん\600である.

 

風呂は6時ころから,民宿『龍泉閣』で入れてくれる,

というので土産ものやをひやかして待っていたが,

みるみるうちに客はいなくなり,店は戸締りを始め,

観光地は寂しくなっていった.

 

風呂は,小さな浴槽3つのうち一つだけを湯で満たしてあった.

それも膝くらいまでしか入れてなくて,腹ばいになってつかっていた.

ともあれ,毎日風呂に入れるのは僥幸である.

 

風呂からあがると,薄暗くなっており,車もろくに通らず,旅館の夕食の匂いが

羨ましかった.

 

一人ツェルトに戻り,ラジオを聞きながら,ワンカップと菓子で

時間を潰す.ローソクの明かりに照らされて,

ツェルトの水色の壁に外の立木が映る.

 

雨だというのに,テニスをして,歓声をあげている若者たちがいる.

この晩はさほど気温が下がらず,ゆっくり寝られたのだった.

 

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8/5 龍泉洞−早坂高原−岩洞湖 (がんどうこ)

 

さて,8/5の朝は早起きしてしまった.

FAMILY CAMPの人々は昨夜の夜更かしのためまだ

寝静まっている. いや, テントの中でごそごそやっている子供もあるようだが,

お父さんが『まだ寝てなさい』と言っているようだ.

 

太陽は未だ顔を見せない. 雨は降ったり止んだり.

 

水場に行って, ラジオを聞きながら,PEAK-1 に点火する.

朝食はジフィーズのチャーハンである.

すぐにできるが, 熱すぎて上顎を火傷してしまった.

 

粛々と紅茶を飲み干し, テントに戻る.

まだ 6時前である. 龍泉洞の開く 8時半までまどろんでいる.

 

依然, 天気は回復しない. 8時過ぎにテントを撤収する.

濡れていて, 畳んでいるうち, 袖口などが濡れてくる.

 

パッキングを終え, とぼとぼと自転車を押してCAMP場より立ち去る.

 

隣の龍泉洞の入口に自転車をデポし, 入場券\820也を買い, 洞内に入る.

外気温15度中は12度である.

 

本来なら,30 度近い外から入ると冷蔵庫の中のような感覚を味わえるはずなのだが,

全然その感激はない.

 

風がないぶんだけ中の方が温かく感じられるほどである.

宮沢賢治がいうところの「寒さの夏」とはこういうことなのだろうか?

 

洞内に入る前にポリエチレン製の合羽をくれるが,

僕は自前の合羽を着て入ってみた.

 

やたら雫が落ちてくるのだ. 入口からほど近いところにコウモリが飛び出して

くる穴が高い天井にあるようだ.

頻繁に黒く小さなコウモリが頭上を舞っている.

 

なかはずいぶん上下に広い. 階段の昇降がおおい.

 

洞窟から出て, 岩泉の町まで下る.

雨足が強くなってきて, 食堂で雨宿りする.

 

親子丼 \330 というのを頼む. ずいぶん安い食堂だ.

少し体が温まる. そんなに長居する訳にもいかないので,

キャリアに積んだザックにRAIN COVERをかけてしぶしぶ走り出す.

 

落合までは平地.そこから新小本街道の分岐までは昨日下ってきた道を登る.

早坂高原までの上りに入る前に, 一休み.

 

角の酒屋で食購しようとするが, 登り坂で

食料をもっていくのも, 重いだけなので何も買わずにでてきてしまう.

 

早坂高原までの登りはそれほどきついものではなかった.

バスの通る道であるし, いい調子で891Mの峠に着いた.

峠では晴れていたが, 13度とかなり涼しかった.

 

左側は,延々と高原地帯が広がっており,

そこでピクニックすれば楽しそうだった.

 

また,砂利トラがそっちの方を出入りしていたのが気になった.

何か開発が始まっているのだろうか?

 

売店で牛乳を買い,

駐車場脇の芝生におかれたコンクリートのテーブルの上に腰

かけてパンを食べる.虻が多くて,疲れているのに気を抜けない.

 

みるみるうちに体が冷えてくる.13度で半袖でいるのだから当然か..

 

駐車場の水道でいきなり, ポロシャツを洗い出した私を見て, 行楽客は驚いただろう

この先の下りで『物干し自転車』をやれば,下り切るまでに乾いてしまうだろう

と考えたからである.

 

          ↑

 

(FRONT BAG,CARRIER などに濡れた洗濯物を洗濯鋏でとめて,

走りながら乾かすこと

風に吹かれて強制乾燥するので,乾きが早い.)

 

今回もってきているのはORLON のものばかりだから, 更に乾きやすい.

 

よく日が照っていれば 1時間で乾いてしまうのである.

これから先も雨が多そうだしできるときに洗濯しておくのが肝要である.

 

下りにかかったのが1時半くらいだっただろうか?

 

だいぶ峠で寛いでしまった.

この街道で観光地気分にひたれるのはここだけである.

岩泉から盛岡の間までにポイントがないのである.

 

さて,今日のサイトであるが,

時間的には盛岡市内まで下ってしまうことはできる

 

しかし, 2輪車 TOURING MAPPLE には市内にキャンプ場が載っていない.

普通の公園に泊まるのも気がひけるし,駅は安眠しがたい.

(昨年盛岡で駅寝したけど)

 

盛岡に出る30kmほど手前に『岩洞湖FAMILY CAMP 場』というのがあるようだ.

これにしてみよう.一人なので,実に気楽なものである.

 

いつもこの調子なので,混雑した時期に旅行すると窮屈で堪らない.宿の予約なんて,その日の午後で充分と思っているのである.

 

快調に下る.時折対向車が来るくらいで眠くなるような道.こんな所に人が

住んでいるのだろうか?日が落ちてから走らねばならなかったら相当怖そう

である.

 

標高差は僅か500メートルくらいだけれど,それを大事にして緩い勾配でいつまでも下ってくれる.岩洞湖の分岐に着いたのが既に3時くらいだった.

 

こんな山の中のキャンプ場じゃ,水道もあるかどうか知れない.10年前の蛭ケ野高原キャンプ場みたいに, 竈は自作, 水は 500メートル戻った管理事務所に取りに行く,なんてことにならなければいいが…と危惧していたのだった.

 

とにかく, 夕食にするような食糧を持っていなかったので, 買物の出来る店を探す。暫くいくと, 農協があったので, 何か売ってないか,とドアを開けてみた.野菜の種の袋がラックにまばらにあるくらいで,A CORPと併営ではないようだった.農協はAコープとしての存在がいちばん重要なのに.特に山間部では…

と,勝手な事を思いつつ,農協の職員に尋ねてみる

 

「あのー,この辺で食べ物を売っているお店はありませんでしょうか?」

「もうちょっと行ったところに,××商店があるよ」

「それは,盛岡側ですか,早坂高原側ですか?」

 

あまりにも,人家がないので思わず確かめてしまった.

