ビオクリマティック・デザインのように 104
■■ 4 小国町便り
2009年04月09日
3月19日から3日間、熊本県は阿蘇郡小国町で行なわれた「21世紀の小国の家・滞在コンペティション」に参加した。小国町の森林組合が主催する企画で、小国杉の町に短期滞在して、その風土に立脚した家づくり、とりわけ「伝統」のみに依拠しない「21世紀の小国の家」を問う、というのがそのテーマである。参加者が町民の家にホームステイをして、小国について語り合う一夜が設けられている。
■小国町概況〜小国行きに向けて〜
小国町は、大分県と隣接する熊本県の最北端、筑後川の最上流にあたる、阿蘇山の北側のなだらかな山合いの、杉の森林と温泉が豊かな町である。人口約8500人、標高300-800m、面積13700ha、75%が林野面積、うち7600haが人工林という林業の町。1980年代から90年代にかけて、間伐材を利用した大架構の木造公共建築のいくつかの試みを通じて、木造の新しい可能性を模索したことでも知られている。春まだ浅い熊本の、のどかな町を訪ねてみるのも一興かと、半ば旅行気分で参加を目論んだ。
まずはどんなところかと調べてみた。ガイドブックではなく、気象庁のアメダスデータである。小国町に近接する気象データの観測地点、南小国町、日田、玖珠などの平年値を見ると、冬の日照時間が短く、気温も東京より低い。九州内陸部の山岳地域は年間2500mmと降水量が多く、冬も雨が多く高地のため気温も低い。気象の平年値では、南小国の一番寒い1月の平均気温-2.9℃(東京5.8℃)、日照時間103.6時間(東京180時間)。
旅行気分とはいえ建築の提案をするにあたって、九州だから夏対策がメインだろうか、冬の日射取得の有効性をいかに説明するか…と悩むどころか、冬を暖かく過ごすための工夫が重要で、しかも日射量が少なくビオクリマティック的にはむつかしい土地柄だ。しかし、その土地の気候風土に応じてアプローチするのがビオクリマティック・デザイン、どんなことができるか…と、日照時間から予測した日射量、想定される建物の性能などに基づいてシミュレーションをして、小国行きに備えた。
■小国町に到着
3月19日、別府から由布院、阿蘇を経て熊本まで、九州を横断するバスに乗り、小国町へと向う。時に草を食む牛など眺めながら九州山地の山並みを抜け、杉の森林に囲まれた小国に到着。お昼前に森林組合の林業センターに集合した参加者は、総勢17名11チーム(翌日に2名が合流)。やはり九州近郊の人が多く、九州以外では名古屋から1名、東京から私たちの他に大学生チームが3名、埼玉から1名。fig4-1 小国町の風景
コンペティションというものの、規程はゆるく(ほとんど参加者に委ねられている)、主催者も審査するのも建築の専門家ではなく、最優秀賞には小国杉の大黒柱を贈呈というものだから、参加する建築家たちも、コンペに「勝ち」に来たわけでもないだろう。私としては、杉の豊かなこの地に建築の専門家たちが集い、風土や風景に触発されてそれぞれにアイディアを出し合うブレインストームぐらいののつもりで参加したといってもよい。
■小国杉とは?
森林組合の人の話と資料によると、阿蘇の外輪山の北斜面に位置する小国町、古くは1078年に椙山=杉山という名の記録があり、江戸時代の中期1758年の杉穂の挿し付けが小国林業の始まりという。人工林のほとんどが杉で、毎年の増量8万?に対して切出し5万?で蓄積量は増加、現在のところ374万?。雨の多いなだらかな北斜面と良い土質が杉の生育に適し、寒暖の差が強度のあるよい杉をつくり、標高差による品質の違いも少ない。樹種はヤブクグリとアヤスギの2種に集約され、品質の安定につながっている。また長年の林家の努力により、樹齢4-50年を中心とする十分成育した木の比率が高い。ちなみに花粉症のこの季節だが、九州の人口林は実生ではなく挿し木によるもので、世代交代をしていないため生殖力は強くなく、花粉量は少ないそうだ。
→小国町と小国杉
■小国めぐりバスツアー〜建物を中心に〜
昼食後の小国めぐりのバスツアーで、まず訪れたのは阿弥陀杉という樹齢1300年の杉の巨木。2001年の台風で幹が折れ痛々しい姿ではあるが、折れた三の分一も小屋掛けされて大切に横たえられて、年輪を見ることができる。そこから坂をあがると、約540年前に建てられた古い立派な民家があり、増改築をしながら現在も住まわれている。
前述の80年代木造建築の試みもいくつか見学した。最初のミーティングが行なわれた林業センターもそのひとつである。最も大きい小国ドームは、44m×34mの空間を、杉の角材5602本からなる木造立体トラスの曲面で覆った体育館で、杉山の中にこんもりした屋根がうずくまっているようだ。短辺側の壁は斜めに傾いたガラス貼り、長辺側はコンクリート打ち放しである。また翌日訪ねた道の駅・ゆうステーションは、一連の木造立体トラス構造の出発点であり、廃線となった国鉄宮原線の肥後小国駅跡地に建つ、杯形のハーフミラー貼の建物である。(いずれも葉祥栄設計、1987年竣工)fig4-2 小国ドーム
西里小学校(木島安史設計、1991年竣工)は、多面体のドームを中心に、独立した教室群が不規則な放射状に配置された木造の小学校で、構造も仕上げも杉材。小国町では今年から6つの小学校が1校に統合され、この西里小学校は廃校となる。卒業式を終えた春休みの校舎には、この学校の思い出に溢れたこどもたちのお別れの言葉が張り出されていた。fig4-3 西里小学校
