隠岐'89

いよいよこの夏のハイライト、隠岐の島ランについて記す。

まずはタイムテーブル。

8月24日(金) 19:30 京浜急行 品川バスタ−ミナル

         夜行バス キャメル号       ¥11300

         東名/名阪/中国自動車道

 

   25(土) 雨  7:00 日の丸交通 米子バスタ−ミナル

         晴 10:00 境港行きバス     ¥500

           11:00 境港 隠岐汽船乗り場

 

           14:35 隠岐汽船 「くにが」 ¥2490

             経由  別府(島前 西ノ島)

           18:40 西郷(島後)

                      民宿 二見館 泊 ¥6500

 

   26(日) 晴  9:00 西郷発

           11:00 浄土ケ浦 (隠岐YH)

                 盲腸線 ミスコ−ス

           12:00 白島灯台

           13:00 水若酢神社 隠岐資料館

            (Sと別れる)

           16:30 都万 国民宿舎       ¥6000

 

   27(月)   豪雨により水道管破裂、9時まで断水

         雨 10:00発

           12:00 玉若酢神社

            (島内放送により、隠岐汽船欠航を知る)

            宿捜しに手間どる ピア(PIER)で買い物。

            朝日ジャ−ナルを買う。

           16:00 東郷国民宿舎 島の湯荘   ¥6000

 

   28(月) 晴  8:30 西郷発 隠岐汽船 「おき」 ¥1100

            9:45 別府着

           10:00 同 発            ¥280

              10 菱浦着 (海士島)

             隠岐神社、後鳥羽上皇ご在所、御火葬塚 天川の名水

           13:10 菱浦発     ¥280 + 160(自転車)              

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20 別府着    浦郷

            国賀浜めぐりの観光船に乗るか、案内所で尋ねるが、

           島後に連泊したため、手元不如意であることに気づく。

           山陰合同銀行に行くが、東海銀行のキャッシュカ−ドは

           使えない。 残金を正確に計算し、国賀浜は陸から見て、

           浦郷で一泊する。

           15:30 〜 19:00 国賀浜

           19:30 浦郷 民宿 中西屋

            アワビの混ぜ御飯がうまかった。     ¥5150

 

   29(火) 晴  9:55 隠岐汽船 「くにが」     ¥2490

           13:25 境

            国道431

           16:00 〜 18:10  皆生温泉   ¥250

           19:30 米子バスタ−ミナル

                キャメル号          ¥11000

   30(水)    3時ころ静岡付近で事故渋滞にあうも、休憩時間を切り詰めて           定刻より早く到着

           6:30 品川バスタ−ミナル

           7:00 帰宅  仮眠

           9:10 出社

 

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 いよいよこの夏のハイライト、隠岐の島ランについて記す。

 8月24日(金) 朝7時、会社へ行く装束をリュックに詰め、それを背負って、て、品川駅へ走る。白金猿町、高輪、警察署の前を通って、伊皿子まで快調に飛ばす。

坂を下ると、京浜急行の長距離バスタ−ミナルを行き過ぎて、NEC本社の近くだった。

高輪2丁目の交差点までもどる。まだラッシュは始まっていない。第一京浜を通る車もまばらである。 

7時40分ころ、タ−ミナルに着く。客扱いはしていないが、守衛がカウンタ−に構えていた。

ここに自転車を置かせてもらえるか、を問う。外の空調の室外機のある囲いの中なら良いという。ぼくは、早速自転車をばらしにかかる。建物の中は冷房が効いているが、朝日がさしこんで汗だくになってしまった。

山の手線がすぐ目の前を通りすぎる。タ−ミナルは2階建。2階は待合室になっている。米子や、徳島、今治、弘前などから夜行が早く着くので、ここで、時間を潰している人達がいる。