 

「えっ,盛岡側だよ.もう 300メートルも行けばあるから…」

 

ついでに岩洞湖キャンプ場についても聞いてみる.

「あ,そういえば,今晩岩洞湖キャンプ場に泊まろうと思うんですけど,

あそこって,食事はできるんでしょうか?」

「さあねえ.そばくらいはあるかもしれんけど.何もないところだよ.」

「風呂なんてのはないんでしょうねえ…」

「ああ,温泉でもないしね.」

「食堂は確か,5時で閉まる筈だよ.あそこに寝泊まりしてないからね.

通いなんだな.」

「そうですか……」

 

かなり不便なキャンプ場のようである.その方が本来のキャンプ場といえるのだが,

前の二晩,楽をしてしまったせいか,ちと辛い気もする.

 

教えて貰った××商店は,近在で唯一の商店兼食堂だった.

道路工事関係者たちが,食事を取っていた.ここには水槽があり,淡水魚を泳がせて

いる.鯉の料理をしてくれるようだった.

ここで夕食にしたら最もまともな物が食える筈だったが,まだ4時前である.

菓子パンを数個買うにとどめる.

 

県道を外れ,ダムを渡り,通る車もない,真新しい舗装路を湖に沿って奥へ入って

行く.50メートル位の切り通しの峠を越えると, いきなり舗装が切れて湖畔の木立の中の林道となった.電線は道と並行して続いている.地道のUP DOWN が 4キロも続き、漸くCAMP場の駐車スペースが現れた. 自転車にとっては随分奥地であり, CAMPERなんかいないのではないかと思ったが, 車のFAMILYCAMPの人達や, MOTOR BIKEの人が20人ほどもいた. 管理人の小屋で利用料金を払おうとすると無料だと言われた.

 

ただ, 張りっぱなしのTENTを使うなら\500ということだった.

場所が広いせいか, 人の姿が木々の間から見え隠れし, 子供の歓声が時折, 遠くから聞こえてくるくらいである.

 

食事を取れるか?と問うと, 5 時までなら 1キロ先のREST HOUSEの食堂が開いているという. 自炊をするにもネタがないので (CAMP場に売店がない) TENT設営もせず自転車から荷を外して, ダートの湖畔道路を急ぐ. もう 4時を回っている.

 

なんとスケールの大きいCAMP場だろうか?

きっと大陸のCAMPとはこんな感じじゃないかと想像するが, 実際きてみると

寂しすぎる. 人恋しい気分になってしまう. 景気よく花火かCAMP FIRE でもやってほしい.

 

REST HOUSEは真新しく, 厨房でおばさんが後片付けを始めていた. 親子丼を頼む. 広いフロアに客は僕だけ. TVがあるので, 岩手放送のつまらない昼のワイドショーを見る. 寧ろ広告が面白い.

 

酒とつまみを売っているので, ビールと酒, あられ等を購入. この食糧は貴重だったCAMP場に戻り, 湖畔がいい雰囲気なのでビールの入った袋を提げて, 水際まで行ってみる. 遠浅になっており, 距離50メートルほどの対岸には白樺の林.空は高曇り。

 

ビールを開けて,水際の白樺の木の根元に腰掛け,鏡のような湖面を見つめていた.

 

カヌーで湖水に繰り出していた家族連れが戻ってきて,櫓で水を掻き回したので暫く,岸辺は賑やかになった.お父さんが子供たちを指図してカヌーを引き上げさせている.

 

ビールを 500CC飲んだら涼しくなってきた. そろそろテント設営をしなければ

ならない. そこでふと考えた.

張りっぱなしの三角テントを外張りの代わりにして, ツエルトをその中に張ろうというのである.今夜は冷えそうだと予想したのだ.

 

既設テントの回りでがさがさやっていると,管理人のおじさんがやってきたので\500の利用料金を払った. 荷物をテントの中にいれたら意外と暖かかったので気が変わって, ツエルトを張るのはやめた. しかし, これは張った方が正解だったのだ

 

寒いので, テントの入口に荷物で目張りして, 蝋燭を点け, ラジオを聞いていた.

半身をシュラフ カバーの中に入れていた.蝋燭の火でお湯を沸かしたりして侘しい限り。

 

外では,炊事場の回りで焼き肉をやっているようだ.いい音と香りが流れてくる.

僕は独りシュラフ カバーにくるまって,寒さに耐えていた.もう,荷物を広げてしまっ

のでテント内にツエルトを張る気は失せていた.

 

寒くて寝つかれない夜だった.ただ,空は晴れておらず,星は見えなかった.

 

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8/6 岩洞湖−盛岡−早池峰・岳−うすゆき山荘

 

朝の気温は 8度まで下がった.4時半に目覚めてしまい, 暖を取るため蝋燭に火を灯す. 最近,NHK RADIOは寝つかれない人々 (主に高年者) のために, 深夜放送を流している. 内容は寂しさを募らせるのに充分である. アナウンサーの話の調子が抑制されている.

 

夜が明け, テントの布地の隙間から朝靄が忍び入ってきて, ますます寒い.

寝ているより, 朝食で温かいものを取った方が好いと思い, 意を決してシュラフカバーから飛び出した.

 

今朝の飯はラーメン. PEAK-1の轟音が頼もしい. 朝の日の光に当たっていると, 少し温かくなってきた. 白樺林からの木漏れ陽が眩しい.

 

朝も食べ, 早く暖かい下界に下りようと, 出発の支度をする.6時を過ぎると,

起き出してくる人が出てきた.

 

県道までの地道は昨日と違って, 距離感がはっきりしていたので, 不安なく

通り抜けた.

 

岩洞湖は喧騒とは無縁の素晴らしいキャンプ場だった.

 

ここから盛岡の市内までが30km程もある. 岩洞湖に沿って快調に飛ばしていると, 寒くて, 合羽を被って走る. 暫くいくと, 湖畔の展望台やら人工的な構造物が現れてくる. 昨日走っていた分には, こういうものが目に入らなかったので, 余計秘境のイメージが強かったのだ.

 

外山 (そとやま) ダムを右手に見て快走. 少しUP DOWN があるが, 30km/h近くで大いに走る. 外山とは山田線の急行列車の愛称にもなっている, 盛岡市より東側の山域をいうらしい. 姫神岳 (1124メートル) の南麓である.

 

玉山村−盛岡の境が峠になっており,盛岡市内に入って,庄ノ畑までの 7kmほどが豪快なDOWN HILL だった.市内といっても,まだ人家などは見えず,山岳道路である。か彼方に新幹線の高架が望める.

