カソワリの来る家
--Southern Cassowary--



ケアンズから北方に向けて車を走らせると、ダチョウのような鳥をあしらった道路標識を目にすることがある(写 真下段の標識。同じような標識はケアンズ南方のミッション・ビーチ方面にもある)。これが今回のコラムの主役、カソワリ(火喰鳥) Southern Cassowaryだ。大きな鶏冠、青い頭部、真っ黒な体に、頑強な脚と一目見ればそれと分かる特徴的な外見をしている。体高は1m50cmから1m80cmに達し、ダチョウ、エミューに次いで世界で三番目に大きい飛べない鳥と思われる。
オーストラリアでは北部クイーンズランドのヨーク岬半島東岸を中心とする熱帯雨林地帯に分布するジャングルの住人である(海を隔てたニューギニアやその周辺の島々に亜種が生息する)。

【写真】ケープトリビュレーションで見かけたふざけた標識。上段は本来「段差あり」の標識だが、落書きで鳥が寝転がったような表示にされてしまっている。
笑いを誘ういたずらには、目くじらを立てる気が失せてしまう。

ケープトリビュレーションの各所を巡ったある日、早朝からのバードウォッチングの疲れも出て、ワシは駐車場に止めた車の中で仮眠のつもりが夕刻まで眠ってしまった。宿への帰路、不意に森の中から影が現れ、道路を横切り反対側の藪へと消えた。咄嗟に「エミューだ」と思って減速した。確か幼鳥が二羽に、親が一羽だ。しかし、刹那の混乱が収まると「こんなジャングルにエミューはいまい、カソワリじゃないか!!」と、ワシの胸の鼓動は高まった。藪に入った辺りを減速して覗くと、まだ親鳥が警戒の視線をこちらに浴びせている。頭の大きな鶏冠は間違いなくカソワリのものである。
宿に戻ってカソワリに遭遇した話を宿の主人にした。「Tommy、おまえは何とラッキーなやつだ!地元の俺達でさえ滅多に見ることはないぞ!」、主人の興奮はワシ以上だった。それでは、このカソワリとやら、どんな鳥なのかもう少し詳しく見てみよう。

北部クイーンズランドのジャングルに生息する個体は1,500-3,000羽と推測されている。ご多分に漏れず、熱帯雨林の伐採に伴う生息域の縮小によりその数を減らしているそうだ。また野ブタが卵を食べてしまう被害も深刻なようだ。
カソワリは熱帯雨林の生態系で重要な役割を負っている。植物の実や種を求めてジャングルの中を移動する際、消化されていない種の混じった糞をする。そこから新しい植物が芽生え、ジャングルの新陳代謝に一役かっているのである。
通常、雌は3個から6個のうす緑色の卵を産み、それを雄が抱いて孵化させる。雄はその後も幼鳥が9ヶ月になるまで、側にいて面 倒を見る。従ってヒナを連れているのは雄である。
雌の方が僅かながら体が大きく、色鮮やかでよく目立つ。
ジャングルの水辺を好むようで、泳ぎは非常に上手である。


【写真】カソワリの凛々しい姿をアップでとらえた。青と赤と黒、天が与えた出で立ちにより、この巨鳥はジャングルの異形となった。

ケアンズからそう遠くない場所に、カソワリがやってくる宿があると、デイントゥリーの宿の主人が紹介してくれた。その名も「カソワリ・ハウス」Cassowary House、ケープトリビュレーションでカソワリに遭遇したのも何かの縁である、ワシはそのB&Bに一泊することにした。

ケアンズの後背にそびえる大分水嶺山脈、高原列車で有名なキュランダへと向かうつづら折りの道を、これまた有名なスカイレールというロープウエーを上空に仰ぎながら、熱帯雨林を進む。余談であるが、この道を西方にそのまま進み、キュランダを越え、アサートン・テーブルランドと呼ばれる山脈の反対側に達すると、気候も景観も、サバンナのそれへと劇的に変化する。雨滴のしたたっていた雨林が、乾いたサバンナへと見る見る変化していく。これほど気候帯の境界線がはっきりしている地域をワシは他には知らない。


