上越国境・ 蓬峠(1990/06)

 

 1990年6月2〜3日,先日申しました通り,上越国境 蓬峠に行ってきました.

一言でいうと,『辛かった』. サイクリングのフィールドではありません.

ハイキングにはちょうどいいといえると思います.

 

 

使用地図 : 5万 越後湯沢

 

今回失った物: ペダル (クイル型ペダルのバレル部分が折損して,ロード ペダルの             ようになってしまった. ペダルキャップ外れて紛失)

 

        マッドガード(前:岩に引っ掛けて,ステーが外れたのをそのままに

             していたら,曲がりがひどくなり,180度捩じれた

               後:ステーが外れ,そのままにしていた.

               ダートの下りでギャップを飛び跳ねているうち

               ホイールにステーを巻き込み ハブのフランジ回りで

               コイル状になった. スポークは折れなかった.

 

        6ミリ アレンキー:雪渓をトラバースするとき,ペダルを外して

             アイゼン代わりにしたが,そのとき使用し,下草の中に

             忘れてきた.

 

        右クランク : 登山道の下りで荒っぽく 車体を投げ下ろしている

             とき,内側に曲がり,ペダリングが不自然になった.

             上死点で左に傾斜,下死点で右に傾斜する

 

        チェンリングの削れ: アウターを岩にぶつけて削れた

 

        ハンドルバーの曲がり: ランドナーバーのエンド側の幅が狭くなり

             マースバーに近づいた.

 

 これを見ていると 自転車を壊しに行ったようなものだ. 褒められた行為ではない

 6月2日(土) 5時45分起床.

 6時16分 上野発で行くはずがこれでは 到底間に合うはずもない. 天気も合羽が必要なくらいの雨で,憂鬱.担ぎの峠に挑戦するようなコンディションではない.

 上野発 8時6分に変更. 7時半ころ 目黒駅で輪行し始めるが,出勤・登校する人々がけっこう多い. 濡れた輪行袋が車内の邪魔になるので気を遣う.

 今日から目黒駅は自動改札になったが,輪行袋を抱えるととても通れる幅ではない.

 

 上野からの高崎線・普通列車は どこやらの高校生のグループと一緒になった.坊主刈りにしていて異様である. 寝ているうちに 高崎.水上行きに乗換.

 

 北関東はすっかり快晴.寝坊したことを悔やむ.渋川のあたりでは入道雲が眩しく

気が逸る.

 『関東電化工業』の工場が間近である.同業の事業所は気にかかる.

関越自動車道で渋川付近の夜景がきれいな所である.

 

 上越線もすっかりローカル線になってしまった.

 5,6年前までエル特急『とき』が一日15往復もしていたとは信じられない. ただ 頑丈なレールが往時の名残となっている.(N50 N60?)

 

 湯檜曽,土合,土樽とトンネルで通過. この一帯が,明日悩まされる山域だ.

トンネルを抜けるとまた曇り空だった. 上越国境の山々が入り組んでおり,降水量の多い地域である.

 

  岩原スキー場に11:58到着. 無人駅.シーズンオフのスキー場は何もない田舎の駅. しかし,駅前には 工事中のリゾートマンションが林立している. なんとも不自然な光景である. ぼくたちの今日の宿も,会社が保養所として持っている,マンションの一室だ.

 

 空は曇り,降り出しそうな気配.今日は遅くなったので魚沼スカイラインも諦めて

宿で停滞することとしよう.明日はまた清水トンネルを越えて,土合から登り始めるのだ のろのろと自転車を組始めていると,Sがやってきた. 6時16分上野発 岩原

9時48分着で,芝原峠に行ってきたそうだ.この道は冬に山スキーで来ると面白いと思われる.

 1時にチェックイン.この季節でも結構来る人はいる.テニスをしている.

十二階の2DKの部屋である. 鍋釜も揃っており,充分暮らせる.有線放送もはいる.テレビも12チャンがないだけ.あとは家よりよく映る(有線だから)

 

 ぼくの勤める会社には,新幹線通勤する人が20人ほどいるが,熊谷,高崎がほとんどであと小田原,三島なんてのもいる. ここなんか 越後湯沢に新幹線の車庫があるから必ず座っていけるのだ. こんな発想をするもの異常だが.(湯沢繽纐間200キロ) 新幹線通勤をする人の中には体の変調を訴える者もある. 後日,社会問題化しなければいいが. 乗務員,レストラン,車内販売員等はどうなのか?

 

 昨年秋できたばかりのマンション,建材の匂いが残っている. 廊下に人影はない.

2基しかないエレベータも呼べばすぐ来る.

 

 昼は持っていたパンなどで済ませる.     天気ははっきりしない.