さらに、シャワ−もある。300円。また、畳敷きの更衣室があり、ぼくはここで、着替えて出社した。

 この日は、寒い北側の会議室での作業が長かった。少しでも荷物を減らそうとして、僕はランニングシャツを着ていないので、くしゃみが出て、しかたがなかった。

 さて、仕事は何事もなくかたづき、6時Tシャツに着替え、ガントレに履き替えたぼくは、手ぶらで、腰にベルトポ−チだけを付けて、13階をでた。 

夕食は済ませておきたい。八重洲地下のカレ−屋でカツカレ−をいく。チキンカツで、骨っぽくて、残してしまった。

品川駅前で、東鳩オ−ルレ−ズンと、ア−モンドチョコを購入。ワンカップも。

 オ−ルレ−ズンは、甘すぎず、コンパクトで腹に溜まり、カロリ−メイトより安く理想的なピン食だと思う。 さて、品川バスタ−ミナルは朝とは打って変わって、慌ただしい雰囲気だった。

巨大なバス、日野ブル−リボンが、何台か停車している。僕はそのうちの米子行き、「キャメル号 2号車」に乗るのだ。

キャメル号はいつもは2台ではしっているが、夏休みの週末なので、増発されて3台である。白地に芥子色のペイントは、鳥取の日本交通のものだ。日本交通やら、日の丸自動車など、山陰には国粋的なバス会社がある。(社名だけで判断している)

 自転車を腹に積みこんでもらって、フロントバッグとDパックを車内に持ち込む。

シ−トは一つ一つ独立しており、3席で10列並んでおり、真ん中にトイレと、給湯機と電話、マガジンラックが備えてある。

豪華だが、欲を言えば、通路が狭くて、フロントバッグがひっかかる。

なんとかならないか。椅子は勿論リクライニング、毛布もついている。

イヤホンは何チャンネルも入る。ビデオは環境ものをやっていて、熱中できるものではなかった。

 さて、バスは定刻に出発。八山橋でUタ−ンして、浜松町タ−ミナルへ、ここは駅ビルの中にある。そして、駅裏の路地をくぐり抜け、首都高速にのる。青山、渋谷あたりを上から見下ろすのは、楽しい。生活感のない東京の町よ、さようなら。

 この前夜、S部長らと、新大手町ビルのカサビアンカで談笑していたのであった。

最近はホ−ムシックというのを感じなくなってしまった。

 運転手は二人乗りこんでいる。運転していない方が、ガイド役である。50代くらいの実直そうな、日に焼けた人である。 夜の運転はたいへんな仕事と思う。

 東名高速に乗り、富士川で休憩。売店はやっているが、雑誌は売っていない。コ−ヒ−は給湯機ので間に合うし、腰を伸ばすに留まる。いつ、名阪、中国道に入ったかも知らず毛布を被って寝こけていた。安眠にちょうどいい、涼しさであった。

 

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25日(土) 雨、驟雨、晴

 目覚めるとバスは,国道181号を走っていた。雨である。このバスには狭すぎるほどの道。家々の軒に車体をこすりそうになりながら通り抜けて行く。誰も通らない歩道に飛沫をあげながら。 今日は走るのをやめよう、半分しか開かない眼でそう思う。ガイドさんが熱いお絞りを持ってきてくれる。

 7時。定刻に、米子駅に到着。寝ぼけた頭と、同じ姿勢で強張った体で荷物を待合室に運ぶ。雨足は強くなっている。

合羽を羽織って、通りを渡り、駅に行ってみる。売店は、朝刊の整理をしているところだった。喫茶店はまだ開いていない。

テレビが2台あって、NHK衛星第一と、民放の山陰の奴をやっていた。駅の待合には欠かせないアル中おじさんもちゃんといる。 

電車の時間を調べる。境港に行く境線である。30キロほどだが、この雨ではとても走る気はしない。寝ぼけながら早朝の衛星放送を眺めていた。

 8時過ぎから、通勤通学の人出が始まる。依然として雨はやまない。反ってさっきより暗くなったようだった。じとじとする合羽を脱いで、喫茶店で朝食をとる。白いパンが苦い。コ−ヒ−だけがおいしい。

