ミステリー登山・暗号付き

石槌山


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このページはピアニシモ氏と登った岡山県玉野市にある石槌山登山記です。
ピアニシモ氏が登山記を作成し自身のホームページで発表していましたが氏のホームページ閉鎖に伴い
2001年頃より当ホームページに掲載していました。しかし登山してから既に20年が経過し
状況も変わったと思い先日再登山して来ました。
登山記の一部の内部リンクでは表示される20年前の写真に続けて現在の写真も載せています。

ここでご案内しているルートは現在はかなり厳しいルートとなっています。
山頂からの下りすぐは岩場で迷いやすく滑落の危険もあります。
気軽に登山するには他の方の登山記にもあるように公園側から鉄塔巡視用の登山道を登るのが楽そうです。

参考データ :1回目登山日2000年8月13日 (この登山記を作成した登山日)
      :2回目登山日2020年8月27、28日 (現在の写真を撮影した日)


ここから下が2000年8月の登山記になります。お楽しみください。


今回登ったのは、あの愛媛の石鎚山ではない。本物に似せて作られた 1/10 スケールの石鎚レプリカ、"石槌"山なのである。
一度でも本家に登ったことがある人ならば、その模倣の面白さを楽しむことが出来るはずだが、
残念ながらここでその所在地を明かにすることができない。紹介してしまうと、大勢の人が押し寄せ、
一部の心ない者によって荒らされてしまうのがこの世の必定。そのためか地元では、地方の山岳ガイドにさえ掲載せず、
信者だけでひっそりと利用しているようなのである。


「石鎚山そっくりの山がある」との情報が M からもたらされるまで、私はその山の存在をまったく知らなかった。
M は知名度が低い山のパイオニアであり、これまでも誰もが知らない登山道を発見したり、道がなければ藪こぎをしてまで奥に踏み込み、
世間から忘れられた山の真の姿を探求してきたのである。今回も、その尖った山容に興味を持ち、
聞きこみ調査によって村落の脇に登山道入り口を発見。試しに登ってみると、どうも愛媛の石鎚山と同じ構造になっている。
これは面白いということで、その検証作業に私を誘ってくれたのだ。

夏まっさかりのその日、M のガイドにより山あいの静かな村落に踏み込む。車道から見える石槌山からは逆方向に進むイメージで、
登山道を探す者がこの村に入ることはまずないであろう。石槌山とは一見関係なさそうな小山の一角に古びた鳥居がある。
ここが登山の入り口なのだという。見ると「石鉄大権現」の文字。"石鉄"とは奇妙だが、地元民が "いしづち"と発音し、
地図上でも"石槌山"となっていることから、最初は誤字ではないかと考えた。しかしおそらくは、
真の登山口を隠蔽するためにわざと一字変えたのだろう。"槌"と"鉄"を合わせて"鎚"という暗号なのである。
(みっちゃん注:この解釈は作者の想像です)
登山道の下には小山を巻くようにして排水路が切ってあり、M は「面河渓」ではないかと言ったが、
それはちょっと無理があるだろう。

鳥居をくぐり、石段を登るとすぐに山道になる。すると、隠された聖域に踏み込んだ我々異端者をどこかで見張っていたのだろうか、
前方から老人が現れ「上まで登るんか。大変じゃのう、フォッフォッフォ・・・」と楽しそうに笑いながら石段方向へ去って行った。
今のは警告なんだろうか、それとも・・・私は M と顔を見合わせた。
平坦な山道は長く続かず、すぐに急登に変わる。花崗岩で出来た土のすべりやすさを補うべく段が設けられているが、
あまり見たことのない奇妙な段である。石段でもなく、木段でもない。
カール状の坂の左右に直接ギザギザを刻みつけた様は、あたかも風化した恐竜の背骨を登っていくような感覚だ。
本家の石鎚では登山道の多くが石段や木段で出来ているが、信者の便宜をはかって道を加工する思想は同じだろう。
金のかけ方が少々違うだけである。

