水車小屋の風景

13 水車異聞 その2

 

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稲取大川の釣り人

 

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五十尻はどこなの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五十尻を特定!

 

 

 

 

 

 

ポツリポツリと落ちて来るだけで雨空になりきれない曇天下、成就寺前の大川で釣りをしている人がいました。この大川は今でもアユなどが結構釣れるそうです。

 

稲取駅から馬道に上がって国道を横切り、更に上がりきった所で水下の長老Uさんに出会いました。何でも、今朝は農協で市が開かれているとかで散歩がてらにやって来たという。特に欲しいものがあるわけではないが、ざっと見て好いものがあったら買うつもりだ、とのこと。

 

私の方は前からお会いしたら訊こうと思っていたので、早速、「五十尻」の場所を訊いてみました。ところが、彼も首を傾げて、聞いたことがないと言う。ただし、「百尻」という地名は文化公園下の喜久多旅館の辺りだと教えてくれました。

 

私の疑問点は、「堰の沢」の水源を探索したときに、志津摩川からの取水地点に水門を二つ見つけ、そこに「五十尻川の水門」という立て看板があったことから、どこかに「五十尻」という場所、字名があるはずだということである。入谷の古老はこの用水路の行きつく先、即ち浜のほうに百尻というのを聞いたことがあると言います。しかも、「いなとり荘」のまわりではないか、という。

 

多分、五十尻、百尻は隣り合わせの字名だろうと思いますので、取りあえず百尻がほぼ特定できたことで、今朝は先ず先ずの手ごたえを頂きました。その上、水下の長老はこの用水路上にあった水車の一つ、堂ノ前の裏の水車について耳寄りな話をしてくれました。

 

そこは外岡さんの土地ではあったが、水車小屋のオーナー及び管理は水下の仲間、約20戸だということでした。しかし、水車小屋1軒で20戸の需要を消化しきれないのではないかと訊くと、彼は臼が4個乃至6個あったので、その心配はなかったとのこと。

 

しかも、この水車は粉ひきの臼も一つあって、それを使うときは精米用の杵を止めるだけの余裕があったらしい。水力が足りない場合の配慮が出来ていたということです。

 

帰りに、もう一度大川端に来たら、まだお若いオバサンが自分の実家が百尻だったと教えてくれたのが、文化公園の下ということと、五十尻は水下口の海側のセブンイレブン辺りの地名だったというのです。これぞ自分の脚で歩いて得られた情報!やっぱり、五十尻は「浜」の方にあったのだ!近いうちに、その辺を聞いて回ってみよう。

 

なお、この先には小山尻があり、そこの崖からマリンスポーツセンター脇に常に大水が流れ落ちています。そして池尻があって、五十尻、百尻があるという「尻」のラインアップがここで日の目を見たということでしょうか。

 

 

久し振りでお塚公園に上がると、ご高齢の紳士が公園内をウォーキング中でした。今回の散歩のテーマは「五十尻」を特定すること。早速、土地の人であることを確認してから、質問してみました。

 

紳士は暫く首を傾けてから、「それは池尻のことではないかね。あの辺は昔は五十尻と呼んでいた気がする」と言う。現在、池尻海岸は夏のシーズンにはフロートを浮かべて、子どもたちの海水浴や磯遊びの場となっていますが、昔はそこでアワビがたくさん獲れたと言います。このことは先日、水下のKさん99歳から聞いた話と一致します。

 

あの磯場は周りに岩礁が並んで、ほどよい具合に池の形を作っています。池の海側の岩礁には昔は大きな岩があったと聞くと、多分、とんがりとか馬石とかの名が他にあったように、面白い名前が付いていたと思われます。でも、この紳士は覚えていませんでした。

 

しかし、お塚の山の西隣が小丸山で、稲取観光ホテルの裏山に該当するという彼の話は、私もうすうす感じておりました。また、そのホテルの東側に谷状の窪地が海に向って急崖を成している部分があり、「おりっと」と名付けられて、立野の人たちがここを往き来したと聞き、その場所があらためて特定できたのはうれしいことでした。

 

別れ際に、彼がホテル「福美館」の2代目だったことがわかりました。福美館と言えば、その所有する畑に稲取温泉の1号井が誕生したことで町史にその名が残されています。偶然お会いしてお話を伺うことが出来たのはラッキーでした。

 

さて、その後、どんつく通りに下りて銀水荘への道をたどります。ホテルが閉館となる事態が続いていましたが、最近「さざなみ」という立派なホテルが誕生しました。

 

銀水荘の西側から国道への急な道を上がり、セブンイレブンの前に出たら、知人のオバサンが前を歩いていました。実はこの方はこの近くに40年前に家を取得した方でした。早速話を切りだします。すると、何と、私にとって重大な証言を得たのであります。

 

彼女が40年前に結婚して家を取得した時、そこの住所に付いていた字名が「五十尻」だったのです。志津摩へ走る現国道の海側にあるお蕎麦屋さん、「誇宇耶」を中心にした海尻が「五十尻」と確定出来た瞬間でした。先日、大畑で若い女性の方から聞いた話は正しかったということです。

 

更に、国道の上の「来宮さん」の近くで「三太郎どん」も、この旧道の下が「五十尻」であると教えてくれました。更に、五十尻の下側が「釜屋」だということでした。かくして、「五十尻」については3人の証言が一致しました。

 

水下公民館の前辺りから何本かに別れた用水路の一番西の用水路から水が落ちる場所、そこが「五十尻」ということになります。そこは「稲取マリンスポーツセンター」脇に、現在も音を立てて流れ落ちている場所でした。(2015/09/30