Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu
琉球王国のグスク及び関連遺産群

座喜味城

本島中部の読谷村にある。護佐丸(ごさまる)が築造させた小さいながらも美しい城。


 概要

 座喜味城は、1416〜1422年に護佐丸が北山監守として今帰仁城にいた時期に築造させた城で、1422年に護佐丸はここに移っている。そして、1440年に首里王府の命で中城城に移るまでの18年間、ここで過ごした。(築城の時期がはっきりしている数少ない城)

 元々護佐丸はこの地を治めていた按司(豪族)で、近くの山田城に居を構えていたが、北山滅亡によってその脅威が無くなったことと、海外貿易の面からこの地に移ったと考えられる。この城からは、北は今帰仁城のある本部半島、南は首里・那覇方面が一望できる。

 築城の際、遠く奄美大島などからも人夫を徴用して使役させたという。これは、北山がこの地方を統治していたからで、北山監守となった護佐丸はこれを引き継いだものと思われる。またこの城を築くにあたって、かつての居城であった山田城から石垣を壊して再利用しているとの伝承もある。
 防御の面から考えた場合、井戸が無いなどこの城の構造には疑問が多く残る。これは、北山を滅ぼしてその脅威が無くなった直後に造られたという時代背景を考えると、防御的城塞というよりはむしろシンボル的な城、山田城より貿易に有利な港に近い場所にあえて移転したことなどから、貿易管理センター的な城ということでおよそ理解できる。また、この城は沖縄で唯一の赤土台地上に掘り込んで建てられたグスクである。(他のグスクは硬い石灰岩台地上)

 実際、15世紀中頃の中国製陶磁器が最も多く出土しており、この城のある読谷の地に東南アジアの影響を受けた織物(読谷山花織)や焼き物(喜名焼)が存在していることからも、護佐丸が盛んに海外貿易を展開したことが伺える。

 座喜味城は、規模は小さいが切石積みの城壁は美しく、特にアーチ型の石門はこの城が最初に採用した工法だという。また、16世紀の中国製陶磁器も出土していることから、伝承にあるように護佐丸が出た後も「座喜味按司」に引き継いで使われていたことがわかっている。その後、長い間使われていなかったが、戦時中は日本軍の砲台となり、戦後は米軍の通信基地として使用されていた。返還後史跡整備されて現在に至る。

座喜味城1座喜味城2
外部に開いている唯一の門(表門)

座喜味城3座喜味城4
  内側からみた表門         二の郭から本丸門を臨む

座喜味城5座喜味城6
二の郭の細い部分            一の郭の城壁  

座喜味城7座喜味城8
殿舎跡(砂岩で出来た礎石が見える)

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