札幌の旧友を訪ねる(1989/07)
1989年 7月初めの話.
先日、小学校の同級生だったMより、葉書がきて、「去年から札幌勤務になっている」ということだった。
一方、僕は6月から週休2日制になって暇を持て余しており、ボ−ナスも出たので、
季節のよい7月初旬に札幌を訪ねることにした。電話でのやりとりを2、3度くり返し
6月30日(金)の夜行列車で、行くことにした。
3日(月)に有給休暇をとり、会社の人には、何も告げずに金曜日の夕方、7時の
新幹線に飛び乗った。夜行寝台特急「北斗星1号」は、上野発16時50分だが、
これだと早退しなければならないので、課長に理由を説明しなければならず、煩わし
かった。定時まで残る必要のあるほど、仕事はなかったのだが、仙台で北斗星に追い
つく東北新幹線に乗ったのだ。 東京駅八重洲地下街で、手土産のレミ−マルタンを
買う。重い。
ろくな夕食を用意できなかった。時間も迫っていたので、上野のコンコ−スでおにぎ
りを3つ買ったのみ。 新幹線から指定席を取ってあって良かった。宇都宮あたりまで
家に帰る人達で、指定席車両に立ち客がいて、通路がいっぱいだった。
北斗星は、JR北海道の看板列車と言われている。今回はそれを意識せずにのった。
もう、鉄道趣味はあまりない。人気列車なので、鉄道ファンらしき人も乗っている。
観光客のおばさんグル−プの隣になり、夜中までだいぶうるさかった。
10両編成で、5号車が食堂車、6号車がロビ−カ−である。食堂車は、絨毯敷きで
ウイトレスが3人もいて、10時を過ぎると客もなく、暇そうにしていた。ロビ−カ−
はソファが10人分くらいつくりつけてあり、電話ボックスとビデオ、自動販売機が
そなえつけてある。ビデオはソニ−のビデオウォ−クマンの貸し出しもしている。盛り
沢山のサ−ビスである。販売機の缶ビ−ルは、各社のドライであり、JRの気の遣い
ようがおもしろかった。
ビ−ルを1本買うが、ビデオは寅さんなんかをやっており、つまらないので、ベッド
に戻り、カセットを聞いていた。寝台の上段というのは、かなり身が軽くないと使えな
いものだと思った。昔は、上のほうが邪魔がはいらなくて良く眠れるから好きだったが
今は揺れる列車の中で、ちゃちで急な折りたたみの梯子をよじ登るのが、辛い。これは
太ったのと、酔いのせいろうか?
上段には窓がない。空調はきいているが、車窓の景色が見えないのと、停車駅がわか
らない。ビ−ル一本では寝つけないので、ワンカップ(これは、仙台で買った)をあお
る。 青函トンネルは、午前3時通過とのこと。青森に2時到着。機関車付け替えと、
方向転換。津軽線沿線の住民は、夜中の列車が多くなって迷惑しているのではなかろう
か。
青函トンネル通過も知らず、寝こけてしまった。起きたのは、森を過ぎたころ。もう
空は明るくなりかかっていた。下段の客がいなくなったので、下に移って、景色を眺め
る。
道南は、まだ北海道らしくない。右手に海と、左手に木立ちがあるだけ。室蘭を過ぎ
内陸にはいると、牧場などが現れ出した。千歳空港は、駅と高架橋でつながっており、
傘要らず。滑走路が見える。海上保安庁の倉庫?も見える。 自衛隊の車両が多い。
沿線の民家を見ていると、新建材の安普請の家が多い。こんなので冬の寒さを凌げる
のだろうか? 恵庭あたりからが、札幌市の郊外となるのか、マンションなども現れ
始める。どの建物も、道もあたらしい。清々しい気分になる。人工的に作られた町だが
札幌の駅も高架に変わっていた。発着している列車も、昔のキハ83とかいうのは
面影もなくて、窓の大きな特急「北斗」とか、先頭車両の座席が階段状になったパノラ
マエキスプレスのような優等列車で華やいでいる。
