On The Border

--ブルーマウンテン--



オーストラリア大陸東岸を南北に走る大分水嶺山脈 The Great Dividing Rangeはこの大陸唯一と言える山脈である。ブルーマウンテンはシドニーの西わずか100km、その大分水嶺山脈に位 置する。従って、ブルーマウンテンはまだアウトバックでも、荒野でもない。日本でいえば軽井沢のような避暑地。拠点のカトゥーンバ周辺では多くの瀟洒な別 荘を目にする。当然シドニーから観光客が押し寄せ、絶叫マシン顔負けのケーブルカーなどの観光ポイントはいつも多くの人々で賑わっている。ほとんどのパッケージツアーに組み込まれているオーストラリア観光「お約束」の場所である。

それでもわざわざ初回のコラムにブルーマウンテンを取り上げたのには訳がある。ワシはブルーマウンテンを境に一つの境界が存在すると思う。ブルーマウンテンを越えるということはオーストラリアの大自然に一歩踏み出すことを意味する。都市という人間の領域を離れ、旅人は自然の入り口に差しかかったのである。

途方もなく広いオーストラリア大陸であるが、人間の居住に適した場所は、東南海岸沿いとインド洋南岸の限られた地域である。実に人口の90%が東海岸沿いに集中する。気候に恵まれた日本では信じられない話であるが、人間をたやすくは寄せ付けない場所が多く広がっているのだ。

大陸のわずか数カ所に点在する大都市は近未来のスペースコロニーを連想させる。カプセルの外は人間を拒否する場所、人々はカプセルの中の限られた場所にしがみつくように生活している。実際、シドニーではこれまでアウトバック地域に一度も行ったことがないという人に多く出会った。ある統計によると辺境地帯で生活経験のある人は全人口の3%程しかないという。カプセルの外に出るには相応の覚悟がいるのだ。

シドニーを後にして大陸の先を目指すとき、俗世との第一の境界がブルーマウンテンである。スペースコロニーでいうと最初のエアロックだ。長駆パースからのインディアンパシフィックが山越えの隘路に身をくねらせ、太平洋へと駆け下りるとき、旅人は文明への帰還を実感する。ここを境にメガロポリスから田園地帯へと風景、風俗の変化を認識できる。人為と自然との勢力が逆転するのである。

実際、ブルーマウンテンは多くの旅人が最初にオーストラリアの自然に触れる場所。かく言うワシもその一人。初めて訪れたブルーマウンテンでこの大陸の自然に圧倒された。そこにあったのは、自分の想像を優に超えるスケール、いやいや、正確には、当時のワシの思考の尺度には実際のブルーマウンテンに伍するスケールなど存在せず、そもそもオーストラリアの雄大な自然を思い描くなど不可能だったのである。この日を境にワシの自然に対する尺度は桁が一つか二つ増えた。「恐るべし、オーストラリア!」、旅先でよく使うこのセリフも、口から出たのはこの時が初めてだろう。

ブルーマウンテンを"オーストラリアのグランドキャニオン"と呼ぶことが多い。ワシはこの呼称は全く正しくないと思う。"オーストラリアのグランドキャニオン"などと気軽に呼ばれる方々は本当にこの地を訪れたことがあるのか?深い谷を覆い尽くすユーカリの原生林は視界の彼方まで果 てることなく、樹海にテーブル状の大地が蜃気楼のように浮かぶ。数百メートルの断崖から落下する滝は常に美しい虹を身にまとい、ユーカリから発散された油分で地名の由来通 り青い霞がたれ込める。これらはすべてブルーマウンテンの景観であり、グランドキャニオンでお目にかかれるものではない。今後その呼び方はやめてくれ、ここはオーストラリアのブルーマウンテンだ。

日中の観光客ラッシュを避けるならトレッキングコースを歩くといい。自然の気がみなぎっていることがよくわかる。生成されたばかりの空気はあくまで新鮮で、さわやかな風は無垢である。そして五感を自然のモードに切り換えてご覧なさい。鳥の声が耳に入り、水のにおいがしてくるはずだ。ここに来ると都会の毒が洗い落とされ、いつしか体がピュアな状態に戻っていく。

シドニー入植後、西方に横たわる大分水嶺山脈を越えるルートの発見には長い月日と多くの探検家達の努力を必要とした。1813年三人の男達が初めてブルーマウンテンの踏破に成功すると、新天地を求め多くの入植者が希望を胸に西へと旅立った。今、我々はブルーマウンテンを越え、その雄大を目にする時、ある種の確信を得る。始まったばかりのこの旅はきっと素晴らしいものに違いないと。旅人にとってブルーマウンテンは物質的な日常を捨て、自然に溶け込む旅が始まったことを実感する場所なのである。

