KBSの歴史
2002.10.8現在
1995年

血の気は多いがゴロが飛んでくるとおとなしくなる現キャプテン6.hossyと元正捕手Nの両名、勤務先近くで見た少年野球に心動かされ、1991年まで存在した職場野球部のOBで、勤務先の先輩にあたる元キャプテン、溢れる気合いに体が付いていかない1.kuriと身体能力に精神がついていかない元エース18.spikeに「野球やりませんか」と話を持ちかけた。
両名、これを快諾。1.kuri監督に、6.hossy主将に就任。ユニホームもチーム名も無いままとにかく動き出した。監督の1.kuriがそうと決まったらジッとしていられない性分の人間なので仕方がなかった。
早速職場内の男子をメンバーに召集。鵡川の星、若き弾丸野郎2.ken、魔球バナナボールを操るハマの大砲4.biggest、オタモイの潮に揉まれた高校軟式野球部元主将16.kanpe、KBSの初代4番を張った軟式社会人野球経験者23.nakamura、1.kuriの大先輩で、審判をやるとボールがミットに入る前に判定をコールする、少年野球監督経験者28.senior、最初は素人だったのに今ではすっかりスーパーサブ29.yoshinaga、他多数がこれに参加。道具は旧チームのものを物置から発掘した。
その後、なんと初練習試合で全員2安打以上で激勝、一気に盛り上がった。

1996年

初めてチームの運営についても真面目に考えた。職場とのお金のからみもあったのでいろいろ熟慮して「上野幌野球倶楽部」という母団体を組織して財務など球団の運営をして、チーム名は関係するいろんな言葉を並べてイニシャルを拾って「KBS」とした。今となってはこのチーム名に特定の意味はなくなったが別に変える必要もないと思っている。
ユニホームは、まず飽きの来ないものでそれなりに個性もあってと何日も悩んだ。結局その甲斐なくFDHビジターモデルで良しとした。ユニホームは自己負担で作製した。ワッペンなどは着けないことにしたので結構安くできた。
間もなく、川又米利(早実-中日)の早稲田実業野球部先輩7.kohnoが入団。少々高齢ではあったがさすがに攻守とも一級品で、みんな目を丸くしていた。
大会は勤務先にエントリー料を払ってもらいトーナメントに参戦。先制するもエラーで逆転惜敗。負け方が悪いと士気が下がっていろんな問題が浮上する。

1996年-Part2

1.kuriは、チーム内にお付き合い的というか、半ば仕事として参加しているような雰囲気があることに強い違和感を持っていた。職場内のチームであれば、野球好きとそうでもない者が混在しているので当然のことだが、前のチームも同じような感じで、さまざまな問題があり、結局チームはなくなってしまったことを思い出した。
1.kuriはKBSをクラブチームとして運営するための準備を開始した。っていうか勝手にクラブチームにしてしまった。実は最初からそうするつもりだったこともあるが、考えてみたら野球チームなんて勤務先からしてみれば金がかかるだけで必要ないし、チームとしても無理に職場に噛り付いていても良いことはない。誹謗、中傷を受けたり、干渉されることもあるだろうし、超ワガママ男kuriはそれが嫌だった。
草野球のクラブチームとは、運営資金をメンバーの会費(稀にスポンサーからの出金)でまかない、メンバーや対戦相手を公募して、野球好き同士で仲間を増やし楽しくやろうという、今では極一般的なやり方と理解している。KBSもまた、それが監督をはじめチームとしての考え方となった。
もちろんそれをよく思わない、納得できない、性に合わない、付いていけない人間もいたわけで、現在までに退団していったメンバーの多くがそうだろう。当然それを否定するつもりはない。むしろ、彼らがそれまで一緒にやってくれたおかげでチームとしての基盤ができて現在のKBSになったということを思い返し、素直に感謝したい。

1997年

投げても打ってももろ刃の剣、核弾頭3.naoki、持って生まれた俊足を持て余す暴走魚雷25.ishiokaが入団。気性的にも若さ溢れるそのプレーはセンセーショナルで、オヤジ一同羨ましいやら悔しいやら。
大会は前年敗れたトーナメントに再び参戦。2本のホームランを放ち先制するも、同点に追いつかれ時間切れ、促進ルールでも決着つかずジャンケンで4-5というウソみたいな大逆転大惜敗。最初にジャンケンをして負けた7.kohnoはしばらく眠れない夜が続いたらしい。
残念ながらこの年を最後に7.kohnoが東京へ転居、事実上退団となった。夏の海(岩場)をこよなく愛したKBSの背番号7を無期欠番(永久欠番とはちょっと違う)に認定した。

1998年

KBSに入団するためにスコアを一から勉強したという根性娘、ビューティフルなスコアラー41.Mykoが正式に入団。そのスコアは7と9がしばしば逆に書かれ、1.kuriが流し打ちをマスターしたのかと勘違いすることがある。
大会は大惜敗したトーナメントに三度参戦。普通なら負けるはずのない相手にも関わらずなぜか1回表だけ砂嵐が発生し投守ともに崩壊。ここで勝負あり。なんとコールド負けの屈辱。kuri「この大会うちにツキなさすぎないか?」。

