知床サイクリング紀行(1992/08)JACK★天野氏版

 

作成 '92.8.14〜

JACK★天野

 

 8月7日の出発は相当前、1ヵ月前か?から聞いていたが、帰りは何時なのかは、聞いていなかった。

5月連休時の宮古島行きの時の二の舞をしないため、8月1日、2日にパッキングを終了した。

ゴールデンウィークには、出発前日、バーボンを飲みながら午前1時頃までかかったので、宮古空港に着いた時、まだ二日酔いのままだった。

 今回はその心配はない。7月29日の新宿での打ち合わせ会で、始めて帰りの日が8月11日であることを知った。ちょっと短いような気がした。北海道まで飛行機で出掛け、4泊5日はもったいないと思った。メンバーそれぞれ、事情があろうので黙っていた。今回は、クロスバイクではなく、プジョーのスポルティーフ(シクロツーリスム)を持ってゆくことにした。これは後悔することになる。メンバーは、I、お座敷、T、N、ジャックの5人である。(歳の少ない順?)

 

8月7日(金)5時半起床 6時半出発(足立区の社宅) 7時 上野公園口到着7時半 輪行準備完 山手線に乗る、かなりのラッシュなり、ここで二汗目(一汗目は、公園口の自転車ばらし)、更に浜松町駅での混雑、モノレールに乗るまで、三汗目、8時45分頃、JALのカウンター前に到着、キョロキョロするもメンバーは誰もいない。

9時になったので、搭乗手続きし、搭乗口に向かう、手荷物チェックの所で引っ掛かる。サイドバッグは同じ形、色のため機内持ち込みと預けるのと間違えた。ビニールテープでマークしておいたのに!

LPGボンベとオイルランタンの燃料を没収された。アーミーナイフ、レザーマン、ナイフ・フォーク・スプーンセットは通過(ウェストバッグの中にあったのに)。

オイルのボトルが惜しかったので、帰りに返してもらうべく預かり証をもらった。この時点で9時25分、急いで25番ゲートに向かう、歩く舗道に立っていると、横をT君が走って追い抜く、声を掛けて、急がないでもよいという。ギリギリ機内に飛び込む、入口の座席にお座敷サイクリスト(ご存じお座敷君)が立ち上がって、Tを見たか?と問う、すぐ後ろと答え、自分の座席へ。あとの二人は乗っているのだろうか?

 

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本格的に降っている。既に、駅舎に続く屋根の下は、アルピニスト、サイクリストのザック、テント、シュラフで一杯である。お座敷君とジャックダニエルをあおってイヤイヤ自転車を輪行袋から開放して、組付けにかかる。

駅員が、ホームへの鎖を外してくれ、明朝、6時迄に退去し、散らかさないよう指示し、待合室の錠を掛け、駅舎の電気を消す。ホームに入って、寝床を整える、雨風が強くなってきた。5人が調え終えて、ようやく宴会となる。ビーフジャーキーをつまみに少しやる。

 

8月8日(土)5時一寸過ぎ、駅員に起こされる。天気は? 本格的に、雨風ダ。皆の行動がひるむ。6時半頃、駅の待合室が開く。パンやジュースで朝食をとる。ここで暫く、ウダウダしている。

この間に、お座敷君がウトロの民宿、1泊2食付きで4,000円とのこと、と言うことでようやく重い腰が上がる。カッパ、ポンチョ、ザックカバーを各自装備し、完全防備体制で、8時半頃 宇登呂に向かってスタートした。

雨のなかを走る、北海道の道路、真っ直ぐダ、一面のジャガイモ畑の中の道を走る。メイクイーンであろう、何とも言えない上品な香りがする。

ジャガイモの花に香りがあることは今まで知らなかった。前を走っていたN君が、急にスピードを落とした。追い越しざま、どうした?

 

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どうも、緩い、長い登り坂は苦手だ! ペダリングが慣れて来たせいか回りの景色、キタキツネ等のせいか楽になった、但しこの自転車は、ダート向きではない、700C×20の高圧タイヤを履いている。しかもスリックタイヤである。

途中、キタキツネを3頭目撃した、最初は、左耳にオレンジの認識票を付けた奴、道路の真ん中に座り込んでいる、下ってくる車から食べ物をねだっている。次ぎは、首にトランシーバーの様な発振器を付けた奴、次ぎは何もない奴、最後のは遠慮がちに、道路まで出てこなかった。

道路右手に雪解け水が流れている、飲みたいなと思ったが先を急ぐので、止めた。目的地に到着したのは、16時頃だったか?

