濁河温泉 と 御 岳 山(1989/07)

 

濁河(ニゴリゴ)温泉 と 御岳(オンタケ)山

 梅雨が明けた。台湾以来、御無沙汰していた自転車の虫が疼き出した。

かねてから行ってみたかった濁河温泉(にごりご)に行ってみることにした。

青春18切符も用意した。Sに電話するが、決算で忙しく、同行できないとぬかす。

僕には今週しかないのだ。来週は会社の納涼会、八芳園に駆り出される。8月6日は、韓国語の同窓会で、磯子にボウリングをしに行かねばならない。今週しかないのだ。

 7月22〜23日、僕は単独でこのプランを決行することにした。

計画は綿密に、参院選の不在者投票も済ませ、21日(金)の大垣行きに乗ることにする。

金曜の夕方、思いがけず、部長から、名簿作成の作業をいいつかり、8時までかかって完成。それをB2に渡しにいくと、一杯つき合えということになり、9時を過ぎてしまう。これから帰って、荷作りして11時には再び東京駅にいなければならない。

 家でシャワーを浴び、さっぱりしてからでかける。酔っていると腰がふらついて、自転車をかつげない場合がある。遅くなってしまい、品川から乗りこむことにした。

一晩立って過ごすことになりそうだ。それを見越してマットを持ってきた。ツェルトとシュラフも持っている。

これからの時期の必須アイテムだ。11時の品川駅は、会社員でごった返している。 

ホットドッグをくわえ、缶ビ−ルを空けながら、電車を待つ人の列の間をへらへら笑いながら歩く。

湘南ライナ−という快速電車があって、300円の追加料金で帰宅を急ぐ人々の人気の的となっているが、今日は臨時列車があり、その整理券を売ろうとしていた駅員が、列の最初の2、3人に切符を売ると、その臨時列車が来てしまい、列が解消してしまい、駅員氏は、憮然としていた。

そんなこともおかしい。23時34分、大垣行きは、貧乏学生とサラリ−マンを満載して現れた。デッキから車室内に入れない。

 小田原くらいまで、酔っ払ったサラリ−マンと、いかれた兄ちゃん(柳沢きみおの「妻をめとらば」というまんがを読んで、にやにや笑っている。)に辟易する。

またビ−ルを一本空ける。サントリ−の「冴」というやつだが、うまくない。ドライ系の中では、アサヒがいちばんうまいと思う。目がしょぼついてくるが、席はない。ここでアルミコ−ティングのマットが登場。固いリノリウムの床の上に敷けば、快適なベッドのできあがり。

ここはモハ165のデッキです。自分の側のドアが開くと、転げ落ちそうでこわい。人は僕の上をまたいでいきます。視点が低いというのは愉快なことだ。この完全に横になって寝てしまう。これは座席より楽だ。ドアが開くと冷気が飛びこんでくる。よどんだ社内の空気を吹き払う。

 静岡で大休止。弁当を買いに出る若者が多い。たちまち売り切れる。無邪気にトランプに興じているグル−プもある。

 

 22日、岐阜に6時過ぎに到着。高山線の鈍行がすぐ接続している。9:54に飛騨小坂(おさか)に着く。朝食をとる余裕もないが、とにかく、乗りこむ。金谷から出る大井川鉄道のように引っ込んだ0番線である。単線。鉄道は虐げられていると思う。

乗鞍やら、飛騨といった特急にいちいちぬかれて、なかなか先へ進まない。下呂も小さな駅だった。飛騨小坂は小出にも似た山合いの駅。日差しが強い。次ぎの濁河行き濃飛バスは11:20発だ。1時間以上ある。40キロの1500Mアップだが、バスで2時間、¥1850。鈍った体を気づかって、バスに乗る。

 小坂で五平餅を2本買う。割高だがうまい。@¥85駄菓子やか、豆腐やのような店の小さな窓口から買った。時間があるのでキヨスクで牛乳、雑誌、時刻表を買う。

 バスは僕の他に学生風の4人グループ(ルート周遊券を持っていた)と一人旅のおじさん。学生のひとりはバスに酔って脂汗を流しながら、横になってしまった。こんなのは台湾の大禹嶺のバスに比べれば、揺り籠のようなものだ。僕は夜行の疲れでうとうとしてしまった。崖っ縁に来るとわざわざ停まって説明してくれる。太平台という展望できるところで3分休憩。先発していた観光バスが停まっている。太田の小学生の団体がおんたけ青少年休暇村にキャンプに行くのだ。

