私は子供の頃、小学校5、6年だったか、中学生だったかはっきりしませんが、 「生きている化石」というショッキングな呼び名で、はじめてメタセコイアを知りました。 場所は天王寺の美術館、暗くてせまい階段や踊り場に、大きな図と説明があったのを覚えています。 その後、大阪市立大学に入り、メタセコイアの命名者である三木茂先生に直接教わり、 また、植物採集にも連れて行って貰ったりしましたから、この木は特に親しく感じられます。
三木茂先生は、昔の地層の中から出てくる断片的な植物の化石や遺体をもとに、 その植物の形態や生態、それが生存していたころの気候などを推定するという研究をされていました。 その中で、大阪の比較的新しい地層からもたくさん出土する植物遺体に、 アメリカに現存するセコイアやスマスギに類似したものがありました。 これはそれまでセコイア属と考えられていたのですが、三木先生は短枝が対生していることや、 球果の形がそれらと違うことなどに注目し、すでに地球上から絶滅し、 今では化石でしか残っていない植物として、メタセコイアと名前をつけたのでした(1941年)。
ところがその後しばらくして、中国の奥地で数本の珍しい大木がみつかり、 それが三木先生のいうメタセコイアそのものであること、しかも、 先生が断片的な植物遺体をもとに推定された形態や性質がほとんど完全に正しかった事が証明され、 一躍世界的な評価を受ける結果となったのです。
メタセコイアは、中国でみつかった個体から挿木や実生で沢山の苗木が作られ、 日本へはアメリカを通じて1945年に導入されました。 挿木による繁殖は容易で、成長は大変早く、しかも円錐形の独特な樹形をつくります。 春の芽ぶき、秋の紅葉、冬の枝ぶり、いずれも大変美しいものです。
なお、メタセコイアは、たいていの図鑑で三木先生の考えに従ってスギ科に分類されていますが、
北村先生らの原色日本植物図鑑(保育社)ではヒノキ科に分類されています。
これは、葉や球果の鱗片が螺旋(らせん)配列するスギよりも、
対生を基本とするヒノキに近いと考えての事です(右写真:長枝に対生する短枝(大阪府立大学 1999.7.29)。
(中公新書 斎藤清明著「メタセコイア、昭和天皇の愛した木」には、 中国に現存しているメタセコイアの写真が掲載されています。)