 

庄ノ畑からは「郊外」という雰囲気になってきて,道路の白線が真新しく,時々道幅が広がったりする.盛岡へ通勤するためのNEW TOWNである. 山田線の畑井野駅まで 3kmくらいの距離.

 

朝 8時くらいであり, 通勤の車で県道が込んでいる. BLIND CURVE で車が事故を起こしている. 国道 4号を越え, 県庁前を通り過ぎ, まず駅へ向かう. 駅前の地下道で寝た昨年の夏が懐かしく思い出される.

 

朝食後, かなり運動したのでちょっと早いが, 昼食とする. 10時位である.

地下の食堂で焼き肉定食を頼む. 暖かさに少しうとうとしてしまう.

 

さて, これから早池峰の山中に入るわけだが, 昨夜の寒さに懲りて, 防寒用に毛布を買おうと思い立った. ダイエーの看板を見つけていたので, そこへ向かう.

 

布団売場でアクリルの毛布を見るが\4,000もする上, 大きすぎる. そこでBABY用品売場へ行ってみる. と, 予想通りありました. 星の王子様の柄の90 X 60CM くらいのBABY毛布が. ちょうど頸の部分が抉れていて, 大人の体だと, 臍が隠れるくらいは覆うことができる. 値段も半分の\2,000で, 理想的であった.

これを購入, 気をよくして, 更に山中での食糧を求める. 餃子, 白飯, 缶詰等自転車に食糧, 毛布を満載して, 盛岡を後にした.

 

市街を外れ国道 396号「旧釜石街道」を南下する. 釜石・遠野へ向かうMAIN ROUTEなのでかなり込んでいる.紫波(しなみ)町・八街で東へ向かい,折壁峠を越える.

 

本来なら,遠回りして大迫(おおはざま)町から岳川沿いに行った方が登りが少なく楽であったのだが,距離の短い方を選んでしまったのだ.

 

折壁峠へ至る林道には,秋茜が群集しており,急坂を攀じる僕にぶつかってきた.

 

峠で,村のPATROLをしている四駆に出会う. 話をしていて大迫の方からの道を聞いたのだった.

 

折壁川に沿った急な坂を下り終えると,落合.岳川にダムができるらしくダンプが走り回っていて,峡谷の静寂を乱している.ここから岳までバスの走る林道といった感じ.緩やかな登りだった.岳の直前に民宿の集まった箇所があった.山岳信仰の人々を泊める,素朴な宿である.

 

岳(だけ)には,岳南山荘があり,風呂を提供している.ここに着いたのが3時だった.ジュースを飲んで休憩していると,ここが最後の補給場所だとわかり,夕食と風呂を借りることにした.

 

風呂が沸くまでに,かつどんを大盛りで貰う.ここは標高 600メートルほど.

 

上から下ってきたバスがハイカーを満載している.

バスが発車待ちをしている時間に,ジュースを買うために下りてきた人に早池峰の山の様子を聞くと,

 

「今日は上は晴れてて良かったですよ.真っ赤に日焼けしちゃいました.

岳から鶏頭(けいとう)山(1445 メートル) に登り, 尾根伝いに中岳(1679 メートル)

早池峰山(1914 メートル) を縦走し, 小田越 (1200メートル) まで下りてきたんです少し下った山荘の所からバスが出てましてね, それに乗ってきたところなんですよ」

 

という事だった.

 

泊まり客はまだ到着していないのか, 風呂を使う人もなく, 女湯の方に案内された. 開け放たれた窓から岳川の渓流を眺めることができて, 風流な風呂だった.

昨晩入れなかったのと, 今日の力走で随分疲れていたようだ.

 

まだ 5時前であるが, もう満腹してしまった. 今日のねぐらをどうするか?

山荘の人に聞いてみると, キャンプ場がこの上に二つあるとのこと. 笠詰キャンプ場ともうひとつ (不明) ということである.

 

ビールと, つまみを買って, 更に登り始める. 岳までの登りと違って,かなりの勾配の林道である.舗装は新しく車は殆ど通らないので, 孤独感に浸りながら,自分の息遣いと, CHAIN の軋み音だけを聞きながら,28 X 23,26で詰めていく.

 

笠詰キャンプ場には,中学生が大挙してやってきており,スピーカーを使って先生が生徒を指図している.静寂を求めている僕には我慢できない環境だった.学校のキャンプってこうなってしまうのだろうか?

 

別に4,5人のグループで勝手に炊事させておけばいいと思うのだが,皆一斉に食事を取り始めねばならない理由などあるのだろうか?

 

まだ先にキャンプ場があると聞いていたので気は楽だった.しかし,空は曇って林道の両側は鬱蒼とした森になり,心細くもなってきた.

 

魚止めの滝,笛貫の滝など,岳川には小さな滝がいくつかある.しかし,道にはそこへ向かう標識が立っているだけで,その姿は見えない.

 

標高約1000メートルの地点. 道の脇に真新しいログハウスが建っていた. 中を覗いてみると,登山者のための避難小屋として開放してある旨, ノートに書かれている.

そろそろ日も暮れかけていたし, 屋根のある所で眠れるのは願ってもない事だったので, この『うすゆき山荘』に荷を下ろすことにした.

 

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8/5 うすゆき山荘の夜(255行)

 

風呂上がりに400メートル を昇らされて, すっかり汗をかいてしまった.

荷物を下ろすのももどかしく, ビールを開ける.

 

山荘に置いてあった落書き帳によれば,このログハウスは6月に新装なったばかりである.

 

もう6時近い.勿論電気はないので中は薄暗くなっている.ベランダにママチャリが二台,無造作に置かれている.持ち主は早池峰に行ったままなのだろうか?

ということは,日が暮れたら帰ってくる筈なのだが.夜中に踏み込まれても

かなり不気味だろう.

 

板敷きの小屋だ.広さは20畳ほどもあろうか.真ん中に薪ストーブが据えてあり,乾いた薪や,焚きつけの新聞紙も用意されていて,至れりつくせりである.

 

壁際には,多人数で泊まった時のために,蚕棚が二段に渡って作りつけられており,垂直な梯子がかけられている.上段の方は床上から2メートル以上もあり,柵もないので寝ぼけて落ちるのが怖い.

 

テントを設営する必要もないし,十分な面積があるので,荷物をザックから放り出して,床一面に広げてしまう.

 

蝋燭とラジオをつけ,マットを延べて,ストーヴをテーブルとした.

ビールをもう一本買ってくれば良かったと後悔しながら,PEAK-1で湯を沸かし始める。

 

すっかり, 暗くなって辺りは漆黒の闇である. 森を吹き抜ける風の音が不気味だ. 時折,この闇夜をついて,小田越を通る車があり, 山肌を眩しく照らしている.

 

 

7時のニュースなど聞いていたら,外で物音がする. 耳をそばだてていると, 玄関からどやどやと, 少年が二人入ってきた.

