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富岡八幡宮(深川八幡) 「柿の木の下」(犬張子の謎)より
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東吾がその気になって、
「ついでに富岡八幡に参詣して来よう」という。
永代橋を渡って深川へ入ると、長助が番屋の脇で待っている。(中略)
富岡八幡に着いて、四人が揃って参詣し、女二人は境内の茶店へ寄って甘酒の注文などをしている。
東吾はなんとなく境内を見廻した。 |
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富岡八幡境内の茶店→ 名物「深川めし」がありました。もちろん甘酒も。 |
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「桐の花散る」(御宿かわせみ・下)より
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「おい、出かけるか」るいがちょっとぼんやりしていると、東吾が煙管をはたいて声をかける。
「よろしいんですか、畝さまのお手伝いをして差し上げなくて・・・・・・」
「八丁堀の知恵者が雁首並べて走り廻っているんだ。餅は餅屋にまかせておけということさ」
立ち上って庭をのぞいた。
「早く仕度しろよ」
深川八幡の境内にこの年、三月のなかばから下総の成田不動の開帳が行われている。
その見世物の中に、カンカン踊りというのがあって、江戸中の人気をさらっていた。 |
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富岡八幡宮(深川八幡ともいう)や下記の深川不動堂のある地域は、永代島と呼ばれ、もともとは長盛上人が埋め立てを行い、幕府に寄進したものである。広さは約六万五千坪もあり、なお上人は寛永元年(1624年)に富岡八幡宮及び永代寺(富岡八幡宮の別当)を建立した。 |
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富岡八幡宮の境内→ 広々としており、今の季節新緑が美しい。カンカン踊りはここに小屋掛けされていた? |
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深川不動堂(深川不動尊) 「女難剣難」 (御宿かわせみ・下)
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自分の部屋で、東吾は源三郎から渡された書き抜きをじっくり眺めて考え込んでいた。
八丁堀を出たのは午すぎで、大川端のるいの部屋へ行って、いきなりいった。
「寒いところをすまないが、つき合ってくれないか」
こんなことには馴れているので、るいはすぐ身仕度をした。二人そろって「かわせみ」を出る。
近くの船宿から舟を出させて、蔵前へ行き、るいを待たせておいて一人で大口屋へ出かけていったが、やがて、十八、九の小僧を一人連れて戻って来た。(中略)
「大口屋清兵衛は七草には必ず深川の不動尊へおまいりに行くきまりだったんだ」
なるほど、正月七日深川不動尊詣、供は孝吉と源三郎の筆で書いてある。
境内の茶店で一服し、孝吉は清兵衛と一緒のお茶を飲み、団子を食べさせてもらっている。 |
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富岡八幡宮を出て西に100mほど行ったところに、深川不動堂がありました。元禄16年(1703年)に成田山新勝寺が永代寺に出開帳したことから、成田山新勝寺の東京別院となった。
実際の不動堂が作られたのは明治14年(1881年)と新しい。 |
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深川不動堂→ 不動堂後部は現在工事中。完成後はビルになる模様。 |
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←深川不動堂に向う参道 名物「きんつば」や煎餅などを売るお店が軒を連ねている。 |
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