さて、鞄と、酒の入った紙袋を提げて駅を歩く。8時53分着。構内は朝のラッシュ
時間帯だった。9時になるのを待って、Mに電話する。土曜の夕方着くといっておきな
が ら、朝着いてしまい、相手にされないかな、と心配しながら。 しかし、9時半ま
でに北口に迎えに来てくれるというので、ほっとする。小ぎれいな待合室で日経を読む
サイクル部時代の旅行とは雲泥の差だ。
M田は、黒のシビック、品川ナンバ−で現れた。グレ−のティ−シャツ、黒いジ−ンズという、地味な出で立ち。タバコを吸っている。これから、寮に直行するより、早速、観光に出かけたいと言ったら、支忽湖にでもいってみるか、ということにる。
M自身も、首に金のネックレスをし、左薬指に金の指輪をしているので、問い質すと、来年秋には、結婚するのではないかという。
相手は、弓術部の1年後輩。写真は高校3年のときのしかなかったが、おかっぱを長くしたような髪で、凛々しい顔立ちの美少女だった。彼女は郷里の静岡にかえり、司法書士の勉強をしているいう。かたや、Mは毎日、税理士の通信講座をやっている。これは、僕が投宿していた間も日課として欠かさなかった。
支忽湖は、本州からの観光客で混雑していた。本州の梅雨の季節が、北海道の観光
シ−ズンなのだ。Mは朝食をとっていないというので、クラッカ−と、コ−ヒ−、
ぼくは缶入り牛乳を飲む。からっとした空気。紫外線が強い。恵庭岳が迫る。Mは、
学生時代に日韓学生交流プログラムで、韓国訪問にいってきたという.僕が受入れ側の
ホストをやっていたやつだ。そのためか、李スンヒのカセットテ−プなんかをもって
いる。その他、車の後部座席に無造作に積まれていたのは、マウンテンパ−カ、双眼鏡
などである。
まだ10時だ。Mがドライブ好きで良かった。倶知安を通って積丹半島の神威岬ヘ向
う.
Mが仕事で来る、倶知安のサ−キットの横を通って。北海道では、車は完璧に便利だ
峠越えの林道で、キタキツネの親子に出会う。親の一匹は、車に轢かれて死んでおり
そこで、車が渋滞していた。道の真ん中に子狐が出てきて、二重遭難になりそうだ。
峠を越えると、岩内の町。ガソリンの補給。日本海の波は荒い。神恵内(かもえない
村へ、半島を周回していく。漁村でうに重を食べる。1000円。うにを煮て、卵で
綴じたものだ。かすかにうにの味がする。生うにを食べたい。しかし、素晴らしい環境
だ。
ウィンクのテ−プなどを聞きながらまどろんでしまう。帰りは札樽自動車道を通る。
小樽は通過しただけだったが、坂が多く、倉庫が海岸沿いに続いていた。高速では、
140キロくらい出して走る。どうもこのスピ−ド感覚についていけない。
一旦、寮に帰り、車を歩いて2、3分の駐車場において、薄野に繰り出す。
その前に、寮の説明。今回は宿代を節約するために寝袋をもって、Mの寮に泊まりに
来たのだ。Mによると、この時期、市内のホテルは予約できないというので、非常に得
をしたということになる。3階建の賄い付きの独身寮。浜ゴムはMだけで、他の企業の
独身者、単身赴任者などを集めてい る。部屋は6畳+@くらいで、リノリウム敷きで
ある。グレ−の絨毯を敷いてあり、ドアを開けて、絨毯のない部分までを玄関のように
土足で上がれるようにしている。段差はない。ベッド、机が作りつけになっており、
その外に自分で持ちこんだ机と、カラ−ボックス、ベ−タHIFIのビデオ、テレビ、
CDラジカセ、クリ−ンヒ−タ、NECのCRTタイプのワ−プロなどがあった。
こう書くとすごく物持ちに見えるが、これが今の日本の並みの生活水準なのだろうか
何かがまちがっているように思える。それから、冬用のスタッドレスタイヤ4本が、
黒いポリエチレンのカバ−を被って、積んであった。まだ足の踏み場はある。この絨毯
