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ヒロチャン 「成田山参道」 |
成田詣での旅 の成田山参道です。
一行は宿坊に泊まったようですが、すでに宿坊あともなく、参道で宿屋を兼ねた古いたたずまいはこのあたりにしかないので・・・。
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「成田詣での旅」 下総の成田山新勝寺は真言宗智山派の大本山で江戸の庶民にはなかなか人気がある。
一つには江戸からの水路の便がよく、道中に険しい山道もないことから女子供、老人でも気易く参詣に出かけられるのと、海沿いの風景が繁華な江戸の町中に住む人々には珍しく眺められた故でもあった。 |
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ヒロチャン 「千駄ヶ谷のお富士さん」 |
鬼女の千駄ヶ谷の御富士山です。鳩森八幡神社にあります。 |
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「鬼女」
途中、蕎麦屋で午飯を食べて、千駄谷八幡に着いた時には、厚ぼったい雲の切れまから薄く陽が射しはじめていた。
境内には富士山をかたどった岩山があって、それを登って行くと山頂と思しきあたりに富士権現の祭祠がある。
これが富士山頂とは、如何にも安直だが、それでも、かなりの高さがあって、そこから見渡すと、あたりの景色が一望の下に眺められた。 |
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みちころんろんさん 「かわせみのポストカード」 |
以前、こちらでも話題になった、『御宿かわせみ』30巻記念ポストカード 3枚セットです☆「初春の客」 「春の寺」 「虫の音」です。 |
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そうそう、このプレゼントもありましたね。これはご常連の方も何人か当選されていたような・・・素敵ですね~(管理人) |
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小式部さん 「あられ蕎麦」 |
本郷の東大近くのお蕎麦屋さんにありました。小柱と海苔とミツバがのっています。たしかに小柱はあられに見えますね。江戸時代に小柱って手に入りやすい食材だったんでしょうか。関東風の濃いおつゆです。柚子の香りがきいてます。お味はまあまあでした。 |
「あられ蕎麦」ってどんなだろうと思っていた読者もこれで納得ですね。小柱たっぷりで美味しそう!(管理人)
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「岸和田の姫」
長寿庵の店へ入った。客がけっこう入っている。
「なににしますか」
物珍しそうに、店を見廻している花姫に東吾が訊き
「なにが、おいしいのですか」
死ぬほど、お腹がすいているという花姫が釜場のほうをみる。
「なんでも旨いですが……」
「東吾と同じものにします」
種物を三つ、注文した。あられ蕎麦である。 |
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たまこさん 「目黒川」 |
「目黒川の蛍」の目黒川は、「秘曲」でも舞台になっていますね。鷺の舞が行われた目黒の金比羅さんは、この写真の左のあたりだと思いますが、今はもう跡も残っていないようです。仙五郎親分が通ってきた「権之助坂」のほうは、今でもバス停や商店街の名前に残っています。 |
写真にマウスを置いて頂くと写真が切り替わります。
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「目黒川の蛍」
その正吉と東吾を伴って、松浦方斎が目黒不動へ出かけたのは螢見物と句会のためであった。
目黒川の水辺には、近頃の江戸ではみかねないような大きな螢が生息していて、それが光を放って飛ぶさまはなかなかみごたえがあると、目黒村の名主の庄左衛門というのが招待したもので、松浦方斎を含めて十数人が夕方から名主の家へやってきた。 |
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たまこさん 「多摩川」 |
「玉川の鵜飼」の多摩川の現在です。
多摩川は隅田川に比べると、今でもかなり田舎っぽいですね。首都圏を走る私鉄は、上流から、京王線(京王多摩川)・小田急線(和泉多摩川)・東急田園都市線(二子玉川)・東急東横線(多摩川園)といずれも多摩川を渡り、西側の住民にとっては、東の隅田川と同じくおなじみの川です。 |
写真にマウスを置いて頂くと写真が切り替わります。
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この写真を拝見していると、川辺はそんなに変っていないような気がしてきます・・・(管理人) |
「玉川の鵜飼」
玉川沿いの景色は美しかった。
青葉若葉に朝の陽がさして、鳥の声ものどかに聞える。
源太郎がお千絵と千春の手をひいて走り出し、長助とお吉がその後を追って行く。
道はどんどん細くなるので、駕籠は柴崎の宿へ待たせておき、全員が徒歩であった。 |
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