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野菜栽培で生きたいの目次:(今の頁を, 太字で表示してあります。)
(1)野菜栽培を考えるようになった経緯, (2)家庭菜園を始めた, (3)野菜栽培で仕事をすることを考えた,
(4)畑の仕事の手伝いを始めた, (5)僅か半年で, 畑の仕事を辞めた, (6)今後も野菜栽培をしていきたいけれど


(3)野菜栽培で仕事をすることを考えた

野菜栽培を仕事にすることを考え始めた

 仕事を辞めてから半年以上が経った2010年11月頃,
そろそろ次の仕事を探さないと, 貯金が残り少なくなっている状況でした。
しかし, 次の仕事について,
なにも思い浮かびませんでした。

 そんな状況で, 野菜栽培を仕事にはできないかと考えるようになっていました。
仕事にする以上, 畑の確保, 流通の整備, 等々,
考えるべき事が沢山ある筈でしたが,
そのようなことを考えずに,
県内で就農に関する仕事をしている某機関へ相談してみました。
そこでは, 私の歳では, 就農は無理である, と言われました。
20歳代, 30歳代だと歓迎されるらしいのですが,
40歳代では, どこも雇ってくれないのだそうです。
その相談相手の方は, しかしながら,
どうしても農業で生きていこうとするのであれば,
農業とは別に, 生計を立てるための仕事を持ちつつ,
家庭菜園の規模で畑を借りて野菜栽培をし,
少しずつ規模を大きくしていくことを考えてはどうか, と提案して下さいました。

 同じ頃, 隣の県の羽咋(はくい)市で,
木村秋則氏が, 自然栽培塾を始める事を知りました。
車で2時間位で行けるところで,
あの木村秋則氏から直接指導を受けられる, というのはとても魅力的と感じ,
就農を考えていた私にとっては,
このことは, 何かによる「導き」ではないか, とも思いました。
インターネットで羽咋市を調べてみると,
この市は, 外からの就農希望者を受け入れることに前向きということだそうです。
ということで, 自然栽培塾に参加させてもらい,
その時に羽咋市の方のお話を聞くことができたのですが,
ここも富山でのお話と同様, 20歳代, 30歳代の方々の転居は歓迎するけれど,
私は40歳代ということで, 来て欲しくないような印象を受けました。

 野菜栽培を次の仕事にしようと考え始め,
木村秋則さんが近くで自然栽培の普及を始める状況になったことは,
私が野菜栽培をすることを後押ししてくれたと解釈したのですが,
野菜栽培への新規参入が現実として大変難しさと知らされ,
別の仕事を考えよう, と思うようになっていました。

 そんな時に, 畑を借りるきっかけとなったカフェの店長が,
畑を貸せる人(以降,A氏と書きます。)がいる, という話を聞かせてくれました。
同じ富山市内(と言っても, 車で30分位かかる所ですが)のある方が,
野菜栽培をして, 栽培した野菜を直売所で売っていて,
収入は○○円位にはなる, ということを話されたようでした。

 畑を借りられるのであれば,
(畑作業とは関係がない)アルバイトをしながら生活費を稼ぎ,
空いている時間で野菜栽培をすれば,
そのうち野菜栽培をうまくできるようになって,
それで生きていけるのでは, と, 思ってはいて,
そのことをA氏に話すと,
A氏は, (畑作業とは関係がない)アルバイトをするのであれば,
A氏がやっている畑作業を手伝わないか,
そうしたら, アルバイトではなくて, 畑作業で収入が得られることになる,
と提案されました。
年にいくら位の収入になるのかも尋ねたのですが,
今の貯金が減らない位の生活費になりそうな額が提示されました。
もしその方の畑作業を手伝うことで収入が得られたら,
畑作業をしながら, 自分のやりたい野菜栽培もできることになります。
A氏の話を伺っていると, 私がやりたい自然栽培を否定はされず,
もし自然栽培がうまくいくのであれば,
自分たちもそれをやってみたい, と, 理解ある様子でした。
この方となら, 自分が望む畑作業を進められるかも知れないと思い,
A氏の畑作業を手伝いながら, 自分で自由に使える畑も借りて,
野菜栽培をしよう, そう決めました。それが2011年1月のことでした。


最終更新日: 2011年09月22日
このウェブサイトの作者: おきゅうぼうや


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