八ヶ岳・大石川林道遭難(1983/11)

 

さて、小生とSは、11月16日の晩、ご存じの通り

信州・八ヶ岳・南東側の大河原峠へと自転車を捨てにはるばると行って来たのです。

一昨年の三田祭ランがここだったので、突破できると思っていたのだが。

 

平日の夜行列車はすいていた。

例の小淵沢のまっくらな待合室は寒かった。

星がまたたき、美しい夜空である。

 

小淵沢があまりにあたたかく、寝た。

八ヶ岳にかかる低い雲が不安である。

 

海尻の駅では水道が使えたので、みずをもらって、

国道141号をつっきって、稲子湯へ。

朝飯のカップラーメンを作り、

Sにユースホステルの予約をさせるが、要領を得ず、

1時間ほどたって、女神湖のYHを予約

(違約金をとられることになるとも知らず)

 

稲子湯の1キロ手前までは舗装。

晴れているが、みぞれまじりの雨が降り、風は冷たい。

寒くて、眠気はないが、睡眠不足の影響強し。

 

日陰には雪が残っているが、乗って走れる。

 

舗装道路に出る。これが八ヶ岳横断道路だ、と間違う。

 

250Mほど下ってしまい、ロス1時間。

 

1700Mの山荘(休憩所前で昼食。カップラーメン

これじゃ走りようがない。)

 

12時頃出発。100Mほど下り、大石川林道に入る。

 

若干ガレているが、走りやすいダート。

水が止められていて、往生した。

 

14時くらいか、1800Mあたり、雪が降り始める。後輪がドリフトしないように走る。

 

 

(最近、30Tという不気味スプロケットを買った。

600EXのSHORT GAGEで稼働中)

 

いよいよ押し始める。まだ明るいので、女神湖まで行く気十分。

雪でスポーツドリンクを作ったりして、渇きをいやす。

 

16時、雨池分岐。まだ希望を失っていない。

 

しかし、20センチくらいの積雪で、マッドガードのクリアランスがないので、凍り付く。マッドガードをはずす。

 

 

腰が痛い。ラッセルを交代しながら進む。

 

17時。最高地点。2120M程度。

明るい月夜である。

しかし、女神湖YHはあきらめ、双子池のヒュッテが近いのでここに行くことにした。

有人であることを期待。

自転車を捨て、フロントバッグから食糧を取り出し、ザックに入れる。

輪行袋は防寒用にもっていった。

 

分岐から双子池まで10分。下り勾配だったが、

Sが速いので、追っかけて疲れる。

明かりも頼りないし。

 

17:30 双子池ヒュッテ。残念ながら無人だった。しかし、一応のものは揃っている。凍った布団、火のつかない薪。

土間とゴザ。窓ガラスが割れ、風が吹き込んでくる。

真ん中にあるストーブをつけようとするが、寒くてうまくできない。

パイトーチでラーメンを作り、早々に寝ることにする。

 

寒くて暗い夜だった。頭がやたら寒かった。

 

凍った布団の行きのかかる襟元が凍り付いていた。

足は輪行袋につっこんでいたので寒くなかった。

 

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翌18日、6:30 食糧は農協レトルトごはんと粉末スープ

、コンビーフ、コーヒー。

とにかくあたためて喰う。水はストーブに乗っかっていたやかんの中に入っていた油臭いやつ。

 

パイトーチのふたに水を残しておいたら、てきめんに凍っていた。

この一晩で、燃料を一びん(メタノール、500CC)を使ってしまった。

 

しかし、この厳寒の中でもパイトーチは使えた。

(暴走したけど)パイトーチ万歳。

(ファイアガードをお忘れなく。)

 

外は吹雪である。重苦しい気分で、関節が痛む体を完全武装する。フロントバッグのストラップを長くして、首から時計をかける。Sは防寒のため、短パンをかぶる。

 