 12時15分過ぎ、濁河温泉に着く。狭い道なのに、ペンションやらロッジが林立している。バス停は今年できたばかりというホテル「おんたけ」に横付けになる。予想外の観光化である。白い5階建ての大きなホテルであった。露天風呂が売りものだそうだが、ぼくは土産ものやできいた町営の風呂(¥200)に入る。

 雨が降ったり、やんだり。風呂で湯冷めしそうだが貴重な露天風呂を体験する。写真も撮る。タオルを忘れてきており、¥700も出して買う。ここのキャラクタ−は民芸品の「さるぼぼ人形」である。本来の素朴さを失い、まんがのような風貌になってしまっている。「さるぼ棒」というキルトでできたこん棒の玩具もあった。

 この道をまっすぐ登っていくと御岳山の登山道に入って行く。濁河峠を経て木曾へぬけるには、少し戻り、スキー場の横のダートの林道(秋神林道)を通って、日和田に行かねばならない。この辺には小さなスキー場がいくつも散在する。

 林道の登りはたいしたことはなかった。殆ど押してしまったが、歩いても30分位の距離だ。濁河峠には町界の標識だけ、おまけに雨が降り出した。下りの地道は質が良い。バラスは殆どなく、轍もできていない。

バイクも車も通らない。下りきって、少し、登りもどしてみると、胡桃島キャンプ場の看板があった。まだ3時だが、旅程は進み過ぎた。ここで泊まることにする。雨足もだいぶ強くなってきた。

 キャンプ場の入り口には、ロッジがあって、ここに泊まれそうだった。柴犬が吠えている。老いた管理人が二人、古材をかたづけていた。僕は快く泊めてもらおうと、細心の注意をして、彼らに近づいた。老人は気難しく、第一印象が肝心なのだ。ここに泊まれなければ、僕は雨の中、日和田の村まで20キロは走らねばならない。

 「こんにちは、とうとう降ってきましたねえ」

 「そうだな、お山も雲に隠れちまって、」

 「そうですね、さっきまでくっきり見えていたのに」

 「どうしたね、どっちから来た?」

と、名古屋章を20年年寄らせた方の男が言った。

 「あの〜、下の方から、濁河のほうからです。」

 「歩いて来たんかい。」

 「いえ、自転車で秋神林道を走ってます。日和田から、木曾福島へ抜けようと思いまして、大分降ってきましたから、」

 「そりゃあ、大層なこった。ときどき自転車で見える人はあるけどね。去年、30人くらいで来てここにキャンプして御岳に登ったようだけど、」

 「そうですか、どっかの大学のクラブかな。ところで、その、ここは泊まれるんですか」

 「ああ、泊まれるよ。この奥なら、1泊2食で3500円。テント持ちこみなら、1300円。森林学校なら500円。」

 「森林学校てのは、何ですか」

 「夏に子どもが合宿する建物だよ。広いよ。毛布も300枚くらいあるし、」

 「その森林学校がいいですね。お願いできますか。」

 

テレビでは、ブラームスの第一交響曲をやっていた。受信状態が悪い。

チャンネルを変えようとするが、リモコンがなくできない。

犬と戯れる。ブラシを掛けていないので、夏毛が毛並みに浮いている。あまり密着すると、毛だらけになりそうだ。 コ−ヒ−を淹れてもらう。

快適な一日になった。雨は降り続く。酒がないのが悔やまれる。 5時過ぎ、その森林学校に連れていってもらう。軽トラの先導で、平坦な林道を4、500メ−トルも行く。張りっ放しのテントは雨に濡れて重そうにポ−ルに絡みついている。オ−トキャンプの家族連れが何組か、水場で炊事を始めている。この雨の中、ご苦労なことだ。桐木のおじさんに森林学校の鍵を開けてもらい、電気のブレ−カ−を起こす。電気まであるのだ

