戦後の復興時代にビールは庶民には贅沢品でもっぱら安い焼酎が飲まれていました当時の粗野な
甲類焼酎は臭いがきつく、それを美味しく飲む為に1952年天羽飲料製造有限会社の堺慶次郎氏が
カクテルのロングドリンクスをイメージし創ったのが赤ラベルの「天羽の梅ハイボールA」 原液1、焼
酎2、炭酸3で割ると焼酎のくさみが消え、独特の色と香りに甘さも加わって、ビールよりも軽くて、
すっきりと飲め煮込みやモツ焼きとの相性も良く広く飲まれるようになりました。
当時進駐軍が持ち込んだ「ハイボール」はウイスキーを炭酸で割ったものでしたが焼酎ベースだった
ので「焼酎ハイボール」と名付けられ「酎ハイ」「ボール」とも呼ばれています。
「どぶ」1954年監督新藤兼人の一場面、ビールが高価だった!鶴見が舞台なので残念ながらボールは確認できない。
   すっきりとした飲み口はワインのように魚には白、肉には赤など小難しいこだわりは
   必要なくどんな料理との相性もバッチグーです。


現在堀切では居酒屋は勿論、焼肉屋さん、中華料理店、イタリアン、タイ料理店とボール
を飲める店が多く点在し他の地域には見られない聖地とも言える様相を呈しています。

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