杉木立の中のファームロードをしばらく走って、そこかしこから湯気が立ち上る岳ノ湯温泉へ着く。家々では熱い温泉を引き込み暖房に利用、田んぼの中の井戸からも湯気、火傷に注意との看板がある。その地熱を利用した木材乾燥施設は杉板張りの小屋で、床下の蒸気配管の放熱板はビールの空き缶製という手作りの実験施設、板材ではまずまずの成果をあげているそうだ。バスの車窓からところどころで、切り出した丸太の集積所などを目にしたが、切り出す現場や製材所など、杉材の生産現場をもっと見られなかったのは残念だ。fig4-4 岳ノ湯温泉付近の集落の風景
■ホームステイ先にて
夕刻、それぞれのホスト家族と対面し、滞在先に分かれていく。私たちは、古い蔵を改造したレストラン〈野いばらの実〉と、しいたけの乾燥小屋を改修した一室だけのB&B〈なばむろ〉を営む、Sさんの家に向う。Sさんは小国生れの小国育ち、しばらくの福岡暮らしの後、小国に戻って〈野いばらの実〉をはじめたそうだ。改装した蔵には大きな木のカウンターがしつらえられ、古い木机や皿などがさりげなく飾られとても感じがよい。2階にあがると、棟木に打ち付けられた棟札の「上棟大正十二年五月吉日」の文字が読み取れる。近くの温泉から戻って、小皿にきれいに盛られたおいしい食事を戴きながら、家のこと小国のことをうかがった。古い蔵の中を片付けて、壁を塗り替えてみると、黒々と太い柱や梁の美しさが際立ち、木の良さをあらためて感じたそうだ。私たちがつねづね考えているビオクリマティックな建物のことを話すと、そういえば小国は前ほど寒くなくなったけれど、昔はこたつを出ると冷たい床をつま先立って歩いたものだ、という話も聞いた。なばむろは寒いので、と渡された湯たんぽをふとんに仕込んでから、かい巻きを羽織って一日を振り返りながら、小国の夜は更けていった。
fig4-5 野いばらの実
■〈小国のいえ〉を考える
20日未明に強い雨、朝は小雨交じりの灰色の空。前日は暗がりでよくわからなかったSさん宅の周辺を見てまわる。南斜面の集落の一角、道路より1.5mほど上がった東西に長い敷地に、南向きに建つ母屋、前庭の西側に蔵、その北側になばむろ。前夜、コンペの提案にこの家のことを組込もうと思いついたので、簡単な実測をして配置図をつくってから、作業場所の木魂館に向う。小国出身の北里柴三郎が提唱した「学習と交流」の精神にのっとって構想された「学びやの里」の中の研修宿泊施設で、置屋根をヒントにした立体的な屋根が特徴的な建物(桂英昭設計、1988年竣工)。この研修室で終日、作業が行なわれる。参加者はそれぞれ、思い思いにスケッチをしたりコンピュータで図面を書いたり、ヒントを求めて外に出かけたりしながら、自分なりの「小国のいえ」を模索する。夕刻の、小国のご馳走づくしの交流会も気もそぞろに、参加者の多くは夜っぴて作業を続けた。fig4-6 木魂館
作業のためのホールは石油ストーブをがんがん焚いて、頭がぼーっとするため別室の和室で作業をはじめると、暖房がなくて今度は寒くてたまらない。寒ければ暖かくしたいのは当然だが、たとえばこの石油ストーブがんがんの、暖かさの質はどうだろう。あるいは、小国ドームなどのいくつかのガラス張り建築を通して、小国のひとたちは「ガラスの建物を冬寒くて夏暑い」と思っているのではないか、と心配してしまう。小国ドームで温度を測ったところ、外気温15.5℃の時、室温17.5℃、コンクリート壁面13.4℃、天井13.6度、ガラス面14℃、1階床表面14.4℃、2階床16.2℃。外気と接している部分ほど温度が低い、つまり外気に熱が逃げている。そしてガラスやコンクリートなど、それぞれの部分の熱的な性質(熱の伝えやすさ、温まりやすさ)が、そのまま温度にあらわれている。
これが単板ガラスがでなく複層ガラスならば、この温度環境もずいぶん違う。日射熱を建物の中に取り込み蓄えることもできる。建物全体の断熱性能をよくすれば、床・壁・天井の表面温度が安定し、体感的な快適性はずっと向上する。建物の配置、形態、屋根・壁・床の熱的性能、熱や光や空気のコントロールの仕方次第で、「がんがんストーブ」とは全く異なる、快適な環境を得ることができる。同時に、ひとにとって快適な環境は、建物にとってもよい環境となり、長寿命化につながる。そういったことを、私たちは小国のいえとして提案することにした。
翌21日は朝からプレゼンテーション。最初の数組の提案を見ることができなかったのは残念だが、途中から参加者も全員プレゼンの会場に入って、参加した建築家が、小国で何を見、何を考えたかに触れることができたのは大きな収穫だ。最後に参加者同士のディスカッションができたなら、より充実したものになっただろう。3日間の日程は無事終了。小国町での杉と風土とひととの遭遇が、かたちをかえていつかどこかでつながっていく、そういうものに育つとよい。fig4-7 杉木立越しに臨む、小国町の集落の風景
★参考リンク
小国町森林組合公式サイト http://ogunisugi.com/
小国杉の家づくり研究会 http://ogunisuginoie.jp/event/index.html
〈インターネット新聞JANJANに掲載〉