 

やはり早池峰に登ってきたのだそうだ. 正確には 5合目辺りまで行って, へばって引き返してきたようなのだが, ハイカーらしい装備はまったくなく, ポカリスエットのボトルをD PACKに詰めていた. 地元の人にとっては, これほどお手軽な山なのだろうか?

 

最近は東京から行くとしても, 新幹線や夜行列車で花巻まで来て, 岳まで直通のバスが接続しているのだ.早池峰が観光化されるのも時間の問題である.

 

そういえば, 岳南山荘で, 「HAYACHINE 」と書かれた, コバルトグリーンの

ステッカーを\200で購入した. ちょうど, フレームの色と同系であり,SEAT TUBEの疵隠しに好適だったので, すぐに貼ってみた. 地の色がフレームと合ってなかなか好い.

 

しかし,BOTTLE CAGEが中心より後ろに回り込んでいるので, ステッカー自体が後ろにずれ, 文字が見にくくなってしまった.

 

かなりへたばっていた二人だったが,持参のポカリスエットを飲んで,菓子パン等を食べるうち,段々元気になってきた.

 

花巻市内の高校生で,2年生だそうだ.それにしてもよくママチャリで1000メートルまで登ってきたものだ. 若さのなせる技か?

 

3人でコーヒーを飲んだり,一杯のワンカップを分け合ったりして,楽しい時を過ごす.地元の人とゆっくり話したのは,今回これが初めてだった.

 

彼らはワインを一本持っていた.思いガラスの瓶をよく山の上まで運んだものだ.FRUITYでおいしいワインだった.

 

岩手県内でも東北本線沿いが開けている,

岩手県は四国4県より面積が広い

県内の人気職種はJRと公務員である事

大迫(おおはざま)の特産はワインである事,そしてワイナリーで試飲させてくれるという事等,どこの地方でも共通かもしれないが,東京とは違った世界観を持つ若者の存在を知って啓蒙される思いだった.

 

彼らは自分たちの進路についていろいろな事を考えていた.先輩たちは東京に行く場合が多いので,自分もそれに従うべきか?

僕はそれに対して,的確な答えはできなかった.少年の夢を壊したくはなかったが,東京に多くを期待してはいけない,というような意味合いの事を言ってみただけだった.

 

その夜は,11時くらいまで話し続けた.ラジオによると,明日は降雨確率が80% である.山荘での停滞を覚悟した.

 

******************************

 

 

8/6 うすゆき山荘停滞 (岳南山荘で食事と入浴のため、一時下山)

 

雨と風の音で目覚める.気温もだいぶ下がっているようだ.時折,ざざーっという音と共に窓に雨が叩きつける.こんな日は外に出るのを諦めた方がいい.

小屋の前の林道も川のようになって流れている.

 

僕は朝の紅茶を作っていると,二人が起きてきた.といっても雑魚寝だから

僕がストーブのポンピングなどをしていれば起きるのは当然なのだが.

 

7時前である.二人はこの雨の中を花巻まで下る積もりらしい.

 

「おい,どうするね?この天気で..」

「いや,明日も休みだし,別にゆっくりしてっていいと思うんだけど」

「そうかなあ,食料ももうあまりないぞ」

僕「小降りになるまで昼寝してくのがいいと思うけど…」

「そうだよ.今,下りたらパンツまでずぶ濡れになっちまう」

僕「この雨の中,あの自転車のブレーキじゃ心配だなあ.崖から飛びだすこともないと思うけど,コケる虞れは十分にある.」

「今,下りれば花巻のレンタルビデオ屋に行けるしなあ」

僕「まあ,どうしてもというなら止めはしないけど,ブレーキが効きにくくなってきたら,一度停まって,ホイルとブレーキ回りを確認するんだよ.」

 

ママチャリは,前はサイドプルのキャリパーブレーキが付いているのだが,ブレーキシャフトのネジが緩んでいて,実に恐ろしい状態だった.

後ろはドラムブレーキだが,これも信用できない.

1000メートルの急坂を一気に下るには, 不安すぎる装備だった.

 

二人が行ってしまって, 山荘は静かになった. が, 風雨のため, 建物がミシッと音をたてて, 不安だった.

朝食には, ラーメンにニシンの缶詰を入れて食べる. 体が温まる.

 

いつまでも明るくならない日だった. 昼過ぎまで岩手放送を聞いたり,ソローの本を読んだりうつらうつらとまどろみながら過ごす.

 

昨日毛布を買っておいて本当に良かった.これがなければ,とても安穏に惰眠を貪るなどという事はできなかっただろう.

 

ゆっくりとした時間の流れが嬉しい.

金田一温泉での一夜でもこんな気分だったが,これぞRESORTと言いたい.

 

落書き帳を隅まで読んでみる.

2-3日にかけて千葉大CCがこの山荘を訪れたようだが,

やはり雨続きであったようだ.

 

僕とは逆コースで遠野側から荒川林道を登ってきている.

あちら側はダートだから,雨の中FULL CAMPING装備で登ってくるのは

実にご苦労な事であったろう.

 

今年の東北は晴れる日の方が少なかったようである.

 

すると,昨日晴れ間をついて早池峰に登って真っ赤に日焼けした人というのは大変幸運だったのだ.

 

さて,さっきから気になっていたのだが,食糧が絶対に足りないのである.

という事は一度下山しなければならない.そこで雨足が弱まるのを待っていたのである.

 

2時過ぎに少し雨が弱まってきた.僕の自転車でも岳南山荘までの

400メートルの下りは怖い. 昨年春に奥三河の雨の林道で転倒したのも, 寒さと眠気のためだった.今回もよほど注意しなければ…

 

物盗りもいないだろうから, 荷物は床に延べたまま出掛ける.

持っていくのは,FRONT BAGだけである. ハンドルが軽くてフラフラする. 雨は小降りになっていたが,路面が小川のようになって,常に水が流れていて,制動は思い通りにならない.それでも昨日 1時間かかって登った距離を15分で下ってしまった.

 

岳南山荘のおばさんたちは僕の顔を覚えていてくれて,昨夜はどこに泊まったのかと聞いてきた.「うすゆき山荘です」と答えると,

 

「ああ,いい所を見つけたね.今日はこんな天気だから,屋根のある所に泊まらないとひどい目にあったところでしょう」

「そういえば,笠詰CAMP場に泊まってた中学生たちはどうしたのかなあ?」

「あのまま朝まで過ごしたみたいですよ.今日は一日テントの中で過ごしてるんじゃないかしらね?」

「それじゃあ,かわいそうだなあ.先生ももう少し融通がきけばいいんだけど…」

「あれだけの人数になると,方針変更しようとしてもなかなか大変なんでしょうね」

「迎えのバスが来るまでは身動きできないんですよ」

 

そんな話をしていると,雨の中を山歩きしてきたハイカーたちが山荘にやってくる.ずぶ濡れであり,特に下半身が泥だらけ.

