南の星々

--アウトバックの星空--



大気汚染の少ないオーストラリア大陸では、シドニーのような大都会でもかなりきれいな星空を見ることができる。そして、ひとたび街明かりのない郊外やアウトバック地域に入ると、そこには旅人を圧倒する壮絶な星夜がある。凄まじいほどの光芒、まるで宇宙空間を旅しているような眺めである。天の川は悠々と天空を流れ、星の密度が濃いために、星座の形を識別 できないほどである。空の闇さえも単に黒一色ではなく、暗闇の中に濃淡のグラデーションがある。地球上の多くの場所で失われてしまった太古からの星空である。断言しよう、アウトバックの夜空はウルルやグレート・バリア・リーフなどこの大陸のランドマークに比肩して一見の価値がある。ワシはこの壮大な天空を見るたびに言葉を失い、立ちすくまざるを得ない。息をのむ眺めとはまさにオーストラリアの星空のためにある言葉である。

更に、南半球では日本からは地平の下に隠れて見ることのできない様々な星を目にできる。天文の専門家ではないのだが、ワシの知っているだけでも、南の空で注目すべき天体は、

南十字星(ご存知、南半球のシンボル。全天一小さな星座。)
にせ十字(南十字の西側にある本物より一回り大きい十字型の星の並び。南十字星と間違えやすい。)
石炭袋(天の川の暗黒部分。この部分だけ真っ暗である。)
アルファ・ケンタウリ(我々から最も近い隣の太陽。)
カノープス(りゅうこつ座の首星。シリウスに次いで全天で2番目に明るい星。)
大マゼラン雲と小マゼラン雲(南天一の奇観と言われる星の大集団。マゼランが世界一周航海の途上発見。)

ただ見るだけでも一生の記憶になるであろう素晴らしい南の星空であるが、多少なりとも知識を持って眺めれば、更に楽しむことができる。自分の勉強も兼ねて、前回の旅で撮影した写 真を使い、少し星達の素顔を紹介したい。

● 南十字星  Southern Cross

オーストラリアの国旗にも描かれている南半球のシンボル。正式な呼称は「みなみじゅうじ座」。全天一小さな星座であるが、最も知名度の高い星座であろう。西洋人が南半球の星を目にし始めたのは大航海時代以降のことで、「みなみじゅうじ座」も1627年、フランスの天文学者ロワイエによって新しく作られた(作られたというのも変な言い方だが)。言うまでもないが、写 真の黄色い点で示した星の並びがそれである。オーストラリアを訪れた旅人達は誰もがこの星を探し、自分が南の大陸に立っている感激を新たにする。

人工照明で夜空の明るいシドニーでもそのきれいな十字を簡単に見つけることができる。その実、みなみじゅうじ座α星は全天の明るい恒星20傑にランクインする明るい星(1.3等星)なのだ。南十字の長い方の辺(γ星とα星を結ぶ線)をα星側に5倍のばすと、そこが天の南極になる。北極星のような天体が存在しない南の空では、天の南極を見つけるために南十字星は重要な星座である。

実は日本国内でも沖縄や小笠原の南側に行けば南の水平線上ぎりぎりに十字の全景を見ることができるそうだ(春先のみ)。北端のγ星だけなら鹿児島や高知の南で水平線かすかに現れると言う。しかしながら、やはり南十字は南半球で見たい。大航海時代以降の船乗りや天文学者が名付けたというコンパス座、八分儀座、羅針盤座、帆座などなど、ワシからすれば無粋な名前の星座が並ぶ南の空で、旅情をかき立てる名前を持つのは、この星座しかない。

● 石炭袋 Coal Scuttle

無数の星がちりばめられた天の川の中で、南十字のすぐわきに漆黒に染まった場所がある。石炭袋と呼ばれる南天の奇景である(写 真の青で囲んだあたり)。アボリジニのあいだには、この形をエミューが卵を抱く姿と見る部族もあるそうだ。余談ではあるが、西洋人が神話をもとに、夜空に星座を描いたように、アボリジニも自分たちの部族の伝説に従って独自の星座を考えていたそうだ。その中にはエミューやカンガルー、ポッサムなどオーストラリアゆかりの動物が多い。

星とは異なり自らは発光しない暗黒部分なので、周囲にある星々の輝きが増して、石炭袋の輪郭が浮かび上がる郊外やアウトバックの暗い空でないと観察が難しい。真っ黒な穴が空に開いたかのよう見えるのは、暗黒星雲に背後の銀河の光が遮られているからだ。暗黒星雲は宇宙空間に漂う星間ガス、チリなどの密集した領域で、新しい星のゆりかごとなる。

有名な『銀河鉄道の夜』にも石炭袋は登場するらしい(ワシは読んでいないのだが)。地球から見ると真っ暗な石炭袋も、銀河鉄道の車窓では星間ガスがバラ色に輝く素晴らしい眺望かもしれない。星のこぼれた夜、寝袋の中で銀河を渡る旅の夢を見た。

● アルファ・ケンタウリ Alpha Centauri

上半身が人間で下半身が馬という馬人をあらわしたケンタウルス座は大きな星座である。丁度4本の足が南十字星をまたぐような格好になっている。オレンジの点で示した三つの星はケンタウルスの前脚の部分。後ろ脚は南十字の右側に回り込む。日本の大部分の地域では上半身しか見ることができない。オーストラリアで「ケンタウリ、ケンタウリ」と言っても通 じない。現地の人々は「センタウリ」と発音する。

写真に写っているのは日本からは見えない部分。ひときわ明るく輝くのがケンタウルス座の首星、アルファ・ケンタウリである(全天で5番目に明るい0.1等星、隣のβ星は11位 の0.6等星)。名前を耳にしたことのある方も多いだろう。何言おう全天の星々の中で太陽に一番近い恒星、その距離4.35光年。隣の太陽なのだ。仮にアルファ・ケンタウリで超新星爆発(恒星の一生の最終段階における巨大な爆発)が起きたとすると、その衝撃で地球大気は吹き飛ばされ、生物の生存は不可能になると言う。宇宙的スケールではほんの隣の星なのだ。

今回このコラムを書くための取材を行っているうちに、新たな事実を知った。ワシはずっとアルファ・ケンタウリは一つの星と考えていた(普通 誰もがそう考えるだろう)。しかし、実際には三つの星から成る複雑な星系だったのだ。少し説明しよう。アルファ・ケンタウリAとアルファ・ケンタウリBというそれぞれ半径比で太陽の1.2倍、0.8倍の星が連星を構成し、さらにその周りを半径比で太陽の0.2倍と小さなプロキシマ・ケンタウリがまわっている。正確には太陽に最も近い独立した星は、このプロキシマ・ケンタウリである。

アルファ・ケンタウリは恒星間飛行の目的地として昔からSF小説などによく登場する。少年の頃、宇宙への憧れとともに心に刻まれた"アルファ・ケンタウリ"の名前を聞くとき、ワシは今でも胸が高鳴る。いつの日か人類は恒星間飛行の技術を身につけ、勇躍宇宙へと進出するだろう。第二の大航海時代の到来である。そこにはどんな惑星系が構成され、はたして生命は存在するのであろうか。大航海の目的地の一つであったオーストラリアで、次の大航海が目指す先を見上げる。どちらの大航海時代にもワシは生きることがなかったが、星空に思いを馳せる時、夢は解き放たれ4.3光年の彼方へ雄飛する。


2001.05.02 掲載