ORIGINAL LOVE Biographical Dictionary


バカボン鈴木

パート BASS
参加
1996年 DESIRE(「ガンボ・チャンプル・ヌードル」「青空のむこうから」「Words of Love」を除く)
1998年 水の音楽」「CRAZY LOVE
経歴・他

パール兄弟、渡辺香津美など。和光大出身のようなので田島の「先輩」にあたることになる。

オフィシャルサイト:VMS

パトリック・ヌジェ

パート ACORDION
参加
1997年 GOOD MORNING GOOD MORNING
経歴・他

日本在住のフランス人シンガー

オフィシャルサイト:Patric NugierオフィシャルWebサイト

花田裕之

パート GUITAR
参加
1992年 愛のサーキット
経歴・他

元ザ・ルースターズのギタリスト。
 '79年10月、大江慎也(Vo & G)・池畑潤二(Dr)・井上富雄(B)とザ・ルースターズを結成。翌'80年11月にアルバム『ルースターズ』(NIPPON COLUMBIA AF7017AX)でデヴュー。幾度かのメンバーチェンジを経て、'85年3月の大江離脱後は花田がリード・ヴォーカリストとしてフロントに立ち活動を継続するも、'88年7月22日の渋谷公会堂でのライヴを最後に解散(この日の模様はLiveアルバム『Four Pieces Live』(BODY / NIPPON COLUMBIA 32CA2716)として発表)。'90年7月31日に布袋寅泰プロデュースの『Riff Rough』(East World / TOSHIBA EMI TOCT-5671)でソロとしてのキャリアをスタート。'95年1月25日には小西康陽プロデュースの『ROCK'N ROLL GYPSIES』(East World / TOSHIBA EMI TOCT-8783)を発表(その繋がりで、花田はピチカート・ファイヴの「メッセージ・ソング」('96年)のプロモーション・ヴィデオに出演)、中期〜後期のメンバーだった下山淳(G)の他、池畑・井上と久々の共演を果たす。
 田島とは『女王陛下のピチカート・ファイヴ』('89年)の「新ベリッシマ」へのゲスト参加で面識があった。

参考:『女王陛下のピチカート・ファイヴ』プロモ盤(CBS/SONY XDAH93062)のライナーノーツより。

●対談:田島貴男×花田裕之
『新ベリッシマ』のグレイトなギターフレーズを聴いていただきたい。あのギターを弾いている花田裕之さんは、ギターフレーズももちろんスカしていたが、スタジオでギターを弾いている姿など、もっとスカしていたのだ。ギブソンのシグネイチュアーをひっさげ奴は来た。ギターアンプはもちろんVOX! やられたね。スカしたギタリスト、花田裕之に今回ピチカート・ファイヴのLPに参加したことについて感想を述べてもらった。

花田「最初に話が来たときには、ピチカート・ファイヴの曲を俺なんかができるのかなと思って。それで曲をテープでもらって聴いて、自分なりにおしゃれに解釈してさ。オシャレなギターフレーズを結構考えておいてからスタジオに入ってそれを弾いたんですよ。最初はギターの音も歪ませないで、けっこう硬い音でオシャレにやっとんたんだけど、そしたら小西君が一言、『ああ、いつもの感じでやって下さい』って言われたんで(笑)。」
田島「そうだったんですか。いや、でも歪んだギターだからこそオシャレなんですよ。だって小西さんなんか、あの曲をギター弾く真似してジャンプしながらアレンジしてましたもん。とくにあの頭のフレーズはイカしてますよ。僕なんかあのギターフレーズを聴いたとき、いつの間にか拳を握っている自分に気付いちゃったもの。もうすぐでヘッドバンキングしちゃいそうな状態でしたね(笑)。」
花田「でも、ピチカート・ファイヴのお客さんは拳上げて欲しくないよね。」
田島「そうかなあ。いやあ、僕はどんどん上げて欲しいなあ。もうヘッドバンキングでもなんでもして欲しい。」
花田「なるほど。お客さんの中にダイビングしちゃうとか。
田島「ああ、したいなあ。
花田「田島君なら、そういう方向にもっていこうと思えば、あっという間だよ。すぐすぐ。」

※田島が本当にダイヴしたのはこれから10年後だった

浜口茂外也

パート CONGA
参加
2003年 恋の惑星
経歴・他  

平井直樹

パート DRUMS, SULDO
参加
ツアー

1999年(冬)〜

2000年 女を捜せ」「ダブルバーガー」「MP」「R&R
2002年 ムーンストーン
2003年 欲しいのは君
経歴・他

BOOM BOOM SATELITES サポート

ビデオワークショップのヴィデオ「CLUB MUSI C DRUMMING」を出している。

平岡保夫

パート TROMBONE
参加
1993年 Let's Go!」「JUDGEMENT」「いつか見上げた空に」「I WISH
経歴・他

平ヶ倉良枝

パート DRUMS
参加
ライヴ

1990年

1990年 BODY FRESHER」「BLUE TALK」(「Pre-Debut CD」) 
経歴・他

現:戸田良枝。
1994年、Torattoria より『IDORATRIA』(YOSHIE名義)

平原まこと

パート TENOR SAXOPHONE, ALT SAXOPHONE, BARITONE SAXOPHONE
参加
1993年 サンシャイン ロマンス
1994年 フィエスタ
1995年 RAINBOW RACE』(※註
1996年 Hum a Tune」「MASKED」「日曜日のルンバ
1997年 ペテン師のうた」「ローラー・ブレイド・レース
2000年 ショウマン」「R&R
経歴・他

オフィシャルサイト:http://www.linkclub.or.jp/~makoto/

ふかいかずや

パート TRUMPET
参加

ツアー

1993年(冬)

経歴・他

ふかいまり

パート PERCUSSION
参加

ツアー

1993年

経歴・他

KATUYASU FUKUDA

パート BARITONE SAXOPHONE
参加
1991年 LOVE SONG
経歴・他

布川均

パート コーラス
参加
2004年

ひとりぼっちのアイツ」「或る逃避行

経歴・他 PONY CANYON の A&R

藤田乙比古

パート FRENCH HORN
参加
1995年 RAINBOW RACE』(※註
2000年 女を捜せ
経歴・他 オフィシャルサイト:オットーホルン

フルーツパーラー・ボーイズ

パート CHORUS
参加
1995年 夏着の女達へ
1996年 ブラック・コーヒー
経歴・他

古田たかし

パート DRUMS
参加
2004年 銀ジャケットの街男」「赤い街の入り口
2006年 ヒット曲がきこえる」「さよなら、ルビー・チューズデイ」「ダウンタウン」「Be My Baby」「エミリーはプレイガール」「ピストル・スター
経歴・他

カルメンマキ&OZ、Dr.StrangeLoveなど。

http://dr-strangelove.under.jp/menu/furuta/f.html

本田雅人

パート HORN (SAX)
参加
1993年 接吻
経歴・他

元T-SQUARE。SOLID BRASS。

オフィシャルサイト:Ciao! Ciao!! Ciao!!!


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他にも活動をご存知の方は教えてください。
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