SPEAKS to many magazines

――田島貴男を一言でいうと。
「僕のキーワード? …ウーンなんだろうなぁ、ちょっと待って…(この間40秒)…“芸人”(笑)」

(『CLEF』誌 '93年8月号)


「ヒーローになんて、別になりたくもないですね、あくまでも僕はミュージシャンで、大道芸人でいいんです。ヒーローって言葉自体、僕には見え透いちゃってる。60年代だったら、それもありうるかもしれない。この間、マイルス・デイビスの自伝を読んだんです。僕が一番感動したのは、彼の偉大さじゃなくて、彼も人だってことなんですよ。ジョン・レノンにしても結局はみんな人だったってことが最高なわけじゃないですか。どんな音楽だって、生きてるって事実のなかから捻出されてくるわけですからね。僕は今を生きてるってことで、充分だって、それで音楽だってことでいいんですよ」

(『ID.JAPAN』誌 '92年9月号、インタビュー・佐川秀文)


――そもそも、オリジナル・ラヴというバンド名はどういった発想から思いついたんですか。
「本当言うと、なんにも考えてないっすよ(笑)。何か、大人が音楽やっても違和感がないようなバンド名が良いだろうというだけですね。ないっちゃないですよね(笑)」
――バンドのコンセプトを教えて下さい。
「基本的には、ぼくのソロ・プロジェクトですね。それは、昔から変わっていません」

(『ワッツ・イン』誌 '95年5月号、インタビュー・天辰保文)


「そもそも僕がどういう音楽をやろうと思ってオリジナル・ラヴを始めたかといいますと、今から10年前、僕が19から20くらいの時、限りなくいいポップスを目指すバンドがやりたくて始めたんです。ポップスに対する僕の解釈としては、音楽のクオリティを無視して、不特定多数の人々に聴かれることだけを目指すような、平たく言うと要するに“売れることだけを目指す”ような、ある意味でコンビニエンスストアに置いてあるような音楽、そういうポップスでは決してないんです。音楽的な価値、クオリティを追求して、かと言って、マニアに受け入れられればいいということでもない。贅沢に両方を満たしかたかった。質を評価されつつ、大勢の人々に受け入れられるようなパワーを持った音楽を作りたかったんです。それを僕の中で“完全なポップス”として目指して組んだバンド、それがオリジナル・ラヴなんです。」

(『PAUSE』誌 '95年6月号)

7月4日からスタートした“オリジナル・ラヴ '94ジュライ・ツアー”の最終公演が7月28日、渋谷公会堂で、猛暑の中を吹き飛ばすかのごとく猛烈な歓声の中に開催されました。
 最新アルバムからの曲「The Rover」で幕を開けたこのライヴ、演奏のカッコ良さといったら、CDよりも何十倍もファンキーでパワフルで、聴いてるほうも自然と体がノってくる。もう、1曲目から誰もがオリジナル・ラヴの魅力に打ちのめされてしまったのでした。
「今日はツアー末日だからどーなってもいいやーっ!」と、ボーカリストの田島貴男さんは、1ヵ月続いた緊張感を解放するかのように元気いっぱい。南国ふうラテンリズムにのせた「The Best Day of My Life」では、メンバー全員がパーカッションを叩いて踊り、かと思うと田島さんは小さなタンバリンを手に、「ギャーッ!」とナゾの奇声を上げて腰をくねらすありさま。さらに客席のみんなも、一緒にジャンプしながら大合唱。この盛り上がりはスゴかった。
 さらに田島さんは突然、「オレはシブヤ系じゃな〜い! 生まれは大田区デスッ」と絶叫。大爆笑する客席に向けて「オレはシブヤ系じゃないんだ。ちゃあんと、汗流して歌うからなっ!」 マジで体中汗ビッショリの彼に、場内からは声援が飛び交います。感動的だったのは、スポットライトの下、ひとりでギター弾き語りをした「夜をぶっとばせ」。悲しみをぶっとばせ〜と歌う彼のあまりに激しい感情表現に、客席からはため息も。
「このステージの上で死んでもいい、と毎日思ってやってきました。いまどき古いタイプの人間で」……そんな言い訳をしながら、ここしばらくライヴで歌わなかった「ラヴ・ソング」というシブ〜イ曲を披露。魂を振り絞るような絶唱にはみんな涙、涙。
 アンコールでは「接吻」、ラストは「朝日のあたる道」でシメて、観客も大満足。サウンドがカッコイイだけじゃなくて、心底感動できるコンサートでした。

(『Duet』誌 '94年10月号)

「今だからはっきり言えるんですけど、どんなに良い曲であっても、歌が駄目だったら、良い曲じゃないんですね。逆にたいした曲じゃなくても、歌さえ良ければ、ある程度聞ける。だからあの頃から自分の歌をもっと鍛えたいという欲求がふつふつと沸き上がってきて、なおかつ一回歌うたびに、歌というものがどんどん理解できるようになっていった。で、「接吻」では自分なりの情感の出し方というものが、とりあえず出来たんじゃないか、と、そう思ってます。

(『ミュージック・マガジン』誌 '94年7月号、インタビュー・渡辺亨)

「僕の持っている“普通の人たちの日常感覚”という意識が変わっちゃったんですよ。ポップスというのはそういう場所に根ざしててる音楽だと思ってたし、だからひょっとしたらポップスの自然な姿というのは、それと共に変わるんじゃないかという気がしていて。例えば援助交際であるとか、ああいうものの中にあるポップスというのを一度作ってみたいとイメージしたのが『L』のきっかけなんですよね」
――社会のあり方が変わるとポップスのあり方も変わると?
「今、本当に正直にポップスをやるとしたら、いろんなノイズのようなものがどうしても含まれてきちゃうんじゃないか。『風の歌を聴け』の頃までは、スーパーマンのような強い人間を描こうとしていたと思うんですよね。でもあのアルバムを作った後、何か物足りない、描き切れてないという気がして。今回の『L』を作って、非常にいろんなことが分かったんですよ。自分が何を描きたいのか。要するに、僕は儚い存在としての人間を描きたかったんだなと。今回のアルバムの歌詞には、いろんなモチーフがあるんですけど、ひとつはそういう儚さ、脆さ、軽さですね。そういうものを描きたかったんです。

(『ミュージック・マガジン』誌 '98年11月号、インタビュー・かこいゆみこ)

インタビューを終えてから、彼は僕の次の仕事場まで車で送ってくれた。その車中、僕らは引き続き音楽について、音楽を取り巻く状況について、語り合った。今のポップスは、すべてが偽カウンター・カルチャー化している。太い道路の真ん中を堂々と歩く人がいないのに、わざわざ対抗するものが何もないのに、誰もがカッコいいと思って脇道に逸れたがる…そんな話をした。

(『Creation』誌 第1号 '98年7月、文・二見裕志)


「変身ファイル」

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