奥相模湖 雨のキャンプ(1990/06)
さて こりずに, 先週 梅雨のはしりの雨の中, 学校のサイクリング部の現役たちに交じってキャンプをしてきました.
6月9〜10日,『キャンプ・ラン』に参加してきました.
このクラブは,他の大学と同様に夏休みに10〜14日間のキャンピング・ツアーを行いますが,新入部員の錬成,古参部員の勘を取り戻すために,1泊2日で行っているものです.
9日は関東地方に梅雨入り宣言が出されようという,はっきりしない天気の日でした.11時に日吉の部室を出発するというので,10時に家を出ました.
いつもと違う持ち物は,Big Oakの蝋燭ランタン,ニッピン・アルミックスの夏用シュラフ,ロールマットです.嵩張るけれど,大した重さではありません.
部室には11時5分くらいに着きました.7,8人の見たことのない現役部員が屯しています. 彼らの喋ることばにはついていけない. 特に内部進学の2人は特有の話し方をしています.
予定時刻を過ぎているというのに,全く出発する気配もありません.がらくたの転がって,暑苦しい部室に普段着でやってきて,『体調が悪くて,参加できません.授業にだけは辛ろうじて出ようと思ってきました』なんて言ってるやつもいます.
これから,雨になるから,行きたくない気持ちも分かるが,悪条件を経験しておくことが『キャンプ・ラン』の意義なのだ.
結局,12時すぎに8人で出発.あとの4人は午後の3時限の授業終了後,途中まで輪行して追いつくという手筈です.
今日の目的地は,山梨県,道志渓谷の青根・緑の休暇村キャンプ場です. 横浜の日吉からは,60キロほどの道のりです.
ついに雨が降り出してきました. 今回,僕は新調したVHS−Cのビデオカメラを
フロントバッグに入れてきています. 防水型じゃないので,不安ですが, スチル写真とは違う,おもしろい写真を撮れることを期待します.
さて,日吉駅前から東横線で次の綱島までは緩い下り坂です. 大綱橋を渡り,鶴見川サイクリングロードに入って町田までいきます.
さて 今日の参加者は 経済学部 3回生の小野康行君 リーダー
同 3年 の若生(わかいき) 君 サブ・リーダー
商学部 3年 内田 君 同
経済学部 1年の 中島君, ,
同 1年の 池上君
法学部 1年の 今井君,
藤沢の新設学科・総合政策学部 1年の 山本君
86年卒の 私
遅れて来た 経済学部の1年
深堀君,赤川君 文学部の2年・田中さん,1年・小林さん
(この4人は3限に出た後,相模湖まで輪行し,雨の夜,青根に10時ころ辿り着いた
総勢12名だった.
最初,緑産業道路を走る積もりだったが,サイクリングロードの方が走りやすい.途中ダートもあり,夏草が,自転車に乗った僕たちの肩の高さまで生い茂っていたが,ときおり,やってくるバイクやランクル以外誰も通らない雨の土手は快適だった.
横浜線を左手に見ながら,多摩川よりだいぶ空いている道を走る.
中原街道の落合橋の下をくぐり,青砥から県道に出る.東名高速,国道246号,東急田園都市線の高架をくぐり,こどもの国線の踏切を渡る.若生君のタイヤがピンホールらしく遅れる.更に県道を横浜線の北側を進み,原町田2丁目交差点の坂を登り,町田市街に入る.駅前の雨の歩行者天国を突破.歩行者は傘を斜めに差しているので危険である.
町田街道をひたすら北西へ進む.国道129号にぶつかったところで,南進,横浜線の線路を越えて,県道『橋本・津久井・相模湖線』に入り,西進する. 3時
ここまでの経路であるが,僕の現役時代はわかりやすさをいちばんに考え,
h国道246,国道16号,県道『橋本・津久井・相模湖線』
i中原街道, 国道16号,鵜野森から県道・原当麻経由,中津川北上,半原越
などもあった. もうこのキャンプランにも6回くらい参加している.最初のころ多用していた宮ケ瀬はダムの底に沈んだ(沈む?).
城山ダムを越え,ちょっとしたアップダウンがあり,最後の集落 三ケ木(みかげ)に到着.靴の中まで海. 手の指はふやけきっている. 5時半
Aコープで食購.豚バラ肉のカレーである. フルーチェを異常にたくさん買う.確かに疲労時にはするする飲み込めていいのであるが. サラダ関係がないのが寂しいが,
僕は口を出す立場ではない. 店内に雨の雫をぽたぽた垂らしながらの食購だった.
6時すぎ,そろそ暗くなってきた. あと15キロほど,青根・緑の休暇村キャンプ場までノンストップで急ぐ.
青山の交差点を右折,いよいよ道志の渓谷に沿った国道413号をだらだら登りはじめる. ここからが長かった. 300メートルほどのアップだが,そうすんなりとは登らせてくれない.雨の夜で月明かりもなく,1月前,九州の大隅半島で同様に暗闇の山道を彷徨していたことを思い出し,自分の愚行を嗤う.ただ,今度は心強い,20才前後の若者がついていてくれる.彼らの士気は落ちていない.フォーカスで照らし合いながら冗談を飛ばしている. しかし,足取りは重くなってきた. ぼくがアップダウンのピークで待つようになる.現役の2,3年がいちばん強いはずなのだが.