 

僕は風呂が沸く4時まで昨日と同様,食堂で休ませてもらうことにした.

カツカレーを食べていると,CAMPING 装備で小田越から下ってくる

一団があり, 大変頼もしい感じを受けた. 中には巨大なATTACK SACK を背負っている者もあったが, あれで長い合宿を走り通したら, 肩や腰がどうかならないのだろうか?

 

今日の風呂は男湯の方だった.湯船が大振りで快適そうだったが,沸きすぎていて

入れない.必死でうめていると,髭のおじさんが入ってきた.

 

「湯加減どうですか?」

「かなり熱いみたいです.いまうめてるんですけど.どうです,入れますか?」「いやあ,これは熱いね.」

 

水を流しっ放しにして,暫く待っていた.

 

「ここに泊まってるんですか?」

「いえ,上にログハウスがありましてね.そこに」

「へえ.小田越山荘でなく?」

「それは峠の有人の小屋でしょ?そのかなり手前に無人の避難小屋みたいなの

があるんですよ.『うすゆき山荘』っていうんですけど」

「ああ,去年までえらくボロくて朽ち果てそうだったやつだな」

「そうですかあそこの登山者ノートには6月竣工って書いてありましたから,

建て替えたんでしょう」

「僕もここの泊まり客じゃないんですよ.風呂だけ借りにきたの.\400ですしね.

上の方のCAMP場に来てるんですよ」

「へえ,じゃ昨夜の雨,大変だったでしょう」

「そうそう,ひどかったですよ」

 

(ワープロの時代になっても缶詰というのは可能なのであった.

というのも,普段寝る前に布団の中で30ADでせっせと書いているのだが,

そう何ページも書けないのが実情なのに,このSHOW ROOM では他にする事が

ないせいか, 雑音の中でももう 200行以上書いてしまった.

場所を変えると書けるようになるもんですな.)

 

(さて,帰ってきていつものように布団の中で半身を乗り出して,推敲している

ところです.OASYS 30ADはKEY STROKEが浅いところが違和感がありますが, 他の

使い勝手は良好です)

 

「雨が降り出しそうなのはわかってたんだけど, 特に対策しなかったんだよね.

そしたら,夜中にざあざあ降り出して, 慌てて車に避難したんですよ. 」

 

この人は偶然にも,僕の自宅の近くに住んでいるのだった.そして家族連れ

でもう10年來夏の早池峰に来続けているという.この山域では一日に10人ほど

としか, 顔を合わせない日もざら, だとか.

 

風呂上がりにビールを一本奢ってもらってしまった.

酔いが覚めるまでテレビを見ていたらすっかり暗くなってしまい,山荘に帰るのが億劫になってしまう.

 

6時ころに, 400メートルを登り始める. すぐに真っ暗になり, 霧が出てきて視界を遮り,恐ろしい気分になる.長い長い登り坂だった.昨年,九州の大隅半島の山中で夜,彷徨っていた時の事を思い出す.いや,寧ろ回りの森に生き物の気配がし,背後から何かが迫ってきそうであり,気ばかり焦るが,息が上がって足は回らない.

歌を歌ったり,ベルを鳴らして走る.

この40分は長かった.

 

山荘に近くなって, また不安は広がった. いちばん怖いパターンは小屋に動物が入り込んでいて, 食糧を食い散らかしたまま居座っている場合.

格闘せねばならない. 狐や狸くらいの小動物でもけっこう怖い.

散らかしたままいなくなっている, というのもちょっと怖い.

 

実際に小屋が見えてきたのはほんの10メートルくらいに迫ったところだった. 窓にぼやーっと明かりが見える. 人影がちらちらしている. 入り口にバイクらしき物が置いてあり, 覆いがかけられていた.

 

入っていってみると, 奥の方で蝋燭の明かりに相対して,ぼそぼそ喋っているバイク装束の男女がいた.

彼らは夫婦で東京の人間だが, ここ一月ほど北海道・東北の林道を走り回っているとの事であり,キャンプ生活が板に付いており,装備など学ぶところは多かった.

PHOEBUS 725 を赤ガスで用いていた事. 底の広いSTAINLESS STEEL の皿を

ラーメンを茹でるのに使っていた. また,

 

彼女の方は, 黒縁の眼鏡をかけており, おかっぱの髪は全くFEMININEな感じを与えなかったが,OUT DOOR で危険な生活を続けていく上でのCAMOUFLAGEなのだろうか?

旦那は髭ぼうぼうで話ぶりも訥々としていたが, バイクの知識は確かのようだった.

いたずらにバイクの優位性について語らないし, 実践による技術の裏付けがあると感じられた.

バイクに於ける師弟コンビが旅行を続けている, という印象だった.

 

しかし, 寝るときは,蚕棚の狭いスペースに横にシュラフを並べていた.

その点は羨ましく思ったものである.

 

夜中に小屋の中を鼠がはいまわっていたようだが,面倒なので放っておく.

 

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8/7 うすゆき山荘−小田越 (おだのこし) −早池峰山 (1914メートル)・3合目で撤退

−荒川林道−早池峰神社−地蔵峠−遠野駅

 

この朝もはっきりしない天気だった. バイク夫婦は昨夜の如く PHOEBUSを念入りに PREHEATし, コーヒーを淹れていた. 僕はジフィーズを粛々と作る.

 

からっとは晴れそうもないが,2日も停滞するつもりもないので, 小田越に向かう. 7時発.

 

僅か300 メートルの登りだが, なかなかこたえた. 絶え間なく霧が上半身にまとわりつくバスの終点に山荘があり, 電気も来ている( 発電?) ようだった. 電話もある.

中を覗いてみようとも思ったが, ここで休憩するとながくなりそうなのでやめた.

 

小田越 1200 メートルに着く. ここ数年の念願であった峠. ガスって早池峰は全く見えない. 峠は道幅が広くなっていて10台ほど車が停められる. 朝も早いのに子連れのハイカーがワゴン車でやってきていた.

 

寒いので, 合羽と帽子を付けて木道を歩き始める. 最初は藪の中だが, すぐに開けた斜面にでる.

 

ガスッて寒いが小学生くらいの子供を連れた人や, 中年女性のグループなどが登ろうとしていて, それほど難しい山ではないように思えた. ブッシュを抜けると風の強い斜面に出た. 岩が低木の間から顔を出しており, その上を渡って登る.

太平洋側から吹き上げてきた風が山にぶつかって, 唸りをあげている.

風に体温を奪われる.

 

男の子が急斜面をすたすたと登っていき, 見ていて元気付けられる. 後から母親やら叔母さんたちが, おとっこのこをたしなめながら,喘ぎ喘ぎ追い掛ける.

