そこで一句

讃岐の山々



このページはピアニシモ氏と行った四国方面への旅行記です。
ピアニシモ氏が旅行記を作成し自身のホームページで発表していましたが
氏のホームページ閉鎖に伴い当ホームページにリンクして掲載していました。
その後、諸般の事情により、しばらくリンク切れしていましたが
宇高国道フェリーの懐かしい写真が含まれていることから再掲載する事にしました。
(再掲載に伴い、注意書き等を追加した箇所があります)


ここから下が2001年8月の旅行記になります。お楽しみください。


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今回は登山ではなく「讃岐駆け巡り・山と食の旅」である。使用した交通手段は、自家用車、船、ロープウェイ、ケーブルと多彩であり、ほとんど歩いていないからトレッキングでもないが、まあ、たまにはいいだろう。案内は、再び登場の友人 M である。
それでは内容も盛り沢山だし、さっそく始めるとしよう。


大槌:
朝、岡山県南部の宇野港からフェリーに車で乗りこむ。直前にファミリーマートで乗船チケットを購入したのだが、何とたった 2500 円 (人間込み) である。瀬戸大橋の約半額だ。代わりに 4 倍ほど時間はかかるが、わずか 1 時間程度の船旅であり、酔いさえしなければこれを利用しない手はない。
沖へ進むにつれ、最初の目当てである大槌が見えてきた。大槌は島だが、海からすぐに立ちあがる見事な三角錐はまさに "海に浮かぶ山" である。一度、登るために漁船でも出してもらおうと目論んでいるのだが、M によると蛇の巣窟になっているらしい。なるほど他の陸地からは完全に独立したパラダイスだし、蛇が存分に羽をのばしていたとしても (変な表現だ) 不思議はないが、ただ私は蛇だけは苦手である。厳冬期にでもアタックしよう。

(みっちゃん注:2020年11月23日)蛇の巣窟とフェリーについて:
他の方の大槌島上陸記事を見る限り蛇がたくさんいて怖かったという記述はありません。
昔、この島に来られては困る何かがあり、蛇がたくさんいるという噂が流されたのかもしれません。
又、宇野ー高松間のフェリーは現在は運行されていません。


飯野山:
高松港に到着し街中を走り始める。次の目当ては讃岐富士こと飯野山である。高松自動車道に乗り、西へ飛ばすと、すぐに綺麗な山体が見えてきた。けして高くはないが、非常に整ったおむすび形が印象的な山である。なるほど地元の人が "富士" と呼ぶのが分かるなあ・・・と感心していると、突然 M が「おい、まだ早いんじゃないか」と言い出した。彼の記憶によると、高松自動車道に乗ってから飯野山が見えるまで、もう少し時間がかかったらしいのだ。慌てて地図を広げる。今はまだ府中湖の手前である。とすればなるほど、飯野山はまだ先である。あまりに形が似ているこの "偽飯野" に危うく騙されるところだった。しかしよく見ていると、周辺に現われる山の多くが同じ形をしているのである。もう偽飯野だらけというか、飯野山の子供がいっぱい散らばっているかのようだ。(そう言えば、大槌も同類である。)
やがて車は、本物の飯野山に差しかかった。やっぱり本家は、一回りスケールが違っていた。

萬城屋:
本日のメインイベントである雲辺寺山に行く前に、昼飯を食うことにした。香川と言えば讃岐うどん。高速から一般道に降りしばらく走ると、「萬城屋」という看板がある。どうやら製麺工場がやってる店のようだ。中に入ると徹底したセルフ方式になっており、麺をゆがくところから自分でやっていく。その後ぶっかけにしようが釜上げにしようが自由だが、こちとら素人、やり方が全然分からない。結局普通のうどんになり、適当に肉やら天婦羅を乗せ最後に金を払う。けっこう豪華にしたつもりだったが、わずか 420 円。さすがにオールセルフのことだけはある。
讃岐うどんというと極太の麺を思い浮かべるが、萬城屋のはけっこう細い。大阪で一般に使われている麺よりまだ細いくらいだ。従っていわゆる "豪快な歯ごたえ" ではなく、しなやかな柳の腰である。一言で讃岐うどんといっても奥が深いのだ。