1999年

どうしても工業高校臭さから抜けきれないピヤシリの悪童21.naricchi、日中は世を忍ぶ仮の姿っちゅーのもいかがなものか、夜の大魔王10.nori入団。両名とも緊張のあまり最初は堅かったが今では予想もできない姿に。それぞれチーフトランスポーター、パーティーディレクターとして存分に実力を発揮している。
この年からインターネットを利用するようになった。チーム同士の和が広まり一気に試合数が増えた。ホームページもオープンしていろんな草野球関連サイトにチーム登録しまくった。
大会は、優勝狙いでちょっとローカルなトーナメントに参戦。順調?に勝って、その準決勝で事件勃発。
まず相手が遅刻(普通なら不戦敗でしょ)。さらに試合中の相手マネージャーとギャラリーのひどい言動(耳を疑うような汚い野次、放送禁止用語連発)。だからといって怯んだりする我々ではなかったが、審判も注意するわけでもなければ、よりによって勝負どころでの明らかなミスジャッジ。最後は規定時間5分前で次のイニングに入らず。結果、追い上げムードも虚しく1点差で惜敗。さらに第一試合目から段取りの悪さとホストチームの満足度重視が露骨に見える進行に(ブチッ!)。キレた1.kuri、主催者(大会長)に10分ほどご意見を申し上げて、参加賞も辞退し撤収。
案の定あれから1度も連絡が来ない。

2000年

seniorの長男、入団早々あっという間に父を越えてしまった28.junior、モンシロチョウ捕獲部隊、学校行事と子育てに追われる熱血教師9.sense、そして、離島が生んだヤンキーエース、完璧主義が自分の首を絞めてしまう以外と虚弱な14.akki。他2名の新メンバーを迎えてのシーズンとなった。
うれしい誤算は14.akkiと10.noriのバッテリーがすばらしい活躍だったこと。まさに相乗効果だった。akkiは文字通りエースに、noriは走攻守全てに大きく成長した。
この年は監督がそれに見とれているうちに大会に出ることを忘れていた。

2001年

PL学園出の外科医で入来祐作と同級生、カーナビがないと球場にたどり着けない5.shin、鬼のような早朝に球場で既に腕組みをして待っているパン職人で謎のポエマー30.S.Y.A.、かつてのライバルチームのキャプテンで岡島秀樹の先輩、後頭部にあるスイッチでアドレナリンが分泌される燃える薬剤師11.kataが入団。
シーズン開幕は、紅白戦と短いイニングではあったが練習試合を行い、今シーズンも上々と思わせる手ごたえがあったが、その後投手に故障者が続出し、なんと次回からは悪夢の4連敗スタートとなって足元がグラついた。
悩み抜いた結果、監督kuri自らピッチャーとして完全復帰、さらに超軟投派のhossyを加えることでまず投手陣を整備、機を同じくして救世主となった11.kataの活躍もあり、野手陣も徐々に調子を取り戻し何とかチームを立て直すことができた。
8月からはキャプテン6.hossyの所属するもう一つのチーム「MONKEYS」と姉妹チーム提携。1.kuri、14.akkiが準メンバーとして登録した。
また、とてもカッコいいKBSグランドコートもつくった。
この年も何かと忙しいシーズンで、おかげで大会まで気がまわらずまたもや出場機会を逸してしまった(単なる監督のわがまま)。

2002年

暖冬で雪どけが早く例年より1ヵ月近く早い活動開始となった。おかげでkuriが公私の多忙に紛れて新入団交渉に失敗し、とりあえず新メンバーなしでシーズンを迎えたが、直後に11.kataの前チームメートでガラスの肩を持つ石井一久の元ライバル?22.mune、10.noriの友人で最近ようやくカタギの道を歩きだした8.kinta、その友人で入団交渉中に飲食店で同じ席に居合わせた0.saito。全て経験者というとても濃い新メンバーを迎えた。
大会は、ある野球リーグに参戦した。結果は6勝3敗でまずまずの成績。やっぱり公式戦は緊張感もありなかなか具合が良かったがシーズン途中の9月、なんと入団したばかりの22.muneが東京へ転勤という大アクシデント。これにはまいった。
また、この年から「上野幌野球倶楽部」という名称を排除し、とりあえず「ケービーエス」と称し「KBS」と表記することにした。
それから大会とは関係ないが、今年中に札幌ドームで試合がしたい。さらに2003年度は新ユニフォームをつくり、ついでに新チームとしてリスタートしてみようかなあ...とたくらんでいる。


※記憶にあいまいな点が多々あります。間違ってるところは指摘してください。
※退団したメンバーについては、迷惑をかけるといけないので掲載をできるだけ控えています。

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