僕は合羽の頭巾を被り, 顎紐を結んで風に当たらないようにした.

 

小田越の南側の薬師岳は霧に隠れて見えない. あちらの方が250 メートルほど低いのだが, 今僕がいる1300メートルほどの地点も見えない. こちらは雲の外にいるのだが…

 

女性のグループで半ズボンの人たちがいて, 寒そうにしている. 気温は10度くらいであり, 強風のため体感温度はずっと低い筈だ. 人ごとなので注意もしないが,無謀登山にならなければいいが…

 

3合目付近で, 朝早く登りもう降りてきたという人に上の様子を聞く.

6合目くらいから上はガスの中で, 風が吹きまくっていて眺望もないそうだ.

僕は岩陰で風を避けながら, チョコレートを齧って, 一服. そのうち, 東京から毎年早池峰に来ているという人が下から追いついてきて, 夏にこんな天候になるのは異常だ, と言って引き返してしまった.

 

僕は千載一遇の機会なので, どうしても登ってみたかったが, 上に行っても寒くて危険で, 何も見えないので, ここで降りることにした. 3 合目を少し過ぎた地点である.

 

相変わらず親子連れやら, 軽装備の人々が登ってくるが, 心配ではないのだろうか僕は先程の人の言葉を繰り返した.

「上は相当寒いそうですよ. ガスの中で風が強くて何も見えないんだそうです」と

 

彼らが当惑した顔をしていたが, その後どう行動したかは分からない. 僕は強風に煽られながらガレた斜面を下っていった.

 

ブッシュの中に戻ると雨粒が落ちてきた. 間一髪で吹きさらしの中で雨に打たれずに済んだが, 上に樹木があってもかなり濡れる. しかし, 雨が降り始めて少し気温が上がったように思える.

 

後ろから雨を避けて, ザクザクと靴音をさせながら下ってくる人がある. かなりの早足だ. 僕は歩くのが遅い. 特にこのように足場が悪い所では先程の男の子を同じくらいの速さである. だから, 今通り過ぎていった人のように,踏み出した足に重心が乗り切らないうちに次を踏み出すような器用な真似は到底できない.

 

木道を滑りながら歩き, 小田越に戻る. 峠は風の通り道になっており, 真横に雨が降っている. 自転車の鍵を外し,道の反対側の小屋の所へ行く.ここが小田越山荘かと思ったら違った.作業用の小屋なのである.入口は二枚の引き戸になっているのだが,片方は作業者専用で,薪ストーブや机がしつらえてあり,片方は一般登山者用の避難小屋として,ベンチだけが置いてあった.

 

自転車を小屋のどうやら雨が直接は当たらない軒先に置き,避難小屋の方で雨宿りさせて貰う.作業(林道の補修?)に来ている人達数人は雨のため,ストーブを囲んで大声で話している.小屋の中はベニヤ板の壁で仕切られているのだ.

 

雨粒は窓硝子を叩き,一向に弱まる様子もない.シュラフとラジオを出してふて寝を決め込む.毛布を被っても背中がぞくぞくするので,ウイスキーを嘗めながら高校野球の中継などを聞く(たしか,初日だったか?)

 

ピン食のビスケットなどで空腹を紛らす.2時間もベンチの上で寝ていただろうかその間,仕事をしに来た人たちは,何度か出入りしていた.彼らが出ていくとき,戸に鍵をかけてしまうので,中にいる僕も出られなくなってしまうのだ.

どうやら雨も弱まってきたので,日の暮れないうちに遠野に向かうとしよう.

道なりに下ると遠野よりかなり北の方で国道 340号に出てしまうので, 最短距離で遠野市内に出られる,荒川林道経由で行こうと思う.

 

小田越の東側はすぐにダートが始まっていた.

1kmほど下ったところで, 国道 340号と荒川林道の分岐があった. 何と林道の方は登っている. 雨のダート の登り返しは敬遠したい.1000メートル付近まで下ったがそんなに登るはずもないので, そろそろと林道に入っていく. 登りというより平坦な地道である.

 

四輪が入っているのだろうか,道の状態は踏み固められていてすこぶる好い荒川高原とも称する平坦な地道.快適である.通る車もなく,不安になってくる.林道沿いにはCAMP場もあると,大きな標識に書かれているが,この道を通る者はない.雨はやがて止んだ.

 

開けたところに出る.サンヨーのメーターが不調.水に濡れたせいで,速度

距離共に表示しなくなってしまった.腹を立てて,地面に投げつけると,表面の樹脂板にヒビが入ってしまった.捨てるに忍びないのでウエストバッグに入れて持っていく.

 

三叉路である.真っ直ぐ行ってもいいのだが,早池峰神社の裏に出る間道ができたようだ.真新しいバラスが敷かれている.道の左右は牧場のようだが,それらしい動物の姿はない.10分も下ると舗装路に出た.

牧畜用の作業道のように思える.牛馬は畜舎に入れられているのだろうか?

 

のどかな山村という感じの所である.2日ぶりで人里に降りてきてほっとする.早池峰神社の前でトラックが出入りしている.隣は分校になっているが,人影はない小さな神社だが,よく手入れされていて清々しい感じである.

 

本殿は茅葺きで,焼失(或いは台風で破損?)した屋根を寄進によって再建した旨の看板が立っている.境内は狭い.

 

さて,先程から気になっているトラックと,境内に足場を組んでいる20人ほどの男たちだが,聞いてみると「明日,『姫神』のコンサートがこの境内で開かれる』というのだった.

 

喜多郎との区別がつかないが,姫神山の麓に住んで,作曲をしているという人という事だけは知っていた.姫神山というと,早池峰からはだいぶ遠い.

また,彼が実際に住んでいる所は遠野市の郊外ということだった.

 

神社の境内でやるくらいだから,ただかと思ったら,\3,500もの入場料を取る, というのである.この晩に開催するのだったら,隣の分校に泊まりながら見物しても好いかと思ったが,一日後だったので下って遠野の街を見に行くことにする.

 

地蔵峠という下りの峠があった.早池峰側が平らで遠野側が下りなのである.

そこからは猿ケ石川に沿って田園地帯を快走する.いやに派手な寺があり,入場料を取って見せ物にしているらしいが,どうも景観を乱しているだけのようだ.

 

川を渡る.河川敷のグラウンドはサイトするのに好適と思われた.まずは駅へ行ってみる.さすがに下界は暖かい.それに晴れている.

 

 

線路を高架で越える.遠野は観光化された町だった.駅前は焦げ茶色で統一されている.長野の小布施に倣ったのだろうか?かなりの辺境と思われるが,山から降りてきてみると大都会に思える.金を出せば何でも手に入る.ニチイの真新しいのがある.