 10時を過ぎると、晴れて暑くなってきた。しかし眠気はとれないので、境港までバスで行くことにする。500円。

バスは日本交通と、日の丸交通の2社が、外浜経由、内浜経由の2路線走っている。外浜線に乗る。米子の街は大きく、第一勧銀などもある。

 細い道をバスは行く。一昨年車で来たときは夜中だった。国道431号をとばしてきたのだった。 

30分で隠岐汽船乗り場に到着。船の発着時間ではないらしく閑散としている。ここで3時にSと待ち合わせているのだが、あと4時間以上もある。

輪行袋を売店の脇の目立つところに立てかけて早速街を探訪に出かける。

ア−ケ−ドもあるが、人通りがなく、死んだような静けさだ。典型的な漁港の町なので、、水揚げがあったときしか活気づかないのだろうか。

ここで昼を食べるのだが、なにか海のものをせっかくだから食べたかった。

そこで、寿司やを何軒か、居酒屋やら、小料理やのようなものもさがしたが、午前中からあいているところはなかった。

なんとものんびりした商売だ。しかたなく商店街の中華料理やで中華丼を頼む。

(よくあるパタ−ン:現地にいったのに名物にお目にかかれない) 500円。ス−プが薄かった。

 余った時間は桟橋でぼ〜〜〜っっとして過ごす。旅の初めはこの時間の流れ方に乗り切れないが、すぐ慣れる。 波にたゆたう小船と、鴎を眺めていた。境大橋も晴れてよく見える。

 船着き場に戻ると、輪行袋にSのメモがはさんであった。

2日前から、大山、蒜山を登っていたはずだった。

昨夜は大山に泊まっていたのが、昼過ぎに境港に着いてしまうとは、健脚である。  

僕は時間まで本屋で立ち読みしていた。

 

 14時35分の 島後、西郷行きの「くにが」にのる。2490円。

 Sは今朝雨がひどかったので、大山周遊道路は通らず、国道180号を下って、すぐに境港にきてしまったのだという。

 乗客は神姫バスのツア−の老人たちと、若者たちも少々。 神姫バスのツア−とは火曜日にふたたびここに戻るまで、付かず離れずの毎日だった。

 3000トンの船である。海は凪いでいる。2等船室のざこ寝もなれたものだ。

ビ−ルを買って、飛沫の上がる上甲板で、Sとの再会に乾杯。

 

 18時40分に西郷につくまで、島前の別府に寄港する。

隠岐は本土から70キロほど沖合に浮かんでいる島だ。佐渡より本土からの距離は遠い。この間の距離感覚がつかめないので、なんで4時間もかかるのかが、わからない。

とにかく交通は不便なところだ。それだけに期待するものは大きい。島前島後間は1時間、島前のほうが南西に位置する。

 元来、船の揺れには弱いのだが、適当な酔いと睡眠不足のためすっかりねこけてしまう。

別府に寄港したときはまどから外を覗くが、山が迫っていて、島の様子はわからない。

 多島海である。人も住んでいないような岩の塊のような島が、にょっきり突き出ている。その上にかなり大きなアンテナと思しきものが建っていたりする。

 

 18時40分、定刻に西郷に到着。

家族の帰りを待ち構えていた人々がタ−ミナルにごったがえしていた。

境もふくめてここが、隠岐汽船でいちばん大きい。本社もここにある。

隠岐の最大企業である。船から電話した民宿、二見館の迎えの車を待つ。

 

 10分ほどして、港の喧噪が去ったころ、赤いカロ−ラに、いかにも漁師の女将といった風の人が迎えにやってきた。

 民宿は展望の利かない、山かげにあった。隣は隠岐バスの営業所である。

しかし、客あたりはいい。ぼくたちはあしたにそなえ、自転車を組んでおいた。

 夕食は、この旅行でのうち最高だった。

1000円追加したためか、あわびの刺身が出た。肝は食いにくかった。

あと、蟹、鯛、塩焼き、等々、だが、飯も三杯食べた。

隠岐誉れという酒をもらう。御所というのが、うまいそうだ。

 11時には寝る。

 