の上に、寝袋を敷いて寝るわけである。
電気湯沸かしで、洗面所の水を沸かし、ドリップのコ−ヒ−を淹れてくれる。ミルク
等はなにも入れない。顔を洗って薄野に繰り出す。日が陰り、涼しくなってきている。
歩いて2、30分だというが、通りに出ると丁度バスが来たので、乗りこむ。土曜の
夕方だが、結構込んでいて立つ。¥150。薄野は大層な人出だった。彩色タイル敷き
の歩道など内地の繁華街を真似ているのか。ニッカウヰスキ−の巨大な看板が見える。
あそこにボトルが入っているそうで、¥1000くらいで飲めるのだそうだ。
すべての種類の娯楽が雑多に集まっている薄野だが、まず我々は味覚に訴えることに
した。安くて旨い、居酒屋「魚屋 一丁」に入る。6時だというのに、大変な賑わい。
水槽に毛蟹が重なりあって、這い回っている。丸テ−ブルの一角を空けてもらって座る
まずビ−ルと生雲丹を一折り、突き出しは、食べ切れないほどの茹で海老である。
それから、箸休めにアスパラバタ−を貰う。鮪なんかに見向きもせず、高いものだけ
頼む。毛蟹の丸茹で。¥2000、そんなに特徴ある味ではないが、茹で上がった
状態のカニミソを食ったのが珍しかった。それからイクラ、¥400。なんとしても
安い。ビ−ル(中)ジョッキが¥300、冷酒もたのんで、合計7000円ダッタナンテ信じられる?
しこたま酔っ払って、茶漬けも食べず、酔い覚ましに歩き始める。時計台、大通り
公園、拓殖銀行本店、等を横に眺めながら。地上より、地下の方が賑やかだ。暖かいし
外は13度迄下がっている。地下のマクドナルドで、コ−ヒ−シェイクなどを飲む。
Mはラ−メン横町でみそら−めん(¥600)。ら−めんは安くないと思う。風俗街は
こうした普通の飲み屋の隣に広がっており、客引きも寄ってくる。
ただ、薄野の客引きは呑気で,振り切るのは簡単。相場は¥15,000前後と見た。これも安い。単身赴任の男性天国、札チョン、博チョンの醍醐味とはこんなところに
あるのか。こうした方面のコストは東京の半額と言って良い。
しかし、最近本当にサラリ−マンしてると思う。
人込みを縫って、ホテル街へ。通りを渡るともう寮だ。ロ−ソンで、週間住宅情報
(北海道版)と、ジュ−ス、牛乳を買って帰る。表は閉まっており、玄関脇の扉から
入る。
この界隈は、マンションというか、こうした寮が多い。女子寮もある。全く便利だ。
Mは、いつも5時半に帰宅。外食して、簿記一級の勉強を1時間くらいするのだという
就寝は11時。だから、この前11時半過ぎに電話したとき不機嫌だったのだ。
ねるとんを見る。音協のスキ−ツア−以来だ。7月なので、七夕特集だった。ぼくは
それをイアホンで聞きながら、Mもウォ−クマンで、通信講座の問題を解いている。
12時半過ぎ、ぼくは毛布とタオルケットをかり、それを絨毯に敷き、更に寝袋にくるまて寝た。窓を開けておくと肌寒い位だ。ジュ−スは窓際に置いておくと冷えている。
2日(日) 今日もいい天気。モ−ニングコ−ヒ−をのんで、出かける。富良野の
倉本聡の「北の国から」のロケ地である。観光地になっており、畑の真ん中に忽然と、
駐車場が現れる。 北海道のスケ−ルは大きい。高速道路北端の滝川まで140キロで
飛ばす。
狩勝本線、富良野線に沿って、国道38号を走る。もっとも北海道らしいといったら
よいのか、田園風景が続く。葦別、幾寅、などなつかしい。十勝岳展望台にいくがガス
ッて何も見えない。帰りはダ−トの林道を下る。荒っぽい運転が好きな奴だ。
ロケ地は、樺の林を切り開いた中にあった。こんな平坦なら、内地では人口密集地に
なるだろうに。土は灰色。火山灰土で、痩せている。ロッジ風のログキャビンがいくつ
