今年(1996年)5月末、愛知にすむ知人の案内で念願のヒトツバタゴ群生地を見学した。
ヒトツバタゴは、一般にはナンジャモンジャともよばれるモクセイ科の落葉樹で、
5月ごろ、4片に細長く切れ込んだ純白の花を樹冠いっぱいにつけ、清楚な一面、華やかな美しさを誇る。
ナンジャモンジャという奇妙な名前も魅力だが、植物学的には極端な隔離分布をする植物として有名で、
我が国では九州・対馬に少数が生育するほかは、愛知、岐阜、静岡などの伊勢湾を取り囲むように点在する湿地の
ごく限られた場所にしか生育しない、希少な植物である。
見学した群生地は犬山市池野の国指定天然記念物で、やや開けた谷の水田に接して、 金網で囲われたごく狭い区画にあった。訪れた日(28日)にはまだ樹冠に雪がかかったように花が残り、 わずかな風に盛んに落花していた。
この群生地には大小8本のヒトツバタゴがあったが、ミズギボウシやカザグルマなど湿地性の植物が茂る林床は
下刈りされていて、そこには稚樹は一本も見あたらなかった。ヒトツバタゴ成木の多くは、
高さ10m、幹直径30cmほどに達し、いずれも、一見、元気そうに見えた。
しかし、すこし離れた場所から見たとき、最大級の木が一本、枝先から枯れ込み、葉色も悪く、 量も少ないことに気がついた(写真左)。詳しく見ると、この木は何かの原因で地際に近い樹皮が大きくはがれ、 傷口を茶色のつぎ蝋で被ったり(黄×印)、太さ1cmほどの若いヒトツバタゴを何本か幹に呼び接ぎしたりして、 何とか枯死をくい止めようと手当されていることがうかがえた(写真右)。
この場所を天然記念物にするための調査記録が大正15年に刊行されていて、 それによると周辺はミズゴケなどが繁茂する湿地で、現状よりはるかに湿った条件だったことがうかがえる。 興味深いのは、このとき記録された16個体のヒトツバタゴは、ほとんどすべてが直径7~30cmほどの切り株から数本ずつ萠芽を出していたことで、 地上30cmでの直径が大きいもので1~6cm、高さも最大6m足らず(一丈八尺)しかなかったことである。 当時から70年以上たった現在、木は大きくなったが個体数は半減しており、現存する個体もいずれは枯死して行くであろう。
ヒトツバタゴは雄株両性花異株で、すべての個体が結実するわけではない。この群生地には結実個体があり、さきの報告書にも「今後其数を増加すべきや必せり」とあったにもかかわらず、
70数年後の現在、林床に実生稚樹がないことはこの群生地の将来に不安をいだかせる。今年(1996)は隣接する水田が耕作をやめており、
水環境がさらに乾燥方向へ向かうことは確実で、新しい不安要素が加わったといえよう。
[初出:都市と自然 No.245(1996年8月号):よもやま図鑑40]
<写真説明>
属名は雪(chion)と花(anthos)に由来し、樹冠全体に咲く花の白さを雪にたとえたもの。
日本の他、朝鮮、台湾、中国本土に分布する。北米東部に近縁のアメリカヒトツバタゴがあり、
東アジアと北米に近縁種が隔離分布する例となる。多くの図鑑で雌雄異株とされるが、
厳密には雄株と両性花をつける個体はあるが雌花だけをつける個体はないとされる。
この種は、ハナノキ、シデコブシなどと同様、伊勢湾周辺地域の湿地に生育する。
近年、土地利用の変化による乾燥化などでこれらの生育環境が著しく変化し、
また、生育地そのものが失われたりして、数年前に発行されたレッドデータブックでは
危急種(最新版では絶滅危惧II類(VU))に分類されている。