鋼索線(男山ケーブル)

工学部 電気工学科 3年 たらちゃん

(1)略歴

 男山ケーブルは大正15(1926)年6月22日,京阪とは別の「男山索道株式会社」が石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)への参詣者の便宜を図るために開業させたものである.しかし第二次世界大戦中,軍需資材転用のため,昭和19(1944)年2月11日に線路撤去・廃止され,会社自体も解散した.
 しかし戦後も落ち着き,再びケーブルカーを運転する気運が高まり,昭和30(1955)年7月12日に着工され,同年12月3日,京阪電鉄鋼索線(正式にこの名称となったのは昭和31年1月)として営業を再開した.当初の駅名は本線接続駅の方が「男山(おとこやま)」,山上駅の方が「八幡宮(はちまんぐう)」であった.その後昭和32(1957)年1月1日,「男山」が「八幡町(やわたちょう)」に,「八幡宮」が「男山山上(おとこやまさんじょう)」に改称された.昭和52(1977)年11月には「八幡町」が「八幡市(やわたし)」に改称された.復活から現在まで特に大きな変化のない路線である.

(2)路線

 鋼索線の八幡市駅改札口は,京阪本線の八幡市駅とは少し離れた別なところにある.乗車するとすぐに急勾配を左に曲がりながら,ぐんぐん登って行く.やがてトンネルに入り,出口に行き違い地点がある.そこから全長111m,高さ43mの男山橋梁を渡る.ここからの眺めは素晴らしい.この鉄橋を渡り終えるとまたトンネルに入り,抜けると男山山上駅に到着する.水平距離400m,高低差82m,所要3分の短い路線である.ここから5分程歩くと,エジソン記念碑がある.エジソンが境内の竹を電球のフィラメントの材料として用いたことを記念したもので,現在の碑は昭和59年に再建されたものである.さらに少し歩くと石清水八幡宮に着く.

(3)ダイヤ

 始発は7:40,終発は18:45である.始発から9:20発までは20分間隔,その後は15分間隔である(休日は朝方若干違うダイヤであるが基本的には同じ).またオフシーズンは10時以降本数が半減し,30分間隔で運転される.
 しかし,収入の大半を稼ぐ初詣輸送では大増発され,終夜運転では5分間隔,三が日昼間時は4分間隔のピストン運転が行われる.

(4)車両

▲大鉄橋を下るケーブルカー
1995-4-5
 昭和30年の復活の際に投入された「1」「2」が,車体更新工事されたものの現在も活躍中である.
 日立製作所製で全長13.8m,定員175人の大型車である.京阪では5000系が5扉車で有名であるが,実はこのケーブルカーも5扉車である.当初車体は緑の濃淡で京阪通勤車と同じ塗装だったが,その後,カーマインレッドとマンダリンオレンジの京阪特急色に塗り替えられた.
 巻上機は250馬力と190馬力の2基があるが,通常は後者で8km/hの運転を行い,正月などの多客期は前者を使用し12.6km/hの高速運転を行う.
 また正月は一部の座席を撤去して使用する.


<参考文献>
『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』 藤井信夫 (1991年)
『ミニ・ヒストリー 京阪電車・車両70年』 京阪電気鉄道 (1980年)
『くらしの中の京阪Vol.219』 京阪電気鉄道 (1994年)
『京阪時刻表Vol.9』 京阪電気鉄道 (1995年)


(注意)
 これは,1995年秋に発行した大阪大学鉄道研究会機関誌「パンタグラフNo.49 <特集>京阪電気鉄道」の原稿です.したがってデータなどはすべて当時のものとなっています.現在は変更になっているものがあるかもしれませんのでご注意下さい.
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