やがて小山の上に出る。そこから石槌山へ稜線がつながっているのが分かる。本家石鎚で言うと、
ちょうど東稜ルートで鶴の子の頭に出た感覚だ。巨大な花崗岩の岩屏風の間を通ってしばらく登ると、
天板が取れたような鳥居跡があり、さらに進むと土色の建物が見えてくる。どうやら石鉄大権現の本堂のようだが、
飾り気のない素朴な風体はまさに「土小屋」である。そこで腰を下ろし、
水分を補給しながらふと見上げると、枯れて骸骨化した木が 2 本。石鎚山系にある瓶ヶ森の「白骨林」を彷彿とさせる光景だ。
土小屋・・・いや、本堂を後にしていよいよ石槌山の登りにかかる。M によると、この先に「鎖場」があるという。
すべる足下をややよじ登りぎみに上がっていくと、分岐が現れる。指標がないので少し迷ったが、踏み跡が強くついた方の道を
選んで進む。巨岩が多くなり、そろそろ鎖がありそうだと思っていたら、ひょこっとその鎖の上に出てしまった。
どうやら我々は「捲道」を上がっていたのだ。これはもう、本家石鎚山の作りそのものである。
違うとすればその岩場、鎖などなくても簡単に登り降り出来るということくらいか。せっかくだからと下に降り、
一応鎖を使って登ってみる。でもやはり鎖がない方が登りやすい。それともこれは、簡単に登るなという修行の一環なんだろうか。

鎖が終わると山頂である。この手順も本家石鎚と同じだ。
山頂には巨岩が積み重なり、そのてっぺんに祠が設置してある。M はこの岩を称して
「天狗岳ではないか」と推測していたが、どちらかというと本家石鎚の弥山山頂にある、神社を設置した大岩に近い。
ただ、本家と異なりこの岩には鎖がついておらず、また垂直に切り立った正面には登る手がかりがまったくない。
しかし岩の回りを調べたところ、一つだけフリークライミングで行けそうなルートが見つかった。さっそくアタックをかける。
バケットホールドで最初の岩に上がり、それから横壁をプッシングしながら、スラブ状の斜面をスメアリングで除々に登る。
別の岩に乗り移った後、最後の大岩は難関に思えたが、よく見るとわずかなクラックがある。上方の外傾ホールドをパーミングで抱えて懸垂し、
クラックに左足インサイドをエッジングしてズリ上がる。後はフリクションでトントンと登るとてっぺんに到着である。
(普通の岩登りをわざと専門用語で表現してみた。フリークライミングって、
何でもないことにいちいち英語の呼び名をつけてるんだよな。あ~ややこし。)
さて、祠に安置されている神像に近づこうとすると、蜂が現れて顔の回りを飛びまわった。祠を守る衛兵なんだろうか。
先ほどの老人の警告が思い出されて背筋がぞっとしたが、あいにく刺されなかったため真夏のミステリーは未完成に終わった。
ともあれ手を合わせてから 360 度の眺望を楽しむ。南から西にかけては奥深い山並みが軒を連ね、
北から東にかけては遥かなる田園地帯。何の邪魔もなく吹きぬける風が、汗で濡れたシャツを気持ち良く冷やしてくれる。
レプリカとはいえ石槌山のてっぺんはやはり素晴らしかった。


ところで気になるのが「天狗岳」の存在である。これがなければレプリカは完成しないはずだが、
一つの可能性としては、M が言うように祠の安置された大岩がそれを兼ねているということ。
もう一つは本家石鎚と同じように、弥山からの稜線を辿った先にそれがあるというもの。我々は検証すべく、
弥山に荷物をデポし、上がってきたのとは逆方向へ歩いてみた。再び眺望の得られる場所に出ると、
そこには高圧電線の鉄塔が立っている。もしかすると、これが天狗岳なのだろうか。
しかし、鉄塔には「登るな危険」の文字。以前、本家石鎚山でそうだったように、
私はまたしても天狗岳を前に撤退を余儀なくされたのかも知れない。


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