元ザ・ルースターズのギタリスト。
'79年10月、大江慎也(Vo & G)・池畑潤二(Dr)・井上富雄(B)とザ・ルースターズを結成。翌'80年11月にアルバム『ルースターズ』(NIPPON
COLUMBIA AF7017AX)でデヴュー。幾度かのメンバーチェンジを経て、'85年3月の大江離脱後は花田がリード・ヴォーカリストとしてフロントに立ち活動を継続するも、'88年7月22日の渋谷公会堂でのライヴを最後に解散(この日の模様はLiveアルバム『Four
Pieces Live』(BODY / NIPPON COLUMBIA 32CA2716)として発表)。'90年7月31日に布袋寅泰プロデュースの『Riff
Rough』(East World / TOSHIBA EMI TOCT-5671)でソロとしてのキャリアをスタート。'95年1月25日には小西康陽プロデュースの『ROCK'N
ROLL GYPSIES』(East World / TOSHIBA EMI TOCT-8783)を発表(その繋がりで、花田はピチカート・ファイヴの「メッセージ・ソング」('96年)のプロモーション・ヴィデオに出演)、中期〜後期のメンバーだった下山淳(G)の他、池畑・井上と久々の共演を果たす。
田島とは『女王陛下のピチカート・ファイヴ』('89年)の「新ベリッシマ」へのゲスト参加で面識があった。
参考:『女王陛下のピチカート・ファイヴ』プロモ盤(CBS/SONY XDAH93062)のライナーノーツより。
●対談:田島貴男×花田裕之
『新ベリッシマ』のグレイトなギターフレーズを聴いていただきたい。あのギターを弾いている花田裕之さんは、ギターフレーズももちろんスカしていたが、スタジオでギターを弾いている姿など、もっとスカしていたのだ。ギブソンのシグネイチュアーをひっさげ奴は来た。ギターアンプはもちろんVOX! やられたね。スカしたギタリスト、花田裕之に今回ピチカート・ファイヴのLPに参加したことについて感想を述べてもらった。
花田「最初に話が来たときには、ピチカート・ファイヴの曲を俺なんかができるのかなと思って。それで曲をテープでもらって聴いて、自分なりにおしゃれに解釈してさ。オシャレなギターフレーズを結構考えておいてからスタジオに入ってそれを弾いたんですよ。最初はギターの音も歪ませないで、けっこう硬い音でオシャレにやっとんたんだけど、そしたら小西君が一言、『ああ、いつもの感じでやって下さい』って言われたんで(笑)。」
田島「そうだったんですか。いや、でも歪んだギターだからこそオシャレなんですよ。だって小西さんなんか、あの曲をギター弾く真似してジャンプしながらアレンジしてましたもん。とくにあの頭のフレーズはイカしてますよ。僕なんかあのギターフレーズを聴いたとき、いつの間にか拳を握っている自分に気付いちゃったもの。もうすぐでヘッドバンキングしちゃいそうな状態でしたね(笑)。」
花田「でも、ピチカート・ファイヴのお客さんは拳上げて欲しくないよね。」
田島「そうかなあ。いやあ、僕はどんどん上げて欲しいなあ。もうヘッドバンキングでもなんでもして欲しい。」
花田「なるほど。お客さんの中にダイビングしちゃうとか。」
田島「ああ、したいなあ。」
花田「田島君なら、そういう方向にもっていこうと思えば、あっという間だよ。すぐすぐ。」
※田島が本当にダイヴしたのはこれから10年後だった
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