キンモクセイ  Osmanthus fragrans var. aurantiacus

 ウスギモクセイ: O. fragrans var. Thungergii

三嶋大社の「キンモクセイ」(1985.9.21)

三嶋大社の「キンモクセイ」(1985.9.21)

モクセイ科* モクセイ属 【*APGⅢ:モクセイ科】

Osmanthus:芳香のある花  fragrans:香しい 
aurantiacus:橙黄色の、Thunbergii:ツンベルグ(人名)の
(var. は「変種」をあらわす記号)

キンモクセイあれこれ <初出:随想「森林」14号(財団法人:土井林学振興会、1986.1.)>

大阪の長い残暑も峠をこえ、ほっと一息つくともう10月、あちこちの生け垣や庭木のキンモクセイが黄燈色の小花をいっぱいにつけ、遠くからでもそれとわかる芳香をただよわす。 2年ほど前、身近な動植物をつづって「あなたの自然カレンダー」をつくって下さい、とアンケート調査をしたことがあったが、初秋を代表するものとして、多くの人々がキンモクセイをとり上げた。 中国原産とされるこの木が日本の風土に深くとけ込んでいる証拠かもしれない。

日本には雄株しか入っていないからキンモクセイには実はならない、とは昔から聞かされていたから、 半分は納得し、半分は、雄木があれば雌木もあるはずだし、雌木があれば長い間に日本へ持ち込んだ人がいてもいいはずだ、 なのに、いまだに雄木ばかりというのもおかしな事だ、と納得できぬ気持ちも強かった。 だから、15年ほどまえ春4月、鹿児島市城山公園の山中にたわわに実をつけたキンモクセイをみつけたときは、まず我が目を疑い、 次に「大発見をした」と胸がときめいた。それほど大きな木ではなかったが、何しろ幹や枝の色・もよう、葉の形・大きさ、 どれをとってもキンモクセイ以外の何物でもないのに、コーヒー豆のように小指の先ほどの緑の果実をいっぱいつけていたのだから。

この大発見の興奮も、しかし、その夜のうちに「佐藤君、それはきっとウスギモクセイだよ」との穂積先生の一言ではかなく消え、 あとには不勉強を恥じる気持ちと、これ程よく似た植物に異なる名前のつく不合理を恨む気持ちが交錯した。 もっとも、本家中国の高等植物図鑑では木犀(桂花、ギンモクセイ)を基本種とし、その栽培品種中、花が黄燈色のものを「丹桂」と称し、 淡黄白色のものを「銀桂」と称する、とあり、日本のように両者をギンモクセイの変種にまで格上げしていないから、キンだウスギだとやかましく区別する必要もないのかもしれない。

ちょうどそのころは大気汚染がひどく、東京や大阪ではキンモクセイが咲かなくなったと騒がれはじめた数年あとで、我々が大阪市内で行った樹木の生育調査でも確かに衰弱がはげしく、 弱々しい木だという印象はぬぐえなかった。このままでは都心部から完全に消えるのではないかと本気で心配したが、 その後の大気汚染の防止努力が実を結び、少なくともかつてのばいじん・SOx型の汚染がなくなるにつれてキンモクセイも開花をはじめ、 1980年に筆者らがおこなった開花状況の調査でも、大阪市内をはじめどの地域でも良好な着花が確認できたのは幸いであった。

この調査のときには10日あまりの短い開花期に研究室が総出で府下各地へとび、一枝あたりの花芽数や着花数などを記録してまわったが、 必然的にたくさんの個体を見る機会にめぐまれた。なかには四条畷高校の木のように、三階に届くほど背が高く、葉も大形で勢いのよい個体もあって、 かつての弱々しい樹木というイメージをかなり変更したものだった。

しかし、キンモクセイと称するものの中で想像を絶していたのは静岡県三嶋大社のものだった。 国指定の天然記念物で、立て札には樹齢1200年、幹回り約4メートルで、9月上~中旬と9月下旬~10月はじめの2回開花するとあった。 1200年という樹齢は怪しいとしても木の大きさそのものには掛け値はなく、2年続けて新幹線を途中下車して見に行ったが、その価値は十分であった。 最初の年(1984)は9月29日にいったが既に落花の後で、茶色の花ガラが地面をおおっていた。翌年は9月21日に行き、満開の1~2日前という感じで、 枝にたくさんの花をつけていた。花色はクリーム色で間違いなくウスギモクセイであった。

樹高は一見それほど高くないのだが、幹は巨大で、地上約1メートルでまず二つに分かれ、さらにそれぞれが直径30センチほどの太枝4、5本に分かれ、 四方にのび、樹冠は大きく傘形に広がり、枝先の一部は地面に接していた。

あまりのみごとさに何とか大きさを確かめたいと、まず、境内と道路を隔てる石柵に着目し、樹冠の端から柵の数を数えたところ63本あり、 さらに石柵の端から1.5メートル先まで枝をのばしていた。柵は31センチ間隔で立っていたから、結局、樹冠の直径は約21メートルということになる。 一方、幹の太さも、その両端を柵の外から見通して地面に印をつけ間隔をはかったところ、 2本に分かれて太くなった方が約120センチ、それと直角の方が約80センチであった。 一枚でこの木の大きさを実感する写真をとるのは難しく、ここに示したのは、まず、下段を5枚に分けて写し、 次に中段を3枚、最後に最上部を1枚写したものをつぎはぎしたものである。

ちなみに、この個体は雄株で結実しない。これほど大きくなれたのも、果実の生産にエネルギーを費やす必要がなかったからだろうか。 それにしても立派な木であった。