最も有名な景勝は、スリーシスターズと呼ばれる奇岩。ここを訪れるのは夕方がいい。右手に沈む太陽はユーカリの海原を徐々に闇に包み込み、そそり立つ三つの奇岩が夕陽に浮かび上がる。魔物から身を隠すため呪術で岩に身を変えた三人娘は哀れ、呪術をかけた祈祷師を魔物に殺されて元の姿に戻ることができない。スリーシスターズを望むエコーポイントと呼ばれる展望台では各国の言葉が入り乱れ、ピーク時には記念撮影用場所争奪戦が壮絶に繰り広げられる。それでも夕方になると観光客も減り、展望台から夕陽に染まる岩肌をゆっくり楽しめる。大道芸人が今日の稼ぎを懐にしまい込み、恋人達はジャンバーを掛け合ってにわかに漂い始めた冷気をしのぐ。標高が高いので、日没とともに昼の暑さが嘘のように気温が下がるのだ。大きな自然を前にして、リラックスした時間が流れていく。「南十字はどこに見えますか?」、日本の女の子が聞いてきた。今日はゆっくりと星を見てキャンプに戻ろうか。日帰りなどと言わず、朝夕の素晴らしい景色の移ろいを目にしながら、十分に旅のプロローグを楽しみたい。

ブルーマウンテン雑記
大分水嶺山脈、何と大げさな名前であろうか。確かに南北には長いが、高さはたかだか1000メートル級の山々である。The Great Dividing Rangeの和訳と思われる。和訳が大げさなのではなく、オリジナルから既に始まっているのだ。そう言えば、オーストラリアには"グレート・○○○"が多い。グレート・バリア・リーフに始まり、グレート・サンデイ砂漠、グレート・ビクトリア砂漠、グレート・オーストラリアン・バイト(湾)と続く。道路の名前にもグレート・ノーザン・ハイウエイなんていうのもあるし、グレート・サウス・エクスプレスという豪華列車だって存在する。どうしてこんな"グレート"だらけなんだ?オーストラリア人に聞いたことがある。答えは、「どうしてそんなことを気にするんだ?」。小さなことは気にしない"グレート"な人々である。

大分水嶺山脈、大鑽井盆地、大堡礁 、世界地理で習ったオーストラリアの地名にはなぜか漢字が使われている。中国ならいざ知らず、ここは英語圏である。他の地域(中国語圏以外)に漢字の地名は存在しただろうか?ワシの記憶ではオーストラリアだけである。この不可思議な現象はどうして起きたのだろう?"大分水嶺山脈"という名前を聞くたびにワシは思い悩む。

ケーブルカーやトロッコの発着所のあるサイクロラマ・ポイントには回転レストランが併設されている。ワシの知る限りこのレストランは世界で一番"まずいことが有名な"レストランである。なにせ何冊ものガイドブックで"味の方は..."、"お世辞にも..."などと厳しい評価を受けている。シドニーの口コミ情報でも"あそこはやめた方が..."という話を耳にする。ここまでおおっぴらに旨くないと言われるレストランをワシは聞いたことがない。それでも何故かここ8年間ずっと存続している。これだけ言われてつぶれないとは、恐るべし!回転レストラン。

オーストラリア大陸はとても平べったい大陸である。どのくらい平べったいかというと、既に述べたが山脈らしい山の連なりが見られるのは唯一大分水嶺山脈のみ。しかもそれとて1000メートル級の山々、大陸最高峰のクジアスコ山でも2000メートル級でしかない。少し脱線するが、7大陸最高峰を以下に列挙する。

アジア(ユーラシア大陸):エベレスト=8,848m
ヨーロッパ(ユーラシア大陸):エルブルース=5,642m
(ヨーロッパ最高峰をモンブラン=4,807mとする意見もある。)
アフリカ大陸:キリマンジャロ=5,895m
北米大陸:マッキンリー=6,194m
南米大陸:アコンカグア=6,959m
南極大陸:ビンソン=4,985m
オーストラリア大陸:コジアスコ=2,240m


我がオーストラリア大陸代表はその他大陸最高峰の半分以下の標高しかない。どれもが特別 な装備と技術、経験を必要とする限られた人のみが立つことのできる頂であるが、コジアスコ山は誰もが登れる7大陸最高峰なのだ。日本でいえば富士山は言うに及ばず、大雪山や鳥海山と同クラスで国内順位 で45位くらいにしかならない。オーストラリアで少し頑張れば誰もが7大陸最高峰の一つに登ったと自慢することができる。何を言いたいかというとそれほどこの大陸には山がないのである。 オーストラリアの地形を表して、竿を右側にして横たえた旗のようだと聞いたことがある。竿の部分の隆起が大分水嶺山脈でその他はところどころにシワが盛り上がる程度の山地がある以外はひたすら真っ平らな地形なのだ。いずれかの項で述べる"乾燥"とともに"平坦"はこの大陸の特徴を示すキーワードだ。


2001.01.11 掲載
2001.06.19 レイアウト変更
2003.01.24 レイアウト変更