 26(日)Sは火曜、会社に出ねばならないので、今日、隠岐を発つことになる。

15時の七類(本土)行きに乗るそうだ。隠岐を半周しようと、朝早く出発する。

 港にもどり、海岸線沿いに東郷、犬来、釜、大久、ひとつ峠があった。

浄土ケ浦で休憩。ユ−スホステルがある。人気はない。 

ユ−スから奥へ続くダ−トの道を行くが切り通しで行き止まりだった。

しかもSはいない。時間もないのに、ミスコ−スしてしまった。

汗をだらだら流しながら、坂を登り返す。

 Sはダ−トの始まりのところで待っていた。 浄土ケ浦で一休み。

 正しい道は少し引き返したところからだった。

白島岬へ。100Mも登ったか、かなりきつかったが、眺望は最高。 

キャンプして、日が暮れるのを眺めるのも一興と思われた。

展望台に物売りのオバサンがいた。双眼鏡を貸してくれる。 隠岐の北端である。

 Sは港にもどらねばならないので、ゆっくりしていられない。名残惜しいが白島を後にする。 道は内陸へ。水若酢神社のある「郡」へ向かう。アップダウンはない。

 ここは隠岐の観光ポイント。バスが4、5台停まっている。 

隠岐郷土館の洋風建築。牛の角突きが名物らしく、バスが着く毎に実演しているらしい。囲いの向こうから喚声が聞こえてくる。 

 

2時。Sと別れる。一昨日いけなかった大山に登るという。

また。台風が近づいているため、隠岐汽船が欠航になるのが怖いというのだった。

しかし、天気は最高、海は凪いでいるように見える。僕はSに留まるように言うが、聞き入れない。

 

 僕はこの島が気にいってしまったのだ。 さて、一人になってから、だいぶペ−スダウンして、島の西側を都万(つま)目指して走る。

海外沿いの道はかなりのアップダウンだった。五箇村に入る。

福浦、長尾田、油井と鄙びた漁村が続く。

30キロほど走って、16時半。都万の釜屋に着く。

民宿はいくつかあったが、入り江に一番近い国民宿舎の都万荘に泊まる。

ほんの目の前は港の堤防である。駐車スペ−スに島根ナンバ−のセドリックなどが、3台停まっている。人気のない玄関をはいっていく。厨房で声がする。女性が二人夕食の用意をしているところだった。

 

「今晩、泊めていただきたいんですが…」僕はグラブを外しながら、額の汗を拭いいった。

「何人さんですか」 一人が、廊下の方に寄ってきて尋ねる。

「一人です。 あの、できれば夕食もお願いしたいんですけど」

「あ〜、今からじゃ材料が揃うか難しいけど、やってみましょう。」

 (関係ないけど、今リック アストレ−のTOGETHER FOREVERを聞き、

  清酒「千代之光」をロックでやりながら、書いている。)

というわけで、無事に今晩の宿は決まった。落ち着いて建物の回りを見回してみると、

キャンプに好適な松林がある。こどもたちが海水プ−ルで遊んでいる。日暮しが鳴いている。

 僕の部屋は2階の角部屋。六畳で、畳みは日に焼けていた。

となりでは、子どもの騒ぐ声と麻雀牌のジャラジャラいう音が聞こえている。

客は、僕を含め、3組のようだ。

 

 暑さと日光にやられている。風呂にはいる。

温泉ではないし、凝った作りでもないが、窓から海と、島が、見え、潮騒に包まれているのが何ともいい。 そして、人気がない。 

 

経度が西なので、日暮れが遅い。風が凪いで来た。

堤防の先に小さな5Mほどの高さの灯台があった。

 夕食は、刺身と天ぷら。飯が3杯弱しかないのが悲しかった。生ビ−ルを貰う。

 

日の暮れかけた灯台を見に行く。海風が涼しい。

少しべたついているが、島影が紅色に染まる。 

堤防の突端に腰かけて、足をぶらぶらさせていた。 

佐渡の外海府を思い出す。

この情景は、容易に想像できると思うが、やはり行ってみると、

「感動」というものの存在を思い出す。

 タイル張りの灯台の傍らで、自転車と写真を撮る。

 夜は,ロビ−でテレビを見て過ごす。高橋留美子の「らんま 1/2」というののアニメの主題歌、「ヤッパッパ−、ルンパッパッパ−、イ−シャンテン 云々」という意味のないフレ−ズが耳に残る。

