第1章 自分史について


 @自分史とは何か。その来歴と役割

 「自分史」という言葉をご存知でしょうか。そう古い言葉ではありません。使われ始めて四半世紀(25年)、言葉としては新参ものといえるでしょう。それまでは自伝・自叙伝などという言葉で対応していました。たとえば『福翁自伝』『宮武外骨自叙伝』というように。
 そもそもそうしたものは、功なり名を遂げたエライ人が著わすもの、という諒解がありました。普通の人・ただの人(そんな人はいないけど)そういう人が自分のことを書いてみよう、というのが自分史の発端で、いっときはブームとなり、今は手堅く根付いて、多くの人々が書く楽しみ(醍醐味)を味わっています。
 自伝のデモクラシーともいえるこの「自分史」ですが、国語辞典には載っていません。日本語としてまだ認めてやらない、そういことらしいのですが、つい先ごろ改訂された『広辞苑・第5版』には、これがメデタク登場しました。さすが岩波さん、その解説には「平凡に暮らしてきた人が自分のそれまでの生涯を書き綴ったもの」とあります。平凡に暮らしてきた人、そんな人いるかな? という気もするけど……。

 私・吉村登と自分史の関わりについて、かいつまんで紹介しましょう。なんでおまえが偉そうに訳知り顔の講釈をするのか、という疑問・批判に応えるためにも。
 1989年の春から、名古屋市栄の中日文化センターで「自分史を書く」という講座を担当することになりました。その後、愛知厚生年金会館、名古屋市民大学、愛知・岐阜・福井などの各地自治体の生涯学習、などの講座で1000人余りの皆さんの自分史と接してきました。実際に書く作業をともにしてきたわけです。
 そして10有余年、すっかり自分史に魅せられて、
   『楽しみながら書く自分史』
   『団塊遁走曲』 (いずれも愛知書房刊)
 の著書も成りました。これら実地に立った経験をもとに「自分史のすすめ」をお話しするわけです。

 なんの酔狂でそのような労力を費やすのか、と訊かれるでしょう。そのわけは、例えば、美味しい食べ物を味わったら、いい景色を堪能したら、面白い映画を観たら、誰かに話したくなるそういう類いの動機です。(私の著書を読んで欲しいというストレートな願いもあります……)
 ともかく自分史は読むのも書くのも面白い。それを伝えたいわけです。
  *読むについては「いい自分史」の作品(著書)紹介を。
  *書くについてはその要諦をお話しましょう。

 A自分史を書こうと思い立つ人々の動機
 男性は定年を機に、女性では子育てが一段落したこの機会にという人が一般的でしょう。これまでずっと駈けてきたものが、ふと立ち止まる。するといろいろなものが見えてくる。これまでの自分の人生は、いったい何だったのか……。何を目指し、どう生きてきたの……。あれもこれもと思い出され、何とかそれを書き留めておきたくなる。思い出(記憶)はその人一代限りで、書くなり話すなりしておかないと、どんな貴重な体験、生きる知恵も消えていってしまいます。
 立派な業績をあげた、おおいに出世をした、そういう人には日経新聞の「私の履歴書」欄が用意されますが、普通にはそうはいきません。では、そうした普通の私の人生は、無に等しいかというと、そうではないしそうは思いたくないもの。
「自分で自分を褒めてやりたい」
 そういって自分史を書き始める人もあります。そこまで徹しないまでも、子や孫や親しかった人々に、あのときはこんな風に、こんな思いでいたんだと、告げたい心は根強くあるものです。
 どう考えても普通じゃない苦労・経験をしたという人もあります。
 重い病気をした。不自由な体で生きた。障害のある子供を育てた。戦争のためにひどい目に遭った。事業に失敗して辛酸を嘗めた。嫁と姑の戦いをした。寝たりきりの親を10年看病した……。
 などなど暗い話ばかりじゃないか? そんなことはありません。苦あれば楽ありで、その両面を描くのが自分史の醍醐味となるわけです。ただ、日々好日、毎日を極楽トンボのように生きた人には、読み書きの延長にある自分史は縁遠いかもしれません。それはそれで目出度いことであります。さらに、自分の苦労は一代かぎり、誰にも言わず語らず、我が胸の内に秘めて、黙って死んでいく。そういう流儀の人もあるでしょう。、それはそれで恰好いいかもしれません。

 B自分史は人生の一旦停止
 病気をして病院のベッドに釘付けにされたとしましょう。仕事も家庭生活も趣味も付き合いもすべて中断です。さて、手術・闘病のさかりにはそれどころではありませんが、一息ついての快復期に入ると、さまざまな想いが脳裏を駆けめぐります。外にすることがないわけだから、一点集中、妄想の渦に巻き込まれてしまいます。
 いったいどうしてこんな病に罹ったのか、仕事のストレス、暴飲暴食に運動不足、不規則な生活に遺伝的影響、などなど反省しきりです。家庭生活もなんとか持ち家にしたのは評価出来るものの妻や子供らへのサービスはないに等しかった。さてこのさきだが、果たして元の健康体に戻れるのか。再発の虞れはないのか。病欠とはいえ長期休暇の影響はこの後の評定にどう響くのか。無事に勤めあげたとして、定年後の人生設計はどうするのか。それにしてもこの自分の人生は何だったのか……。
 まさに人生の一旦停止です。病気という大きな力によっての強制的一旦停止です。場合によっては、そのまま永久停止ということもありますが、ともかく病気をしてみて、ものの見方が変わった、性格・人生観まで変わったということは、よく見聞するところです。私も入院・手術という経験がありますが、なるほど振り返れば、それが人生の転機、とも位置づけられそうです。病気による人生の一旦停止には、たしかにご利益がありそう。しかし、病気はご免です。
 そこで登場するのが、自分史です。人生の自発的一旦停止、自分史を書く行為は病気とはちがって、健康で楽しみながらそのご利益が享受できる妙法です。ここらで一度立ち止まって、これまでとこれからの私を点検してみませんか。

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