【写 真】庭に現れたカソワリ親子。画面の左端に三羽目の尻尾が見える。黒い羽毛の親とは異なり、幼鳥は「ウリ坊」模様である。好奇心旺盛に庭を歩き回る。


さて、「カソワリ・ハウス」はキュランダの手前、ケアンズから30分ほどのドライブで、その気配を覆い隠すように鬱蒼とした森の中にあった(正直なところ非常に見つけにくい場所にある)。ホストファミリーのスー Sueに部屋に案内され、一息ついていると、「カソワリが来たよ!!」と彼女の叫び声がする。早速のお出ましにあわててカメラを抱えて庭に出た。敷地のほとんどは木に覆われていて開けたスペースはそれほど広くない。母屋に続く小径に、カソワリ親子は現れた。子育ての時期なのだろう、ここのカソワリも三羽のヒナを連れている。ワシとの距離は3mあるまい。

このカソワリという鳥、気が荒いことで有名である。カソワリに蹴られて骨折したり、けがをしたという話は枚挙に暇がない。実際、隣の部屋に泊まっていたイギリスから来た老紳士は
翌朝カソワリに追いかけられてこの庭を逃げ回ることになる。正直、この巨鳥を前にワシはびびっていた。相手は気の荒い巨体の持ち主、しかも子連れである。真っ黒な胴体に、大きな鶏冠、鋭い眼光は圧倒的な迫力を醸し出す。なるべく刺激を与えないようにシャッターを切った。


【写 真】眼光鋭い目、黒いくちばし、発達した鶏冠に青い顔、「怪鳥」という言葉は彼らのためのもののようだ。


これまでカソワリを見た経験と言えば、動物園と先日のケープトリビュレーションでの一瞬の出会い位 で、生カソワリはもちろん初めてである。恐竜は絶滅したのではなく、鳥に進化したのだという説があるが、こうしてカソワリの姿をじっくりと見ているとその説もまんざら嘘ではないように思えてくる。怪鳥という表現がピッタリな容貌。鳥というカテゴリーから外れた迫力がファインダーに溢れ出す。


【写 真】庭に座り込んだカソワリ親子。とてもめずらしい光景だそうだ。親鳥の太くて大きな脚が印象的である。


カソワリ親子はしばらく庭を徘徊し、やがて面 白い行動に出た。母屋の前で親鳥がその場に座り込んだのである。父親が座ると今度は子供達の番、何と四羽が小さな庭に座ってしまった。オーナーのスーも「こんなことは初めて」と写 真を撮り始める始末。どうやらワシは珍しい機会に恵まれたようだ。時々、好奇心の強いヒナがこちらに近づいてくるが、親は特に警戒する様子もない。親子はしばしの人間観察を終え、森の中に消えていった。


【写 真】好奇心の強いヒナがこちらへやってきた。「おいおい、あまりこっちに来ちゃだめだ!親鳥の視線が怖い。」


ホストファミリー達との夕食の話題も、カソワリを初め鳥の話になったのは言うまでもない。庭にカソワリがやってくる家なんてオーストラリア広しと言えど、ここだけだろう。家から少し下ったところを流れる川にはカモノハシが住んでいるそうだ。他にも、ネズミのような小型のカンガルーやその他小動物がエサをもらいに現れ、改めてこの森の豊かさに感服する。デイントゥリーでも感じた、あまりに豊かな自然にワシはある種の嫉妬を覚えた。しかしながら、いつまでもカソワリ親子がこの地で生活できるよう願う気持ちに変わりはない。カソワリが徘徊する森は我々共通 の財産である。「巨鳥の棲む森」、懐の広いオーストラリアの自然をまた一つ垣間見て、その夜のビールは格別だった。



2003.01.28 掲載