駅舎と車両が新しいのだが,鉄道のダイヤはかなり閑散としている.3時である.

駅前には池が作られており,青銅製の河童のリアルな彫刻がその中で踊っている.

夜見るとかなり不気味とも思える河童である.この地域には河童の民話がある.

 

『遠野物語』の本なども売っている.

 

駅と棟続きの観光案内所でCAMP場と風呂の所在をたずねる.駅前はだめで,川原のグランドならいいだろうとのこと.また,風呂屋は 100メートルほども行ったところにあるという. 昨晩は山梨県の都留文化大学の女子大生サイクリストがそこでテンパクしたという.

 

駅前に日米富士自転車の700CスポルティフをCAMP仕様にした,かなり草臥れたものがあった

持ち主が帰ってくるのを待つと,国学院大の1年生ということだった.かなり前から走っていたように見える貫祿充分の自転車だった.7月下旬から北海道をずっと放浪しており,下北の大間崎にフェリーで渡ってきて,仙台の友人宅まで南下中と言っていた.遠野には昨晩も泊まって,今夜も連泊するという.後で夕食でも一緒に食おう,と言いつつ,僕は風呂屋へ,彼はコインランドリーへと向かった.

 

風呂屋は『養老の湯』といい,えんじ色の暖簾といい,壁の色といい,町並み統一条例(?)に従っているようでこぎれいにしている.¥250

 

バイクのツーリストやら,バックパッカーの叔父さん等,けっこうよそものの多い風呂屋だった.カヌーで猿ケ石川を下っているという人もいた.

隼が得意の電気風呂もあったりして楽しい.壁の絵は猿ケ石川の渓流だ.

 

風呂から上がって,彼を待つ.駅の駐車場と倉庫の間の軒下でぶらぶらしていた.

駐車場の管理人のおじさんが胡散臭そうにこちらを見ている.

 

ニチイを覗いてみる.売れ残りの弁当が¥320くらいになって売っていた.

飲み屋で散財するよりも,弁当の残りをたらふく食った方がいいなあ…と思いながら彼の了解を取らねばならないので,一時退散した.

 

しかし,7時近くなり閉店間際でますます値は下がってきた.意を決して二人分を買い漁ってしまう.幕の内弁当×2,白飯×2,蒸しウニ×4,甘海老,帆立貝,マグロの刺身,豆腐×2とビールだった.約¥3000だったが,食べきれず,幕の内は翌朝やっと食べたのだった.

 

彼はこの買い物を喜んでくれた.すっかり日は暮れてしまったが,河童の池の回りで宴会を始めよう.ベンチに買ってきた弁当を広げた.夜風が涼しすぎるくらいだが,人通りはちらほらある.今日は遠野の祭礼の日のようなのだ.浴衣の女性が多い.浴衣姿というのは好いものだ,まして旅の空で見掛ける彼女たちに旅愁をかき立てられる.

 

その相手の男共だが,これはかなりつっぱり風のが多い.ミスマッチである.

物陰で口説いてる奴もいたりして,なかなか賑やかな夜だ.

 

豆腐と刺身をそのまま食べるのだが,醤油がないのに気付き,彼に小振りの瓶を買ってきてもらう.おかずは豪華,今晩は話相手もいて,楽しい夜となった.

たらふく食って動けなくなり,ベンチに寝そべって空を眺める.回りが明るいせいか,どうもはっきりしない星空だった.

 

彼はボーイスカウト上がりのサイクリストだった.フロントバッグはスカウトのショルダーバッグをキャリアにくくりつけたものだった.

 

さて,まだテントを張ってない.彼が2人用のドームテントを持っているので,

そこに呼ばれることにする.観光案内所の端に張る.軒が出ているので雨が降っても安心だ.ドームは順番などなく気をつかわずに立てられるので好い.

 

まだ,時間が早いので紅茶など淹れる.駅前で民宿をやっているという,ちょっとカマっぽいおじさんの訪問を受け,お茶を振る舞い,遠野の名所の説明などを聞く.

 

早池峰の岳南山荘で買ったワンカップがまだあったので,それを飲んで寝る.

さすがに二人だと寝苦しいくらい暑かった.

 

 

8/8 遠野駅−水沢江刺−平泉−巌美渓−真湯温泉 (しんゆ)

 

朝,けたたましいラジオ体操の音に起こされる.テントの真ん前が早朝体操の

会場になっているのだ.けっこう恥ずかしいパターンである.(小学校の校庭の

朝礼台の下で寝てたり,鉄棒をテントのポールの代わりにしてる時など)

 

目が覚めても出づらくて,子供が去るのを待っていた.子供たちが帰り際に

テントをつんつんつついて行く.

 

「何人入ってるんだろね?」「自転車が2台あるから,二人じゃないの?」

「でも靴が一人分しかないよ」(僕は靴をテント内に入れていたのだ)

 

一方,テント内での会話:

僕「ああ〜,なんか起こされちゃいましたねえ」

彼「ええ,起きますか?お茶でも沸かしましょう」

 

ドームテントのフライのジッパーを広げると,朝日が眩しく,また暖かかった.何日ぶりのことだろう?こんな清々しい朝は…

 

朝食は昨夜の残りの幕の内弁当と彼が沸かしてくれた紅茶.ところが,いったんお湯を沸かすことはできたのだが,ピークワンのポンプが壊れてしまい,バラして中を覗いてみると,ゴムパッキンが外れていた.随分ちゃちなもので気密を保っているのだなあ,と思ってしまった.

 

そういえば,先日登山用品店に行ったら,LEVER が2 つあるタイプのPEAK-1のGENERATOR はもう入手できない, とのこと. こんな高価な道具を使い捨てにしたくはないし, 困ってしまう.

 

9時ころ, 彼と別れ, 国道 107号・釜石街道を西へ向かう. 沿道で遠野の民家を観光資源にしている所をいくつか見掛ける. 凌沢まではほど猿ケ石川に沿った平坦な道. 田圃が両側に広がり長閑な田舎道である.

 

凌沢に10時半到着. 暑くてドライブインで休憩. 路上の蟻の進路を妨害して戯れる国道 107号は江刺に向かう. 100メートル 見当のUP DOWN が続き,38 X 26でぐいぐいと登っていく.

 

人首川沿いの県道を下る. なんともすごい名前の地名ではある. 田圃の中の高架線路の東北新幹線を潜り, 県道・北上一関線を南下. 江刺市内で食堂に入って焼き肉定食などを食ってしまう. コーヒーも付いて満足. 短パンに汗みどろでこういう店に入ることに何ら抵抗はない.

 

県道・北上一関線をさらに南下. 国道4 号と並行しているが, こちらは全然車もこなくて快適. ちょっとしたUP DOWN が続くが, それが却ってPACEを上げる要因となる.時速2710kmで行く.