 

 フィットネス ジムで自転車漕ぎなどする. 風が吹いてこないので 汗をかく.

ルームランナーから落ちそうになる.よそ見をしたり,話をしながらだと.

 

 日がくれるまで長いので,越後湯沢の町を見に行く.3キロほどの緩い下り.

スキーだけの町から脱却しようと,湯沢は人工的な施設を次々に造っている.

 これが『克雪』という言葉を具現したものなのか? 新潟県全体にいえることである.土地が安いからできることだともいえる. 最近の東京の建造物はちまちましたものが多いが,こっちのは横方向にゆったりしてる. 先日,山陽新幹線で東広島に停車したときも駅舎の造りの豪華さに驚いた.

 

 自炊用のタレつき肉,牛乳紙パック入りコシヒカリ 1キロ(¥700),

レタス,もやしを購入.僕は料理は苦手だが,Sはまめなのである.

 夕飯をビール付きですませ,炊いた御飯の残りで,明日の朝と昼用のおにぎりをつくる中には,棚にあった昆布を入れる. ここは 人が住んでいないので,意外な物がない. 土鍋や,電子レンジはあるが,ナイフがない.僕のアーミーナイフで野菜を切る.

 ジャッキー・チェンのサイクロンZ(飛龍猛将)をみて寝る.関越自動車道が直下に見える.

 

 3日(日) 快 晴

 6時50分 起床. 電気ポットでお湯を沸かし,茶とおにぎりで朝食.ふだんより

余裕がある.

 8時19分 岩原スキー場前から上越線上りで土合まで戻る. 駅の鉄道電話の蓋が開けっぱなしになっていた. 発電機で電気をおこし,プラグで差し替える原始的な電話だが通信の原点である. 非常時には昔から使われてきた器具の方が役に立つ.

    (長岡,新潟方面)

 土合は下りホームが地面より80メートルも下にあり,500段もの階段を登ってこなければならない. 輪行袋を抱えた身にとっては辛い. 8時48分着

 上りホーム(水上,上野方面)は地上にある. 今回は階段をのぼらずに済んだ.

駅は中高年の登山者でにぎわっていた. 若者はここでは少数派である.

 9時20分発  海抜 660M

 早速,自転車を組み立てる.駅前を国道291号が走っており,谷川ロープウエイ駅を経由して,一の倉沢まで車で行ける.

 踏切を越えるとすぐに登り始める.ロープウエイ駅までは渋滞しており,スノーシェッドの中で排気ガスに悩まされる.

 ロープウエイ駅から先,道幅は狭くなるが舗装であり,殆ど勾配はない.ただ山側に寄せて車を停めてあるので,すれちがえない箇所がある.歩行者と自転車は問題ない.

 

 マチガ沢(820M)では,5〜10メートルほどの高さの岩壁にとりついているクモ男たちでにぎやかだ.彼らはコスチュームもカラフルである.

 

 10:00 さらに木陰の舗装道を行くと一の倉沢(880M). この岩壁は圧倒的 道にドームテントがたくさん張られている.

 ここからダートとなる. 締まって いいダートである. 旧清水街道(?)ということで山側には1.5メートルくらいの高さまで石垣が組んである.

 上杉謙信公も越えた道だ. (僕は上越に住んでいたので,武田信玄より,上杉謙信が好きである)

 勾配は殆どない. こんな感じでずっと進んでくれればいいが,これじゃ丹沢あたりの林道よりよほどいい. バイクはまったく来ない.

 

 10:40 芝倉沢.  沢の目前で幅10M程の雪崩のあと.担いで越える.

雪は普通の崩落より滑る. 沢水が道を渡って流れており,靴の中を濡らす.ガントレ}型では辛い.

 ここから,道幅は俄然狭くなる.ハイキングコースである.幅は30〜50センチ

岩も出ており,まったく乗れず,時折担ぐ.しかし勾配はない.

 

 約3キロで武能沢に着くまでに,1か所,つづら折りの担ぎの箇所がある.ここで早くもへばる. 虫が多く,刺される.

 

 高圧線を右から左にくぐる. 谷の向こうの稜線上に,高圧線の鉄塔が二つ見える.

それは鉄砲尾根であり,清水峠はさらに3キロほど北北東である.(白樺小屋まで行くと清水峠の避難小屋が視界に入る)

 

 しばらくは勾配が緩く,押して行ける.雪渓が残っており,おっかなびっくり越える.靴底は滑るし,自転車は後輪が下に流れようとする. ペダルを外し,ストラップをきつく締めて履き,アイゼンの代わりにする.しかし5メートルも歩くとバレルの間に雪がつまってしまう. スノーブリッジを踏み抜かないように注意.