昨日来た道よりも近道があるということで、

そっちへ行くが、双子岳を登っていることに気づき、

引き返す。ロス 1時間。

 

8:10 再びヒュッテ出発。10分で大石川林道に出る。

晴れているが、風は冷たい。

雪は深く、動物の足跡が頼りになる。

 

11:00 大石川林道を出る。

舗装であるが、蓼科〜〜線の実線(5万分の1地図で)分岐である。

地図に大河原山荘とある。

 

蓼科ソサエティクラブの管理事務所だった。

扉が開いており、中に入ると、料金が大書してしてあったので、次回利用しようなどと話しつつ、さらに富貴の平へ下る。

 

これで、人気がなかったら、女神湖へ行くしかなかった。

 

ソサエティクラブの管理人は、無愛想な人だったが、

ヒーターをいれてくれたし、感謝する。

無断で東京に電話したりしたからなぁ。

 

食糧は分けてくれないようであった。

しけたピーナツを食う。

 

14:00 ここのトラックで、バス便のある春日温泉までおろしてもらう。

この道はすごいアイスバーンである。

バス停の前の酒屋でXXのXXをし、

 

食堂をあけてもらい、玉子丼を食わせてもらう。

(ベチャベチャ)

 

15:00 バスで望月へ。 ¥410。 さらに乗り換え

¥630で小諸へ。

15:54 到着。

 

16:09 高崎行きで。。。。

に新宿アルプス広場へと急いだのであった。

 

 

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第二部 発掘の日

 

 

21日(月)

かれらも ひどいめにあったらしい。

 

三浦がつかみかかってきた。

 

小諸の待合室は4度。

 

春日温泉の酒屋さんで野沢菜。

 

ソサエティクラブのトラックに¥5,000で乗せてもらってアイスバーンを普通の道のようにかけあがっていった。

 

水は凍っていたので、

 

食糧は3日分もってきた。

大河原山荘まで歩く。息ができないほど苦しい。

 

山荘に入る前、Sは雪に埋もれた穴の上で「カラアシ」

を踏んでしまったそうで、当日アタックは断念。

 

昼飯を作って、ゆっっくり昼寝することにする。

 

フォエブスは最初は調子悪かったが、安定すると非常に心強い。20分くらいでメシが炊ける。

3合くらい炊いたが、瞬く間に喰ってしまった。

夕食のころは寒くなるので、今のうちに作ろうと思ったが、

暖め直すだけなのである。

疲れているので、よく寝られた。

 

ボトルの水が凍り始めていた。コックが凍って使えない。

布団が暖かく、出たくないが、寒くなると作業がいやになるのでいまのうちに作ってしまう。

トリ釜飯。

 

昼寝たので、寝付かれなかったが、ろうそくの残りがたよりないので寝る。

 

夜半、外の扉がバタバタとうるさかった。

 

星がやたらとまたたいていたが、途中から月が出て、見えなくなった。

 

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翌23日

 

ラジオは東京の交通情報なんかを流している。

快晴。メシをくって 

あさりの酒蒸しを作り間違える。

 

スープだけあたため、氷塊のあさりを解凍する。

 

8:00 ハイパロンのスタッフバッグを背負って出発。

暑くてダウン手袋を外す。

 

10:00 現場到着。自転車はほとんど雪に埋もれていた。

日光にあたっている部分は、乾いている。

 

回転部分も異常なく、カメラも大丈夫だった。

 

 

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すると、富貴の平で老ハイカー数十人と出会った。

 

これから双子池経由でしまがれ山荘に行くというが、

無理だから、大河原山荘にとまれといってやった。

 

快適(?)に下る。しかし、アイスバーンでこけ、

それ以降のろのろ運転となる。

 

14:15 春日温泉。15:00のバスは休日運休なので、望月まで乗って出る。望月よりバス輪行 ¥100

荷物代をとられる。

 

また、16:09の電車に乗って、

19:46上野。21時帰宅。

 

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