漁協にジンジャ−エ−ルを買いに行く。夜半より、風が強く、洗濯物が窓辺ではためく。 

 

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27(日) 雨

嵐である。Sの予想通り、台風が室戸岬に上陸し、さらに北上しているらしい。

早いところ西郷に戻り、隠岐を離れようと思う。 水道が不通である。

簡易水道なので、ポンプを動かさないと、出ないのかと訝るが、水道本管が破裂したのだという。

 食事の用意ができないのだそうだ。そのまま発ってもよかったが、雨足が収まらないので、テレビを見ている。新聞は朝刊が夕方4時ころ船便で届く。

 9時、水道が復旧。冷奴と、焼き魚の簡単な食事を済ませ、宿を後にする。

風は弱い。径路は二つある。山側の道を辿る。100Mくらいの峠である。通る車とてない。靄に煙る坂を下る。歌木から原田に出る。そこからはバス通り。国分寺に寄る余裕もある。

 15時25分発の七類行きに乗ろうとおもっているわけだが、まだ昼前なので、玉若酢神社に行く。茅葺きの神社で、宮司もいないが、雨の中で異様な雰囲気である。

境内の古墳も一人で見に行くのは薄気味悪い。

直径3Mの杉が植わっている。枝が回りの杉の幹より太い。きっと中は虚になっているのだろう。 神社で古代の息吹きに触れていると、島内放送が聞こえてきた。

 

 「島民のみなさまにお知らせします。

本日、午後の隠岐汽船は時化のため、全便欠航します。

航路再開は明日、海上の天候が回復し次第、放送します。」

 

 僕は唖然としてしまった。

船というのは、こんなにあっけなく欠航になるのか、陸上はたんなるしとしと雨なのに。

11時の午前の便はかろうじて出港したのに。

 数分後、同じ内容の放送があった。

 

 僕は腹を決めて、神社の隣の億岐家を見学した。

ここの売り物は大化年間の「駅鈴」の本物である。1300年前のものだ。

青銅の複製品を買う。1000円。確かに風鈴のような心地良い音である。

北海道で熊避けに使えるかも知れない。

 

 今日は、もう一晩西郷に泊まらねばならない。 時間がありすぎる。

西郷大橋を通って隠岐空港に行ってみる。

小高い岡の上の空港。飛行機も全部欠航。窓口嬢がずぶぬれの僕を怪訝な目付きで見ている。

寒いのに、僕はジンジャエ−ルを買って、最後のオ−ルレ−ズンの欠片を流しこむ。 

額の汗が目にながれこんで、滲みる。

西郷港に戻ってみると、まだ状況を把握していない人々が窓口に殺到していた。

 「何とか、船をだせんのか」と権威で迫る人もいたし、哀願する人もあった。

僕はこういうとき頗る諦めが早い。彼らを冷笑しながら、宿を捜して、タウンペ−ジを繰る。

 

 港の周辺を巡ってみて、石塚という民宿が小ぎれいで良かった。

電話してみるが、誰も出ない。目と鼻の先なので、直接乗りこむ。すると、その玄関先で岡山の高校生が、欠航のため月曜学校を休む旨、電話をかけていた。 

宿の人に「一夜の宿を借りたい」と、頼むが、断わられる。定期航路の欠航により、だれもこの島から出られなくなってしまったのだ。

 

自明の事実だが、途端に宿が満杯になるとは。多少の海の荒れで欠航してしまう隠岐汽船は島内の旅館業者と結託しているのではないかと勘ぐりたくなる。

 しかし、この宿の女将は親切だった。 

いくつかの民宿を紹介してくれた。片っ端から電話するが、だめで、東郷の国民宿舎「島の湯荘」だけが、空いていた。とにかく予約を入れる。

 

最近サ−ビスの悪くなった国民宿舎に今回は2泊してしまう。不本意であったが、無計画のなせる業か。 とにかく、寝蔵はきまったので、日が暮れるまでそこいらをぶらつくことにする。

 ピア−を覗くと、今日は24時間チャリティ−テレビの日らしい。黄色いTシャツの人々

が喧すしく、募金を呼びかけている。地下の食料品売り場で、チョコフレ−ク、ベビ−スタ−ラ−メン等を仕入れる。東郷にいってしまうと、ここには戻ってきそうもないからだ。