ラウスや民宿の案内所も近くにあることを話した。また、カムイワッカ迄レーサーで行ってきたのですかと少し驚きの声を上げていたように思う。熊の穴で海馬(トド)を食べてきたという話もしたような気がする。

午後6時ころか、民宿太陽に到着。直ちに風呂に飛び込む、昨夜の駅寝で入浴してない上、本日は大汗をかいたので、大変に気持ちがよい、そして御馳走が待っている。

JACK★天野は水筒に仕込んだジャックダニエルを持参し食堂に集まる、ビールで乾杯!山海の珍味ではなくて海海の珍味を紹介すると、刺し身は、サーモン、イカ、そしてタラコ、毛蟹(これは特別料金2,000円/一人)二杯/中型の、5人で、ホッケの煮物、赤魚の粕漬けの焼いたの、鱒の焼物(生鮭のと思っていたら宿の女主人にシッカリと言われてしまった)、豆腐と若芽の味噌汁、丼飯1杯(私は、他の人は2杯)、刺し身や毛蟹は、勿論東京から持参の生山葵を贅沢に使って、食べた。

またJACKは、食後のジャックダニエルのロック用のつまみとして、毛蟹の一番美味いところ、脚の根元1個を確保することに怠りは無かった。

このメニューのJACK流ランキングは、

NO.1:毛蟹/持参の山葵がかなり得点を稼いでいる、

NO.2ホッケの煮物/開きでないホッケを始めて食った、

NO.3生鱒の切り身の焼いたの、NO.4赤魚、NO.5刺し身 かな? そして、飯を終えて、JACKだけがそのまま、ジャックダニエルのロックを始める。

かくて夜もふけ、2階に上がり、8畳間で5人は寝たのであった。私には、他の人の、寝言、いびき、歯ぎしりは全く聞こえなかった。

ということは他の人は、JACKのいびきと歯ぎしりに悩まされたことであろう。ゴメンナサイ!

 

8月9日(日)目が覚めたのは6時半頃だったか? 台風はどこに行ったかな? 小雨模様

 

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と音がして、1.5 〜2.0mm 程度の腎臓の石が出た。通常だとこれを拾ってくるのだけど、今回は止めた。昨日のカムイワッカのダートで振動を徹底的に与え、その夜ビール、ウィスキーを飲み、今日自転車を押して歩き、雨風のなかダウンヒルで凍え、そして熱い露天風呂に入った。

振動、膨張、緊張、弛緩、この条件では石が出るに最適のものである。

これで、すっきりしたのは良いけれど、一瞬か三瞬位頭が働かなかった時間があった。

熊の湯から羅臼の町迄、先ず500メーター位下りである、橋を渡って、町並みに入る、1キロ程走って町の中心を過ぎ交差点がある。この交差点を左に行くと、瀬石温泉、相泊温泉で、右に行くと、春日、羅臼峠だ。此処で一旦止まり、本日泊まる予定のライダーハウスはどっちかなとお座敷君とキョロキョロしている時に、気がついた。

熊の湯を出発する時に全く念頭から去っていた。イッッケネ!!!! ザック忘れた!! 後から追いついてきた、T君とI君が、ヤッパシ、天野さんのでしたかと言う、ソーナンダソーナンダヨ! その交差点の店の前に、サイドバッグを置いて、熊の湯温泉まで引き返した。

1.5KM漕いでいる間中、此処は北海道だから無くなっていないはず、と自分に言い聞かせながら、平地は飛ばし、上りは押した。露天風呂の入り口の橋の道路側に、そのザックはひっそりと雨に濡れそぼちながら、持ち主の迎えを待っていた。

オーういやつういやつという感じで、背中に乗せ、来た道を戻ったのであった。交差点のサイドバッグもチャンとまっていた。皆は、とど(海馬)を食わせる料理屋で待っていた。此処で、お座敷君とジャックは牡蠣雑炊、N君はとど焼き肉定食、T君はおむすびとサラダ、I君はラーメンだったかな? 彼はラーメン党だけどチャーシュウ(肉)は食わない。更にジャックは、とどの刺し身を注文する。これは凍っていて、鮭のルイベみたいなもんで、味がない。

 N君の焼き肉を一つつまんだけれど、鯨の肉に似ていた。

 

此処で、ちょっと脱線してみる、『トドのつまり』について、

第一説:魚の鯔(ボラ)は、幼魚→成魚の過程で、その呼び名がオボコ→スバシリ→イナ→ボラ→トドでおしまい。

第二説:トドは北太平洋に棲む、あしかに似た海獣トドのことで、日本では北海道近海に棲んでいます。それで、トドの棲むような辺境の地という意味からトドのつまりという言葉が生まれた。という話、

第一説のほうが一般的であるらしい。今回の話では、第二説のほうが面白いが、そういえば、カムイワッカにゆくとき宇登呂の町を出て、しばらく登った辺りに、『地の涯(はて)』というホテルか、レストランかがあったな。

 さて、8月9日の14時頃である、ライダーハウス赤い屋根に向かって出発だ。先程の交差点を右、南西に進路を取る、海岸線を走る。すぐ気がついたことは、匂いだ、昆布を炊く匂い、実際は炊いているのではない、ちょうど今昆布の収穫期で、収穫した昆布を地面や乾燥小屋で乾燥しているのだ。