(みっちゃん注:2020年11月23日):萬城屋さんは閉店されているようです。

雲辺寺山:
四国霊場 66 番札所にあたる「雲辺寺」は、この雲辺寺山の山頂にあり、ロープウェイで上がることができる。M によると世界最高速のロープウェイなんだそうだが、地面から遠く離れた上空を進むためそれを実感することはない。
寺の回りには、多くの羅漢像が配置され、さならが "羅漢庭園" の様相を呈している。しかしそのいずれもが真新しい。梱包も解かれていない納入箱が並んでいたり、どこか芸能人に似させたような顔の羅漢もある。いかにも "新名所" にしようという意図が伺われて、歴史を感じさせない寺だ。山頂部の裏は開発中で、スキー場までできるらしい。その山頂部にある巨大な仏像は中が空洞になっており、入場料を支払って展望台まで上がることができる。晴れていれば徳島の剣山や愛媛の石鎚山まで臨めるらしいが、生憎下り坂の天候で四国は厚いガスに包まれていた。
駐車場まで下り休憩所に入ると、投稿箱が設置されていた。いい句を思いついたら備え付けた用紙に一筆したためることになっている。さっそく私も挑戦する。紙を取り、雲辺寺山で体験した光景を思い浮かべる。そう言えば、お遍路さんが歩いていた。花畑には黒い蝶が飛んでいた。それらの情景を暖めているうちに、ついにその一句が浮かんだのであった。

  お遍路に 蝶がとまって 変ロ長調

六六庵:
雲辺寺山を立つ前に、小腹がすいたので蕎麦を食べることにする。駐車場にある「六六庵」という店である。M が知人に聞いた話だと、とても美味いらしい。中に入り「袒谷そば」を注文する。出てきたのは、実に太い麺の蕎麦であった。腰はそれほどないが、もちもちして食べ応えは凄い。まるで粗野な讃岐うどんを食っているようである。まったく今日は、蕎麦のごとく細いうどんを食ったり、うどんのごとく太い蕎麦を食ったりで、どこか妙な一日だ。
六六庵の入り口に案内板がかかっている。袒谷そばの効能などが書かれており、最後に店主が作ったらしい "一句" が記されていた。

  もう一度 来る気にさせた そばの味

うーむ。私の "変ロ長調" の方が、ましかも知れない。

(みっちゃん注:2020年11月23日):六六庵さんは現在高松市の八栗の方で営業されているようです。

五剣山:
雲辺寺山を後に高松方向へ戻り、本日最後の目当てである五剣山をめざす。日はもう傾きかけていたが、何とか最終近くのケーブルに間に合い、四国霊場 85 番札所である「八栗寺」まで上がる。
五剣山は崩れやすい山であり、すでに登山禁止になっている。しかし八栗寺の庭から見上げる山頂部は実に壮観で、さしづめ "讃岐のドロミテ" といったところか。岩好きな連中ならば、禁止されようが何されようが絶対に登りたくなる岩壁である。上には今でも鎖や縄が残っているらしい。(ちなみに、五剣のうち一峰は崩落して、今は四剣のみが聳えている。)
讃岐一の奇峰に別れを告げ、高松港に帰ろうとしたところで道を間違え、五剣山の裏手に回ってしまった。ついでだから別角度の五剣山も見ておこうとそのまま走り、漁港に車を止める。そこから眺める五剣山は表とはまったく違い、異様な瘤が盛りあがった個性的な山容である。その横には、軍艦をひっくり返したような形状の屋島。まことに讃岐の山々はユニークである。


一日かけた「讃岐駆け巡り・山と食の旅」も無事終了し、フェリーで帰路につく。やがて瀬戸内海に夕焼けが訪れ、真っ赤な水平線を背景にあの大槌が見事なシルエットで浮かびあがる。空は地獄の炎のように燃え、島々はモルゲンロートに輝いている。これはもう、高峰から臨む御来光もあわやの絶景である。そこで最後に、次の一句を添えて、この旅行記を終わりにしよう。

  茜空 ああ金ないと 鐘が鳴る


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