食料の次は本。隠岐の民話の本もあったが、朝日ジャ−ナルを買う。

 雨がふってこないうちに、宿に着こう。いつもこれが気になる。

国民宿舎は湾を望む、なかなかの景勝の地にあった。 

足止めを食った神姫バスツア−の客が同宿になっている。 

4時である。晴れたり、曇ったりおかしな天気だが、僕は朝の雨のなかのサイクリングでべとべとになっていたので、まずふろにはいる。

古いタイル張の海の見える風呂である。このレイアウトだと、女湯からは海が見えないのではないか。 

誰も入ってこない。 今回は混雑とは無縁の旅だった。 

これが満足度をだいぶ増やしている。 めまぐるしく変わる空の色を窓に腰かけて眺めていた。 

 

日暮しが鳴き始める。温泉ではないようだが、岩風呂風で、湯船の真ん中から、湯が間欠的に噴き出している。 風呂から上がって、テレビを見ていたらいつの間にか寝入ってしまった。 雨が激しく降っている。風はないが、そして夕焼けの空がまた顔を現す。

 夕食は団体客に混じって一人で取る。居心地が大層悪いのではないかとおもったが、僕のような一人旅の人が案外多く、ひとりで3人分くらいずつの場所をしめていた。

 おかず、ご飯とも水準以上で、国民宿舎の悪評を覆すものだった。 

わたりがにが珍しかった。ご飯はモ−リ飯店より多い、4〜5杯分もおひつに盛られてきた。昼食をぬいているので、全部平らげる。 ビ−ルをたのまなかったせいだろう。 この時すでに、うすうす懐の具合を気にしはじめていたのだった。

 部屋に戻って、雑誌を見ていた。ちょっと腹が減ると、焼酎、ワンカップを空け、買いこんだ食料も食いつくしてしまった。よくこんなに入るものだと自分の体ながら感心する。

 

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 28(月) 晴れ 5時。物音に起こされる。

臨時の船が出るというので、会社員のグル−プが宿舎のバスにのりこんでいるのである。

6時発、8時半境着という。恐るべき高速船である。 

僕は起こされてしまったので、朝風呂に入る。良く晴れている。

 本土観光は諦めて、島前の西ノ島に渡ろうと思う。

 

 8時半発の「くにが」に乗る。1100円。 

1時間で別府に着く。案内所で道を尋ねるが、先に海士島を回っておいた方が良さそうだ。小さなフェリ−で海士の菱浦港に渡る。280円。

 海士は隠岐で2番目に小さい島である。

後鳥羽上皇の在所と、御火葬塚、隠岐神社、天川の名水などが観光資源である。とりあえず、これらを全部見にいく。

 隠岐神社はかなり大きく、手入れも行き届いていた。

しかし、ちょっと造りが新しすぎるような気もした。境内で宮司に写真を撮ってもらう。日差しが痛いくらいだ。

後鳥羽上皇の在所と、御火葬塚は神社のとなり、

皇族の植樹した木が育っていて、鬱蒼としていた。

蚊が多そうなので、退散。 御火葬塚は囲いの外から覗くだけで中の雰囲気はわからないし。

 NTTの角まで戻って、天川のある保々見へ向かう。13時の船で別府に戻らねばならないのだ。 

 

天川は海士島の東南端。一山越えねばならない。 100Mくらいだろうか。けっこう応えた。天川の湧水は日本の名水百選になっているそうだ。島なのに、隠岐は水が豊かである。 この水は冷たくはないが、軟水のようだった。ボトルに詰めて、米子迄もって行く。

 13時の船で再び西ノ島の別府港に降り立ったぼくは、このまま本土にもどるか、もう一泊するか悩んでいた。

とにかく、もうひとつの港、浦郷に行ってみる。途中の道はほとんどアップダウンの無い浜沿いの道。浦郷はマリンスタ−も着く主要港だが、小さい。

 案内所で、情報を仕入れると、国賀浜を見逃すのはあまりにももったいないといいうことなので、財布と相談し、もう一泊することにした。

 