 

 Sがついに滑落. ペダルアイゼンも履かずにちょっと急傾斜の雪渓を渡ろうとしていた時だ.僕は後方の土の斜面でペダルを履こうと準備していたところだった.

 目の前で背中から頭を下にして滑っていく. 最初の2〜3Mは自転車を掴んでいたが自転車に潰される恐怖にかられたか 手を離し,加速する. 彼はTシャツ 短パンであり,擦過傷が予想される. 15Mほど滑ったところで指で制動する.痛そうな止め方だ 僕はその間,声も出なかった.

 目立った外傷もないようである. すぐに起き上がって斜面を攀じ登ろうとするが.

靴が滑って登れない. テニスシューズなので キックステップも思うようにはいかない「おーい,大丈夫か.  登って来れるか?」

「ああ 何とか」

 

 僕は, ペダルアイゼンを付けて幅20M程の雪渓を慎重に渡り終えた.

Sは土の斜面のところまで辿り着いていた. しかし,ブッシュのため,自転車を持ち上げるのに苦労した.

 

 この雪渓を越え,と 白樺小屋はすぐだった.水がなくなったので雪渓の融水

を汲む.あまりうまくない. 13:00〜13:15 休憩(1200m)

 

 だいぶ,消耗しているので 大休止. 持参の握り飯を食う. 茶色い直径1センチくらいの蛇が小屋の下に這い込んでいく.

 

 進路を蓬峠にとる. 清水峠の方が 勾配が緩いが,白樺小屋から更に5キロは押さねばならないし,峠から林道の切れる東屋沢まで10キロはありそうだったからだ.

 清水峠に行くときは,白樺小屋か清水峠避難小屋,蓬ヒュッテなどで泊まる必要があると思った.

 

 武能岳に連なる稜線への登りはなかなか急だった.時折道が掘れていて担ぐ必要がある最後に50Mほどの雪渓の上端をトラバース.頼りにならないタフテープ(梱包用のしなしなの紐)が端々を結んでいる.ここで滑ったら白樺小屋より下に戻ってしまう.

 稜線に近く,風も吹いてきた.

 

 無事,渡り終え,乗れるほどの道になったが,ペダルを外したままである.クランクに直接足を載せようとしても無理.滑ってくるぶしを打つだけ.

 蓬峠避難小屋は鉄骨の骨組だけになっていた. ツェルトを持ってくれば泊まれるだろう.微風が吹いている.

 蓬ヒュッテが100Mほど先に見える.小屋番氏が入口でくつろいでいる風.

音のない世界だった.

 

 15:00〜15:15  1550M

 蓬ヒュッテ 1泊2食 で¥4300 素泊まり ¥1600だったかな.

テントサイトは有料で30人分ほどある. 水場は徒歩10分 土樽側に下ったところ

 足拍子山,コマノカミ頭,シシゴヤノ頭,が北西側に,武能岳が南側に望める.

 はるか下に関越トンネルを抜けたばかりの関越道が見える.

北に向かい,稜線伝いに七ツ小屋山経由で清水小屋までは2時間半と標識にある.ピークは1675Mだが,,この道は乗れそうだった.

 

 さて 土樽からの上越線上り列車は18:19,19:19がある.これからの担ぎ下ろしを思うと急がねばならない.

 乗れるところは乗ろうと,サドルを落とし,ペダルを付ける.最初の50Mは谷に落ちる恐怖と戦いながらも乗る.しかし,乗っていても快適でないので押し始める.

 こちらがわは南斜面にあたるので,雪渓の雪が腐っている.踏み抜くのを恐れて,Sと二人で担ぎ渡しをする.担ぎ下ろし,引きずり下ろしもかなりあり,前ガードのステーが外れ,ガードが曲がり放題である.

 蓬沢の出てくる方向は左側である. 最初はかなり下の方で,水面は見えず,流水の音だけが聞こえる.勾配は大したないが,乗れない.

 

 17:00 東俣沢出合 という新しい標識のでている踊り場状のところにでる.

北側の蓬沢と,南東から流れてくる檜俣沢の出合う地点である.

 沢を飛び石で渡る.川原状の道で押せず,担ぎが長くなり辛い.

 沢と平行して進む.殆ど平地だが全く乗れない.漸く林道終点に着いたのは18:35だった. ここで外していた後ガードをつけるが,ステーの付け方がいいかげんだったため,ダートの下りで,ステーをハブに巻き付けてしまい,ガード自体も曲げてしまう.

 おまけにサドルも下がっていく.

 19:00 土樽駅には道から50段ほどの階段を登る.無人駅である.

 19:19 の列車に乗り込む. 土合,水上からハイカー達と合流した.

 

 担ぎは暫くなりたくなくなった. 伝付峠や夏沢峠も躊躇してしまう.

 

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