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湯島聖堂 「迷子石」(御宿かわせみ・上)より
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家の中にひっこんでいるのが惜しいような秋晴れの日、るいは大川端から珍しく一人で湯島に住んでいる知人を訪ねに出た。
ここまで来てのついでだからと湯島聖堂に詣でて、つい、喜見院にまで足がのびた。
ここは、以前、東吾と逢った場所でもあった。湯島聖堂や、九段の練兵館の稽古場へ通うことの多かった東吾と、よくこのあたりで待ち合せて、束の間の逢瀬を持ったのも、今はなつかしい。湯島から八丁堀までの道を、二人で歩く分には決して長いとも思わなかったあの頃が、つい昨日のことのようなのに、あれから数えても、もう五年の歳月が経っている。 |
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湯島聖堂入り口→ この辺で待ち合わせたのでしょうか? |
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←入り口から大成殿に向かう道
ちょうど桜が満開で、東吾さんとるいさんも桜吹雪の中を歩いたのかも。 |
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湯島聖堂は、寛永9年(1632年)に徳川幕府の儒臣林羅山が上野忍ケ岡の邸内に孔子廟を建てたのが始まりである。その後元禄3年(1690年)に将軍綱吉が廟殿を神田台(現在の湯島)に移し、大成殿と改称し、大成殿及び付属の建物を聖堂と総称したものである。元禄16年と天明6年の2度の大火により焼失したが、翌年には再建。寛政9年に昌平坂学問所を開設。 |
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大成殿→
ちょうどこの日はフリーマーケットが開催されていて、大勢の人で賑やかでした。 |
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神田明神 「梅一輪」(狐の嫁入り)より
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翌日、同じ時刻。東吾はるいと一緒に神田明神の境内にいた。
「来ませんよ、とうとう・・・・・・」
るいにいわれて、東吾は仕方なく境内を出た。寒空に長いこと戸外に立っていたから、るいの手は冷え切っている。
「やっぱり、俺はお人よしかな」
るいの手を袖口から自分の袂に入れて、握りしめながら仙台堀のほとりまで歩いて来た。 |
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江戸の二大神社といえば、山王社と神田明神である。江戸城の堀をめぐって日本橋へ流れる川の南西が山王権現、東北が神田明神の氏子となっている。そしてそれぞれ山王祭、神田祭が江戸の二大祭と言われ、特に山王祭は公方様の産土神ということで、江戸を代表する天下祭と呼ばれている。
山王祭は6月15日。神田明神は9月15日で、一年おきに盛大に行われていた。
←神田明神 明神様も梅ならぬ桜が満開できれいでした。 |
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