      宿泊費  5150円

     フェリ−  2490

     バ ス  11300

     合計   18940円

残金は20000円を切っていた。 遊覧船、「くにがまる」2000円には乗れない。

14時のマリンスタ−4900円で七類に渡るのもよいが、今晩のバスには間に合わないし、七類という何でもないところで一泊しなければならない。

それなら、生活をきりつめても、天下の絶景を拝んでいった方がよいと思われた。

そういえば、浦郷には山陰の大銀行、山陰合同銀行があった。そこで東海銀行のキャッシュカ−ドがつかえるか。

案内所の人に場所を教えてもらっていってみるが、すげなく、窓口嬢に断わられる。地銀カ−ドならよかったのだ。

 上の試算には、今日の昼食と、明日の昼、夕食が加えられていないし、ジュ−スさえも飲めないのだ。

今もっているのは、昨日、西郷で買ったアンド−ナツ 3ケのみである。

それとレモンアクエリアスと、ベビ−スタ−ラ−メンもあった。

遊覧船は、風が強いので、省略コ−スで、いちばんいいところは行かないのだそうだ。

それを慰めにして、自転車でいってみることにする。10キロくらいのサイクリングである。

 

 西ノ島の北側は集落がない。馬の放牧地となっているのだ。一山越えると、日本海の

外海が広がる断崖にバスが旋回できるほどの駐車場ができていた。奇岩がそびえ立つ海面に午後の太陽がぎらぎら光っていた。

 15時50分、写真を撮っていると、観光バスが現れた。遊覧船で省略されてしまった部分をバスでまわっているのだ。バスと船との連携プレ−である。

彼らが崖下の船着き場に消え、静寂の戻るのを待つ。太陽は、西の海の上に浮かんでいる。ぼくは、日没までここにいようと決めた。

 駐車場の位置より草地のかなり急な斜面がついている。その頂上まで上ると、かなり眺めがよさそうだった。 

ぼくは、 リュックにカメラ、ラジオ、アンド−ナツ、アクエリアスを詰めて、坂を登りはじめた。急すぎて、直登できない。ジグザグをくり返す。

 高度にして、30Mくらいも登ったところが高原状になっていた。木陰に腰を下ろす。視点が高いので、だいぶ海の遠くまで見渡せる。写真では表現できないパノラマである。 

感動に打ち震えていると、背後に気配を感じる。栗毛の馬が草を喰んでいる。

あまりに間近でギョッとしたが、あちらは興奮していない様子。

早速、至近距離で記念撮影する。写っているかどうか、オッカナビックリであった。

 それから僕は定位置で、タオルを敷いて、寝転んだり、ラジオを聞いたり、史記の文庫本を読んだりした。ラジオはNHK総合と教育、韓国のKBS第一、第二、文化放送、ピョンヤン放送などで、外国の電波の方が強かった。 日差しがまぶしい。

 時折、バスや自動車が眼下にやってきては、行ってしまう。谷を越えた尾根にも馬がいる。 こちらの馬2頭も僕に一瞥をくれて、斜面をジグザグに下って行ってしまった。

 

 日没は18時40分だった。海風が冷たくなり、烏賊釣り船の明かりがぼんやり、沖に灯りはじめた。網膜に巨大な太陽の残像を記して、僕は国賀の岬を後にした。

 

 今晩の宿は今西屋という民宿である。 ビ−ルも頼まず、ひたすら食べる。奥まったところにあったので、展望は利かない。風呂で洗濯する。

 出雲市から釣りに来ている4人連はもう5連泊しているのだそうだ。港のちかくで、潜っ

て、4キロからの石鯛をあげたといっている。釣り宿なのである。宿の主人と、客が議論している。潜るとき肺の中の空気は全部吐き出すべきか、胸一杯すいこんでおくべきか、主人は息を繋ぐため、吸っておくべきだというが、客は浮力が付いて潜れないので、吐き出した方が良いと言っていた。

 ぼくは、論争には加わらず、港の岸壁へ行き、足をぶらぶらさせて腰かけていた。星が出ている。島内の人口が少ないせいか、こんなシチュエ−ションなのに、車のアベックがいない。 ビ−ルがあると最高なのだが、節約する。 11時就寝。