それで町中、昆布を炊く匂いに満ち満ちている。余りよい匂いではない。橋を4〜5本渡り、精神橋、ポン春苅古丹橋が面白い名前で記憶に残る。

ポンでパリのポンヌフを連想し、フランス語かな?と思ったりした。最後の、真っ直ぐな1キロメーター弱の坂を押して上ると、左手に舟(ふな)という蟹屋がありスピーカーが客寄せをしている。その反対側に、赤い屋根があった。

 赤い屋根のペンション風の建物があった、そこに泊まるのかと思ったら、そこはオウナーの家と食堂だった。その隣にやはり赤い屋根のプレファブ様の粗末な小屋がありそこが寝泊まりするところだ。

ウェアーも荷物も濡れたままそこへ入る、既に20人くらいの若者がたむろしている。中に2、3人若くない人もいた。

サイクリストは我々だけのようだ入口付近の駐車場は、バイクばかりだった。中は20畳位の広さで、両脇に蚕棚のようになっており、寝る場所が2段になっている。

奥の左にドアーがあり、女性の部屋が確保されており、真ん中に、奥に大きなテーブル、手前に小さなテーブルが置いてあり、いちばん奥に、14インチ型のコインTVがあった。我々は、濡れたウェアーを乾したり、コインシャワーを浴びたり、クッキング道具を準備したりした。

夕食の買い出しはT君とお座敷君に任せた。小型の毛蟹5杯で2000円?、羊諦山の清水で作った焼酎、1.5リッター?、レトルトカレー、明日の朝食用のパン?等を買ってきた。

宴会の始まりである、入口側の小さなテーブル(ちゃぶ台といっても良い)でプリムスのガスバーナーで飯を炊き、湯を沸かした。ジャックのガスバーナーは、筆おろしである。

従来、コールマンのピークワンを使っていたが、前回宮古島のイムギヤーで、朝の紅茶を飲もうと着火したら火事になり、まるやけにしてしまったノダ。

ガソリンストーブは、利点も多いが操作ミスをすると火事になるのが欠点で、主義に少し反するがLPGバーナーに切り変えたところだ。N君が前からプリムスなので私も合わせた、自動点火(圧電素子付き)はライターが不要なので具合がよい。

ビールで乾杯し、焼酎お湯割り、ジャックダニエル水割り、そして、毛蟹、生山葵を下ろした。食って飲んだ。ジャックは大分酩酊し、蚕棚に登って、早々に寝てしまった。翌朝他のメンバーに聞いたら、おじさんが若い者相手に吼えていたので寝られなかったとのこと。うまくいった。

 

8月10日(月)

 

OLソロライダーが入ってきた、丸ポチャの姉ちゃんだ。

今日の夕食は、キムチ鍋だ、お座敷君の発案だ、どうも大学の安上がりのおかずのパターンらしい。

鍋にキムチ、ウィンナー、サバ水煮等を放り込んで煮るだけ。

結構おかずになる。もちろんビール、ウィスキー、焼酎、さらに枝豆、餃子、納豆、卵豪華だ。

本日は、飲みすぎないように努めた。おかげで、ライダーたちの宴会が終わってからの例の札幌のネーちゃんを構う酔っぱらいの戯言で、午前3時ころまで眠れなかった、他のメンバーも同じだったようだ。

食事を終えて、一休みしていると、急にN君がナイトランをすると言う、明日標津で、会いましょうといって出掛けていった。8時ころだったか?

 

 

8月11日(火)

 

残りの3人は、自転車や荷物をクロネコにした。両方で約6000円だった。それから、みやげ物など買って、牛乳を飲んで、昼食を取ることにした。

吉池レストランで生ビールで乾杯、それぞれ違うものをオーダーした。

私は縞海老入りナポリタンスパゲッティーだった。ポテトフライも頼んだ。

T君はカツカレー、お座敷君は帆立てフライ定食、I君はラーメンだったと思う。私は機内で飲む、ビールを2本求め、つまみとして秋葉を買っておいた。待合室に入ったら、N君がいた。

フライトは20分くらい遅れるという、写真を撮ったりしていた。満席だった。

そして、ビール二本飲み終わる頃は羽田だった。帰りは、背中のザックだけなので、楽だったが、行きに預けておいたガスボンベとランタンオイルを受け取るのを完全に忘れた。

今回は、テントを背負っていったのに、一回も張らなかった。わずかに初日の斜里の駅寝の時、雨風で寒いので、テントを掛けて寝ただけであって、他は全てお荷物だった。と言うわけだ。何とか無事に帰宅できた。今回は多くの教訓を残したと思うし始めての経験も色々あった。これで良かったのだと思う。腰と尻がイタイイタイ!!

                  完

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