 

今日のうちに栗駒高原・須川温泉に登ってしまうつもりだったが, ちょっとバテてきた. 一関の手前で北上川を渡り, 平泉へ.駅で一服. 大きな中尊寺という東北でも有名な観光地があるので, 駅前はバスなどで賑わっている.

国道4号沿いのAコープで菓子パンなどを購入.(この食購が少なすぎて失敗だった)

 

巌美渓に至る県道を行く.平泉町と一関市の境がちょっとした峠になっている.

国道 342号に合流すると, 急に交通量が増えた. だがそれも巌美渓付近だけで磐井川を溯るに従い, 寂しい雰囲気になっていくのだった.

 

巌美渓は道沿いに眺めるだけにして, 進めるところまで進んでしまおう.

人家も少なくなり, 本寺の辺りでNESTLE COFFEE SQUASHなどという珍しい飲物を試してみる. かなりばてているようだ. 今日も風呂のある所に泊まりたい.

 

いくつか温泉があるが, キャンプ場併設のところがない. 須川温泉直下の真湯温泉(しんゆ) に到達する. 今までのところが私営だったのに対し, ここは一関市林業組合の経営になるもので, 一泊二食 \5500ということだった.国民宿舎みたいだが, 施設が新しく, ブナ林に囲まれたLOCATIONが最高なのでこれは割安だといえよう.

 

週末のため宿舎は満員. キャンプ場もけっこう込んでいた.

とりあえず, 風呂を先に使わせてもらう.\200

 

ゆっくり漬かっていて, 日がくれかかってしまい,ツェルトを張るのが面倒だったが仕方もない. 食堂で夕食を取ることができないので, ビールとみそパンを買って夕食とする.

 

喉が乾いていて, ビールを空けながらツェルトを建てると蚊の餌食になってしまった飯もないので, ラジオを聞いて過ごす. このツェルトは密閉性が悪いので, 蚊がどんどん入ってくる. 隙間をザックなどで塞いでも, 隙間の空いた高床の上にたてたツェルトの底が空いていてお手上げ. 蚊取線香を中で焚いて, ヘッドライトでツェルトの天井を照らしたら, ぞっとするほどたくさんの蚊が張りついていた.

 

シュラフカバーをすっぽり被ってなんとか寝つこうとするが, 息苦しくていけない. 時間だけが虚しく過ぎる.

 

NHK の深夜放送を聞きながら, 侘しい夜が過ぎるのを待った.

 

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8/9 真湯温泉 (しんゆ) −須川温泉−栗駒道路−花山峠−湯浜峠−花山湖−

築館−栗山−石越 (いしこし) +-+-+- (東北本線) +-+-+-上野

 

寝不足のまま,夜が明ける.シュラフカバーの中で菓子パンをもそもそ食って

そそくさとツェルトを片づける.5時だっただろうか.ブナ林の間の素晴らしい

キャンプ場だが,蚊の大群は何とかならないものか?

 

オートキャンプの人々が起き出す頃には出発.おきぬけの一発で須川温泉まで

登ってしまう.路線バスの停留所がある.一日2本が通っているらしい.

尾根に出てしまうと,栗駒山(1628メートル), 大薊山(1166 メートル) などがよく見える.

今回TOURの最後を締め括る爽快な天気だ.

 

時間が早いせいで登ってくる車に追い越されることもなく, じっくりパス

ハンティングに専念できる.

自分と向かい合いながら急坂を攀じるこの凝縮された時間がサイクリングの醍醐味だと

思う.

 

須川温泉は硫黄泉である. 標高1200メートル近くもあり, かなり気温が低く涼しい.

レストハウスの壁際にかなり走り込んだCAMPING 車がたてかけてあり, 嬉しくなる.

持ち主は現れない. ボトルケージには1.5LのPET BOTTLEがねじ込んであり, 汗拭き

タオルがアウターケーブルに引っ掛けてある. フフフ, 常人だったら触れたくもない

汚さだろうが, 私は思い切り親近感を感じたのだった.

 

湯釜はプール状になっており, 硫化物が周囲にこびりついていた. 手を入れてみる

とかなり熱い. ここで入浴しおうと思ったら, 10時まで待たないといけない, という

ので, 惜しいが急いで下ることにする.

 

栗駒道路は秋田県・東成瀬村, 皆瀬村の境を越えて下る. 料金所で話をする.

(通行料忘れた).国道 398号の合流地点で大阪から来たという空身のサイクリスト 2人と

遭遇. ポタリングのような何も持たない出で立ちだったが, 大阪から来たのだ,

と不思議な事を言う.

 

国道 398号は秋田県・湯沢市と宮城県・築館町を花山峠越えで結んでいる.

分岐から花山峠まではダラダラとした登りで, あまりはっきりしない花山峠を越え,

宮城県・栗駒町に入る. しばらく母沢に沿って下るが, 絶壁の谷の向こうに

『湯浜温泉』というランプの宿があるのが木立の間に見える. 車だったらちょっと

寄り道してみたいところだが, 自転車では登り返しがひどいので諦める.

 

栗駒町と花山村の境の尾根上を走る. 湯浜峠というのがあって, 思わず写真を

撮ってしまう. 眺めがよくてスカイラインと言っていい雰囲気だが, なぜか車は通らない.

 

(この付近の沢で前日, 熊が出た, と新聞に載っていた.)

 

湯浜峠からは下り一本. 温湯 (ぬるゆ) 温泉は道路脇にあって, 観光客で賑わって

いる. 他に何の観光施設もないが, 温泉だけで客を呼べるというのだから偉いものだ. 仙台藩寒湯番所跡などという史跡もある.

 

更に栗駒山から流れ出る一ノ迫川に沿って快走. 花山ダム湖を通過, 一迫町との

境で峠状のものがあって, 長崎川沿いに道は変わる. 築館町の国道 4号交差点で

昼となり,ラーメン屋に入る. かなり走ってしまった. 午前中だけで60kmはいって

いる.

 

この辺の地域を『栗原』というらしい. 新聞によると, この栗原の町が合併して

市制を施行しようとしているらしい.昔からの地名が失われるのは残念だが,

地域の人の利益になるのだろうな.市になれば…

 

東北本線・石越駅は細倉鉱山に通じる栗原電鉄の始発駅である.この栗原電鉄が

なかなかの味を出していて乗ってみたい路線であった.

 

まだ日は高いが,13:23 発の普通列車に乗って帰ることにした. 思えば長い

8日間ではあった.分かっていることだが,SOLO の場合, 人と喋らない時間が長く

なってしまい, それが辛くなる時がどうしてもある.

 

ENDINGについて何かかっこいい事を書こうと思ったがやめた.

淡々と記録をつけていくことこそ,きっと価値があるのだと, 思いたい.

 

1991 年12月31日了

 

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