か。洗練されすぎている。 これらは、土産物や。観光客がぞろぞろ歩いている。
本当の小屋は、小さかった。山の避難小屋のようだ。
笹の生い茂る小道を駐車場へ戻る。腹が減った。もう一つのポイント、富良野プリン
スホテルに向かう。山腹のスキ−場と、ゴルフ場の間に建つ白亜の巨塔。林の中の駐車
場はいっぱい。バスで乗りつけているのもいる。西武の開発の仕方は完璧だが、親しみ
がもてない。金がないと遊べないようにできているのだ。ここの食事の値段は内地の観
光地と同じなので、おみやげにノベルティ−の「ラベンダ−ティ−」を買うに留める。
これでも¥980だ。
昼食は街道沿いのロッジ風「やっとかめ」で、味噌カツ定食。¥880だが、
ボリュ−ムは、満点。おかずの皿が直径30センチ以上ある。 ラベンダ−は7月末に
開花ということだった。帰りはまた高速。FMを聞きながら、半分寝ながら走る。
昼をたべたのが2時過ぎで、あのしつこいカツだっだので、夕食を全く食べたくなら
ない。コ−ヒ−で一服し、ファミリ−レストラン「???」に行く。ダイエ−系列で、
ステ−キが滅法安い。僕は¥950のハンバ−グセットを頼む。Mは腹具合からして、
牛乳とビ−フドリアを頼む。鉄板が焼かれたまま運ばれてきて、油を跳ね挙げている。
それを避けるため紙ナプキンを折り返して受け止めねばならない。多すぎて気持ち悪くなってしまった。日曜の晩は家族連れで混雑していた。しゃれた郊外型の食堂はまだ内地程普及していない。
腹ごなしに大倉山シャンツェを見に行く。丸山を上る途中、聖心女学院を見つける。
大倉山から札幌市の半分位が見える。涼しいというか、寒い。シャンツェは巨大な滑り
台。横の建物の中で食事しながら観戦したらいい気分だろう。今はアベックしか来ていない。
帰って、僕は「地中海殺人事件」をイヤホンでみて、Mは簿記の勉強。
3日(月) 7時起床。またMは勉強している。コ−ヒ−とMはパンをもそもそ食
う。僕はなし。8時15分、出発。管理人にも挨拶する。
帰りの北斗星は夕方5時18分発だ。それまでどうしよう。藻岩山も興味ないし、
羊ケ丘でもないし。とにかく、札幌駅に出て、鞄をロッカ−にしまう。市内地図を買い
効率の良い回り方を考える。地下でチャ−ハンの朝食を取る。まず北大へ行き、北大
ノベルティ−グッズを購入、面白い講義があれば、聴講しようと思った。
北大の入り口は駅の北口から、すぐ。実に近い。また中が広い。国立大学はキャンパ
スが広いものだけれど、北大はべらぼうに広い。車もバイクも多い。自転車のキャンピ
ング仕様に乗っているやつも結構いる。オフになると道内をはしりまわっているんだろうな。
こんな学生時代を過ごして見たかった。サイドバッグの代わりに、18リトルの石油
用ポリタンをさかさまにし、底を切り取って物入れにしている豪傑がいた。髪は肩より
20センチは長く、ヘアバンドをしている。こんな化石のような大学生が、北大には
まだ存在する。
外国人もちらほら見かける。札幌の街でより大学構内の方がだんぜん多い。こんな
環境だったら、日本のファンになるのも多いことだろう。やはり、東京が異常なのだ。
生協で「すすきのタウン情報(すきタン)」を購入。「ぴあ」のようであり、ナイト
タイムズのようであるVITALな情報誌¥400。 昼食をラ−メン横町で食べよう
と北5条西6丁目の交差点から、南6西4あたりの薄野へ向かう。月曜なので、週末
ほど活気がない。就学旅行生などがちらほら。
特に土産は買わず、北斗星2号にのる。サッポロビ−ルの「白夜物語」はきつい。
列車の揺れでハンバ−ガ−をジュ−スまみれにしてしまう。今度は青函トンネル通過を
見学。車掌のマナ−が良い。目黒の出札とはだいぶ違う。4日、何くわぬ顔で出社。