ワクわくアトリエ

 パリから帰国後暫くしてから、知人を介して幼児教育で世界的に注目されている伸芽会教育研究所の創始者、大堀秀夫先生と出会った。

 先生から西千葉に3階建てのビルを建てるから、そこで幼児教室を手伝えと云われ、伸芽会西千葉教室室長として幼児教育に携わる事となった。

 戦後25年ほど経った日本は急激な経済の発展を遂げていた。その代償としてイタイイタイ病で知る事となった土壌汚染や大気汚染などの環境破壊、それに起因した生活物資の枯渇などで社会を騒がせ、人々に不安を与えるようにもなっていた。

 資源に恵まれていない日本は海外から資源を輸入、それを加工製品化して輸出し、そこで得た工賃で国の経済を支えると云う事情があった。原材料の加工や製品の製造には強大なエネルギーを必要とし、石炭石油類の化石燃料を大量に消費しなければならず、大気汚染や土壌汚染といった悲惨な結果を招いた。

 地球という生活環境は決して無限な空間ではない。閉ざされた空間だ。汚染は蓄積して地球汚染の大きな原因となる。

 著者の名前は忘れたが当時読んだ本に、地球を汚染から守る方策の一つに人口制限と云う方法があって、今の地球には60億人の人間しか住めないと書かれていた。もし、生まれた我が子が60億1人目だったらどうなるのかと考え、その怖さに身震いしたのを今でも忘れない。

 環境破壊と引き換えに人々は豊かで便利な生活という麻薬を手にしたのだ。麻薬の恐ろしさは理解していても、一度でもその魔力に嵌るとそこから抜け出す事は容易ではない。

 良好な地球環境を守り、便利で豊かな生活を維持できる方策を創出しなけれならない。

無から有を生み出せる創造力が必要であり、幼児期からそのための教育があっていい。また絶対にやらねばならないと考えていた私に、大堀先生との出会いが運命のように訪れた。

 「渡りに舟」私は幼児教育の世界に渡った。

 定年まで伸芽会の各教室で微力を尽くしその後は、市川市のめぇでる教育研究所でこの思いを持ち続けながら「ワクわくアトリエ」として現在も真に微力ながら活動させて頂いている。