梶野で酒を買う.酒屋の女将によると,青根は車であと15分ほどとのこと.自転車なら30分くらいか? 7時40分
梶野を出てすぐのところに,青野原キャンプ場がある.ここに妥協したいという誘惑にかられるが,後発隊が備品を何も持っていないので,思い留まる.途中に夫婦園キャンプ場も見えるが,無視してひたすら青根に向かう.
荒井,平丸等のバス停が、ピークとなっている.橋津原の下りの途中に,ヘアピンで右折する道がある. 標識に『青根・緑の休暇村キャンプ場 2キロ, 中央線・藤野駅
12キロ』とある.
この角からは,つづら折りの下り.道志川・奥相模湖ダム直下の河原がキャンプ場である.今日はこの地域に洪水警報も出るほどの豪雨で,夜中11時ころからダム放流が始まり,サイレンがうるさかった. 8時50分
さて,キャンプ場に着いたものの事務所はしまっている.国民宿舎の方の職員がいるので,聞いてみるが,オートキャンプで来ている人達の間にテントを張れば良いという.
風呂付きのバンガローは20600円,今8人いるから,一人2500円.ここで妥協したら,キャンプランの意味がない. 有料 温水シャワー300円もあるというので,一部の不満をなだめつつテント一人600円とする.
そして,薪を買おうとするが,ちっぽけな束が2つしかない.到底,飯,カレー,味噌汁などを作れる量ではない.あと我々には調子の悪いPHOEBUS625が一つあるだけだ. 9時
平らなサイト地は, もう残されていない.こういう時は屋根のある炊事場やトイレの軒先にテントを張るのが賢明だ.しかし,あまりスマートとはいえない.学生時代の感覚だ.
後発の4人は 諦めて来ないだろうとの予測のもと,飯を十二合炊く. 1年の鉈の使い方が怖い.左の指を切る者が続出. ここだけは注意する. ツアー中の怪我はやっかいだから.
個人装備のブタン・ガスコンロ PRIMUSも動員して,やっとカレーを作り上げる部のPHOEBUS625はポンピングが効かず,生ガスが燃えて怖い思いをする.ガソリンがあるのに使えないなんて.本番の夏合宿までにオーバーホールに出すよう厳命するむしろPEAK1あたりに変更し,薪を廃止した方がスマートなキャンプになるとも思えた.
僕はあれこれ口を出しながら,ビデオを撮っている.蛍光灯の暗い明かりの下だったが発色が多少悪くなるくらいで焦点もよく合っていた.スチル写真より簡単だ.
ほぼ 食事ができあがった10時ころ,後発の4人が到着.相模湖を出たのが7時ころ小林さんが大きすぎるランドナーに乗っており,押しが多かったものとみえる.
再会を喜び,女子は家に電話させた. 彼女たちは疲れも見せず,炊事を手伝っていた 10時半ころから,遅い夕食.雨あしは衰えない.僕はTシャツを着替え,アクリルのマイヨーを着込んだ. 足元がぐじゅぐじゅして気持ち悪い.サンダルを持っていないのである. 各人の自己紹介,今日の走りの反省など合宿風の話題がおかずとなる.
寒いのでビールはない.フルーチェを流し込む.飯は12合,12人でちょうどよかった. 鍋洗いとテント張りは1年の分担とする. 個人の食器は自分で洗うのが母校のしきたりである. いつも『食当(2年生が食事当番)に感謝して,いただきます』というのだが, 今回はみんなでよってたかって作ったのでこの挨拶はなかった.
竈の燠火で沸かした湯でコーヒーを淹れる.灰の匂いも交じって香ばしい. いちばん寛げる時である. 梶野で買った角瓶,呑を開ける.疲れており,回りが早い.
1月に東欧に行った赤川の話を聞く. 明日はダムに釣り竿を持っていこうといっている. トップチューブに竿を絡ませてきているのである.
12時就寝.僕は1年の深堀君と狭いドームテントに寝た. シュラフが湿っぽかった,
6月10日(日) 晴れ後曇り 6時起床. 肩,腰は痛くない. 最近走り込んでいるせぢだろうか? 腿が張っている.
今朝の食事は,飯,たらこふりかけ,玉葱,わかめの味噌汁,さんま/いわしの缶詰である. 一日ならこんなのもいいが,2週間の合宿でこれが続くと暴動が起きる.
まだ,段取りが悪く9時半発となる. 起床後1時間で出走できるようになるといいのだが.
影ができないくらいのちょうどいい天気.橋本に12時.日吉に4時半着.
ビデオは60分撮ったが.初日の方が,テープが湿って絡んで,うまくない部分があった
やはり キャンプはサイクリングとは切っても切れない関係なのだ.
ただ,雨のキャンプはもう遠慮したい.