平成21年7月13日作成

本日の小話:「花咲く玉野と私」
「花咲く玉野」は玉野市が市制30周年を記念して昭和45年(1970年)に作った
「玉野おどり」用の曲です。平成元年(1989年)まで使われました。

1番の歌詞は
揺れるマストにカモメが群れて
送り迎えのドラの音
青い火花にドックも暮れて
玉野 日本の船どころ
ラランラ ラララララ
玉野日本の 船どころ

2番の歌詞は
朝は浜風 潮風そよろ
夜は松風 恋の風
山と海との恵みをうけて
玉野 日本のパラダイス
ラランラ ラララララ
玉野日本の パラダイス

ちなみに3番の最後は
玉野日本の パイオニア
4番の最後は
玉野日本の 別天地
と歌われます

日本の船どころ,パラダイス、パイオニア、別天地と派手な歌詞ですが
この歌が出来た1970年代は高度成長時代と言われていた時代で
町全体に勢いがあり、私はこの歌に全く違和感を感じませんでした。

しかし平成元年を最後に使われなくなりました。
確か、昭和63年(1988年)の連絡船の廃止や
造船不況による市内企業の脱造船化が叫ばれていた事もあり
1番の歌詞が市の現状にそぐわなくなったと云う事で廃止されたのではなかったかと思います。
市の政治経済の中心が造船所のある玉から宇野に移ったと感じた時でもありました。

数年前から玉商店街の土曜夜市でこの曲がかかっているそうです。
高度成長時代の代表的な歌手である水前寺清子さんの絶頂時の録音です。
前へ進もうとする勢いがあります。
2番、4番の最後の部分、転調して混声合唱で「王子が岳から見下ろせば」と
歌われる部分は鳥肌が立つ位素晴らしい入り方です。(個人的感想です)

現在は玉野の観光の目玉に造船所の進水式を取り上げている事もあり
廃止の理由となった1番の歌詞も違和感がありません。
「ドラの音」も昔は鳴ったんだよと云う事で拡大解釈出来なくはありません。

玉の歌としてこれからも時々聞きたいです。

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以下 参考項目:
  昭和45年に市制30周年記念事業の一環として
  玉野高校、玉野商業高校及び市内の各中学校のブラスバンド部が
  市内各所(玉商店街や荘内銀座等)を行進曲「花咲く玉野」を演奏しながら
  パレードした。この時の楽譜がまだどこかの学校に保管されているかもしれない。

  玉商店街は昭和40年代までは、三井造船の給料日ともなると肩がぶつかり会うほど
  込み合ったそうだ。

歌詞: 1番
揺れるマストにカモメが群れて
送り迎えのドラの音
青い火花にドックも暮れて
玉野 日本の船どころ
ラランラ ラララララ
玉野日本の 船どころ

2番
朝は浜風 潮風そよろ
夜は松風 恋の風
山と海との恵みをうけて
玉野 日本のパラダイス
ラランラ ラララララ
玉野日本の パラダイス

王子が岳から見下ろせば ヨイトサ
瀬戸の浪間の真帆 白帆 ソレ
そうだ そうだ ヨヨイノヨイ

3番
霧の晴れ間に 咲く紅つつじ
意気と若さの 色も濃く
かざす文化の かがり火燃えて
玉野 日本のパイオニア
ラランラ ラララララ
玉野日本の パイオニア

4番
海の幸なら 鯛 海老 さわら
山の幸なら 蜜柑 梨
うまい空気が おまけの土産
玉野 日本の別天地
ラランラ ラララララ
玉野日本の 別天地

王子が岳から見下ろせば ヨイトサ
瀬戸の浪間の真帆 白帆 ソレ
そうだ そうだ ヨヨイノヨイ

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