 目を覚ますとすっかり暗くなり、雨足は相変わらず衰えない。

7時半くらいか。電気を点け、蛍光灯がつめたい光で照らすなか、広い部屋の片隅で食パンにピ−ナツバタ−をなすりつけ夕食とする。

ホテイの焼き鳥と「まるは」のさんまの蒲焼もピン食の定番だ。

火があるともっとおいしく食べられるのだが、土間まで行って火を興すのも億劫だ。

 窓にカ−テンがないので、中で電気を点けていると、外がまったく見えない。黒い樺の林だけが、雨の夜に浮き上がって見える。背後の無人のテント群も不気味である。あの家族連れがいなかったら、管理人の事務所に3500円出して泊めてもらうところだ。

 畳に毛布を敷いて、胡座をかき、古新聞を読みながら、ボトルの水で食パンをもそもそ食っていると、蟻が寄ってくる。潰すと気持ち悪いので、もう一度大掃除をする。

 9時のニュ−スを聞く。あしたは参議院選挙の投票日だ。ここの人は朝日村の役場まで、林道を1時間走って行くそうだ。僕は不在者投票をすませている。

 頭まで寝袋にもぐりこんで、早く朝が来るように眠る。

 夜半、物音に起こされる。オ−トキャンプの人々が、テントの浸水に困って避難してきたのだ。

電気が点けられ、おとな子ども総勢10人くらいがどやどやと入ってきて、毛布を引張だし始めた。森林学校は急ににぎやかになった。泣き出す子はなかったが、夜中まで話し声が聞こえていた。

 

23(日) 5時ころ目覚める。目がうまく開かないが、周りはとても明るい。快晴である。寒い。おしっこに一回起き、また寝てしまう。

 2度めにおきたのは7時近かった。 家族連れは炊事にいってしまったのか、見当たらない。

僕は顔を洗いに水場に出かける。彼らは手の込んだ料理を作っている。車だと何でも運べるからいいのだが、それが災いして限り無く町の生活に近い物を求めるようになるので、自転車の限られた生活の方がおもしろいのだ。 

と負け惜しみをいいながら、僕は森林学校の玄関でひなたぼっこしながら、昨日とまったく同じメニュ−の朝食を取る。この甘いピ−ナツバタ−にも飽きてきた。 今日は日に焼けそうだ。

 8時出発。管理人のところで、またコ−ヒ−をのんで、好意のおにぎり三つを貰い、9時発になってしまう。

 林道は柳蘭(りゅうらん)峠までの5キロは登っていたが、いいダ−トだった。峠からは日和田に下りる。この高原は名鉄の資本が入っており、テニスコ−トなどが整備され始めていた。

まだ軽井沢のように別荘が軒を連ねるというほどではない。日和田から、国道361号へは、ショ−トカットする。ダ−トだが、良い道である。国道に出てから、長峰峠まではわずか1キロくらいだ。拍子ぬけしてしまう。

峠の茶屋で、水清号という、水前寺清子が命名したという木曾馬の写真を撮る。蚊が多くて、閉口した。

開田側は思いがけないアップダウン。思わず押してしまう。地蔵峠は1、5キロのトンネルで抜ける。木曾側は細い道で、バイクが多い。後は下るだけだ。この本当の峠も悪くないと思う。

 木曾福島は祭礼の日だった。山車の上でお囃子をする、浅黒い顔の少女たちが印象的だった。木曾馬の巨体も見える。

 駅には、12時40分ころ着く。パックの牛乳でオニギリを流し込む。熱射病の気配はなく、食欲旺盛。駅は観光客でごったがえしている。

列車の接続悪く、次ぎは15時18分だ。本屋でたち読みする。司馬遼太郎の「街道を歩く、韓国篇」を買う。帰りの電車で全部読んでしまう。 

塩尻と、上諏訪で乗り換え、冷房のない車だ。ビ−ルを買って、飲み干し、座席に横になって寝てしまう。起きると甲府で、人がどやどやと乗りこんできて、起き上がる。終点の立川に着いたのは、20時58分だった。

 新宿の乗り換えがいつもいやだ。 10時半帰宅。

 

 一夏に一回はキャンプをやりたい。

 

 8月12〜13日、こりずに現役の夏合宿に参加する。このコ−スによく似ている。

高山から、美女高原で泊まって彼らは鈴蘭高原に下りてくるが、僕は野麦峠を越えて、松本に下りようと思う。1500Mアップなんて今のスタミナでは大いに不安だが、一度行ってみたかったところなのだ。

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