 

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 29(火) 晴れ 朝食にあわび御飯を食べていると、三井と太陽神戸銀行の合併のニュ

−スをテレビでやっていた。 

浦郷から別府までの10キロを快適に走る。浦郷警察署は港の岸壁にたっている。ここでは、海上警備のほうが、重要なのだろう。海上保安庁は見当たらなかった。

 9時55分、「くにが」に乗る。知夫里島の来居港に寄港して、一路本土の境港へ。

13時25分。境着。神姫バスツア−は、1日隠岐滞在が延びて、出雲大社にいけなかったらしく、ガイドが客に謝っていた。

 知夫里島ももっと時間があれば、行きたいところだった。 一週間くらいあれば、キャンプ体制で乗りこんでくるところなのだが。 フェリ−料金を払い終え、

 資金に余裕がでてきたので、昼はほか弁の「肉じゃが弁当」380円を食べる。ろくに肉が入っておらず、だまされたような気分になる。

 バス代金、500円を惜しんで米子まで走る。夜行バスが出るのは19時半だ。

 国道431を行く。左は砂浜。全く信号がない。4時ころ、国道180号の分岐に来る。

時間もあるので、皆生温泉に寄ってみる。もしかすると、公衆浴場があって、安く入れるかも知れない。

 

 分岐から3キロで皆生温泉街に着く。猥雑な感じの温泉街だが、真っ昼間なので、人影もまばらである。

温泉熱を利用したプ−ルとアスレチックセンタ−がある。が、風呂ではないらしい。 従業員たちは夜の準備に余念がない。 御殿のような旅館街を走り回っているうち、町民利益還元と謳った公衆浴場を見つける。250円。これこそぼくが捜し求めていた楽園である。さっそく、入る。バイクの長距離旅行者もいた。、新南陽市ナンバ−だった。

 

 風呂は飾り気のない、銭湯風だったが、湯が熱かった。ちょっとしょっぱい塩化物泉である。40分ほどつかって、上がった。

タンパン、Tシャツから着替えて、襟付きシャツ長ズボンにしたので、

預けてあったベルトポ−チを返してもらいにいったら、番台のおばさんが戸惑ってた。 

 こんな経験は小倉の深夜喫茶のトイレで着替えたときにもあった。

湯上がりには、ソファ−に座って、山陰中央日報に目を通し、抹茶アイスを食べ、100円(かえって喉が乾いてしまった。ポカリスエットにすれば良かった)米子の街に未練はないので、バスの発車ぎりぎりの時間に行けば良いと思い、冷房のきいたロビ−で、ビックリマン、北斗の拳などを見ていた。両方とも、暴力肯定的な危険なアニメである。ビックリマンは絵柄が可愛らしいだけにさらに困り者だ。

 公衆浴場の向かいの通りは、ソ−プが並んでいる。入浴料5000円、とある。今の経済状態からは想像もできない世界だ。この程度だと、サ−ビス料は10000〜15000円くらいか。 温泉のxxは、ろくなものではないというのは、山中温泉で証明されているので、時間と財布に余裕があってもいかなかったであろう。と一言弁解しておく。

 

 18時10分、暮れ始めた皆生の街を後にする。 18時40分、米子駅着。 早速ばらし、夕食を仕入れにいく。残金、800円。夜中に高速でジュ−スを飲んだりはしないつもり。 パンもいいが、米粒を喰いたい。モスバ−ガ−でライスバ−ガ−260円。、フィッシュバ−ガ−200円。缶ビ−ル270円。で絞めて、730円。70円の黒字。

バスは満席。白人、黒人の客も3、4人いた。 ぼくは発車とともに、ビ−ルを開け、ライスバ−ガ−にぱくついた。

 ほどよく、酔って、 トラック野郎のビデオを見ているうち寝入ってしまったようだ。 30(水)東名高速の事故渋滞で1時間くらい停車したようだが、品川に着いたのは7時前だった。乗って家へ帰り、シャワ−をあび、定刻に出社した。 長い5日間であった。

 

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